チフネの日記
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2012年04月04日(水) |
lost 悲劇編 28.越前リョーマ |
大きく逸れたボールに、リョーマは小さく舌打ちをした。 今までどうやって狙った所に打てたのか、まるでわからない。 思い通りにならない腕に腹が立つ。 いつになったら以前の実力を取り戻せるのだろう。 二年というブランクは、そうそう埋まりそうにない。 先の見えない出口に、焦りを覚える。
(少し落ち着こう) 木陰に行き、用意しておいたドリンクホルダーを手に取る。 跡部と会って以来、余所のコートで打つのが怖くなって、結局また境内の所で練習している。 またどこかで顔を合わせるかもしれないと思うと、気が滅入るからだ。 他人に悪口を言われたり、絡まれたりするのはどうでもいいが、跡部と関わることだけは避けたかった。 (もうあの人とは、別れたんだから) 関係の無い人だと言い聞かせて、息を大きく吐く。 と、そこへ「リョーマさん、お客様ですよー!」と従姉が急ぎ足でこちらへと走って来た。
「客?誰?」 「桃城さんです。リョーマさんに何か用事があるみたいですよ」 「わかった。すぐ行く」 桃城が来てくれたのも、久し振りだ。彼も大会前で忙しいから、ここに来る余裕は無かったのだろう。
「よっ、越前」 自転車に乗って来た桃城は、額の汗を拭いニカッと笑った。 「ども」 ぺこっと頭を下げると、「急で悪いんだが、今時間あるか?」と言われる。 「あるけど……?」 「じゃあ、ちょっと付き合ってくれよ。連れて行きたい所があるんだ」 「え、どこ?」 「それは着いてからのお楽しみ。さあ、乗った、乗った!」 「ちょっ、せめて着替えてから」 汗でベタベタになったシャツのままで行くのはヤダと抵抗しても、 桃城の馬鹿力によってむりやり自転車に乗せられてしまう。 「さー、行くぞ!飛ばすからな!」 「え、うわっ」 ぐらっと揺れる感覚に、リョーマは慌てて桃城のシャツを掴んだ。
以前はこんな風によく自転車に乗せてもらった。 一緒に帰って、寄り道をして、ストリートテニス場で打って、お互いムキになって、また明日も来ようなと約束した。 そんな楽しかった日々はもうもどらない。 いつだって失った後で気付くんだと、リョーマは目を伏せてじっと大人しくしていた。
「ここって……」 到着と桃城が自転車を止めた場所に、目を丸くする。 かわむら寿司と書かれた暖簾が下がった店。忘れるはずもない。 「さあ、入った、入った」 桃城に背中をぐいぐい押され、入り口の前に立つ。 同時にガラッと引き戸が開いた。
「おチビ、久し振りっ!」 「菊丸、先輩?」 抱きついて来た人影を確認すると、以前と変わらない菊丸の笑顔がそこにあった。 リョーマの背が伸びた分、前よりも顔の位置は近くなっている。 「こら、英二。いきなり飛びついたら越前がびっくりするじゃないか」 後方から窘める声が聞こえる。 確認するまでもない。ゴールデンペアの片割れの大石だ。 副部長だった大石は、リョーマが菊丸に絡まれるとこんな風に言って引き剥がしてくれたものだ。 「大石先輩、久し振りっす」 「いきなり呼び出したりして、ごめんな。今日は午後から練習が休みになったんで、皆で集まらないかって話になったんだ」 「皆って、」 「ほら、おチビ。早く入って!」 菊丸に抱えられるようにして店内に入ると、そこには元青学レギュラーのメンバー達がいた。 「やあ。いらっしゃい、越前」 「驚いて声も出ない確率90パーセント」 「乾先輩……。そんなデータ取ってどうするんすか」 「久し振りだね、越前」 カウンターにはエプロンを付けた河村が立っていて、乾と海堂と不二はそれぞれ座敷に座っている。
「桃から事情は聞いた。それで久し振りに越前に会いたいと皆で集まったんだ」 大石の声に、リョーマは咄嗟に頭を下げる。 そうしなければいけないと、思ったからだ。 「ごめんなさい」 「越前?」 「だって俺、決勝に間に合わなくて、だからそれで青学の全国制覇が……」 あの頃、皆が全国制覇という目標に向かってどれだけ頑張っていたか知っている。 それなのに自分は軽井沢へ行き、集合に間に合わない所か、記憶を失って試合に出ることすら出来なかった。 取り返しのつかないことをしたと悔やむリョーマに、菊丸がぽんと頭に手を乗せてきた。
「誰もおチビを責めたりしないよ。何謝ってんの」 「でも」 「青学が負けたのはおチビの所為じゃない。俺達の力が少し足りなかったんだ」 「菊丸先輩の言う通りだ。てめえ一人で青学背負っているわけじゃねえだろ」 菊丸に続き、海堂がぶっきらぼうに声を出す。 「お。いいこと言うじゃねえか、マムシのくせに」 「なんだと。てめえ、もういっぺん言ってみろ!」 「二人共止めないか。タカさんに迷惑が掛かるだろ」 「あはは。もう慣れているけどね。越前、そんな顔しないで座ってよ。 今日は皆で集まったんだから、俺が握った寿司を食べて喜んでもらえたら嬉しいな」 「河村先輩……」 「ほら、おチビ。座って!」
