チフネの日記
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2010年06月11日(金) miracle 38  真田リョ

どうしてこんなことになったのかと、ボールを追い掛けながら仁王は思った。
リョーマの挑発に乗るもんかと無視して立ち去れば、こんなことにはならなかったはずだ。
普通なら、軽く流せたはず。
なのに、「逃げるんだ?」なんてリョーマが笑うから。
凹ませてやろうと思っていた相手が全く堪えることなく、しかも真田の気持ちをわかってやれという説教までされて、いい加減頭に来たのかもしれない。
だかが一年生が何を偉そうにしているんだ。
これでも常勝立海大付属のレギュラーの座にいたのだ。
いつも関東大会止まりの青学のレギュラーになった奴が調子に乗るところじゃない。
実力の差を思い知らせてやると、リョーマからの勝負を受けた。

どこか別のコートでやるもんだと思ったが、わくわくとした顔の不二に「良かったら、うちのコートを使って」と提案された。
呆気に取られている間に、不二がてきぱきと物事を進め、ほんとに青学のコートで打つことになった。
部長でもない不二がどうやって周りを説き伏せたのか。
苦い顔をしているが、手塚は文句を言うこともなく、仁王に「よろしく頼む」とまで言った。
見渡したところ、顧問の姿はない。融通が利いたのも、部員だけだからだろう。
皆が見ている中、仁王はネットを挟んでリョーマと向かい合った。

「1セットだけじゃぞ」
「いいよ。それより後で借り物のラケットだからとか、制服だからって言い訳は無しにしてくれる?」
「……」

ほんとに生意気な奴、と胸の内で毒づく。
ラケットは青学の部員の中から自分が使っているのと一番近いものを貸してもらった。着替えはしないので、制服のままだ。一年生相手に、軽く打つ程度だろうと仁王は思っていた。
さっさと決着をつけて、リョーマに実力の差を思い知らせてやる。もう二度と、生意気な口が叩けないほどに。
                        
だけど。


(なんじゃこいつは。本当に一年生か?この俺が走らされてる。しかもリードされとる?
今までどこにおったんじゃ。これまでの大会で名前なんか聞いたことなかった。無名でこんな、ありえん……)

苦戦してるのは仁王の方だった。
しかもリョーマはわざと引き延ばすようにボールを返している。
決して余裕があるというわけじゃないのに、すれすれの所で決め球を返さない。
仁王を走らせるだけのボールを打つだけだ。

(ふざけてるんか、こいつ……!)

自分がゲームを翻弄するのは構わないが、人にされると腹が立つ。
さっさと終わらせたいのに、ことごとくボールを返すリョーマにはもっとムカつく。
折角青学の部員が見ている前で恥を掻かせてやろうと思ったのに、それが出来ないのも悔しい。

(くそっ)

こんな子供に主導権を握られるなんて、あってはならないことなのに。
負けるなんて、冗談じゃない。リョーマにだけは、負けたくない。
どうにかして攻略するとリョーマの動きを読み、チャンスを伺う。

(俺がこんな一年に負けるなんてありえん。立海でレギュラーになる為どれだけ努力したか、どれだけ苦労したか。こんなところで負けるようなテニスを続けていたはずじゃない……!)

タイミングがずれたのか、少し浮いたボールを見逃さず、リョーマの立ち位置から届かない場所へと鋭く打つ。
「くっ……」
追いつこうとリョーマは走るが、間に合わない。ボールは後ろへと転がってようやっと仁王のポイントが決まった。


「結構、やるじゃん」
にやっと笑うリョーマに、「当然じゃ」と返す。
「でもまだやっと1ポイントだけどね」
「これから巻き返す。絶対にじゃ」

いつになく、気分が良かった。リョーマからポイントを奪えた、それだけじゃなく久し振りにテニスに夢中になっていたからだろう。

汗を拭い大きく息を吐く仁王に、「テニス、楽しいでしょ」とリョーマは言った。
「さっきのあんた、楽しそうに打っていたよ。本当はわかっているんじゃないの」
「何のことじゃ。それよりさっさと続きを」
「あ、もう終わりだから」
「終わり?でも1セットやるって」
「迎えが来たからね。俺の役目はここまで」
「迎え?」

