チフネの日記
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2012年09月01日(土) lost 悲劇編 44.あかり

お久し振りですね、景吾さん。
連絡をくれるとは思ってもいなかったので、少し驚きました。
もう……お会いすることは無いと、そんな風に考えていたので。
私達の仲は終わっていた。言葉で確認する必要もありませんよね?
そもそも始まってもいなかった。
ああ、そんな顔しないでください。景吾さんを責めるつもりは無いのです。
むしろ責められるとしたら私の方でしょう。
あんな形で終わらせて、景吾さんから逃げ出したのですから。
その後の揉め事も全部景吾さんに押し付けて、大変申し訳なく思っています。
でも当時はどうすることも出来なかった。その事情がなにかは、景吾さんも知っている通りです。
今日は彼があの子の面倒を見てくれてます。景吾さんと会って最後に話をしたいと言ったら、自分が見ているからと申し出てくれました。
彼も景吾さんには迷惑を掛けたと気にしています。そんなことはない、と。ええ、そう伝えておきます。景吾さんにそう言って頂けたら、きっと少しは楽になれるでしょうから。
景吾さん、らしいですね。もう別れたとはいえ私のことを心配して連絡くださったのでしょう?
でも、大丈夫です。私達は今、幸せですから。もう立場とか、家のこととか考えず正直な気持ちでいられる。それだけでも随分楽になれました。だから、幸せです。





あの日。妊娠を父に告げた時、相手は景吾さんだと疑ってもいませんでした。
景吾さんとの、跡部家との絆はこれで揺ぎ無いものになると喜んでさえいました。
そんな父に私は真実を告げました。
お腹の子の父親は景吾さんではないと。
キスさえしていないのに、どうして子供が出来るのでしょう。
しかし父は私の言葉を信じてくれませんでした。
その後のことはよくご存知ですよね。
娘が婚約者以外の子供を身ごもることを信じられなかった父は、景吾さんの家に責任を取るようにと焦って結婚を早めようとしてました。
私は父を止める為に、初めてあの家を出る覚悟をしました。
勿論、私は一人では出来なかったことです。彼と、彼の家族や友人達が手助けしてくれたおかげでした。
家を出た後はお腹の子を無事出産するまで、父に見付からないよう身を潜めて過ごしていました。
もし、見付かっていたら。想像したくもない恐ろしいことになっていたに違いありません。
あの頃の父は、景吾さんとの家の繋がりが無くなることを絶望し、正常な判断を失っていたように思えます。
今ではもう、諦めてしまったのか何も言いません。
大学でもずいぶん私と彼の話が広まったようですから、噂を消すことも無理だったのでしょう。
彼とのことも認めてはくれていないようですが、私を連れ戻すこともせずに仕事に没頭しているようです。
いつか和解出来たらと、考えてます。きっとずっと先の話になりますが。

きっとこれも罰なんでしょうね。
あの日、景吾さんの手を握って引き止めてしまった。
それから私の中で全てが変わった気がします。
そんな、嫌そうな顔をしないでください。
私はあの日のこと、一度足りとも忘れたことはありません。

景吾さんへあの人の所へ行くべきだと言えることが出来たら、今とは違う結末になっていたはずなのに。
ええ、わかってます。当時の私は景吾さんを引き止めることで精一杯だったんです。
邪魔者が消えて、これで景吾さんは私だけを見てくださる。そんな風に考えてしまったのです。
でも、それは大きな間違いでした。
景吾さんの心はずっとあの人しか見えていなかった。
わかっていたのに私はそれを考えないようにしました。
景吾さんに側にいて欲しくて、だから引き止めてしまった。
帰りましょう、なんて口に出さなければ良かった。
私の手を景吾さんは振り払うことは出来ない。
家同士の付き合いで将来を約束した私を置いてあの人の元へ行くことは決して出来ない。
わかっていたから、私と一緒に帰った、そうですよね?
でも、それは間違いでした。


正直に話しますね。
あの人のことを忘れていない景吾さんと一緒にいるのは苦痛で仕方ありませんでした。
驚きましたか?
でもこれが私の本音です。
決して景吾さんの一番にあることが出来ない、そのことに気付いた私の心は虚しさでいっぱいでした。
引き止めても結局幸せにはなれない。
しかし別れるとも言い出せなかった。
景吾さんとの結婚を望む両親に申し訳なく思っただけではありません。
あの人の元へ行かせないようにしておいて、やっぱりあなたとはやっていけないなんてどうして言えるのでしょう。
だったらあの時突き放してくれれば良かったと、景吾さんになじられるのが怖かったのかもしれません。
ですが景吾さんと結婚しても上手くいくはずがないのは目に見えてます。
義務的な扱いを続けたまま一緒に暮らすなんて、とても耐えられない。
悩み続けておかしくなりそうでした。
そんな時です。彼に、出会ったのは。

