チフネの日記
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2010年03月10日(水) lost 悲劇編 10.跡部景吾

ずっとこのまま一緒にいられたら―――。

ささやかだけれど、それは跡部にとって最も重要な願いだった。

リョーマも同じように考えてくれたら、もっと嬉しい。

そう考えて、ある日何気なく探りを入れてみた。


『お前って、将来のこととか考えてるのか?』
『は?何、いきなり』
『いや、やっぱりプロ目指しているのかって気になっただけだ』

跡部の問いに、リョーマは首を小さく捻る。

『さあ。テニスを続けていたら、いずれそうなるかもしれないけどよくわからない』
『なんだ。てっきりもう具体的に考えているんじゃねえのか』
『まさか。先のことなんて、そんなの全然考えているわけない。
今は試合にさえ出れたら、それでいい』

本当に何も考えていないリョーマの言い方に、らしいと思ったが、がっかりもする。

二人の将来も考えていないのか、と肩を落とす。


そんな跡部の様子に気付くことなく、
『あんたは?』と問い掛けて来る。
『俺か?』
『うん。なんか考えてんの?』

黒い大きな目が、じっと跡部を捕らえる。
誤魔化すのは簡単だが、リョーマには正直でありたい。
だから素直に話すことにした。

『多分、俺は家を継ぐことになる』
『うん』
『……お前みたいにプロを目指すことはしない。
多分、テニスも高等部に進学したら止めることになる』

途端にリョーマの表情は曇らせた。

『どうした?』
『あんたがテニス止めるなんて、言うから』
『それはしょうがねえだろ。テニス続けるのも今だけって約束させられて』
『しょうがない?跡部さんにとって、その程度のものだったんだ』

怒っているのはすぐにわかった。
けれどその時の跡部には、どうしてという気持ちの方が大きかった。
リョーマも当然わかってくれているものだと思っていた。
これだけの大きな家を見て、将来も自由に振舞えるものだとそんな風に考えられるはずがない。

それに、プロになれるまでの才能もない。

だから家を飛び出せない。
世界一を目指せるような、そんな力を持っていたら。
一人で生きて行くと、啖呵を切っていたかもしれない。
出来ないのは、そこまでの選手じゃないと気付いているからだ。

そう思って黙る跡部に、リョーマは体を乗り出して『聞いてんの?』と詰め寄る。

『テニスするの、好きなんでしょ。見ていてわかるよ。
跡部さんはテニスを止めることなんて考えたりしない』
『いや、だから現実問題としてだな』
『なんでしょうがない、なんて諦めたように言えるのかわかんない。
あんなにテニスが好きで好きでしょうがなくて、しかも強いのに。
本当は続けたいんでしょ。
なのに周囲のこと考えて、止めようって考えて。
跡部さんらしくないよ』
『……』


簡単に言えるリョーマが、羨ましくさえ思えた。

(こいつには迷いとか、無いのかよ)

無いんだろうなあ、と苦笑する。

父親を追い掛けていたとはいえ、知らずテニスを好きになって、
毎日のように練習して、生まれ持っての才能が開花して、上達して。
今も高みに昇ろうとしている。
しかも無意識の内に。

自分は特別な存在だと勘違いしていた時もあったが、
越前リョーマこそが選ばれた‘特別’なやつなんだと思い知らされる。

反則だろ、こんなの、と跡部は内心で呟く。

だからきっとリョーマにはわからない。

もう限度が見えた自分と、今も成長を続けるリョーマと。
今この瞬間にもはっきりとした差があるというのに、
全くわかっていないリョーマの言葉は残酷で、それでいて心地良いものだった。

『お前が、俺のこと強いって認めてるのなら……まだ捨てたもんじゃねえな』
『はあ?何言ってんの。いつも自信持ってるあんたらしくもない。
どこかで頭でもぶつけた?』
『ひでえな、その言い方。
全部本当のことを話してるって言うのに』
『だって俺の評価なんてどうでもいいことでしょ。
いつも自分が一番って顔してるくせに、今日はなんか変だよ』


