チフネの日記
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2012年04月05日(木) |
lost 悲劇編 29.越前リョーマ |
「桃先輩、今日はありがとうっす」 自宅前まで送ってくれた桃城に、リョーマはぺこっと頭を下げた。 「先輩達もお前に会いたがっていたからな。礼なんて言うことないぜ」 流れる汗を拭って、桃城は笑った。
自転車に乗せてもらっている間、重くなったなーと言われ、「背が伸びたんすよ」と返した。 でも記憶を失くしている間に背が伸びるというのは妙な感じだ。 今まで見ていた風景が、違う角度で見える。戸惑うことの方が多い。
「本当に大きくなったよな。けど俺に追い付くのはまだまだ、だな」 「その内追い越すっすよ」 「さて、それはどうかな」 「何すか、それ」 ぷっと桃城は吹き出して、「元気そうで安心したぜ」とリョーマの頭を撫でた。 「色々言って来る奴もいるけど気にするなよ。お前は悪くない。 そのことはちゃんとわかっているからな」 「桃先輩……」 「じゃ、そろそろ行くわ。また顔見に来るからな」 「っす」
手を上げて、桃城は自転車をこいで帰って行った。 青学のメンバーに会わせてくれたことを感謝して、リョーマはもう一度その場で頭を下げた。 前から面倒見が良い先輩だったが、そういう所はちっとも変わっていない。 それが嬉しくて、自然と笑みが零れる。 さて、家に入ろうかとくるっと体を反転させた瞬間、 「待ってよ」と急に飛び出して来た影に引き止められる。
「あ…、芥川さん?」 思いもしなかった人物の登場に、リョーマは固まってしまう。 敵意の目を向けられ、内心怯む。 リョーマの記憶の中ではいつも人懐っこく、笑っているイメージしかなかったからだ。 「随分、楽しそうだったね。青学の人とは仲良くやっているんだ。 跡部のこと散々苦しめといて、自分は呑気に遊んでいるの?いい身分だよね」 「呑気になんて……」
反論しようとするが、「お前は何もわかってない!」と大声で返される。 「跡部が今何しようとしてるか、わかってんの?お前なんかの為に時間を割いて、噂を消そうとしているんだよ。 自分から拒絶したくせに、その相手に何やらせてるんだよ。何で関わって来るんだよ!」 「それは跡部さんが勝手にやったことで、俺は何も知らなくて」
もごもごと言い訳するが、きっとジローには届かないんだろうなと考える。 きっとジローは自分がここにいるだけで跡部に迷惑を掛けていると思っているのだろう。 完全に否定出来なくて、それ以上何も言えずに黙り込む。
すると、「もう、跡部に関わらないでよ」と低い声で言われる。 「この件から手を引くように俺から跡部に説得する。だからもう会わないでやって、お願い」 「それは、勿論わかっているよ」 「本当に?」 「……うん」 頷くとジローは「そっか」と小さく息を吐いた。 「俺は、今度こそ跡部にちゃんと幸せになってもらいたいんだ。 あんなに苦しんでる姿を見て、もう二度と同じ思いをさせたくないって、そう決めた。 だから言いたくないことだって、ちゃんと言う。嫌な奴にだってなる。 二年前ならリョーマと跡部が幸せになることを願っていたけど、今は出来ない」 リョーマと呼ばれて、顔を上げる。 ジローは先ほどとは違い苦しそうな顔をしていた。
「なんで記憶喪失なんてなったんだよ。 なんで記憶を失ってから、跡部を拒んだりしたの。 そうじゃなかったら、こんなことしなくても済んだのに。 俺だってリョーマを嫌いになりたくなんてなかった。友達だと思っていたのに……」 顔を背けてジローは「さっきの約束忘れないでね」と言った。
「跡部はすごく大事な友達だから、俺が守ってやりたいんだ」 「芥川さん……」 そのままジローは無言で走り去って行く。
その背中をみながら、二年前のことを思い返す。 跡部を通じてだけど、ジローとは仲が良かった方だと思う。 テニス強いよね、俺の相手もしてよとコートに引っ張って行くジローの強引さに、始めは驚いたけど、すぐに慣れた。 人懐っこい笑顔に、ついつい何を言われても許してしまう。 「お前ら俺抜きでベタベタしているんじゃねえ」と跡部に怒られたこともあった。 でも今はジローにとって、自分は跡部の幸せを邪魔する存在でしかないのだ。 婚約者のいる跡部のことを思って、近づかないようにと牽制してくるジローのやり方も、ある意味間違っていないように思えた。
