チフネの日記
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何面もある広いコートは、当然ながら自分の家の裏にある手作りのコートとは違い過ぎる。
以前にも切原赤也との野試合で来たことがあったが、 改めて見てもここのクラブの設備は整っている。
前回、雨が降って自宅コートでの打ち合いは流れたが、それでよかったかもしれないとリョーマは考えた。 いつもこんな所で打っている真田を、あんな大雑把なコートに連れて行ったりしたら。 きっと呆れてしまって、もうテニスに誘ってもらえなくなるかもしれない。
「どうした、越前。具合でも悪いのか?」
急に声を掛けられ、リョーマはハッと我に返る。
「いや、平気っす。あんまりにも立派なコートなんてびっくりしてただけで」 「そうか」
フッ、と真田が目を細めて笑う。 反対にリョーマは目を丸くして、じっと見上げる。
大会の時に真田と何度か顔を合わせたことはあったが、 その度に厳しい表情をしていて、こんな風に笑うなんて思いもしなかった。 だけど大会とは全く違うところで再会して、交流している内に厳しい顔だけじゃなく他の顔もあるんだと知った。 こんな風に笑ったり、穏やかな表情したりするんだって。 そして意外にも面倒見がいいということも知った。
(考えてみれば、記憶喪失になった時も手助けに来てくれたんだっけ。 決勝戦のあの場面で俺に手を貸してくれたんだから、元々そういう性格なんだ……)
見掛けだけで勝手に怖そうな人、と以前は決め付けていたけど、 ここ最近では真田への評価は180度変わっている。 もっと早く友人になりたかった、と思う位に。
「本当に、大丈夫なのか?さっきからずっとぼんやりしているようだが」 再び真田に顔を覗き込まれて、リョーマは「なんでもない」と慌てて首を振る。
「それより早くコートに入ろうよ。時間が勿体ない」 「そう、だな。お前が大丈夫というのなら、打つか」 「今日も負けないよ」 「それは俺の台詞だ」
お互い顔を見合わせ、すぐにコートへ入って行く。 そうなるともう余計なことは頭から消えて、二人はテニスだけに没頭してしまう。
真田と打ち合うのは、関東大会以来だ。 あの時はリョーマが勝利したが、真田もいつまでも同じままではない。 大会後はテニス部を引退したけれど、自主練習を続けていると言っているだけあって、 少しも衰えていない。 むしろ、成長し続けている位だ。 勿論それはリョーマも同じこと。 全国大会という大きな目標は一先ず片付いたが、まだまだ強い者と戦いたい。その思いから、日々の鍛錬は欠かしていない。
「ほお。先程俺に勝利宣言しただけあるな」 真田の打球を打ち返したところで、リョーマはニッと笑ってみせた。 「あんたもね。まだ実力出し切っていないでしょ」 「それはお前も同じようだな」 「当然。でもここからは本気で勝ちに行くよ!」
リョーマの言葉に、真田は来い、というように笑顔を向けてくる。
試合でのぴりぴりとした空気も好きだけど、 今日みたいにお互いを認め合い、その上で試合するのも悪くない。
そう思わせたのが、今までほとんど接点の無かった真田だということが不思議だ。
(テニスが強いから?いや、強い人は他にもいる……。 なんでこの人とのテニスは心地良いんだろ)
疑問に気を取られてると、簡単にポイントを決められる。 集中、集中と自分に言い聞かせて、リョーマはくっ、と前を見上げた。
結局、途中で雑念が張り込んだ所為か、今回の勝負は真田の勝ちとなった。
「悔しい。でも、次は負けないから」 そう言って手を差し出すリョーマに真田はまた笑顔を向けて、 「次も俺が勝つ」と手を差し出す そして握手。
そういえば関東大会では、最後に握手もしなかった。 優勝のごたごたで挨拶さえも出来なかったのだ。 その時のことを思い出し、ぎゅっと真田の手を握ると驚いたように「どうかしたか?」と尋ねて来る。 けれど、決して振り払うことなくリョーマのしたいようにさせてくれて。 良い人なんだよな……、と改めて思った。
「ううん。関東大会のこと思い出しただけっす。 あの時に握手出来なかったから、なんとなくその分も込めてというか」 「そう言えばそうだったな」 懐かしむように真田は言った。 「これで一勝一敗になる」 「うん。でもすぐに逆転するっす」 「本当に負けず嫌いだな」
呆れているわけでもなく、優しい眼差しで言う真田にリョーマは急に恥ずかしくなった。 なんだか父親に見守られ、あやされている子供の図が頭にぽっと浮かんだからだ。
慌てて手を引っ込めようとすると、 「触れていた時間はきっかり3分」との声が聞こえる。
「蓮二?それに……一緒にいるのは乾か」
振り返ると、柳と乾がこちらを見て立っている。 二人はそれぞれノートを手にしている。 ずっと見られていたのか、とリョーマはぎょっとして真田から少し離れた。
「乾先輩、そこで何しているんすか!?」 「久し振りなのに、その言い方は無いんじゃない」
引退してから乾と会うのは久し振りだった。 ノート片手に乾はリョーマの所まで歩いて来る。
