チフネの日記
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2012年05月01日(火) lost 悲劇編 32.氷帝/宍戸

やっとジローが部活に出て来た。
ほっとした気持ちで、宍戸は跡部に連れられているジローの横顔を見る。
いつもなら眠そうに欠伸をしている所だが、今日はどこか強張っている。
何日かサボっていたから、部活に出るのはさすがのジローも気まずいのか。
中等部の頃、レギュラー落ちをして部活に出なかった経験がある身としては、
その気持ちはわからなくもない。
大人しく走りに行くジローに、後で声を掛けるかなと考える。
そして、ふと気が付く。
一緒に来た跡部の表情もずっと固いままだ。
部長として今日までジローを説得出来なかったことに責任を感じているのか?
それとも罰走なんかよりもっと重い処罰が必要かと思案しているのか。
何を考えているのかはわからないが、ひどく思い詰めた表情に、
「跡部」と思わず声を掛けた。

「宍戸か。どうした」
「あ、いや。ジロー、来てくれたんだな」
「部長としての役目だ。放っておけないだろ」
「そうだな。けど……」
「けど、なんだよ?」

その割りには浮かない顔をしているじゃないかと、続く言葉を飲み込む。
なんとなくだが、跡部の素っ気無い言い方に今は触れて欲しくないという気持ちが込められている気がしたからだ。

「罰走100周って、この気温だともたないんじゃないか?」
「ジローのことだ。どうせ途中で休憩とかいって昼寝するんだろ。
休み休み走っているなら問題は無いはずだ」
「あー、そうだな」
「お前も早くコートに入れよ。練習、始まるぞ」

そう言って跡部は先にコートへと入って行った。
背中を見ながら、やっぱり今日はいつもと違うなと宍戸は思った。
上手く説明出来ないが、何か決意をしていて、その事にずっと気を取られているかのような感じがする。
実際、練習中も注意深く観察していないとわからないが、どこか上の空のようだ。
そうして今日のメニューが終わった時、跡部は走り終えたジローを迎えに行って、二人で一緒に帰って行った。
説教でもするつもりなのか。
しかし黙ったまま去って行く二人に何を聞けるはずもなく、ただ見送るだけで終わった。

(一体なんなんだ?まさか越前のことじゃないだろうな)

嫌な予感に眉を寄せつつ、自分ももう着替えようと部室へと向かう。
そろそろ、千石と連絡を取るべきなのかもしれない。
跡部に取り次いでやって以来、千石と接触はしていない。
噂の件で特に何か掴んだわけじゃないが、一度は会って話をするべきだろう。
そう思って歩いていると、テニスコートの隅の方で忍足が女子生徒二人に捕まっているのを発見する。
また告白か、と苦笑する。
跡部ほどではないが、忍足もかなりもてる方だ。
(あれは、中等部の生徒だな)
高等部まで来て告白なんて積極的だなと、素直に感心する。
普通、中等部の生徒は高等部の女子ファンが怖くてコートに来ることさえ滅多に無い。

こっちの視線に気付いたのか、忍足が顔を上げた。
そして何か一言二言交わして、「ほな」と手を上げて、宍戸の方へと歩いて来る。
「何や。見てたんなら、声くらい掛けたらどうや」
「だって、告白だろ?邪魔したら悪いじゃねえか」
二人の女子生徒は軽く頭を下げて、行ってしまう。
「告白とちゃうわ。あの子らの目当てはジローや」
「え、ジローのファンなのか?へえ」
「あれでいてジローが好きやっちゅう子も多いからな。女心はわからんもんやで」
「けど、お前だって相当なものだろ。それなのによく声を掛けて来たよな。
ジローのファンだからって言い訳したって、お前のファンが見たらいい気持ちはしないだろ」

中等部の生徒だが出しゃばるなという過激なファンだっている。
ジローがいるかどうか確認するだけなら、忍足のようなファンを大勢持つ部員に声を掛けない方がいいだろう。

「それは……、たまたま俺が通り掛っただけだからやろ。
で、お前は今から帰るんか?」
「ああ。そういえば、気付いたか?跡部の様子がどこかいつもと違っていたよな?」
同意を求めてそう言うと、忍足は「そんなん今更やん」と冷めた声で言った。
「え、今更?」
「跡部がおかしいのは二年前からずっとや。そう思わんk?」
「それ、どういう」
「お前もわかってるはずやろ。跡部はあんな奴やなかった。
二年前、あんなことさえなければ……」

