チフネの日記
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| 2010年03月09日(火) |
lost 悲劇編 9.越前リョーマ |
その日の夕方。 リョーマは千石と会う為、外出をした。 どこにでもある普通のファーストフードで会う約束になっている。
母は仕事で不在。南次郎もどこに行っているかわからないが、多分すぐには帰って来ないだろう。 従姉は今日はテニスサークルがあるので遅くなる。 ちょっとの間だから大丈夫だろうと、メモを残さず鍵を掛けて家を出た。
(夕方になっても暑いなあ)
少し走っただけで額に汗が滲んで来る。 2年前もこんなに暑かったっけ、と思いながら急ぐ。 もっと早く家を出るつもりだったが、少しうたたねした所為で遅くなった。 急がなければ、待ち合わせの時間が過ぎてしまう。
’今度、越前君の都合の良い時で構わないから会わない?’
お昼ご飯を食べている最中に、千石からのメールが入った。
多分、彼女とのことでいつ会えそうか聞きたいのだろう。 迷うことなくリョーマは、‘今日でもいいよ’と返事をした。
遅くなればなる程、その香澄という彼女を傷付けていくのはわかっている。 きちんと向き合って話をしようという決心はついた。 だから千石からの申し出は有り難いものだった。
’じゃあ、夕方はどうかな?’
千石の返事に、すぐにいいよとメールを打つ。 リョーマの家に迎えに行こうか?と気を使ってくれたが、それは断った。 いい加減、一人で行動出来るようにならないと苦労するだけだ。 たしかに二年前と違う町並みに驚くこともあるが、その位はどうってことはない。
千石が指定したのは2駅ほど先のファーストフードだ。 わかりやすい場所にある為、すぐに見付かった。
中に入ると、「越前君っ」と名前を呼ばれる。 「良かった。迷わず来られたんだね」 「千石さん……」
やっぱり未だに髪を黒くした千石には慣れない。 二年前のオレンジ色が印象的過ぎたからだろうか。 黒髪の千石を見ると、まるで別人のように映る。
「ん?どうかした?」 「いや、それより注文はもうしたんすか?」 「ああ。ちょっと早く着いたからね。飲み物とポテトだけ」 「すみません……」 「謝らなくてもいいよ。ちゃんと来てくれたんだから。 それより越前君もなんか食べる?」 「あ、夕飯すぐなんで飲み物だけ買って来るっす」 「そう。じゃ、俺あっちで座っているから。奥の方に席取っておいたんだ」 「っす」
急いでレジに向かい、炭酸飲料を注文する。 夏休みの部活帰りなのだろうか。店内には制服を着た学生達が大勢いる。 見知った顔は無いが、自分が気付かないだけかもと思い、目を逸らす。 二年前も人の顔はあやふやなのに、わかるわけがない。
飲み物を持って千石の所に行くと、「どうかした?」と首を傾げられる。
「暗い表情してるけど、なんかあった?」 「無いけど……」 真正面に座ると、「うん、でも血色は良さそうかな?」とじろじろ見られる。
「ご飯、ちゃんと食べているみたいだね」 「あー、うん。母さんがうるさくって……」
記憶が戻ってから、実際かなり気を使われている。 料理はあまり得意な方では無い母は、それでもリョーマの為にと仕事から帰ったらせっせと食事作りに励んでいるのだ。 そんな母を見て、とても残せる状況ではなく全て平らげている。 時々、しょっぱかったり、味が微妙だったりしても黙って食べた。 ちょっと焦げた魚や、上手く揚がらず、油がべったりした唐揚げを見ても、 母なりの愛情だと気付かされる。
記憶が戻ったことで、結局より一層心配させてしまっている。 だけど息子を元気付けようと頑張っている母に、感謝してもし切れない。
リョーマが前を向こうと思ったのも、これ以上家族に心配させないという理由が含まれていた。
「そっか。よく食べて、よく寝る。大事なことだからね」
頷いている千石に、「それで、今日連絡して来たことなんですけど」と話し掛ける。
「よく考えたんだけど、やっぱりその、香澄さんと直接会って話ししようと思ってるんだけど」 「え……いいの?」 「はい。千石さんの言う通り、逃げるの止めます」
考えが変わったのは、跡部と会ったからだ。 もう二年前に終わったことなのに、跡部はきちんと会いに来てくれた。 無視し続ける選択肢もあったはずだ。 けれど彼はちゃんと顔を見て全てを話してくれた。
だからこそ、自分だけが逃げ回っているわけにもいかない。 跡部がそうしてくれたように、ちゃんと彼女の顔を見て今の気持ちを伝えようと思った。
「そっか」 千石は安心したように頷く。 「それで、千石さんに頼みがあるんだけど」 「何?俺で出来ることなら手助けするよ」 「その、香澄さんって人に連絡取ってもらえないかな。さすがに自分からは、どう言ったらいいのか、わからなくって」