皆に合わせる顔がないとずっと考えていた。 青学の柱になる為、手塚から奪い取ってやる、強くなってやろうと努力していたのに。 最後の最後で自分の不注意からそれを放棄し、皆に迷惑を掛けてしまった。 優勝できなかったのは自分の所為だと、そう思っていた。 しかしそれはただの思い上がりだ。 海堂の言う通り、自分一人が青学を背負っているなんて考えは、全国決勝の舞台まで共に頑張って来た先輩達に対して失礼に当たる。
前と変わらない笑顔で受け入れてくれる彼らに、リョーマは泣きそうになるのをぐっと堪えて、 笑顔を向けた。
それから二時間ほど飲み食いをして騒いで、少し静かになった頃、 リョーマは気になっていたことを斜め前に座っている大石に尋ねた。 「部長、じゃなくって、手塚先輩は今どうしているんすか?」 「ああ。あいつならドイツ留学しているよ。今は、向こうで頑張っている」 「ドイツ、っすか」 そうか。手塚はすでに夢を追いかけて羽ばたいて行ったのか。 きっと変わらず、いやあの頃より強くなっているんだろうなと想像する。 「留学する直前まで、手塚は越前のことを気にしていたぞ」 「え……」 「いつか記憶を取り戻すだろうから、その時はまたどこかのコートで試合することになるかもしれないと言っていた。 あいつは越前がテニスを捨てるなんて有り得ないと、信じていたんだろうな」 「そんなこと、言っていたんすか」 リョーマの記憶は戻らずテニスから遠ざかったままの状態で、手塚は旅立って行った。 柱を奪い取るという宣言も果たすことが出来なかった。 見放されてもおかしくないのに、信じてくれていたなんて。 手塚の気持ちに応える為にも、ボールが上手く打てないからと立ち止まっている場合じゃない。
「それで越前は今、テニスを続けているの?」 別のテーブルから移動して来た不二にそう問われ、一瞬戸惑う。 が、すぐに「はい」と答えた。 「ブランクがあるから以前のようにとはいかないけど、自主練習は続けているっす」 「そう」 「でも、中等部の大会に出るとか、そんなことは考えていないんで」 先輩達にもあの噂が耳に入っているかもしれない。 先に否定しておこうと声に出すと、「わかっているよ」と不二は微笑んだ。 「二年の空白は大きい。それに越前が無理して大会に出ようなんて考えてるはずがないとわかってる」 「桃から聞いたよ。無責任な噂を流す奴もいるもんだにゃ」 「乾先輩。犯人に心当たりは無いんすか?」 「中等部のことまではもう把握していないからな。調べてはいるが」 「何かあったらすぐに知らせてくれよ。俺達も駆けつけるからな」 皆からの言葉に、再び目の奥が熱くなる。 「あれ?おチビ、どうしたの?」 瞬きをして誤魔化そうとしていると、菊丸が顔を覗きこんで来る。 泣きそうになったなんて言えるはずがなく、 「なんかわさびの量が多かったみたい」と答えた。 きっと皆にはバレバレだったけれど、からかう者は誰もいなかった。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎる。 かわむら寿司の営業時間前に、皆で片づけをして外へと出た。
「また遊ぼうね、おチビ!」 「俺、まだその呼び方のままっすか?」 あの頃より背は伸びたのにと言うリョーマに、 「おチビはおチビのままだよ!」と菊丸は笑った。 「越前、無茶はするなよ。何かわかったら、俺達にも知らせてくれ。 犯人がわかっても、一人で動こうとしないように。いいな?」 「大石、相変わらず心配症〜」 「俺は越前のことが心配だから、言っているんだ」 「けど本当に誰が何の目的でやっているんすかね?」
リョーマに対する嫌がらせの話題を語りながら駅へと歩いていると、 ふと寄って来た不二が「大丈夫?」と声を掛けて来た。 「大丈夫っすよ。別に、何を言われても平気」 「そっか。君は強いね」 にこっと笑って、不二は続けた。 「でも全部が全部平気ってわけじゃないでしょ。 全く傷付かないはずがない。違う?」 「……」 「だけど、負けないで欲しい。 君にはテニスを続けていてもらいたいんだ」 不二からの意外な言葉に、驚いて顔を上げる。
「どうして?不二先輩がそんな風に思うんすか?」 「意外、かな?だけど僕にとっても君は特別な後輩だったんだ」 二年前を思い出しているかのように、少し前を向いて不二は話を続けた。 「これでも僕は天才なんて呼ばれていたんだよ。 だけど一年生の君とあの雨の日に試合をして、久し振りに楽しいと思えるテニスが出来た。 それに準決勝でも言っていたよね。倒れている僕に本気でやってよって。 あれはかなり効いたなあ。5−0で負けているのに本気でやれって言われて、悔しいと思ったよ。 ここで負けたくないって。 だからそんな風に僕の心に火を点けた君が、このままテニスを辞めるなんて、許さないんだから」 「不二先輩……」 不二の顔はいつも通り穏やかな笑みを浮かべていて、どこまで本気かわからなかったけど、 でもきっと全部が本当だとそう思えた。
「俺、テニス辞めないっす。 誰に何を言われても、今度こそラケットを離したりしないっす」 「そう。その決意が聞きたかった」
頑張って、と言う不二に、リョーマは大きく頷いて応えた。
チフネ
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