チフネの日記
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2012年05月02日(水) lost 悲劇編 33.越前リョーマ

宍戸と鳳に頭を下げて、とりあえずは千石からの情報を跡部に知らせないという約束をした。
本当なら跡部に言うべきだと主張する二人を説得するには、時間が掛かった。
いくら止めても、跡部はこの噂を流している人物を探すのを諦めたりはしない、言うべきだと主張する宍戸に、リョーマはもう少しだけ待って欲しいと懇願した。
熱心な態度に絆されたらしく、宍戸は渋々ながらもわかったと頷いてくれた。

「話してもいいと思ったら、連絡してくれよ」

宍戸の連絡先を受け取り、今日は解散ということになった。
そして宍戸と鳳の二人は一緒に駅に向かい、リョーマと千石は別方向へと歩き始めた。

「リョーマ君。嘘ついたこと、怒っているの?」
おそるおそるというように尋ねる千石に、「怒る?何を?」と聞き返す。
「不意打ちみたいにして宍戸君と鳳君に会わせたことだよ。
黙って連れて来たのは悪かったと思ってる。
でも二人がこの件に関わっているんだって、知っておいて欲しかったんだ」

今日は千石に呼び出されて、「一緒に来て欲しいんだ」と腕を引っ張られた。
宍戸と鳳がいたことにはたしかに驚いた。
戸惑ったりもしたが、怒るようなものではない。
二人がうわさを話している犯人を探っているというのなら、リョーマの方からも礼を言うべきだからだ。

「怒ってないっすよ」
「本当に?」
「さすがに跡部さんと無理矢理引き合わせたら怒るけどね」
「あー、うん。さすがにそんなことはしないよ」
その辺はわかっていると頷く千石に、リョーマは本題を切り出した。

「さっきの話だけど犯人を見付ける必要は無いよ。
もう放っておいてもいいと思う」
「どうして?このままだとまた何を言われるのかわからないのに」

駄目だよと言う千石に、リョーマは言おうと思っていたことを告げる。

「俺、もうすぐアメリカに戻るんだ。今日はその話をしようと思って出てきたんだけど」
「え?アメリカ?」
「うん。おやじのつてで、リハビリとかそっち方面に力を入れてる所に行くんだ。
二年のブランクは一人じゃやっぱり埋められない。
だから新しい所で一からやり直そうと思っている。
だからもうこれ以上俺のことに労力を使わないで、大会に集中した方がいい。
大事な時期なんだから、テニスのことだけ考えて」

千石にはアメリカ行きのことを一番に言うべきだと思っていた。
記憶を取り戻してから以降、何かと自分のことを気に掛けてくれた。
感謝しても仕切れないくらいだ。

「そっか。リョーマ君、アメリカに行っちゃうのか。……寂しくなるなあ」

しんみりと呟いた後、「でも、応援しているからね!」と千石は明るい声を出した。

「君がどれだけテニスを好きなのか、知っているつもりだから。
向こうでも頑張ってね。リョーマ君なら出来るはず」
「ありがと……千石さん」
「でも日本に来た時は連絡してよ。俺のことを忘れたら、怒るからね」

忘れるはずがない。千石の明るさと優しさに何度感謝したかわからない。
だから「絶対に連絡するよ」と力強く答えた。

「うん。それでまた一緒に遊べたらいいな。
くだらないことしてさ、楽しいことしよう」
「そうっすね」
リョーマの回答に、千石は笑う。
どこか違和感ある表情に「どうか、したんすか?」と思わず口から言葉が零れた。

「んー、それは多分……。
もうリョーマ君と会うことは無いとわかってるのに、俺って何言ってるんだろうって思ったからかな」
「もう会えないって、何言ってるんすか?連絡するって言ってるのに」
千石のことを忘れたりしない。そう思ったのは本心なのに、何を言い出すのだろう。
瞬きしながら見詰めると、千石は困ったように眉を寄せた。
「だって、これからのリョーマ君に俺なんて必要無いよ。
今は勘を取り戻せていないけど、前のように強くなったら真っ直ぐその道を進んで行くだけで、俺のことなんて振り向きもしなくなる」
「なんでそんな勝手なこと言っているんすか?千石さんは俺にとって大事な友達なのには変わらないのに」
「それはリョーマ君がテニスをしていなかったからだよ。
記憶を失くして、歩むべき道から外れたからこそ、俺は君と一緒に居られんだ。
だってリョーマ君、大会中は俺のことなんて別に眼中に無かったでしょ?
テニスを始めたら、また俺のことなんて忘れちゃうよ」