記憶喪失なんてならなければ良かった。 考えても仕方無いことが、また頭の中に浮かぶ。 少し頭を冷やそうと、玄関から中へと入りキッチンへ向かおうとすると、 「帰ってきたのか」と南次郎に声を掛けられた。
「結構、遅かったな」 「あ、青学の先輩達とちょっと会ってた」 「青学の……そうか」 髭を弄りながら頷いた後、南次郎は顔を上げて言った。
「リョーマ。まだ、テニスを続けたいと思っているのか?」 「当たり前。何年掛かっても強くなる努力は止めない。 親父のこともまだ倒していないんだから」 「そっか。それ聞いて安心したぜ」 いつになく真剣な南次郎の様子に、何だろうと目を瞬かせる。 もう諦めろとか言われたら反論するつもりでいるが、そういうわけでも無さそうだ。
「リョーマ。お前、アメリカに戻るつもりはないか?」 「え?」 「俺の知り合いに故障を抱えたり、スランプで悩む選手を専門にコーチをやっている奴がいるんだが、 そいつの元で一からテニスを始めてみないか。 一人でやってるより、効率よく実力を伸ばせるだろう」 「本当に?」 「まあ、お前次第だけどな。行くって言うのなら、すぐにでも手続きを済ませるぜ。 夏が終わる前には受け入れてもらえるだろう」 「そんな早く?」 「当たり前だ。こういうのは早ければ早い方がいい。 もたもたしていたら、いつまでも足踏みしたままだぞ。 お前も記憶を戻したばっかで離れたくない友達とかいるかもしれないけど、 この先のことを考えたら、今行っておくべきだ」 南次郎の言葉を聞きながら、リョーマの頭に跡部のことが浮かんだ。
自分がここからいなくなれば、ジローの言う通りもう会わなくても済む。関わることはなくなるだろう。 噂を流しているのが誰か決着つけないまま旅立つのは逃げのようで気が引けるが、 その方が誰にも迷惑が掛からない。 千石や桃城や青学の先輩達に心配を掛けなくて済む。
「俺……、行くよ」
迷う理由なんて、どこにも無かった。
リョーマの家から離れた所で、ジローは大きく息を吐いた。 正しいことをしているはずなのに、苦しくて堪らない。 二年前と変わらず澄んだ目で見られて、何かとても大きな間違いをしている気持ちになる。 (けど、リョーマが跡部を傷付けたのは事実だ) あの頃、リョーマに拒絶された跡部の心はかなり荒れていた。 学校にも来ずに家に閉じこもっていた彼を毎日訪問し、会話出来るようになるまで一ヶ月以上掛かった。 それから少しずつ外に連れ出すようになって、学校に行けるようにまでなった。 跡部はそのことをよく覚えていて、感謝していると卒業式の日に礼を言った。
「お前がいなかったら、きっと俺はここにいなかっただろな」 吹っ切れた表情に、良かったとジローは思った。 それから跡部は親の薦める相手と婚約することになったが、相手は気立ての良い子で、出しゃばったりするような言うこともなく、上手く跡部に寄り添ってくれている。 あかりの存在もあって、何もかも順調にいくように思っていた。 だけど。 リョーマといる時の跡部はもっと幸せそうだった。 素っ気無くされても冷たくされても、いつだって嬉しそうにしていた。 あの頃を知っているからこそ、リョーマをもう跡部とは近付けさせたくないと考えてしまう。
(本当は、俺だって二人のことを応援していたのに……)
リョーマが記憶喪失になってから、何もかも変わってしまった。 背は低いがそんな事は関係ないと強敵を倒して行く、リョーマの強さをジローも認めていて、 跡部と並ぶのに相応しい子だと思っていた。 本気で、二人がこのままずっと幸せでいられたらいいと願っていたのに。
携帯の振動音に、ジローはポケットを探った。 表示を見て、またかと中身を確認することなく直ぐに仕舞う。 少し前に知り合った中等部の女子からだ。 リョーマのことで妙な噂が流れていると教えてくれたのも、この子だった。 最初はいい気味だと面白がって聞いていたが、今はもう聞きたくもない。 そんな噂が流れるから、跡部がリョーマに関わろうとするのだ。
(明日、跡部に会ったらリョーマと話を付けて来たからもう関わらないようにって言っておこう)
二人が元の道に戻ることは有り得ない。 二年前、どれだけ傷付いたのか跡部だって覚えているはずだ。 忘れたというのなら思い出させて、説得するまでだ。
チフネ
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