チフネの日記
DiaryINDEXpastwill


2012年04月02日(月) lost 悲劇編 26.跡部景吾

結局、ジローはコートに戻って来なかった。
跡部は溜息を零し、どうしたものかと考える。
基本的には素直な奴だが、一度臍を曲げると元に戻すのは難しい。
いくらレギュラーではないとはいえ、このままにもするわけにはいかない。
大会も近いことだから揉め事は避けたいと考えていると、
「跡部」と宍戸が声を掛けて来た。

「ジローのこと聞いたぜ。何をそんな怒ったのかはわからねえけど、戻って来るのか?」
「今日一日は様子を見るつもりだが、多分無理だな」
「そっか。……ところで、越前の件なんだけど」
口篭りながら言う宍戸に、こちらの話が本題だとわかった。
「どうするのか決めたのか?」
「ああ。だから中等部に行って話を聞いて来た。あいつの揉め事は、俺が片付ける」
「そうか」
どこかほっとした顔をしながら、「俺にも手伝えることがあったら、言ってくれよな」と宍戸は言った。
「一応こっちも後輩達に当たっているけど、その情報もお前に伝えた方がいいか?」
「ああ、頼む」
頷いたところで会話は終了と思ったのに、宍戸はまだ立ち去ろうとしない。
まだ何かあるのかと顔を見ると、「実は、千石から跡部に会いたいって連絡があった」と言われる。

「あいつ、お前がこの件に乗り出したことを知っていた。
なんでかは知らないけど」
「多分、越前の口から聞いたんだろ」
「越前が?それ、どういう意味だよ」
目を瞠る宍戸に、「昨日、偶然会った」と正直に伝える。
「その時、俺が例の件を調べていると言った」
「なっ……」
絶句した後、宍戸は「大丈夫か?」と小声で尋ねた。

「その、トラブルになるようなことになったりは」
「勝手なことするなと、あいつに拒絶されただけだ」
リョーマの強い意思を込めた目を思い出し、軽く息を吐く。
「けど、俺はこのまま手を引いたりしない。
千石にもきっぱりとそう言ってやるつもりだ。
俺の方からも会って話を付けたいって、奴に伝えておけ」
「あ、ああ……。今日、部活が終わった後にでもどうかってメールに書いてあったけど、どうする?」
「了解したと送っておいてくれ。話をするなら早い方がいい」

千石がどれだけぐちゃぐちゃと文句を言ってこようが、解決するまで引く気は無い。
むしろ宣言した方がすっきりするだろう。

「越前ともう一度関わること、決めたんだな」
「ああ。今度は逃げたりしねえよ」
二年前は記憶を失くしたリョーマに拒絶され、擦れ違った挙句最悪の別れ方をした。
諦めずにリョーマを想い続けていたら、違う未来がここにあったかもしれない。
だけど、後悔しても仕方無い。
それよりも今、リョーマに降りかかっている問題を解決するべきだ。
本人に拒絶されても、跡部は最後までやり遂げるつもりでいた。

「そっか。色々辛いだろうが頑張れよ」
宍戸の言葉に「わかってる」と返す。
この件が終わったからといって、リョーマとよりを戻すとかそんなことを考えているわけじゃない。
ただもう逃げたくないという気持ちがあるだけだ。

「そろそろ練習に戻れよ。あんまり喋っていると先輩達ににらまれるぞ」
今は部活中だ。各自のメニューをこなしている時間とはいえ、遊んでいいはずがない。
跡部の言葉に「そうだな」と宍戸は頷き、走り始める。ランニングに行く途中だったようだ。

(俺も、コートに入るか)
ラケットを持って歩き出す。
と、そこでフェンス越しに中等部の制服を着た二人組みの女子と会話している忍足を見付ける。
(しょうがねえ奴だ……。部活中だぞ)
高等部まで来てくれた熱心なファンを追い返すわけにはいかず、相手をしているのかと冷めた目で見る。
ご苦労なこったと胸の内で呟き、立ち去ろうとした所で立ち止まる。
(あの二人連れ……。どこかで見たような気がする)
もう一度顔を確認する。つい最近見掛けたが、どこだったかと考える。
記憶力は良い方なので、すぐに思い出す。
(そうだ。ジローと話していた連中だ。たしかジローのファンだとか言ってたな)
忍足に乗り換えたのか?と考える。女の心は移り気だ。
何度も足を運ぶ内に、別の部員のファンになってもおかしくはない。
軽く手を振って、忍足はフェンスから離れて行った。二人は頭を下げて、コートから去って行く。

(ジローが来ていないか、確認していただけかもしれねえな。どちらにしろ、ご苦労なことだ)
ジローにしろ忍足にしろ、ファンだという女子の数は多い。
よっぽどのことでもない限り、顔を覚えてもらうのも難しい。
他にも見学している女子達はいて、面白くなさそうに今離れて行った二人組みの背中を睨んでいる。
抜け駆けして話し掛けたのを、快く思っていなさそうだ。
だが周囲を気にしていたら、ただのファンで終わってしまう。
誰に何と思われようが近付いて行く辺り、年下ながら結構気合が入っている子達なのかもしれない。

(俺には関係ないけどな……)
それよりジローへとフォローをどうするか。
千石との話し合いが上手く行くのか。
この二点の方が今は重要だ。
問題は山積みだなと頭を振って、跡部は再びコートへと歩き出した。