リョーマが記憶を失って、二人が別れたことを指しているのか。
跡部にとってかなりのダメージを受けた件だ。
そうだな、と宍戸は頷いた。

「レギュラー入りしたお前なら、跡部といる時間は俺よりも長いだろ。
様子がおかしかったら、フォローしてやれよ」
「跡部は俺の言うことなんか聞かへんやろ。
まあ、あれでも部長やし、おかしなことしそうやったら、すぐに止めるわ」
「頼むぜ、忍足」
陰険な宍戸の声に「当てにせえへんといて」と忍足は笑った。

今日の跡部はやっぱりおかしかったと思う。
ジローと何を話すのかはわからないが、妙な方向に進まなければいいと思う。
今後は忍足も近くにいて、見ていてくれるようだからそこまで心配するようなことは無いはずだ。

なのに妙な胸騒ぎは一向に静まりそうになかった。



















「なんで宍戸さんが千石さんと会う必要があるんですか?
跡部さんにまかせるって決めたんでしょう?」
ぶつぶつ文句を言っている鳳に、「でも放っておくわけにはいかないだろう」と宍戸は宥めた。
今日も自主練習ですよねと鳳は当たり前のように待っていた。
「悪い、今から千石に連絡を取って会えないかって聞いてみるところだ」と馬鹿正直に話すと、途端に顔色が変わった。
今日は家の用事で帰るとか嘘でもそう言えば良かったが、咄嗟に嘘をつけるような機転を持ち合わせていない。
やっぱりというか、千石と会うべきではないと文句を口にする鳳をなんとか押し切って千石にメールをした。
するとすぐに会えるよと連絡が来た。
デートで忙しくしているかと思ったが、あっさり会えるとの回答に気が抜けた。
しかし鳳は納得しない様子で「何で、宍戸さんが」と文句を言い続けている。
挙句に自分も行くと言い張った。
話するだけだと言っても、「宍戸さん一人だと面倒を押し付けられても断れないでしょうから、俺も行きます」と却下された。
人をなんだと思っているんだ。
そんなにお人よしじゃねーぞと思いつつ、指定された場所へと向かう。
山吹と氷帝の中間の駅にあるファミレスで、という提案に意を唱えるはずがなかった。


「千石はまだ来ていないようだな」
店内に入りぐるっと席を見渡すが、姿はない。
後から連れが来ると店員に伝えて、一先ず席につく。
「宍戸さん。今の内に帰りましょうよ。まだ間に合いますよ」
「何で帰らないといけないだ。千石と会ってもいないんだぞ」
「会う前に帰るべきだってと言っているんです。
大体なんで宍戸さんがそこまでする必要があるんですか?
跡部さんのことは自分で解決するべきことでしょう。なのに、どうして」
「俺は二年前、俺はあいつに何もしてやれなかったからだ」

宍戸の言葉に、鳳は口を閉じた。
そう。あの時落ち込んでいる跡部をどう慰めたら良いかわkらず、ただ見ていることしか出来なかった。
何か一言でも声を掛けるべきだったのに。
ジローが付きっ切りでいるから任せておけば大丈夫なんて、そんなのただの口実だった。
自分よりもジローの方が上手く慰めてやれるはずだと。出る幕なんて無いと、一歩下がっていた。
しかしそれは正しいことだったのだろうか?
口下手でもなんでもいい。
跡部の為に何か言ってやるべきだったかもしれない。
そしてリョーマにも説得するよう働き掛けることだって出来たはずだ。
もう一度跡部に会ってやってくれと頭を下げて、なんとか二人を結びつけてやろうとするべきだった。
そんな努力を一つもしなかったことを、今になって悔やんでいる。
だからこそ、今度はちゃんと関わろうと考えたのだ。
今日の跡部の様子はやっぱりおかしかった。放っておくことは出来ない。
考えてみればあれだけ好きだった人に再会して、それで簡単に割り切って手助け出切るものなのか。
リョーマの方だって記憶を取り戻したというのなら、跡部のことが好きなままの状態のはずだ。
二人がこれからどうなってしまうのか、最後まで付き合う義務が自分にはあると宍戸は考えていた。
また何も出来ずに終わるのかもしれない。
それでも傍観者のままでいるよりはずっとましに思えた。


「宍戸君、お待たせ!」
明るい千石の声に、来たのかと顔を上げ、その後ろにいる人物にぎょっと目を見開く。

「越前!?」
以前より身長は伸びているが、面影は変わっていない。
記憶が戻ってからのリョーマとは初めて会うが、すぐにわかった。
動揺を隠し切れずにいると「どういうつもりですか」と鳳が声を上げた。
「越前君をを連れて来るなんて聞いていないんですけど」
「俺も鳳君がいるとは思わなかったよ」
非難めいた声を気にするわけでもなく、千石は躊躇っているリョーマの腕を引っ張り、目の前の席に座った。