彼は、私と景吾さんとのことを知っていました。私は知らなかったのですが、学内では有名だったようです。
それでも、婚約者がいると知っていても、私が好きだと想いを打ち明けてくれました。
玉砕覚悟で告白して来た彼の体は緊張で震えていました。
断られるのをわかっていて、少し泣きそうにもなっていた。
でももし私が景吾さんと婚約していなかったら、この人との告白をもっと真剣に考えていたかもしれない。
そう思うとすぐに断るのは間違いのような気がして、「少し考えさせてください」と口にしていました。
彼は非常に驚いていました。
断られることを前提に告白したので、当然でしょうが。
それから彼と話をする機会が増えました。
景吾さんとの約束も事務的にこなしていましたが、会うたびに罪悪感ばかり募って、苦痛になってました。
だから自然と彼と過ごす時間の方が増えていきました。
しかしある時、彼が遠慮がちに「君の婚約者は、僕と会っているこを知っているの?」と尋ねたのです。
こんなに頻繁に会えることを不審こに思ったでしょう。
婚約者を放っておいて、何故自分と会うのか。そこに望みがあるのか確認したかったのかもしれません。
問われて私は、今まで溜め込んでいた気持ちを吐き出しました。
勿論、あの人のことについては伏せてあります。
景吾さんには他に好きな人がいたのに、私が邪魔をした所為で結ばれることが出来なかった、
その所為で今も罪悪感に悩んでいると伝えました。
彼はこんな私を慰めてくれて、そして景吾さんと別れるべきではないかと言いました。
取り返しがつかなくなる前に、お互い解放されて別の道を歩んだ方がいい。
このままでは不幸になるだけだと言う彼に、はっと目が覚めました。
景吾さんをこれ以上苦しめて、幸せにも出来なくて一緒にいる意味などない。
もう、解放するべきだと思いました。

もちろん簡単なことではありまあせん。
両親は婚約解消など許すはずもないですし、景吾さんの家でも破談を黙って受け入れるとは考えられない。
困り果てた私を励ましてくれたのはやはり彼でした。
話せばちゃんとわかってくれる、と。
しかし私は周囲が騒ぎ出すのが怖くて、行動に移せずにいました。
それから数ヶ月過ぎて、とうとう引き返せない状況になりました。
お腹に彼の子を宿したからです。私はその時、決心しました。この子を守ろうと。強くなろうと。
彼もまた私の妊娠を喜んでくれました。
そして一時的に身を隠し、無事出産をするまでずっと側にいて支えてくれました。

景吾さんにとっては、私が一方的に逃げたということになって破談したことは結果的に良かったんじゃないでしょうか。
もし私を捨ててあの人の所に行ったとなれば、色んなところから非難を浴びていたでしょう。
きっと私以上に酷かったと想います。
これであの日、引き止めたことが相殺されるとは考えてはいませんが、不幸になる道へ引き込まずに済んだと思います。
もし私と結婚していたら、あの人といる未来は完全に絶たれていたでしょう。
いえ、景吾さん自身が諦めてしまったでしょうね。
でも景吾さんはあの人と一緒にいるべきなんです。
もしかしたらまた景吾さんの両親が誰かと引き合わせて結婚させようとするかもしれませんが、
拒否してください。
どうか私みたいに愛されていないとみじめな思いをする人をこれ以上増やさないでください。
お願いします。


私も酷いことをしたと思いますが、景吾さんの拒絶をしない優しさも酷いことだと自覚してください。
勝手なことを言っているのはわかってます。
でも景吾さんが私に婚約者として相応しく振舞う度に、心が削られていくような気持ちになりました。
結局、愛してはもらえない。それを突きつけられている気がして辛かったです。
もう、素直になりましょう。
景吾さんが今でもあの人を想っているのはわかります。……わかっている、つもりです。


そろそろ帰っても良いでしょうか?
彼はゆっくり行っておいでと言ってくれましたが、そういうわけにもいかないので。
景吾さんが今日、会いにこられたのは私が幸せかどうか確かめたかったからですよね。
幸せなのかどうかと聞かれたら、間違いなく幸せだと答えることが出来ます。
大切な家族が待っている。それ以上の幸せがありますか?
だから景吾さんも私のことは気にせず、あの人と幸せになってください。
私の最後の願いです。
もう二度と会うことは無いでしょうが、お元気で。
そして、さようなら。


チフネ