そして宍戸がもう一度声を掛けて来たのは、部活が終わった頃だった。
「千石、こっちに来るって連絡して来たけど、俺も一緒に行った方がいいか?」
耳打ちに、「話をするだけだから、俺一人で行く」と答える。
何もケンカをしようというわけではない。
跡部の表情を見て、宍戸は「そっか」とあっさり引いた。
「校門の所で待っているってさ。じゃあ、伝えたからな」

お先にと肩を歩いて行くその先には、着替えを終えた鳳が待っていた。
ぺこっと頭を下げて宍戸と一緒に帰って行く。ひょっとしたら、これから自主練習をするのかもしれない。
この前、鳳には色々言われたがそれに対して文句を言うつもりもなかった。
むしろリョーマのことを教えてくれたという感謝の気持ちが大きい。

(ジローの奴、結局さぼったな)
どうせ昼寝したまま、まだ眠っているに違いない。
明日、顔を見せなかったらさすがに引っ張って来ようと思いつつ、跡部も部室を出た。


「跡部君!」
千石というと、ついあのオレンジ色の髪をイメージしてしまうが、今は黒に変わっている。
違和感に、跡部は無意識に目を細めた。
「意外と早かったね。お疲れ様」
「いや、お前の方こそこっちまで来てくれて悪かったな」
「いいの、いいの。大事な話だもん。とりあえずどこかに入らない?喉渇いちゃった」
うっすらと額に汗を掻いている千石を見て、跡部は学園のすぐ近くにあるカフェを指差す。
「そこに入るか」
「うん、行こ、行こ」

千石のフレンドリーな態度に、跡部は戸惑っていた。
てっきり余計なことをするなと乗り込んできたと思ったのに、拍子抜けしてしまう。

「俺、モカフロートにしようっと。跡部君は?」
「……アイスコーヒー」
注文の品が届くのを待つ余裕もなく、先に話を切り出すことにする。

「今日、来たのは越前のことなんだろう?
わかってる、あいつにもう関わるなって言いたいんだろ?でも、俺は」
「何言ってるの?」
きょとんとした顔でメニューを脇に置いて、千石は跡部に向き直った。

「俺はむしろ跡部君が解決に乗り出しれたのは良いことだと思ってる。
多分、俺や宍戸君が情報を集めても、出来ることは限られている。
もしかして犯人が誰かなのか突き止められないかもしれない。
けど、跡部君なら出来るはずだ。それだけの力を人脈を持っているから」
「反対はしねえのかよ。越前から聞いたんだろ?
俺が関わることをあいつは嫌がっている」
「そうだね」
千石は頷いた後、「だけど」と続けた。
「このままでいいはずがないんだよね。
だって知らない人から絡まれたり、陰口言われたりしているんだよ?
リョーマ君はわかっていない。放っておいてもまた噂を流されたらずっと誰かの目に晒されることになる。
とにかくメールを送っている奴を突き止めて、止めさせなくちゃいけない」
「そうだな」
「でもリョーマ君には、今は内緒にしてもらえるかな。
跡部君が関わっていることに、本気で困っているみたいだったから」

お待たせしましたと、店員が注文したものを運んできた所で千石は口を噤んだ。
跡部はグラスを手に取ってカラカラになった喉を潤す為、ストローを差して口をつける。
やはり、嫌がっているのか。
リョーマはそんなに俺との接点を持ちたくないのか。
跡部の悩みを見透かしたように、「多分、プライドの問題なんだよ」と千石は呟いた。
「プライド?」
「うん。リョーマ君からしたら、恋が終わったのは二年前じゃなくつい最近ってことになるでしょ。
そのショックからまだ立ち直れていないのに、訳もわからず中傷されて、相当参っているんだと思う。
でも、跡部君にはもう甘えられない。
だからこそ知られたくなかったんじゃないかな」

そんなこと、と跡部は思う。
リョーマが弱音を吐いたところで蔑んだり、見損なうことなどありえないのに。
むしろいつだって駆けつけてやりたい、手を差し伸べてやりたいと思っている。
けれど。
(もう、俺にはそんな権利も無いのか)
記憶を失くしたリョーマと別れた日に、自分は近付くことも許されないと思った。
だから、今も拒否されても当然だ。
きゅっとグラスを握ると、「もう少し待ってあげてくれる?」と千石は言った。
「気持ちの整理が出来たら、リョーマ君だってきっとわかってくれる。
俺の方からも説得するからさ。
勝手なことばっかり言っているのは承知している。でも、リョーマ君の為でもあるから」
「わかってる」
それが最大の譲歩だろう。
跡部はもう一口アイスコーヒーを飲んでから、「お前の言う通りにしてやるよ」と告げた。

「越前のことを考えているのは、俺も同じだ。手を引くつもりはねえよ。
だからそっちもわかったことがあったら、知らせてくれるか?」
「勿論だよ」
ほっとしたように笑う千石に、本当にリョーマのことを心配しているとわかった。
そんな友人が一人でも味方にいることは心強いことだろう。
「そうだ。跡部君の連絡先、教えてくれる?
これからは直にやり取りしてもいいかな」
「俺もお前に訊くつもりだったから、問題無いぜ」

互いの連絡先を交換して、今わかっている情報を出し合う。。
まだ真実は明らかになっていないが、千石との繋がりを得たことで一歩前に進んだような気持ちになった。



チフネ