リョーマが視線を移したその先に、こちらに向かって全速力で走って来る真田が見えた。
げ、と仁王は顔を引き攣らせる。
すっかり忘れていたが、真田がこっちに向かっていたのだった。その前に終わらせようと思っていたのに、ペースを崩された。まんまとリョーマの作戦に嵌ってしまった。

「真田さん、こっち!良かった、間に合った」
「越前!」
リョーマが手を上げて、ここに仁王がいると示す。
真っ直ぐに向って来る真田を見て、外に逃げ出そうとする。出入り口は一つしかないから無駄だとわかっても、それでも。

「いい加減にしろ、仁王!」
逃げ出そうとした仁王に、真田はスピードを上げて追い付く。
そしてあっさりと捕まってしまう。
「放せっ、真田。大体今は部活の時間じゃろう」
「黙れっ!学校をサボった奴に言われたくない。こんなに心配を掛けて、いい加減にしろ!」
大声で怒鳴られ、耳の奥がキンと痛んだ。
真田の顔は怒っているけれど、どこか泣きそうにも見えて、仁王はもがいていた手を止める。

さすがに、本気で心配されているとわかった。
あの真田が部活を休んでここに来た。それだけで十分非常事態だ。風邪を引いて熱を出しても、部活に出てた位なのに。

(こいつ、俺のこと嫌ってたんじゃないのか。不真面目な奴だって怒っていたのに。
必死になってこんな所まで来て……。調子狂うぜよ)

大人しくしていると、「真田さん、この人連れて行ってよ」とリョーマが声を掛けて来る。
「こっちも練習始めなくちゃいけないんで、そろそろ出てもらってもいいっすか?」
「ああ。すまなかった。色々迷惑を掛けた」
真田はリョーマに向かって深く頭を下げた。
「俺は構わないんだけど。どっちかというと、それは部長に言ってやって。
さっきから眉間に皺寄っちゃって戻らないんだ」
「……わかった」

真田は仁王ごと手塚のいる所へと向かう。
手塚は腕を組んだまま、じっと成り行きを見守っていた。青学も大会前だというのに、他校生との勝負を許すとは随分寛大な態度だ。

「うちの部員が大変迷惑を掛けた。すまない」
「いや、まあ、大会前にいい刺激になったから、そんなに恐縮することじゃない……」
後ろでは何やら不二が笑っている。
手塚は顔を強張らせたまま「だが、そろそろ帰ってもらえるか」となんだか泣きそうな顔して言った。

そして真田はリョーマに「また後で連絡する」と言って、仁王を引き摺って青学の外へと出た。


「もう放してくれんか。さすがに恥かしい」
ずっと腕をホールドしたままの真田にそう言うと、「だめだ」と却下される。
さっきからじろじろと見られて居心地悪い。
それだけなのに、真田は「手を放したら逃げるつもりだろう」と言う。
「もう、逃げたりしない」
「その保証はない。だからこうするしかないな」
「無茶苦茶じゃな……。部活をさぼって何してる。もう帰りんしゃい。これは俺だけの問題じゃろ」

真田が関わるようなことではない。
冷めた目で告げると「まだそんなこと言っているのか!」と耳元で怒鳴られる。
「俺だけの問題?ふざけるな!お前にとっては迷惑なだけかもしれないが、心配して何が悪い。
部活を休んだのは俺の意思だ。恩を着せるつもりはもない。
だから俺は自分のしたいように動く。お前の問題に積極的に関わらせてもらう」
「何を言って……」
「うるさい。さっさと歩け」

ほらっと、駅に向かって引っ張られる。
真田の背中を見ながら、こいつ人の意見とか全く聞く気が無いんだろうなと思う。

だが、「美空が、心配している」の言葉に、仁王は大きく目を見開いた。
「ここに来る前にお前を連れて帰ると約束した。だから無理にでも一緒に来てもらう」
「なんでそんな勝手な真似するんじゃ」