どうでもいいことじゃない。
これだけの才能を持つリョーマが認めてくれている。
過大評価だとしても、嬉しい言葉だった。

それに自信あるように振舞っているのは、ただの虚勢だ。
氷帝を背負っている以上、弱い所は見せられない。
パフォーマンスに過ぎないと、自分でもよくわかっていた。

『なあ、リョーマ』
『何?』


リョーマの両手をぎゅっと握ると、不思議そうに見詰めて来る。

『テニスを続けるなんて言ったら、絶対反対される。妨害もされるだろう。
けどお前が側に居てくれたら、きっと乗り越えられる気がする。
だから一緒に居てくれるか?』

質問に、リョーマは跡部の手を握り返すことで答える。

『そんな当たり前のこと、聞く必要無いのに。
俺はあんたのことを選んだ。
これからも一緒にいるよ』
『そっか。なら、大丈夫だな』
『うん』

テニスを続けると言ったことで、リョーマは嬉しそうに笑っている。

しかしリョーマのように自分はプロにはなれないだろうな、と跡部は思った。

その前に壁にぶち当たって、苦しんで結局テニスの道から去って行く。
そんな将来が見えるようだったけれど。

リョーマが側に居続けてくれるのなら、どんなにみっともなくても乗り越えて、受け入れていくことが出来けそうだ。

その時が来ても、今みたいに手を握って『一緒にいる』と言ってくれるはず。


だからもう少しだけ、あの四角いコートの中で同じ夢を見たいと思った。

例え無謀で、叶わないものだとしても。














(最悪だ……)


目を覚まして、跡部は大きく息を吐いた。

さっきまで見ていた夢は、よりによってリョーマとの過去の出来事だった。

封印したはずの日を思い出したのは、この前リョーマと会ったからだろうか。

しかし今のリョーマの姿じゃなく、あの頃のまだ背も小さかった彼が夢に出て来る方が、
跡部にとってダメージが高い。

幸せだった頃を思い出して、結局一緒にいられないこの現実に打ちのめされそうになるからだ。

(今の俺は前を向いて生きて行く。そう、決めたじゃねえか)


着替えを終えて、用意された朝食を取る。

今日も部活があるから、もたもたしていられない。
二年生の部長というだけで、反感を買っている。遅刻なんて論外だ。
中等部の時とは違う。
やりたいようにやって、ねじ伏せる方法ではいつかしっぺ返しを食う。
人の上に立つにはどうするのが一番か、きちんと考えるようになっていた。

学校へ行く前にいくつかの携帯をチェックすると、
彼女からのメールが入っていた。

内容は今日、会えないかということだった。
特に用事があるわけではないが、時間が空いていたらという控え目なメッセージだったが、
跡部は何故かそれを疎ましく思えた。

そしてそんな風に思う自分に、驚く。

今まで、一度として彼女のことをそんな風に思ったことはない。

親に紹介された相手とはいえ、誠実に接していた。
リョーマとの吹っ切る切っ掛けが欲しかったのは事実だが、
純粋に慕ってくれる彼女の愛情に救われていた気にさえなっていたのに。

余裕が無いのだろうか、と跡部は考えた。
リョーマとの出来事は、自分の中でも消化し切れない大きな出来事だ。
いきなり記憶が戻った彼と会話したことで、彼女のことまで思いやれる余裕が無くなっている。
ただ、それだけだ。

時間が経てば、きっと元通りの自分に落ち着く。

そう思って、今日も練習が長引いて忙しい為、無理だというメールを送る。
必ず時間を作るから、こっちから連絡するの一文も入れておいた。

こうすれば彼女は気を使って、しばらく連絡を控えようと気を使ってくれるに違いない。

そんな風に考える自分に罪悪感を抱きながらも、
しばらく顔を合わせることが無くなると思うとどこかホッとしている。

(疲れているんだよな、やっぱり……)

過去のことを夢にまで見てしまう程だ。
そんなに簡単に割り切れるものじゃない。

だけどもう忘れなければ、と今日も言い聞かせて学校へと向かった。












「おー、跡部。今日も早いな」
「まあな」

学校へ到着すると、忍足が声を掛けて来た。
忍足も練習熱心なやつで、登校する時間は早い。
医者を目指していると以前に聞いていたので、てっきり高等部ではテニスは止めるのかと考えていたが、
意外にもまだ続けている。
学業でもそれなりに上位の成績で、立派に両立させているようだ。
だから家族も文句は言わないらしい。


