チフネの日記
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2012年04月06日(金) lost 悲劇編 30.跡部景吾

こちらの姿を見つけた途端、ジローは逃げ出すかもしれない。
もしそうなったら全力で追いかけて捕まえてやろうと跡部は考えていた。
今日こそは部活に出てもらう。
勝手に拗ねて練習を放り出すなんて、本来はあるまじきことだ。
後輩にも示しがつかない。
抵抗したらガツンと言ってやると意気込んで、早朝からジローの家の前に車を付けて出て来るのを待っていた。
しかし意外なことにジローhこちらを見て、走って車まで寄って来た。
窓を開けた跡部に「おはよう」と笑顔まで浮かべて挨拶をする。

「迎えに来てくれたの?うれC。
昨日、母さんから跡部が来たって聞いたよ。だから、いるんじゃないかなーと思っていた」
「そうかよ。だったら車に乗れ。部活に行くぞ」
「うん!」

素直に乗って来たジローに拍子抜けしたが、同時に腹も立った。
散々振り回しておいて気が済んだからとあっさり部活に出るのか。
今日まで悩んだ自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
一つここは説教してやろうと口を開こうとしたら、
「もう、あの子に会う必要はないからね」と先にジローに言われてしまう。

「は?一体何の話だ」
「わかってるくせに。越前リョーマだよ。
俺の方からも跡部に関わるなって釘を刺しておいた。
だからもういいんだ。跡部があの子の為に何かしてやることなんてないよ」

ニコニコと笑顔で言うジローに、跡部は何の冗談かと思った。
しかし笑っていない目を見て、本気で言っているのだと気付いた。
おそらくジローなりに自分のことを心配してくれているのだろう。
二年前、ずっと落ち込んでいた状態を知っているからこそ、二度と同じことを繰り返さないように、原因であるリョーマを遠ざけようとしている。
それはわかる。わかるけど、ここで引くわけにはいかない。
冷静になろうと軽く息を吐いてから、「ジロー」と呼び掛ける。


「釘を刺したってどういうことだ?お前、越前といつ会ったんだ」
「んー、昨日。向こうもわかったって言っていた。
跡部が勝手に関わって来るだけだとか、ごちゃごちゃ言っていたけど、
もう会わないでねってお願いしといたから」
「だからどうしてそんな勝手な真似をするんだ。
越前が今大変なことに巻き込まれていると知っているだろう?
なのに追い詰めるような真似は」
「だって跡部があの子と会ったりするから!」

ジローは大声を上げて、自分の正当性を主張した。

「もう会いたくない、顔も見たくないって二年前そう言ったのは跡部だよ?
あれだけ拒絶された相手になんで関わろうとするの。
記憶が戻ったからって全部元に戻るわけじゃない。跡部だってわかっているんでしょ」
「……わかってる」
頷いて「だけど」と付け加える。
「それでも覚えの無い噂に傷付いているあいつを放っておけない。
俺だったら力になれる。解決することだって出来るかもしれない。
わかっていて放っておくことはできねえよ」
「だから何で跡部がそこまでするの!?」

どうしてわかってくれないんだと起こったように言うジローに、
跡部は目線を下げる。
これ以上黙っていることは出来ない。
そうでないとジローはこの先もずっとリョーマを敵視して、
また酷いことを本人に言うかもしれない。
話した結果、大切な友人を失うことになるかもしれないが、仕方無い。
嘘をついた自分が悪いのだ。

「ジロー」
「俺、間違ってなんてないんだからね!」
「そうじゃない。
お前に話したいことがあるだけだ。
長くなるから部活が終わってから改めて話したい」
「何?説教ならいらないよ」
「違う。けど大事なことだ。頼む」

少し頭を下げて言うと、さすがにジローもそれまでの勢いを引っ込めて、
「そこまで言うんだったら」と了承してくれた。
さすがに部活をさぼって話をするのはマズイので、
落ち着かないが終わってからにするしかない。

(それに、俺にも心の準備が必要だからな)

あの時のことは誰にも言うつもりはなかった。
全部リョーマの所為にして、そうして心を守っていたというのは言い訳に過ぎない。
もう嘘は止めにしようと、震えそうになる手を押さえて自分に言い聞かせた。










「それで話っていうのは一体なんなの?」
跡部の自宅に入るなり、ジローは急かすようにそう言った。
部活が終わった後も、車の中でもずっと無言だったのは二人きりになるまで尋ねないと決めていたからだろう。
ジローなりいこの話が何か重大なものだとわかっているようだ。
「座れよ。焦らなくても話してやるから」
ソファに向かい合わせになって座る。
そして跡部は語り始めた。
二年前、何があったのか。ずっと黙っていたことだ。