それでもいいよ、と千石は笑う。今まで楽しかったから、と。
諦めたようなその笑いを見て、リョーマは無言で千石の頬に手を添えて、思い切り抓ってやった。

「痛だだだだ、痛い、リョーマ君痛いって!本当に止めて!」
「何勝手なこと言っているんすか。俺があんたを忘れるって?ふざけんな!
そりゃ人の名前を覚えるのは得意じゃないし、記憶喪失にもなったりしたけど!
でもあんたのことを忘れたりしないよ。そう言っているのがなんで信じられないんすか」
「わかった、わかったから手を放して、痛いんだって!」
「全く、俺のことなんだと思ってるの。テニスするだけの機械じゃないんだから。
あんたに助けられたこととか、忘れるほど薄情者じゃないけど」

そう言って頬から手を放すと、千石は赤くなった部分を摩りながら「ごめん」と謝罪した。

「ごめん。でも、俺にとってリョーマ君のテニスはなんだか特別なものとして映っていたからさ。
亜久津との試合の時からずっとテニスの神様が使わした子が現われた、そんな風に見ていたんだ」
「大袈裟過ぎっすよ。そんな思い込みで、二度と会えないようなこと言わないで欲しいんだけど。
正直、傷付いた」
「うん……。ごめんね」

俯いた千石に、「もういいよ」と返す。

「その代わり、日本に帰って来た時はまたどっか連れて行ってよ。
一日中楽しいって思えるような所にね」
「うわ、プレッシャーだなあ」

あははと笑う千石に、リョーマも笑って「絶対だからね」と念押しをする。
これは約束だった。
遠く離れても、友達のことを忘れないという。そして仲直りの合図でもあった。
わかったよと頷いた後、千石は「送るよ」と言って、歩き出す。
それだけでもう二人には十分だった。















翌日、リョーマは父親に連れられて青学に言った。
学校に来るのも随分久し振りな気がする。
しかし懐かしさよりも、早く手続きを済ませて帰りたいという気持ちの方が大きい。
もしこんな所を噂をばら撒いている犯人に見られたら、やっぱり大会に出るつもりだと余計なことを流されるかもしれない。
そう思って俯いて歩いていたのだが、夏休み中も部活で学校に来ている生徒達にすぐ気付かれてしまう。
遠巻きにこちらを見ながら何か話しているか。
内容はわからないが、放っておいて欲しいとリョーマは思った。
これ以上目立つのは勘弁だ。
そして目的地の職員室のドアをくぐった。

「そうですか。アメリカに……。色々大変でしょうが、頑張ってください」

記憶が戻ってから二度ほどしか会ったことのない担任は、南次郎の話を聞いてどこかほっとしたような顔をした。
厄介者が去ると知って、嬉しいのかもしれない。
12歳に戻ったリョーマのことをどうするのか、担任としては頭の痛い問題だったろう。
それが自らいなくなるのだから、これ以上関わることは無くなる。
しかしその気持ちを咎めるつもりはリョーマには無い。
事務的に接してくれた方が、こちらも楽だった

「そうだ、越前君。教室に私物が残っていないか、一応確認しておいた方がいい」
南次郎に書類を渡しながら言った担任に、「俺の教室って、何組でしたか」と尋ねる。
担任がリョーマの様子を見に来た時に説明されていたが、あの時は混乱していて何の会話をしたかも覚えていない。
「3−Aだよ。場所はわかるかな。席は窓際の前から5つめになる」
「なんとなく。親父、俺一人で行って来るから」
「そうか。俺はこっちが終わったら、車で待っているからな」
「うん」

一礼して職員室から外へ出る。
青学を辞めることで問題は特に無さそうだ。勿論、そうでないと困る。
ここを去ればきっと噂は収まる。
青学のテニス部にもう一度入って大会に出るなんて馬鹿げた話も、消えていくだろう。
もうこれ以上、誰にも迷惑を掛けたくなかった。
今、テニス部に所属して頑張っている堀尾やカチローやカツオ達には特に。

早く出発したいと思いながら、階段を上がっていると、
「リョーマ……?」と躊躇いがちに声を掛けられる。
「あ」
見上げると香澄が数人の女子生徒達と一緒にこちらに降りて来るところだった。

「やっぱり、リョーマだった。今日はどうしたの?学校に何か用事だったの?」
「ちょっと、香澄!」

香澄の友人らしい子が、袖を引っ張って咎めるような声を出す。
きっとその友人の目から見たら、自分は香澄を振った嫌な奴だと認識しているのだろう。
しかし香澄は気にすることもなく、「ちょっとだけいいかな」とリョーマの所へと寄って来た。
「担任にからの呼び出しとか?」
「あ、ちょっと。教室に行きたくって」
「場所、わかる?」
「まあ、大体」
「本当に?なんなら案内するよ」
「香澄!」
「ごめん、先に行ってて」

香澄が拝むようにして手を合わせると、友人達はしょうがないという顔をして階段を下っていく。
その中の一人にものすごい目で睨まれたが、結局それだけで何も言わずに去って行った。

