チフネの日記
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2012年08月06日(月) lost 悲劇編 39.越前リョーマ

今日、リョーマは噂に関わる人物と会おうとしていた。
不二からある人物の名前を聞いた翌日、千石と待ち合わせをして指定の場所へと向かった。


「来ないかもしれないよ」
千石の表情はずっと固いままだ。
直接乗り込んで行くというのを、リョーマの説得によって止めていた。
本人に直接話を聞かないと、確かなものはわからない。
犯人と決まったわけじゃないと言って、引き下がらせた。
それでも納得はしてないようだ。
「このまま逃げたらどうするつもり?」
「どうもこうもないっすよ。俺はそれでも構わないって思っている」
「駄目だよ、そんなの!あんなメールばら撒かれた所為で、色々言われたのに!」
不満の声を上げる千石に「気にしてないっすよ」と返す。

「どうせ向こうに行ったら忘れる」
淡々と言うリョーマに、「出発、来週なんだよね」と千石は小さな声で言った。

今朝、南次郎から出発する日を聞かされた。近々だと言われてたから、驚くことも無かった。
準備しておけよと言われて、明日にでも行けると言ったら南次郎はちょっと笑った。
いつだって旅立てる。心の準備はとっくに出来ていた。

「俺、見送りに行くからね」
「え。別にいいっすよ。面倒でしょ」
「そんなことないよ!リョーマ君の門出を祝ってあげたいから、絶対に行く!」
強く主張する千石に、それ以上遠慮するのも悪い気がして、
「好きにすれば」と答える。
実際、一人で行く方が気が楽だけど、記憶を取り戻してからずっと親切にしてくれた千石に来るななんてとても言えない。
見送られて、出発するのもこの際有りだろう。

「着いたよ」
指定のファミレスを前にすると、千石の顔から笑みが消えた。
話し合いに来ただけだからともう一度釘を刺して中へと入る。
くるっと店内を見渡すと、約束していた人物が先に座っていたのに気付く。
店員に待ち合わせをしていることを告げて、席へと移動する。

「早かったね。待ち合わせの三分前だ。リョーマにしては珍しい」
茶化した口調だが、笑ってはいない。
今からする内容の事で、不安なのだろう。

「香澄ちゃん」
千石が彼女の名前を呼んだ。
それだけで悪いことをしたかのように、びくっと身を縮める。

「リョーマ君から話は聞いたよ。ねえ、本当のことなの?」
「……」
「黙ってちゃわからないよ。説明してもらえると助かるんだけど」
「千石さん」
そんなに責めるように言わなくても、と咎めると、
「だって」と千石は不貞腐れたようにソファに背を凭れさせた。

「なんで香澄ちゃん一人しかいないの。一緒に来たんじゃないの?」
「それは、遅れてくるって連絡があて」
「逃げたんだ」
「違う……、と思いたい。でも、もう少し待って」

お願いと言う香澄に、リョーマは「待っていよう」と言った。
千石は納得していないようだが、黙ってメニューを手に取って捲り始めた。
いつまでも待っていると、無言で訴えているようだ。


昨日、不二から手掛かりになるかもしれないと教えてもらった名前は、全く知らない人だった。
誰、という顔をするリョーマに、不二は更に情報を追加した。

「君が付き合っていた彼女の友達だよ」

そこでふと、閃くものがあった。
リョーマが青学へ行った日、香澄は友人達と一緒だった。
誰とははっきりはわからないが、敵意のような目を向けられたことを覚えている。
その後、青学に行ったことが噂として流れていた。
擦れ違った中の誰かかもしれないというリョーマの推測は合っていたのだ。
ジローが会いに来た日に自宅近くをうろうろしていたのもきっとその人だ。
不二に礼を言って、この件は自分でハッキリさせるから誰にも言わないで欲しいとお願いした。
勿論、不二や他の先輩達はリョーマに任せると言ってくれた。
すぐい香澄に連絡を取り、先輩が調べていると前置きをして、その友人の名前を出し、心当たりは無いかと尋ねた。
まさか、と最初はなかなか認めなかったが、一度本人に確認してみると言って、
しばらくしてからリョーマに連絡が入った。
その友人は白を切っていたが、青学の高等部の先輩までもが調べていると聞いて、
観念してメールをばら撒いたことを認めたらしい。
詳しいことは今日会って話す、という段取りになっていた。
千石から連絡が来て、この件を話すと「俺も一緒に行く!」と主張して譲らなかった。
「だってリョーマ君一人で言ったら、上手く丸め込まれるに決まっている!
そんなの納得出来ない!」
香澄にまで連絡を取り、結局同行することになってしまった。
ここまで迷惑掛けてしまったからには仕方無いと、最終的にはリョーマも納得して千石を連れて来た。
しかしこの険悪な空気は、どうも頂けない。