全国大会決勝日に、リョーマは記憶を失った。
軽井沢まで迎えに行った跡部に対して、「どちら様ですか?」とそう言ったのだ。
衝撃を受けたが、今はそれどころではない。
何とか会場までリョーマを連れていかなくてはいけない。その為に、軽井沢まで来た。
だって会場には立海三連覇阻もうと、ここまで戦ってきた青学の部員達が待っている。
それを差し置いてリョーマの記憶を取り戻したい、自分のことを思い出させたいなどと言えるはずがない。
だからその場では取り乱すような真似はしなかった。
本当はリョーマの肩を揺さぶり、「何故俺を忘れた」と詰め寄りたかったが、ぐっと抑えた。

この時はまだ、跡部には余裕があった。
記憶をなくしたとはいえ、いずれは思い出すだろう。リョーマがこのまま自分を忘れているはずがない。
二人の絆はそんなに脆いものではないと思っていた。

しかし。
皆がどんなに努力しても大会中にkリョーマの記憶が戻ることはなく、青学は敗退し、
そのままリョーマはテニスから離れて行った。

もしかしてこのままずっと思い出さないままなんじゃないだろうかという恐怖が、じわじわと跡部の心を侵食し始めた。





{また来たんすか。毎回何の変わりもないのにご苦労っすね」

記憶を失くした直後のリョーマは無垢な子供のような口調だった。
だが連日テニスを続けろとか、思い出せとか周囲から言われ続けた結果、また生意気な口の利き方に戻っている。
それでいて他のことは忘れたっまというのだから、理不尽な話だ。

青学の部員も初めの頃は毎日リョーマの家に来ていて、跡部と顔を合わせることもあったのだが、
最近はそうでもなくなっている。
段々と話をしても無駄だと思うようになって来たのかもしれない。
しかし跡部は諦めるつもりなどなかった。
用事が入った時以外は、リョーマの元へと通っていた。
当の本人は迷惑そうにしているが、知ったことかと無視して押し掛けていた。

「変わりなくたって構わねえよ。お前に会いたいから来るだけだ」
「あ、そ」
溜息をついてリョーマは鞄から携帯を取り出して、メールを打ち始める。
帰れという意思表示をしても、跡部はそれに凹むことなく黙って打ち終わるのを待った。
根競べ、みたいなものだ。
リョーマはできるだけ跡部と会話をしたくない。
それで相手にしないと言う態度に出る。
だが跡部はそんなことで引くはずもなかった。
付き合う前もこんな風に頑なだった。
冷たくされても、どうってことはない。
リョーマが思い出すまで、諦めるつもりはなかった。
ただ少し、寂しいだけだ。


「相手は千石か?」
ずっとメールを打っているリョーマに話し掛けると、
「うん、まあ……」と目を背けたまま答えが返って来る。
また千石かと苦々しい思いで跡部は眉を寄せた。
どういうわけか自分の知らない所で千石とリョーマは仲良くなっていた。しかも着々と距離が縮んでいる。
以前跡部は、千石に何の真似だと詰め寄った。
企みでもあるのかと言ったら、あの飄々とした態度で「ただの友達だよ?越前君が暇そうに歩いているのを見て、どうしたのって声を掛けたら仲良くなったんだ」と説明した。
「皆にテニスしろって言われるのが嫌なんだって。だから気晴らしになればと思って、一緒に遊んでいるだけ。
跡部君が心配するようなことは何もないよ!大体、俺、彼女いるし」
どこまでが本当かわからない。
だけどリョーマの方でも「千石さんとは友達だよ。そんなこといちいちあんたに干渉されることじゃないと思うけど」と言われた。
一応、そういう意味の心配は何も無いらしい。
でも、気に入らない。
恋人だった自分のことは綺麗さっぱり忘れたくせに、他の男に懐くなんて割り切れるものではない。
出来るなら千石といる時間を、自分の方に回して欲しい。
遊びたいのならどこにでも連れて行ってやるのに。
誘いの言葉を掛けようと距離を縮めると、リョーマは「な、何?」と慌てたように体を引いた。

「……何でもねえよ。今日はもう帰る」
「あ、そう」

ほっとしたような表情に、どうしてそんな顔するんだと苛立ちが込み上げる。
しかしそれは口に出さず、跡部は立ち上がってリョーマの部屋を出た。
階下にいたリョーマの父親に一言挨拶だけすると、
「今日もありがとうな」とどこか諦めたような目でそう言われた。
肉親でもリョーマのリョーマの記憶は戻らないかもしれないと思っているようだ。

(でも俺は、諦めたりしない)
一度掴んだ手をこんなことで離したりしたくなかった。
(たとえあいつ自身がそれを望んでいなくてもな)

かつて恋人だったということを喋ったのは失敗だった。
何故跡部だけが未だに毎日来るのかと聞かれ、最初は適当に誤魔化そうとした。
だが求し続けるリョーマに、つい本当のことを喋ってしまった。

「記憶を失くす前、俺達は恋人として付き合っていた」

それ以降リョーマは跡部に対して、常に一定の距離を置いている。
嘘だ、デタラメだと叫ばれるのも辛いが、怯えたような目を向けられるのはもっと辛い。

真実を話したらもしかして思い出してくえるかもしれないという期待は打ち砕かれ、
リョーマから距離を置かれているという現実だけが残った。



チフネ