(俺と似たような立場だな……)

進学と同時に、テニスは捨てるつもりでいた。
けれど、結局止めることは出来なかった。
もうリョーマとは別れていたけれど、テニスを失ったら本当に最後の望みさえ消えてしまいそうで、
ただの未練から入部を決めた。
リョーマ本人はラケットを投げ出したというのに、何故コートに立っているか、跡部にもわからなかった。

当然、家族には反対された。
けれど部活範囲内だけでやるということ、そしてある程度の成績を残すことは将来有利に繋がることにもなると説得すると、渋々という形で認めてくれた。

それから彼女の家族を紹介されて。
あちらの両親は跡部がテニスで好成績を収めていることを知っていて、その事をとても気に入ってくれた。
どうやら彼女の父も一時期は熱心にテニスをしていた時期があったらしい。
頑張れ、と笑顔で言われた時はどう返したら良いかわからず、曖昧に誤魔化した。

それを知ると、跡部の家族は手の平を返したように部活動することを応援するようになった。


未練からテニスをしていただけなのに、皮肉なものだとその時は笑いたくなった。

(理由はそれだけじゃない。あいつへの当て付けもあったからな……)

記憶を失くしたリョーマがテニスをしないと宣言した時、
本気で殴ってやろうと思った。

自分がどれだけ恵まれた才能を持っているか、こいつはまるでわかっていない。
例え記憶が無くったって、『越前リョーマ』には変わりない。
その眠っている才能を捨てるなんて、何を考えているんだと憤慨した。
望んでも多くの人間は高みへと行けない。
だがリョーマは違う。
努力さえ続けていれば、必ずその先に到達出来る。そんな才能を持っているのだ。

なのに、記憶を失くしたリョーマは振り返ることなくコートから去って行った。

そんな彼に対する当て付けの意味も込めて、跡部はここに残った。

本当なら部長になる資格すら無いはずだ。
しかし実力を認めたことでの判断だと、前部長と顧問に説得されて結局引き受けた。

リョーマがテニスを止めて、手塚を含む当時のライバル達が何人かが留学したから、
インターハイでも当たり前のように勝てるようになっただけだ。
決して、自分の実力が認められたじゃない。
本物の才能というものをわかっている分、勝利を手にしても虚しさが残った。
勿論、部長という立場上、悟られないようにはしている。

でも今の自分がテニスを好きかどうか聞かれたら、きっと迷うだろう。
中等部の頃は、そんなの考えもしない程夢中になっていたのに。


「なんや、顔色悪いな。朝食抜いたんか?」

ストレッチしつつ、忍足がそんな質問をぶつけて来る。

「馬鹿言え。ちゃんと食べて来た」
「なら、悩み事か?まさか越前絡みとか言うなよ」
「な、なんで越前の名前がそこで出て来るんだ」

動揺しつつ言うと、忍足は少し眉を顰める。
そして動きを止め、跡部の側にそっと近付く。

「ジローがあれだけ騒いでいたからな。
越前と会って心が揺れたりせんか、俺も心配するわ。
まさかよりを戻そうなんて」
「考えてねえよ」

強く否定すると、「なら、ええけどな」と忍足は肩を竦めた。


「今のお前には大事な恋人もおるからな。
余計な揉め事は起こすなよ。
何よりジローがあれだけ拒絶反応起こしとるんや。
刺激しないほうがええで」
「わかってる」

頷くと、忍足は「頼むで」と肩をぽんと叩きストレッチへと戻る。


ジローにも困ったものだ。
きっといらないことをあちこちで騒いでいるに違いない。

跡部は大きく息を吐いた。

最もその原因を作ったのは、他でもなく自分だ。
宥める為にも、リョーマとのことは一切口にしない方がいい。


(よりを戻す気なんて、ねえよ……)

そうする為にも、ちゃんと会ってけりを付けた。

リョーマも納得していたはずだ。
いずれ気持ちに折り合いを付けて、歩き出す。
そうした強い精神を持ち合わせている。
越前リョーマとはそういうやつだ。

だから、もう悩むべきことは無いはずなのに。


未だに過去に縛られているような気がするのは、どうしてだろう。


考えるな、と気持ちを切り替える為、
部長の顔を作って、集まり始めている部員の顔を見渡した。


チフネ