チフネの日記
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2012年08月04日(土) lost 悲劇編 37.越前リョーマ

リョーマが桃城からの電話を受けたのは、ベッドに入りかけた頃だった。
昨日と今日とずっと部屋の片づけをしていたので、疲れた。
早く寝ようと思った矢先だったが、相手が桃城となると気付かなかった振りは出来ない。
無下にしたくない相手だからだ。
欠伸を堪えながら、着信ボタンを押す。
「おーっす、越前」
すぐに陽気な声が聞こえて来た。

「夜なのに元気っすね」
「当然だろ。先輩達、今日の試合も勝ったんだぜ。
お前、なんで応援に来ないんだよ」
「行けるはず、ないっすよ」
どの面下げて青学の応援に行けるというのだろう。
二年前、リョーマが決勝をすっぽかしたことを覚えている部員もいるはずだ。
いくらレギュラーだった先輩達が許しても、それで終わりというわけじゃないこと位、リョーマにだってわかる。
むやみやたらに刺激したくない。特に大会前には。

「お前は……。また、そんなこと言ってるのか」
溜息交じりで言う桃城に「すみません」と謝る。
「ま、いいって。気持ちもわからなくもないからな。
じゃ、試合終わった頃に会うのはどうだ?」
不二先輩から絶対にお前を引っ張ってくるようにって言われているんだよ」
「不二先輩が?」

なんだろうと呟くと、「例の噂の件じゃないのか」と言われる。
「あれから乾先輩や菊丸先輩が中等部に顔を出して情報集めてみたいだしよ。
不二先輩も何か掴んだんじゃないか。
俺には何も話してくれなかったけど」
「そうっすか」
本当に何か掴んだのだろうか。
大会中に手を煩わせるような真似をして、申し訳なく思う。
情報がなんであれ、これ以上働き掛けることはしなくてもいいと言う必要がありそうだ。
そして青学の人達にもちゃんとお別れを言いたい。
アメリカ行きを伝える良い機会だ。

「それで明日、俺は何時に行けばいいっすか?」
「来てくれるのか?」
「不二先輩に言われたら、断れないでしょ」
「そうだよなー。俺も説得に失敗したなんて言えねえし。正直助かる」
そこでお互いに笑って、時間と場所を確認してから通話を終えた。

明日、青学の皆にちゃんとお別れを伝えよう。
記憶を失くして決勝をすっぽかした自分にも、最後まで先輩達は優しかった。
次に会えるのはいつになるかわからないけれど、決して忘れたりしない。
そのことだけは伝えるべきだと思いながら、眠りについた。








待ち合わせは会場の外で、ということだった。
終わった頃に連絡すると桃城は言っていたが、連絡は一向に来ない。
こちらからメールを送っても返事はない。
試合がまだ終わっていないのなら、それも仕方無いことだろう。
だが、遅過ぎる。

何かあったんだろうかと、嫌な感じに汗を拭う。
たとえば試合中に誰かが怪我をして、病院に行くこになったとか。。
どうしようと、リョーマは考える。
先輩達にアメリカ行きを伝えるには今日しかないと思っていた。
ここで黙って行くわけにはいかない。
誰かの身の上に何かあったとしたら、尚更だ。

(会場に、行ってみようか……)
誰かに見付かる可能性はあるが、このままじっとしていられない。
それに向かっている途中、桃城から連絡が入るかもしれない。
だったら先輩達を待たせることなく合流できる。
そうしようと、玄関から外へと出る。
今から行けば、むしろちょうど良いかもしれない。
誰の身に何事も起きていないのなら、それでいい。
夕方になろうとしているが、まだ気温は高い。
すぐに額に浮かんだ汗を拭って、リョーマは歩き始めた。






会場について、すぐに気付く。試合はまだ終わっていない。
だから桃城も連絡を送って来なかったのだろう。
しかも。

「タイブレーク?不二先輩が?」

試合しているのは不二だった。
スコアを見て、目を見開く。
かなり長い間、決着はつかないまま時間が流れているのがわかる。
不二も相手もボロボロという状態だ。
それでも諦めずに、ボールに食らい付いている。
この試合、勝った方が決勝へ行ける。
大事な試合だからどちらも譲れないのだろう。
以前、本気になれないと不二は言っていたが、嘘のようにもがいて、必死になってボールを拾おうとあがいている。
それはリョーマが知っているような余裕のあるプレーから掛け離れているけれど、
何故だか今の不二はテニスを、試合を楽しんでいるように思えた。

(頑張れ、不二先輩!)
両手を握り締めて、心の中で声援を送る。
不二に勝って欲しい。青学に勝って欲しいと応援席の片隅でそう願う。
しかし相手も全国大会に出て来るほどの選手なので、なかなか決着はつかない。
ポイントをとってもまた取り返してと、タイブレークは続いて行く。

不意に、いつか見た手塚と跡部の試合を思い出す。
手塚は青学を背負い、肩を犠牲にしてまで戦っていた。
勝利への執着は自分など到底及ばない。手塚の方が上だと認めるしかなかった。
今の不二がその時の手塚の姿をだぶる。
本気にはなれないなんて、誰がそんな風に思うだろうか。