ますます舞子に合わせる顔が無いじゃないかと思った。
折角今までなんでもないような振りを続けて来たのに、今更どうしたら良いのか。
まるでわかってないと真田を睨むが、「行くぞ」とますます腕を引っ張られる。
「行くもなにも、俺はもう舞子と会うつもりはない。舞子にとっても、もう俺なんかどうでもええんじゃろ。
この先会うこともない幼馴染はもう用無しだと思って」
「本気で言っているのか!」
後頭部に痛みが走った。真田が空いている方で殴ったからだと気付く。
「何するんじゃ」
「こっちの台詞だ。美空の気持ちを少しでも考えてみろ。新しい環境に飛び込むことに不安がないわけがないだろう。それでもあえて普段通りに振舞っているのは、お前の為でもあるんだぞ。
弱音など吐いて心配を掛けまいとしているのが何故わからない。
自分ばかり置いて行かれるといじけて、逃げ回るつもりか。そんなの俺が許さん!」
「……舞子、が。そんな」

家族で行くのだから仕方無いねと、最初から受け入れるように見えた。
向こうで絵の勉強が出来ると楽しそうに語っていた。その気持ちに嘘は無いはずだ。
でも多少なりとも、不安はあったのだろう。ただ、仁王には見せなかっただけで。
慣れ親しんだ土地を離れて、家族以外に知り合いのいない所へ行く。寂しく思わないはずがない。
どうして、気付いてやれなかったのだろう。
しかも真田に指摘されるとは。不覚にも程がある。

「すまん……」
謝罪すると、「俺にではなく、美空に直接言うんだな」と真田は言った。
「さあ、行くぞ。美空が待ってる」
「ああ」

もう抵抗する気は無いとわかったのか、掴んでいた手が離れた。
そのまま駅に向かって、大人しく改札を通る真田の後に続く。

もし、リョーマが引き止めていなかったら、真田が迎えに来なかったら。
舞子と擦れ違ったまま、出発の日になって後で後悔することになったかもしれない。
結局、迷惑だ、お節介だと疎ましく思っていた彼らに助けられたことになった。

「何だ」
隣に座る真田の顔をじっと見ていたら、こちらを向いた。
「いや、なんでもないよ……」
こんな時、何て言ったら良いのだろう。
感謝の気持ちを伝えるには照れ臭くて、口篭ってしまう。

(今は、ちょっと無理じゃ)

言葉が見付からない。口に出す勇気もない。
もう少しだけ時間が必要だ。これまで本心を曝け出すことがほとんど無かった自分には難し過ぎる。
待っててくれ、と心の中で呟く。
真田もそれ以上蒸し返すことなく、沈黙したまま、二人は電車に揺られていた。


仁王の家に一番近い駅に到着し、一緒に降りる。
ここまででいいと真田に言っても、「美空のところまで送る」と言い張る。
もう逃げるつもりはないのだけど、真田にしたら連れて行くことが義務として考えているのだろう。
その気持ちを尊重して、好きにさせようと思った。

「舞子は、家で待っていると言ってたのか?」
「ああ。お前を連れて来たら知らせる段取りになって」
真田が言い終わるよる前に「雅治!」と名前を呼ばれる。
振り向かなくても誰の声かわかる。この数年、一緒に過ごして来た幼馴染のものだ。

「舞子……、ぐっ」
後ろを向いた瞬間、カウンターを食らった。
不意打ちだった所為で綺麗に拳が頬に減り込んだ。とはいえ、大した威力じゃない。
見上げると、左手を軽く振っている舞子が立っている。利き手を使わなかったのは、筆を持つ為に庇ったのか。こんな時も絵を描くことを考えているんだなと、感心してしまう。
「痛いじゃない」
「それはこっちの台詞じゃ」
「素手で殴るってこっちにもダメージあるから、カバンで殴ることにするわ」
「おい、舞子っ!?」
振り上げてくるカバンに、仁王は後退りする。それを見た真田も慌てて舞子の手を止めようと、間に入って来た。
「落ち着け、美空。折角見付かったんだから、先に話を」
「殴ってやらなきゃ気が済まないのよ。雅治、ちっともわかっていない。なんでテニスを辞めるなんて言うの。これまでの努力を全部無駄にするとか馬鹿じゃない!?ふざけんなっ!」
声を上げて、涙を滲ませる幼馴染を見て、仁王は項垂れた。
これだけ人を巻き込んで大騒ぎして心配掛けて、何がしたかったんだろう。
テニスを嫌いになったわけじゃないのに。
馬鹿と罵られるのは当然だ。

