チフネの日記
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2010年03月11日(木) lost 悲劇編 11.越前リョーマ

‘彼女’との顔合わせは二度目になる。
記憶を取り戻したあの日i。
見知らぬ女の子に戸惑い、そして反発したことしか覚えていない。

あんたは一体誰なんだって。

千石から付き合っている恋人だと説明された時は嫌悪感でいっぱいになった。
そんなはずがない。
記憶が無いとはいえ、跡部を無視して他の誰かと付き合うなんてありえない、と。

しかし今は冷静になっている。
跡部との別れで、目が覚めたのかもしれない。
この二年の間、身に覚えはなくても色々なことがあったのだと。
目の前にいる彼女と付き合い、恋を育んでいた。
覚えていなくても、紛れも無い事実だ。
逃げるわけにはいかない。

だからこうして千石に取り次いでもらい、彼女と……香澄と話をする為に再び自宅を訪問した。
記憶を取り戻した日と同じ場所に再び来るとは思っていなかった。
あの頃とは自分の気持ちがまるで違っているが。

記憶が無かったことだからでは済まないと、跡部との別れで学んだ。

誠意を持って話しをしようと、リョーマは香澄に向き直る。

「あのさ……」
「ちょっと、待って」
リョーマが口を開いてすぐに、ストップを掛けられる。

「リョーマの話を聞く前に、私の話を聞いて欲しい。いいかな?」
「……わかった」

香澄の迫力に押されて、頷く。
彼女もまた何かしらの決意を秘めている。
目を見て、それがわかった。

「これをまず見てくれる?」
用意しておいたのだろう。
香澄は沢山のアルバムを机の上に広げた。

「私とリョーマの思い出。これが全部」
「……」

何冊もあるアルバムに、リョーマは手を伸ばした。
正直な所見たくないが、この二年にあった真実の出来事だ。

目を逸らすなと言い聞かせて、アルバムを捲って行く。
どれもこれもが自分と香澄の思い出ばかりが綴られていた。
知らない人が見たら、仲の良い恋人だと言うだろう。
リョーマの目から見ても写真に映ってる二人は幸せそうに見えた。

初めはぎこちないが、少しずつ親密になっていくのがわかる。
写真には千石もよく登場している。
知らない女の子も何人か映っているが、きっと千石の彼女だった人なのだろう。
そうして全ての写真に目を通してから、リョーマはアルバムを閉じた。

「全部、ちゃんと見たよ」
「何か、思い出さない!?」

切羽詰った声で言われても、期待するようなことは無い。
写真に自分が映っているのは認める。
けれど他人事のようにしか思えない。
一体どこで何をしているのか、まるで思い出せないのだから。

首を横に振ると、香澄は落胆したように肩を落とした。

「そっか、やっぱり無理なんだ。
リョーマはこの二年間を全部忘れちゃったんだね」
「……」

ごめん、とは言えなかった。

好きでこんな風になったわけではない。
記憶喪失にならなければ、彼女と付き合うことは無かった。
思い出したりしなければ、こんな辛い思いはしないで済んだ。
どうしようもない。
神様の悪戯がこの結果を招いただけだ。

「私ね、いつかこんな日が来るかもしれないって思っていたんだ」

急に香澄は明るい声を出した。
無理しているのはわかったが、リョーマは黙って耳を傾けた。

「リョーマと付き合い始めた時、今までの記憶を失ったって聞いていたんだ。
もしそれを思い出したら、私と付き合っているリョーマは居なくなっちゃんじゃないかって、ずっと不安だった。
だから写真に残そうと、いっぱい撮り続けていた。
これを見たら、忘れても思い出してくれるかもって。
でも、結局……駄目だったみたい」
香澄は力無く笑った。

その顔を見て、リョーマは瞬時に理解する。
彼女はもう全てを受け入れるつもりでいるんだ、と。
わかっていたのだ。
記憶が戻り、更にこの二年の間にあったことを全て忘れた自分が、彼女を選ぶわけがないと。
わかっていて、それでもと、この最後になるであろう話し合いに賭けていた。
もしかしたら気持ちが戻るかもしれないと、祈るような気持ちでいたに違いない。

けれど、現実はこんなにも残酷だ。
思い出の写真に目を通しても、リョーマの中にあったであろう彼女への気持ちは蘇ることはない。
全て、自分の所為だ。
覚えていないとはいえ、彼女を選んだのは自分だ。
目を逸らしてはいけない。
彼女の苦しみは自分が招いたことだと、リョーマは自分の心に刻んだ。

少しでも、早く解放しなければ。
香澄にしてやれることは、それしかない。
ここで同情して、もう一度付き合うなんて嘘を言ってもきっと喜ばない。
彼女も待っているのだ。

