チフネの日記
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2012年04月03日(火) lost 悲劇編 27.跡部景吾

ジローの姿が今日も無いことに、跡部は肩を落とした。
もう直ぐ大会が始まるというのに、これでは後輩達に示しがつかない。
例えレギュラーじゃなくても、部活には参加するべきだろう。
もうその位の分別はつくようになったかと思ったが、違ったらしい。
いくら跡部と仲違いをしたからって、部活動は関係ないはずだ。
どうしたものかと逡巡していると、「今日もジローは休みなのか」と宍戸が話し掛けて来た。

「ああ。部活が終わったら、家に寄って様子を見てくるつもりだ。
明日は来るように説得する」
「わざわざお前が行くのかよ?」
意外そうな顔をする宍戸に、「原因は俺にあるからな」と跡部は答えた。
ジローはあんなにもリョーマと会うなと言っていたのに、それを破ったのは自分だ。
また、あれ程までに嫌うようになったのも、二年前の自分の所為だ。
わかっていて無視するわけにはいかない。

「そっか。じゃあ、お前に任せることにする」
「ああ」
「千石との話し合いは?上手くいったのか?」
心配そうな顔をする宍戸に、「そっちの方は心配ない」と答える。
「問題は何も無い。連絡先も交換したからな。
何か情報が入ったら、俺に教えてくれるとも約束した」
「そっか。早く解決するといいな」
「全くだ」

千石も四方八方手を尽くして、メールを送っている主は誰なのか探っているが、
情報はあちこちから流れているらしく、なかなか足取りを掴めないらしい。
跡部の方も中等部の部長や生徒会にも話をしたが、これという犯人が浮かび上がっていない。
青学の方にも当たってみるべきかもしれない。
強引な手を使っても、犯人は必ず挙げてみせる。

「そんなに怖い顔するな。後輩がびびるだろうが」
宍戸の声に、ハッと我に返る。
「お前が越前のことを心配してるのはわかってる。
俺の方でも、もうちょっと頑張って調べてみるからよ、そんなに気負うな」
「……そうだな」
頷くとほっとしたような顔をして、「俺、練習に戻るわ」と小走りで去って行く。
ここで色々考えても仕方無いと言い聞かせて、跡部は体の強張りを解いた。
どうしても早く解決したいと思うから、力が入ってしまう。
焦っても仕方無いけど、リョーマのことを考えると上手く自制が出来ない。
今は考えるなと、コートに目を向けて、打ってくるかとラケットを取った。無心になるには、テニスしているのが一番手っ取り早いからだ。





そして練習が終わってから、跡部はすぐにジローの家へと向かった。
明日は絶対に来いと言うつもりだったのだが。
「え、戻って来ていない?」
母親は跡部の訪問に驚いているようだった。
部活に行くと言って、家を出ているらしい。
ラケットを持っているので何の疑いもなく送り出しているよいうだが、実際にはテニス部に顔を出していない。
「あの、帰ったら電話をさせましょうか?」
不安げな様子に母親に、「ちょっと入れ違っただけです。明日、会ったら直接伝えますから大丈夫です」とだけ言って、退出した。

(ジローの奴、親に嘘をついて何が部活だ。どこに行っているんだよ)
今が夏休みで助かったのかもしれない。授業に出ていないとなったら、話は別だ。
部活なら罰を受ける程度で済む。
それにしても、一体どこで時間を潰しているのだろう。
女のところか?と考える。可能性はありそうだ。
他に考えられるとしたら、学校に来ているけどテニス部に顔を出さないだけかもしれない。
図書室とか音楽室とか冷房完備のある施設なら、ゆっくり眠ることが出来る。
ジローならちょっと甘えれば、大目に見てくれる。匿ってくれる場所はいくらでもありそうだ。

折角ここまで来て空振りだったとは。
こんなことなら、中等部に足を運んで今ある情報だけでも聞いてくれば良かったかと考える。
だが拍子抜けしたことで億劫に感じてしまい、そのまま車に乗って自宅へ戻るよう指示をする。
明日の朝は早くに家を出て、ジローが出て来るのを待ち伏せするべきか。
それとも他の方法は無いかと考えていたら、車が静かに停まった。
ドアが開けられて、車から降りる。

今日は自主練習する気分では無いから勉強の方に力を注ぐかと考える。普段から怠ってはいない
が、いつも以上に勉学に励む日があってもいいはずだ。
そうするかと玄関から屋敷の中へと入ると、使用人がさっと寄って来た。
「景吾様、あかり様がお見えになっております」
「あかりが?」
少し大きな声を出してしまう。