「香澄ちゃんはその子から話を聞いているんだよね?理由とか知ってるの?」
千石の問い掛けに、香澄は首を振った。
「それが……、噂を流したことは認めたけど、理由までは教えてくれなかった。
リョーマに会ったら直接話すって言ってた」
「そんなこと言ったって待ち合わせの時間になっても来ないじゃないか」
時計を見て溜息をつく千石に、リョーマは困ったように眉を寄せた。
この分だと本人が来たら、ケンカになりそうだ。

まさか千石は女の子を殴ったりしないだろうが、ずっと不機嫌な顔をしたままのも困る。

席を外してもらうべきか考えている間に、香澄の携帯が着信を知らせた。
「もしもし?」
香澄は小声で一言二言話してから、
「あの、リョーマに出てもらいたいんだって」と携帯を差し出した。
それを聞いて、千石の顔色が変わる。
「ちょっと待ってよ。それって結局来ないってこと?」
「落ち着いてよ、千石さん。今はまず話を聞く方が先でしょ」
言い分すら聞いていないのに、文句を言うには早過ぎる。
そう思って、リョーマは携帯を受け取った。

「はい」
『越前君?』
「そうだけど」
「今すぐここに来るように言ってよ!」
横槍を入れる千石に、いいからと手で制して立ち上がる。
「ちょっと携帯借りる。話、外で聞いてくるから」
「リョーマ君!」
「ごめん。でもどうなるかは、俺が決めたいんだ」
そう言うと千石は「わかった」と顔を伏せた。
そのまま店の外へと出る。

「今。外に出た。他の人に聞かれることは無いよ」
改めて携帯の向こうにいる香澄の友人にそう告げると、
『そう。どっちでも良かったんだけど』と言われた。
『わかっていると思うけど、私は店には行かない。
越前君の顔も見たくないし、謝罪もしたくないから』
「そんな気がしてた。別に来なくても、俺もどっちでも良かったし」
『へえ。余裕だね。いざとなったら先輩達が出て来るから、自ら制裁する必要もないって?』
「制裁なんて考えてない。ただ、あんたと話をして決着つけたって形にしとかないと周りが納得しないから。それだけ」
棘のある言い方をされても、なんとも思わなかった。
香澄一人しか店にいなかったことから、察していた。多分、この人は噂をばら撒いたことを反省もしていないし、謝るつもりも無かったのだろうと。

『私、今回のこと後悔してないから。越前君が困ればいい、そう思ってたんだ』
「理由は、香澄のこと?」
香澄の名前を出すと「そうよ」とあっさりと認めた。
『記憶が戻ったらあっさりと香澄を捨てるなんてあんまりじゃない。
もう一度好きになればいいのに、あんたはそうしなかった。
香澄は黙って引き下がったみたいだけどね、いつも泣いていた。あの頃に戻りたいって。
なのにそんな苦しみも知らずのうのうと過ごしていることが許せなかった』
「……」
香澄とは話をして、ちゃんと別れたなんて言い訳に過ぎない。彼女が泣いていたのは想像出来るから。
わかっていたはずだ。香澄は気持ちを押し殺して、引いてくれた。
だから反論することも出来ずに黙っているしかなかった。


『それにあの噂をばら撒いたのは私だけじゃないよ。
最初のメールが回っているのを見て、便乗しただけ。
私はその後に二回ほどメールを回したけど、後は知らないよ。
あんたには他にも敵がいるみたいだね。無神経な態度で人を傷付けるのは得意みたいだから』

攻撃的な物の言い方は、明らかにリョーマを傷付ける為のものだった。
だが違う、とは反論出来ない。
記憶を失い、そして取り戻した間に傷つけた人がいることは確かだ。
敵意を持つ人がいても仕方無いと、思うしかなかった。

「それで、……香澄には何て説明するつもり?
ここに来なかったことを、後で責められるんじゃないの」
『私から上手く言っておく。
香澄を理由にこんなことやったって知ったら、悲しむだけでしょ。
あんたのことを個人的に嫌いだったとか言って適当に誤魔化すつもり』
「そう」

そんなもので香澄が納得して許すだろうか。
だが彼女ならばそうするかもしれない。
内心で複雑な思いを抱いても、表向きは許して友人として接するはずだ。
リョーマにも、そうしてくれたように。

『一つ、忠告しとく。
最初にメールを送った人物は誰なのかまだわからないから、気を付けた方がいいよ』
「……あんたには関係ない」

それだけ言うと、『そうね。余計なお世話だった』と一方的に通話は切られた。
もう話をしたくないということらしい。

どっと疲れた気がして、リョーマは大きく息を吐いた。
店内に戻るのさえ億劫だ。
きっと千石は今の会話を知ったら怒るだろう。
謝罪させろと騒ぐかもしれない。
香澄にも何て言おう。
後は本人に聞けって?それで納得するだろうか。

どうしようと、リョーマは入り口に立ち尽くす。
外の気温に当てられてか、何一つ良い考えは思い浮かばなかった。



チフネ