夢だったと、リョーマが断言して、現実に帰るその瞬間を―――。

「俺は、あんたともう一度付き合うことは出来ない」
きっぱりと告げると、香澄が目を潤ませるのが見えた。
それでも必死に泣くまいと耐えている。
「続けて……」
言われて、リョーマは先を続けた。
「さっきの写真を見て、俺とあんたがすごく幸せそうに過ごしていたのは伝わった。
もし俺の記憶が戻らなかったら、多分このまま付き合っていたと思う。
でも、それは叶わない。
今ここにいる俺は、12歳のときに戻ってしまったから。
振り出しに戻って、また最初から付き合えばいいって人もいるんだろうけど、それは出来ない。
だって、好きな人がいるから」

香澄は驚いたように顔を上げる。
彼女には正直に話そうと決めていた。
だからリョーマは本心を隠すことなく伝えた。

「もう振られているんだけど、忘れられないんだ。
だからあんたとは付き合えない。……ごめん」
「やだ、謝らないで。リョーマが悪いんじゃない。
きっとめぐり合わせが悪かったんだよ」

香澄は自分に言い聞かせるように言った。

「この二年、ずっと幸せだった。
リョーマと過ごした日々、忘れないよ。
今日はありがとうって、言いたかったんだ」
「……そっか」
「ねえ、もしかしてまたテニスを始めるの?」

不意にぶつけて来た質問に、リョーマは目を丸くした。
香澄は「そうなんでしょ」と笑う。

「私、リョーマと出掛けたり遊んだりしてすごく楽しかったけど、
やっぱりテニスをしている姿の方がしっくり来るってずっと思っていたんだ」
「でも俺は、テニスをしようとしなかったんだよね?」
「うん。色んな人から復帰するように言われて、すごく嫌がっていた。
だから私は何も言えなかったんだ。
告白した時も、自主練習しているリョーマを見て、ずっと好きだったって伝えたかったんだよ。
おかしいね。今になって言えるなんて」

そう言って香澄は目元をそっと拭った。
心から想いが溢れて来ているのだろう。
掛ける言葉が見付からず、リョーマは目を伏せていた。

誰かに真実を告げるのは、こんなに苦しいものだと知った。
跡部も、同じ気持ちだったんだろうか?

どうして自分は今更記憶を取り戻してしまったのだろう。
変わらないままだったら、誰も傷付かずに済んだのに。

「今日はわざわざ、ありがとうね」

これ以上は話をするのは無理、と香澄が言い出した為、
帰ることになった。
一人で泣きたいのだろう。
自分が居たら、思い切り泣けない。
だからリョーマは香澄の言葉に従うことにした。

玄関まで見送りに出た香澄に、
「俺の方こそ、色々ありがとう」と礼を言う。

二年間、こんな自分の側に居て楽しい時を過ごさせてくれた。
それは香澄のおかげでもあると心から思っている。

「あの、もう一つだけいいかな」
「何?」

迷いながらも、香澄は意を決したように口を開く。

「最近、リョーマに関して変な噂が流れてるみたい。
その、記憶を取り戻したのかって昨日クラスの子から確認のメールがあったんだ。
そんなに親しくない子だったから、返信はしなかったけど、なんでそんなこと知ってるのかって……。
でも今日もまた、別の子から問い合わせがあったの。
なんか変だと思わない?」
「……」

ふと、リョーマは千石と待ち合わせしたファーストフード店での出来事を思い出した。
青学の制服を着た見知らぬ生徒達が、こちらを妙な目で見ていた。
もしも、自分の噂していたとしたら……?
考え過ぎだろうか。


「だからもしかしたらリョーマの知らない所で色々嫌なことを言われているかもしrない。
そんなこと勿論否定するけど、知らない人は鵜呑みにする可能性があるから。
でも、気にしないで」
「わかった。教えてくれて助かった」

リョーマの言葉に、香澄はふっと笑う。

「私がその噂を流しているかもとは考えないんだ?
記憶を戻ったことを知っている人は限られているんでしょ?
一番怪しいのは、私じゃないの」
「まさか」
リョーマは即座に答えた。
「そんな相手だったとしたら、俺はあんたを選んだりしてないと思う。
覚えてなくても、わかるんだ。
あの写真の中の俺は、すごく幸せそうだった。
あんな顔をさせる位に好きだった相手が、そんなことするはずないって確信しているから」
「本当に、もう……」

再び香澄は目を潤ませる。

「折角諦めようとしているのに。
これ以上、好きになるようなこと言わないで」
「えっと」
「冗談に決まってるじゃない。バカ」

シャツを捉まれ、体を引き寄せられる。
同時に頬に香澄の柔らかい唇が触れた。

「さよなら、リョーマ」

耳元で囁かれ、そして肩に手を置いて突き放される。


「さよなら」

そのまま振り返らず、リョーマは香澄の家を出た。

一人で泣いているのだろう。
でも、慰めることは出来ない。

彼女の涙が早く止まるようにと、それだけを祈った。


チフネ