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2005年10月18日(火)
人間は言葉と一緒に成長するそうです。 想像力も言葉とともに成長するのです。 思いやる心は相手の立場に立つという想像力によります。 言葉が操れない人は自分の発想を言葉で再現できないので、再確認力も弱いし、反芻して反省する作業もできません。
それを放っておくと、頭が良いのに想像力はないという大人に生長できてしまいます。 そのツケは自分に返って来ます。 受け止めきれずに心の病になる人もいるでしょうし、心の病とまでは言えないけど偏屈になったりもするでしょう。
人間のもうひとつの人間らしい側面はプライドです。 自尊心とも呼ぶし、羞恥心とも呼ぶ。悪びれると言うのも確固たる自尊心の上に自らの愚かさを恥じるからであって、そこを乗越えて行って、同じ過失を行なわないようになり、判断力も付いて行くのです。
一部の人はこれがとてもこなれていない。 その最たる一人、ダークヒーローとも言える人がかつてこの日記を席巻していましたが、何を見越したのか察知したのか、うちの彼女にダブルデートを申し込んで来ました。
それが嬉しかったのか受け手もとぼけていて、返事しようかというのでたしなめました。 なぜ、恥を知らないのだろう。なぜ、自らの中に善意しか見ないのだろう。 もちろんダークヒーローにつばさは見放されているので、こっちにはコンタクトは無いけども 迷惑をかけたという自覚は何もない。 何事も無かったようにご無沙汰した友人に連絡を取っているような文面に、諦観を持ってしまう。 連絡を取りたいほどの友人なら、その相手に対して反省すべきです。
たしなめた後に、こうも言いました。 「どうしてもコンタクトを取りたいならすれば良い。その後は知らない」
彼女がその後どうしたかは知りません。 通ずるものがある二人だから寄り添っていくのなら人種が違うんだと思うしかありません。
言葉を尽くしても解からない事があります。 それは未体験の領域にある体験です。 うつ患者の、立ち直れないグループに属す多くの人は、自分の病気を理解しろと必ず言います。理解しない姿勢は悪だと。理解し共鳴する事がトレンドで、リベラルな事だと言います。 同情するなら理解しろ!と言いながら同情を求めている事に本人も気づいていない。
理解できないから君と一線を画しているのだ。
理解してシンクロしたら、こっちもそうなるじゃないか。
世の中には理解してはいけない部分があるのだ。
罪を憎んで人を憎まずだが、自覚が無いうちは許せない。
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