「一緒に行った方がいいんじゃない?」
一人でも平気だと言ったつもりだったが、
香澄は気にすることなく「いいん。これも何かの縁でしょ。さ、行こ」とリョーマより先に階段を上がって行く。
好意を無下にするのもなんなので、黙って後に続いた。

「宿題でも忘れたの?」
3−Aは廊下の突き当たりにある。
歩きながら、香澄がそんなことを尋ねて来た。
「さあ。そもそも何が入っているかも知らないし。だから確認しに来た」
「ふうん。そうなんだ」
「そっちは?夏休みの自由研究とかで集まったとか?」
「ちょっと違うかな。皆で宿題の答え合わせしに来たんだ。
図書室なら涼しいし、勉強してるなら何時間居ても怒られないから」
「なるほど」
「良かったら、リョーマも私の宿題写していく?」
香澄の申し出に目を瞠ると、「冗談」と笑われた。

「記憶が戻った12歳のリョーマが三年生の問題が解けたらおかしいよね。
宿題は免除されることになっているんでしょ?」
「まあ、ね」
曖昧に頷くと「そっか」と返される。
そして3−Aに到着し、扉を開けた。

「席、わかる?」
「担任に聞いた」
真っ直ぐ自分が座っていた席へ向かう。
そのまま中を探ると、いくつかの紙に手が触れてすぐに引っ張り出す。
「……」
「ひどい。誰が、こんなこと」
プリントに殴り書きで‘学校に来るな’‘最低’‘お前の顔なんてみたくない’という文字が躍っている。
「それ、担任に見せた方が」
「別に。気にしてない」
香澄の提案を遮って、黙々とそれらを畳む。ゴミ箱に捨ててしまえば終わりだ。
他にも無いかと机を探る。
リョーマの物らしい教科書やノートもあったが、こちらも悪戯書きされている。
どうせ捨てるものだと整理していると、ノートに張られているプリクラに気付く。

「あ……」
「……」

プリクラには二人写っている。
一人はぐちゃぐちゃに塗りつぶされていた。
これは自分だなと推測する。
もう一人は、香澄だった。幸せそうに笑っている。
記憶が戻ったりしなければ、彼女はずっとこんな顔をしていたかもしれない。

「それ、もう捨てちゃっていいよ。随分前のことだから」
笑いながら香澄はプリクラを隠すように別のノートを上に重ねようとした。
でもどこか無理しているような表情に、リョーマは目を逸らす。
掛けるべき言葉が見当たらない。
だって自分は香澄と付き合うことが出来ない。彼女の一番の望みを叶えてやれない。
でもこのまま黙って去ることなんて出来なくて、だからリョーマは香澄には話しておこうと思った。

「俺……、青学辞めるんだ。アメリカに行くことが決まった」
「え?」
「あんたには話しておこうと思って。黙って行くのもなんだか悪いから。色々、迷惑掛けたし」
「迷惑なんて……思ってないよ。本当だよ」

そっか、と香澄は頷いた。
こちらを向いて「テニスする為でしょ」と言った。

「うん」
「リョーマはテニスを辞められないとずっと思っていた。
戻るべき所に行くんだね」
「あの、出来たらこの事は」
「わかってる。また変な噂が流れたら困るよね。誰にも言わないよ。
それで、出発は?」
「決まってないけど、もうすぐだと思う」
「そう。でも見送りには行けそうにないかも。
これから、家族で旅行に行ったり私も色々忙しいんだ」
「……」
「今日でお別れかもしれないね」

そう言って、香澄は手を伸ばす。
ごく自然に、リョーマもその手を取った。

「頑張って。リョーマのこと、ずっと応援してる」
「ありがと」
「じゃ、私行くね。友達のところに戻らないと」
「うん」
「今日は、会えて良かった」

それじゃ、と教室から出て行く香澄を見送る。

恨み言の一つ、最後まで言わなかった。
記憶さえ戻らなければと思うこともあったはずだ。それを隠して去って行く。
自分には勿体ないくらいの彼女だったとリョーマは思った。
きっと香澄ならすぐに幸せを見つけられると思うのは、自分の勝手な願望だろうか。
プリクラを張られたノートだけを抜き取り、後は全てゴミ箱へ突っ込む。
記憶を失くしている間は、自分は彼女のことが好きだったはずだ。
思い出せないけど、その事実を忘れてはいけない気がする。
このノートだけは持って行こうと、脇に抱えて教室を出た。










その日の夜、千石から電話が掛かってきた。
用件は、今日青学に行ったかという確認だった。
行ったと言うと、千石は誰かに見られたかと聞いてきた。
リョーマが青学に行って大会に出してくれるよう直談判したという内容で、メールが流れて来たと後輩から報告があったと教えてくれた。
そんなことしていないのにと鼻で笑ったが、青学に行ったのは本当だったのでそこが気になった。

今日、何人か擦れ違った生徒達の中に犯人がいたのだろうか。


チフネ