上手く言えないかもしれない、とリョーマが頭を掻くと、 千石は「任せといて」と軽く胸を叩く。
「お安い御用だよ。じゃあ、越前君と香澄ちゃんの都合の良い日で、ってことでいい?」 「はい。俺の方はいつでも構わないんで」 「OK。そう伝えておくね」 「何から何まで、ありがとうございます」
軽く頭を下げると、「やだなあ。止めてよそういうの!」と千石は明るい声を出した。
「元々、俺が勝手なお節介焼いて、首突っ込んでいるようなもんだけだし? 越前君が気にすること無いよー」 「でも……」 「うん、でも香澄ちゃんと会う気になってくれて嬉しいよ。 なんか、心境の変化でもあったの?」
千石の質問に、一瞬言葉が詰まった。 けれど、この人にはちゃんと言おうとリョーマは姿勢を正す。 記憶を失くし、またそれが戻ってもこんな風に親しく接してくれるのは彼だけだ。 友人だった期間を覚えていないと言っても、傷付くことなく世話を焼いてくれようとする。 千石になら、何でも言える気がした。
「うん。実は跡部さんと会ったんだ」 「ええっ!?」 少し大きな声を上げた所為で、こちらに注目が集まる。 千石は慌てて口を塞いで、「それって、いつ?」と声を潜めて言った。
「昨日、だけど」 「えっ、じゃあ俺が氷帝に行ってすぐってことじゃんか」 「氷帝に?」
何の為に、とリョーマが首を傾げると、 千石は気まずそうに目を逸らした。
「いやあ。跡部君にちょっとお願いしに……」 「ひょっとして、俺と会うようにって言ってくれたんすか?」 「ごめん!勝手なことして。でも越前君が会いたがっているのは、やっぱり跡部君しかいないと思ったから。 会ってくれたらいいなあと思って、行動したんだけど迷惑だった?」
恐る恐る尋ねる千石に、リョーマは首を振った。 迷惑なんてとんでもない。 跡部の家に伝言をお願いしただけで、電話を掛けて来るなんて変だと思った。 悪戯か間違いだと思って、無視されてたかもしれない。 きっと千石の言葉に動かされて、こちらに連絡を取って来たのだろう。
「ううん。おかげで会えたから。千石さんには本当に感謝してる」 「や、止めてよ、それー。越前君は、もっとこう、勝手なことすんなって低い声で叱るようでなくちゃ」 「何すか、それ」 「いや、照れ隠しだって」
笑顔の千石に、つられてリョーマもくすっと笑う。
記憶を取り戻してから、久し振りに笑った。 ずっと暗い気持ちの中にいたけれど、千石の明るい空気のおかげで少し楽になれた。
なんとなく、記憶を失くした自分が千石と友達になったのも理解出来た。 皆が皆、テニスしろと押し付ける中、千石のどこ吹く風のような雰囲気に救われていたのだろう。 さっきだって、跡部とどんな話をしたかとは聞いてはこない。察しているが、何も言わず黙っている。 そんな気遣いに、ありがたいなと素直に思う。
「あのさ、千石さん」 「ん?何?」 「千石さんとはこの二年間友達だったって言うけど、俺はその間のことを忘れちゃったよ」 「うん。そうだね」 「でもさ、また友達になりたいと思う。今度は忘れないように」 「越前君?何、どうしたの急に」 「記憶が戻っただけだって、平気な振りしてたけど結構心細かったりもしたんだ。 テニスも辞めちゃって、跡部さんとも別れたりしてて。 でも、千石さんが今も友達だって言ってくれてさ、嬉しかったんだ。 忘れちゃったから、関係ないって見放されても仕方なかったのに」 「越前君……」 「だから、ありがと。そして出来れば、これからも友達でいたい」
リョーマの言葉に、千石は「勿論だよ」と右手を差し出す。 自分より少し大きい手を握り、お互い軽く握手をする。
これからも友達、という意味を込めて。
「香澄ちゃんのことも含めてさ、何かあったら相談に乗るからね。 一人で考え込んじゃ駄目だよ」 「うん。わかった」
千石が友達で良かったな、とリョーマは思った。 誰か一人でもこうして言ってくれるのは、有り難いものだ。
「それじゃ、またメールするから……」
不意に千石は口を閉じ、じっと後方を見据える。 「千石さん?」 「いや、なんかさっきから視線を感じていて変だと思ったんだけど。 越前君の知り合いかな?」 「えっ?」
慌ててリョーマが振り向くと、青学の制服を着ている男子生徒が数人、 こちらを見てひそひそと話しをしているのが見えた。
リョーマが振り返ったことで、彼らは驚き、バタバタと店の外へと出て行く。
「なんだろ、あれ。やっぱり知り合いだった?」 「ううん。わかんない」
とりあえず見覚えのある顔では無かった。 しかし記憶が戻る前の顔見知りか、クラスメイトという可能性はある。
「なんか、嫌な感じだったなあ」
ストローを齧る千石に、リョーマは同感だとばかりに頷く。
あれは知り合いに対する態度というより、 嫌いな者を見たような目線だった。
チフネ

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