「いつの間に真田と親しくなったんだい。 俺のデータには無かった。是非詳しく聞かせてもらおうか」 「なんで話さないといけないんすか」 「今後のデータの為だ」 「なんのデータっすか」
げんなりして肩を落としている間に、今度は柳が真田に近付く。
「俺も事情を聞いておきたい。 いつから越前と仲良くなったんだ」 「ついこの間だ」 きっぱりと真田は真実を告げた。 「それも大会が終わってからのこと。断じて部に迷惑を掛けることはしてない。 コートで打ち合うのも今回が初めてだ」 「そうか。しかし俺は別に責めているわけじゃない。 もう引退した身だ。他校生と打ち合うことも自由だ。 現に俺も貞治と今日は一緒に打つ予定になって、ここに来た」 「だったら何故、いつから親しくなったなどと聞くんだ」 「データの為だ。それに」 「それに?」 「いや。これはまだ推測に過ぎないから止めておこう」
パタン、と柳はノートを閉じた。
「弦一郎。俺は別に誰かに言うつもりはない。 お前も一々越前と会っていることを報告する義務は無いということだ。 したがって、誰かが尋ねて来るまでは越前と交流があることは言わなくてもいいからな」 「そうか……?」 「そうしろ。お互いの為にもな」 「お互い?」 「いや。なんでもない。 貞治、俺達もコートに行くぞ」 「え。俺はまだ越前に聞きたいことが」 「いいから来い。世話を焼かすな」
ずるずると長身の乾を引っ張って、柳は別コートへと向かって行く。
案外、力が強いんだと、リョーマはその姿を見て感心してしまう。
「……俺達もそろそろコートから出るか」 「そうっすね」
なんだか気が削がれてしまった。 テニスをして満足したことだし、今日はもうコートを出てもいいかなと思う。
「シャワーを浴びて、それから少し休憩するか」 「賛成」 すっかり汗を掻いてしまって、張り付いたシャツが気持ち悪い。 シャワーでさっぱり出来るのはありがたい。 足取り軽くリョーマは真田の後について行った。
身支度を整えた後、二人は施設の外に出て近くのカフェに入った。 クラブから近いとうことで、真田もよく立海大のメンバーと来ることがあるらしい。
「寄り道もすることあるんだ。結構、意外なこと多いっすね」 「俺をなんだと思ってる。最も、丸井や赤也が休憩したいと喚くから、寄るようになったのだが」 「へえ。でもそういう融通利く所、良いと思うっすよ。 だから皆も真田さんのこと信じて、ついて来てたんじゃないっすか」 「そ、そうか……」
素直な感想を口にすると、真田は咳払いして店員を呼ぶ。 リョーマは炭酸、真田はアイスコーヒーを頼む。
「そういえば大会の時も炭酸を飲んでいたな。 出来ればスポーツ飲料に変えた方がいいぞ」 「わかっているんだけど、やっぱりつい炭酸選んじゃうんだよね。もう癖みたいなもの」 「そうか。嗜好は人それぞれだが、体のことを考えるとどうしてもな。 少しずつ改善していったらどうだ」 「うーん。考えてみる」
不思議と真田に言われると、素直に話を聞いてしまう。 これが別の誰かだったら、放っておいてと反発する所なのだが……。
自分で思っている以上にずっと、真田に懐いているのかなと、リョーマは考えてしまう。
「越前」 「ん?」 「今日、何度もぼんやりしているようだが、大丈夫なのか。 もし心配事があるのなら、俺で良ければ相談に乗るぞ」 「……」 「いや、勿論解決出来るかどうかはわからないが。 それでも力になれることがあるかもしれない」
一生懸命に言う真田に、リョーマは笑みを零した。
裏表なく、こうして他人を心配する彼に心を開いてしまうのも無理は無い。 友人として良い関係を築き上げることが出来たら、きっと楽しい時を共有出来るに違いない。
「大丈夫。さっきも言っていたけど、悩んでなんかいないっす」 「本当か?」 「うん。でも一つ、言えるとしたら」 「なんだ」 「次の休日も俺に付き合って、テニスしてくれるっすか?」
リョーマの問いに真田は少し驚き、そして「勿論だ」と頷いた。
「お前がそう言ってくれるのなら、有り難い。 実は俺も、そのつもりだった」 「そうなんだ。良かった。 あ、でも俺の家のコートで打つのはやっぱり無しにしよ。 設備も整っていないから、その、満足に打てるとは思えないから」 誤魔化すように笑うリョーマに、 真田は真面目な顔で「何故そう思う?」と言った。
「お前はいつもそこで打っているのだろう?だったら問題は無いはずだ。 設備が整っていない?そんなのは関係ない。 テニスが好きだからこそ、コートを作ったのだろう。 そんな思い入れのある場所を他と比べて不満に思うことは有り得ん」 「真田さん……」 「あっ、いや、しかし自宅のコートだからご迷惑になることもあるだろう。 勿論、無理にとは言わない」
さっきまでは胸を張って言えていたのに、 急にしどろもどろになるのが可笑しくて、リョーマはまた笑った。
そして、 「じゃあ、次は必ず俺の家で」と約束する。
きっと真田となら、どこでテニスしても楽しいのだろう。 ふと、そんな風に思った。
チフネ

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