練習が忙しいから、しばらく会うのを控えたい。
あかりはその言葉を信じて、跡部にメールも電話もしてくることは無かった。

「奥様も一緒です。景吾様が戻ったらすぐに客間に来るようにと」
「そうか……」
珍しく、母親が屋敷に戻っていたらしい。
断れるわけもなく、跡部は客間へと移動した。
ノックをしてドアを開けると、母親と和やかに会話をしているあかりの姿が目に入った。

「おかえりなさい、景吾。あなたの携帯に何回か連絡をしたはずだけど、メッセージは聞いてくれた?」
「いえ。今日持って行った携帯には何も」
「あら。じゃあ、家に置いて行ったものに掛けたのかしら?いくつも持っているから面倒なことになるのよ。そう思わない?」
同意を求められたあかりは、にこにこと笑っているだけだった。
母はあくの強い性格をしている。嫌いな人間は全く相手にしない。
だがあかりのことは気に入っていて、顔を合わせる度にこうしてお茶を飲み会話を楽しんでいる。
最も、この家にとって申し分の無い家柄で、結婚を纏めたいから可愛がっているだけなのかもしれない。

「あかりさんのお父様から果物を頂いたのよ。
景吾、あなたからもお礼を言いなさい」
母親が座っているソファの隣のテーブルには、つやつやとした桃が籠いっぱいに詰まっていた。
父親が届けさせたのかと、直ぐに察する。
おそらく娘との会話で、最近跡部と会っていないことに気付き、この家に来る口実を考えたのだ。
あかりはわかっていないようだが、父親としては疎遠にされないようにわざと届けさせたに違いない。
蔑ろにしているつもりは無かったが、周囲の大人達は好意的な解釈はしてくれないようだ。

「ありがとうございます。お父様にもそう伝えて下さい」
「ええ、勿論。それでは、私はそろそろお暇します」
立ち上がったあかりに「あら、もう帰ってしまうの?」と母親が引き止めに掛かった。
「是非夕食も一緒にどうぞ。あかりさんなら大歓迎。
お家に連絡をすれば、平気でしょう?」
「いえ。お誘いは嬉しいのですが、夜からピアノのレッスンの予定が入っているので、申し訳ありません」
「あら、……じゃあ仕方無いわね。今度、ゆっくり遊びにいらしてね。いつでも大歓迎だから。
景吾、あかりさんを車まで送ってあげて」
「はい」
あかりを伴って客間から出る。
少し廊下を歩いたところで、「今日は突然すみません」とあかりが小声で言った。

「父からの頼み事で断れなくて……。
景吾さんが忙しいとわかっているので、届け物だけしてすぐに帰ろうと思ったのですが、
お母様に引き止められてしまって」
たまたま屋敷に居た母があかりを見つけ、無理に客間へ引き入れたこと位、跡部にも想像がついた。
そうでなければ、跡部が留守の間に居座ったりしないだろう。
大会前で大変だから、会うのを控えたい。
その言葉を間に受けて、律儀に約束を守って跡部からの連絡が来るまで待っている。あかりはそういう人だ。
今日のことがなかったら、会うのはもっと先になっていただろう。

「別に謝ることはない。それに、今日会えて良かった。
……またしばらくは忙しい日が続きそうだから、もう少し待っててもらえると助かる」
部活が忙しいんは本当だが、それだけじゃない。
『跡部にはあかりちゃんがいるんだよ?それとも彼女に堂々と言えることをやってるつもり?』
ジローに言われた言葉を思い出す。
昔の恋人を苦しみから救ってやりたい。
そう告げたら、どうなるのか。
いくらあかりが優しくても、穏やかではいられなくなるだろう。
わかっているからこそ、言えない。
だから今また嘘をついた。
正しいことをしているはずなのに、どうしてもあかりに打ち明けることが出来なかった。

「景吾さんが頑張ってるって、わかっていますから」
何も知らないあかりは微笑みながら「待ってます」と言った。
「体だけは壊さないで下さいね。無茶をして倒れたりしたら、元も子もありませんから」
「ああ」
「私はずっと景吾さんを応援しています」
それでは、と頭を下げてあかりは乗ってきた車へと乗り込む。
最後まで笑顔のまま去って行く姿に、跡部の良心が痛みを訴えた。

結局、嘘を重ねるだけだった。
ジローの言う通り全て話すことなんて出来なくて、こそこそと動き回るような真似をしている。
あれだけ信じ切っているあかりに真実を話すなんてとても出来ない。
だってこの件が終わったら、リョーマのことを完全に忘れられるのかというと、そうだと言い切れない自分の気持ちに気付いている。

二年前に何もかも間違えてから、もうずっと元の道に戻れないままだ。
それでも進んで行くしかない。
嘘をついてまで、守りたいものがあるのは確かなのだから。



チフネ