「私はどこに居たって絵を描くよ。誰にも認められなくても、見てもらえなくても、雅治がいなくたって続ける。
楽しくても、寂しくなっても、きっと描き続ける。なんで辞めなくちゃいけないの。
雅治だって、そうでしょ。私がいなくたってコートに立てるはずだよ。
わかってるくせに、人を言い訳にして逃げんな!」
「待った、待て、美空!」
再びカバンを振り上げようする舞子を落ち着かせるように、真田は必死で腕を掴んで止める。
「もう一回殴ってやらないと気がすまない!」
「止めとけ。もう充分だ。仁王もわかっているはずだ。そうだろ」
な?と目で問われ、仁王は小さく頷いた。

「心配掛けて、悪かった」
「もっと大きい声で言って」
ふん、と鼻から息を吐く舞子に、仕方無いと、すっと息を吸い込んで顔を上げる。
「俺が悪かった。舞子がいなくなるとわかって、どうしたらいいかわからなくなったんじゃ。何もかもやる気を失くして、それでもうテニスまで辞めようとしたのは、考え無しだったと反省してる」
「本当に、馬鹿なんだから」
知ってるけどね、と舞子は笑った。

「でも今からならまだ間に合う。そうだよね?真田君」
「え?」

真田に目を向けると、「絶対戻って来ると信じていた」と言って、胸のポケットから仁王が書いた退部届けを取り出す。
「これはもう、必要ないな」
ビリ、と勢い良く破ってしまう。これで無かったことにする、と言いたいのか。

「じゃが、俺はもう顔向け出来る立場じゃない……」
真田と柳にはっきり辞めると言ったのに、のこのこと戻れるはずがない。
無理、と首を振る仁王に、「それでも明日は部活に来い」と真田は言った。
「体調不良での休部ということにしてあるから、部室掃除一ヶ月で勘弁してやる。
来なかったら引退するまで掃除を続けさせるからな」
「滅茶苦茶じゃ」
「何とでも言えばいい。皆、待っているぞ」
「……」
「雅治」
舞子に名前を呼ばれて、仁王は頷いた。

「わかっちょるよ。明日は、部活に行く。これでいいか?」
「もう、素直に行くっていいなさいよ」
ぽかっと舞子に背中を殴られる。真田はそれを見て「いいから」と穏やかに笑った。
「俺も、待ってる」

そう言って真田は駅に引き返して行く。言いたいことは言った、という顔をしていた。
後は仁王の判断に任せるというのだろう。

「さ、私達も行こ。食事に行く前に着替えないと」
今度は舞子に腕を捉まれる。
「本当に行くのか?」
「何、その嫌そうな顔。幼馴染の旅立ちを素直に祝ってやってよ」
「祝えるか……寂しいとしか思えん」
素直に気持ちを伝えると、舞子は目を見張って、そして「私もそう思っているよ」と、言った。

「でも進んで行かなきゃいけないんだよ。
だから、行こ。私達がどんな方向に進んでも、幼馴染って絆は消えないよ。
10年経っても20年経っても、それは変わらない」
「そうか……」

慰めの言葉にも、やっぱり心の中にある寂しさは消えない。
しかし舞子の言う通り、進んでいくしかないのだ。
立ち止まっても寂しいままなら、少しでも前に進む方がずっといい。

「そうだ。食事会が終わったら、家に寄ってよ。雅治に渡したいものがあるんだ」
「なんじゃ、俺の絵か」
「何で知っているの?あっ、越前君から聞いたの!?もう、驚かそうと思ったのに」
失敗したなあと清々しい顔をする舞子に、仁王も笑顔を返す。


まだ見ていないけれど、きっと舞子らしい素敵な絵なんだろうと想像する。


‘そこには楽しそうにテニスしているあんたが描かれている’

ふと、リョーマに言われた言葉を思い出す。

(ああ、そうだな。忘れていたけど)

皮肉なことに文句を言ってやろうとした相手と打ち合ってテニスが楽しいものだって、
思い出したんだ。


チフネ