「頑張れ、不二先輩!」

思わず声が漏れた。
こんな片隅から聞こえるはずないだろうに、サーブを打つ瞬間、不二はちらっとこちらを向いた。
そして、笑う。
体ごと飛び込んでボールを拾ったりしている為、あちこち擦りむいて傷だらけだ。
だけど、こんな場面でも笑っている。
(なんだ。まだそんな余力残っていたんだ……)
勝ったなとリョーマが思った瞬間、不二は鮮やかなサーブを打ち、ポイントを決めた。







「決勝だよ、決勝!不二すごーい!」
「やったな、不二!」

歓声が沸く青学テニス部の部員達を遠くから眺めながら、リョーマは観客席から外に出ようとした。
待っていればその内桃城から連絡が来るだろう。
それまで外にいようと考えていたのだが、
「越前!」と名前を呼ばれた。
「待って、越前。帰らないで!」
「不二先輩……」

呼び止めたのは不二だった。
他の先輩達もこちらをみている。
レギュラーの部員達だけじゃない。二年前に在籍していた人も当然いる。

何故ここにいるんだというような不審な目に、やっぱりか、と下を向く。
歓迎されていないのはわかっていたから、隅っこで観戦していたのに、
どうして不二は呼び止めるような真似をしたのだろう。

「おチビー、ちょっと待ってて。すぐに行くから!」
手を振る菊丸に、どう答えたら良いかわからず顔を引き攣らせる。
一瞬、用があるから帰ると言いそうになる。
が、その前意「絶対待ってろよ!」と桃城に釘を刺された。
「折角来たのに帰ることねえだろ。このまま行ったら、先輩達はお前のこと探すぞ!
手間掛けさせたくなかったら、大人しく待ってろ」
「……」
そうまで言われて帰るわけにもいかず、わかったと頷く。
先輩達は大丈夫だと判断したらしく、チームメイトがいる応援席へと移動して行った。

(やっぱり、余計なことをしたかも)

大人しく家で待っていれば良かったと思うが、もう遅い。
願わくば誰かに因縁をつけられるようなことがなければいい。
そう思って身を小さくして出入り口で桃城達を待っていたのだが、
意外にも誰かが何か文句を付けてくるようなことは無かった。
不二や菊丸やレギュラー達が許している所を見て、
自分達が責めるのは間違いだと考えたのだろうか。
本当なら、真っ先に文句を言われてもおかしくないはずなのに。

「おチビー!お待たせっ!」
ぼんやりしている間に、ミーティングが終わったのか、駆け寄ってきた菊丸にぎゅっと抱き締められる。
「菊丸先輩、苦しいっす」
「あ、ごめん、ごめん!」
悪びれることもなく言う菊丸に、いつも通りだなとリョーマは苦笑した。

「おまたせ、越前。試合が長引いた所為で随分待たせちゃったかな?」
皆と一緒に歩いて来た不二にそう聞かれて、「そんなことないっす」と答える。
「嘘付け。待ち切れなくてここまで来たくせによ」
そう言って笑う桃城に「そんなことないっす」と答える。
「でも気になって来たんだろ?素直じゃねえなあ」
「それは……」
「僕は越前が来てくれて嬉しかったけどね。試合を見てもらえてよかった」
にっこりと笑っている不二はもうさっきのようなボロボロの状態ではない。
よく知ってる、穏やかで余裕のある不二だ。
「僕の試合、どうだった?」
「どうって……」
ちょっと考えてから、リョーマは真面目に答えた
「すごかったっすよ。前よりも強くなっているってわかったっす」
「え?本当?」
「うん。今だったら、俺、手も足も出ないかも」
ボールコントロールさえまともに出来ない今、不二と試合しても互角どころか一瞬で決着がつくだろう。
自虐気味に笑うと、「そうかな」と不二は首を傾げた。
「君が本気になったらわからないよ。今はブランクがあっても、いつかは追い越されちゃうかも」
「そんなこと……」
「でも簡単には勝たせないけどね」
ふふっと笑って不二は「そろそろ移動しようか。話があるって言ったでしょ」と言った。
「あ、その前に」
「何?」
「青学の決勝進出、おめでとうっす」

今のリョーマの素直な気持ちだった。
青学の皆が勝ち上がったことを嬉しく思っている。
「ありがと、おチビ!できたらまた応援に来てくれると嬉しいにゃ!」
ぎゅっと抱き締められ、リョーマは困ったように俯く。
自分なんかが行っても良いんだろうか。
迷った素振りを見せると、「無理にとは言わないけどね!」と言われる。

「決勝って、明日?」
「ううん。明後日。明日は調整とかで会場が使えないんだってさ」
「そうっすか」

日にちを空けての全国大会決勝。二年前のことを思い出させるものとして十分だった。
表情を暗くしたリョーマに気付いてか、「行こう」と不二が声を上げる。

「立ち話はもう終わりにしおう。僕、これでも疲れているんだけど」
「あ、そうだったね」
「もう……少しは気遣ってよ」
不二の言葉に笑って、そして皆で歩き始める。
「ところで不二。越前を呼んだということは、犯人の目星がついたってことか?」
ノートを見ながら歩く乾に、「目星ってわけじゃないけど」と不二は言った。

「ちょっと引っ掛かることがあるんだ。
それで越前に聞いて確かめようと思って」
「俺に?」
「うん」

不二の表情から笑みが消えた。
もいかして本当は誰があのメールをばらまいたか、わかっていうんじゃないかとそんな風に思った。


チフネ