「こういうのは当事者で話した方がいいと思って、連れて来た」
「何を考えているんですか?また宍戸さんに厄介ごとを押し付けようとして」
「よせ、長太郎」
鳳の肩を掴んで、制する。
千石がどういうつもりでリョーマを連れて来たのかは知らないが、ケンカをする為に自分はここに来たんじゃない。

「熱くなってどうする。一方的に相手を責めるような真似はよせ」
「すみません……」
鳳が小さくなったのを見てから、宍戸は改めてリョーマに向き直った。
「その、久し振りだな。越前」
挨拶をすると、リョーマは小さく頭を下げた。
二年前はもっと小柄だったが、さすがにあの頃より背は伸びている。
だが表情には変化が見られる。
不敵な感じがなく、どこか沈んでいるようだ。
言われ無い中傷に参っているのかもしれない。

「噂の件だけど、気にするなよ。って、俺が言っても慰めにはならねえか」
苦笑いする宍戸に、リョーマは首を振る。
「千石さんから聞きました。宍戸さん達も例の件を調べてくれているって。
俺一人じゃどうにも出来ないから、ありがたいと思っているっす」
「そうか」

リョーマのしおらしい態度に、宍戸だけじゃなく鳳も戸惑っていた。
こんなことを言うような奴だったか。
色んなことがありすぎたショックで人格が入れ替わったのかとバカなことを考えてしまう。

「それで宍戸君達の方では、何かわかった?」
千石は店員にリョーマの分の注文も告げてから、声を潜めて言った。
「いや。大した情報は掴めていない。お前の方はどうだ?」
「実は山吹中で、例のメールを最初にもらった奴が見付かった」
「え、本当か?」
すごい進歩じゃないかと言う宍戸に、「一応ね」と千石は頷いた。

「リョーマ君の記憶が戻ったこと、テニス部に復帰するんじゃないかって内容を一番最初に受け取ったのはテニス部のやつだった。そっから部内にこんな話があるって広めたみたい。
本人も軽率だったって、今は反省してる」
「受け取ったって?じゃあ、そいつがメールを作ったんじゃないのか」
「うん。しかも後から流れたメールは、別の部員がこんな情報もあるって広めたらしい。
この時には最初のメールで色んな噂が広まっていたから、皆でリョーマ君のことを面白がっていたっていうか。そんな怖い顔しないでよ。一応、悪気があったわけじゃないんだから。
それでそれぞれメールを受け取った二人に誰からもらったのかって聞いたんだけど、
一人は同じ塾に通っている他校生から、もう一人はスポーツクラブで知り合った人からなんだって」
「じゃ、そいつらに話を聞けば、何かわかるってことか?」

宍戸の問いに、千石は「どうだろうね」と顔を顰めた。

「結局、また別の誰かから、メールを貰ったって言うのかも」
「堂々巡りだな」
「でも、いつかは最初にメールを送った人に辿りつけるかもしれない。
それで宍戸君に言っておきたいことがあるんだけど」
「なんだよ」
「一番最初のメール。うちの部員に情報を送った相手っていうのが、氷帝に通っている生徒なんだって」
「うちの生徒が……?」
「千石さん、それ本当なんですか」
口を挟んできた鳳に「本当だよ」と千石は答えた。

「ちゃんと証言は取ってある。同じ塾に通ってるって言ったけど、制服で来ることもあるから間違いないって。
でもだからといって、氷帝の誰かが犯人と決め付けるのは早いと思う。
その人も別の人から貰ったことは考えられるからね。
でも一応、調べてもらえるかな。他校生の俺が聞きに行くよりも、宍戸君達の方が警戒されないでしょ?」
お願いと、ポケットからメモを取り出す千石に、「わかった」と宍戸は答えた。

「この件、跡部に話しておくけどいいよな?情報を隠されたら、あいつも怒るだろうし」
「勿論だよ。そのつもりで来たんだから」

頷く千石とは別に、「跡部さんに、話すんすか?」とそれまで黙っていたリョーマが口を開く。

「え、そりゃ当たり前だろ」
何を言っているんだと返すと、「それは……、止めてもらえないっすか」と静かな口調で言われる。

「もう、跡部さんを巻き込みたくない。そうするべきじゃない。
 だってあの人と俺にはもう何の関係もないんだから」

自分に言い聞かせるようなその姿に、宍戸は目を見開く。

関係ない、他人だと思い込もうとしているリョーマの目は暗く、二年前にあった輝きはそこには無かった。


チフネ