チフネの日記
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2010年03月08日(月) lost 悲劇編 8.越前リョーマ/跡部景吾

跡部が去った後も、リョーマはしばらく動けずにいた。

覚悟はしていたはずだ。

だけど跡部本人から別れた事実を口に出されることが、
こんなに辛いものだと思わなかった。

リョーマの心境を察してか、カルピンは先程から離れず、慰めるように寄り添ってくれている。

片手で長い毛を撫でながら、もう一方の手で瞳に溜まった涙を拭う。

跡部が部屋を出て行くまで、我慢出来て良かった。
泣いても、彼が困ってしまうだけだ。

跡部にはもう彼女がいるのだ。
優しくする相手は、自分じゃない。
涙なんか見せて、罪悪感に駆られた跡部に手を差し伸べられても、嬉しくない。

もう、いい加減認めなくてはいけない。

自分と跡部は、あの夏の時間を生きているのでは無いのだ。
2年後の、分かれた道にお互い立っている。
その間は決して埋めることが出来ないほど離れていて、引き返すことも出来ない。

(今日限り、跡部さんのことは忘れよう)

その方がお互いの為だ。

元々、勝手に記憶喪失になって跡部のことを忘れた自分が悪い。
見切りを付けて、跡部が彼女を作ったって責めることは出来ない。


(けど、せめてちゃんとした終わりを迎えたかったな……)

例えばどちらかが心変わりしたり、相手のことを嫌になったり。
そんな単純な理由でも構わない。
だけど記憶を失くしている間に、終わっていた……なんて中途半端な形を迎えたことが残念だ。

(もう、何を考えても遅いけど)

今日が最後だと思って、リョーマは静かに泣いた。

カルピンは決して離れることなく、眠る時までずっと側から離れなかった。












泣いていてもどうしようもない。

跡部とのことは残念な結果で終わったが、まだ自分にはやりたいことが残っている。


「あら。リョーマ、今日は早いのね。夏休みなんだから、ゆっくり休んでていいのに」

階下に降りると、もう起きていた母親に声を掛けられる。
記憶を取り戻してから、母は過敏なほどこちらの動向を気にしている。
無理も無いことか、とリョーマは思った。
またいつ記憶がどうなるかわからないと、疑っているのだろう。
親として心配するのは当たり前だ。

安心させる為に、リョーマはこれからの行動を口に出した。

「うん。ちょっと走って来ようと思って」
「走る、って」
「体力作りの為にだよ。すぐに沢山走ることは出来ないから、今日は1時間も掛からないと思う」
「そう、なの」
「うん。だからご飯用意しておいて。じゃ、行って来る」

少し不安そうな顔をしているが、その位ならと母は口を出して来ることはしなかった。
あれこれ制限してうるさく思われるのを避けているのか。

心配させないよう行動しよう、と思いながらリョーマは軽く走り始める。




幸いなことに、この体は太ってるわけではない。
自分と付き合っている彼女の為に、体系を維持していたのだろうかと自虐的な考えが浮かぶ。

(テニスはやっていないようだけど、筋トレはしていたみたいだからな……)

無駄な肉がついていないことにホッとする。
スポーツを止めたらファーストフードの食べ過ぎで、メタボ一直線だ。
もし鏡に映った自分がそんな姿だったら、泣くに泣けない。

とはいえ、2年のブランクは大きい。
テニスを離れたこの時間を取り戻すのに、どれ位掛かるのか。

努力しても、無駄かもしれない。
試合に出るレベルどころか、ボールコントロールさえ怪しい。
以前のようには、決して戻れないだろう。

だけど、諦めたくは無かった。

跡部のことは、仕方無い。
最後に会いに来てくれただけでも良かったと、忘れることにした。

でも、テニスは。
せめてテニスだけは続けたいと思った。

だからこうして少しずつでも体を動かそうと考えている。

(焦らったら駄目だ。体が動かなくても、無理はしない。
でもテニスを続けることは諦めない)

どんなに辛くても、続けていこう。
報われなくてもいい。

何も知らない間に諦めるのは、沢山だ。
そんな思いをするのは跡部との恋だけで充分。

テニスだけは、自分の好きなようにやらせてもらう。
みっともないと言われても、足掻き続けてやる。


(それにしても、息切れるの、早っ……!)

20分ほど走ったところで、リョーマは走るのを止め歩くことにする。

思った以上に、持久力が落ちている。
これは最初から鍛え直す必要がありそうだ。

けど焦らない、とスローダウンして足を進め続けた。






















リョーマと別れた後、跡部は暗い気分を引き摺ったまま家へと帰った。

どこかに寄る気にもならない。
彼女との約束が無くて本当に良かったと思う。
酷い顔をしてたと思うから、心配させてしまう。

その夜掛かって来た電話も、取る気になれなかった。
声の調子で何か悟られたら、と思うと怖かった。

別に、寄りを戻したわけでもない。
リョーマに触れたりもしていない。

だけど、どこか後ろめたい気持ちがある。


彼女は、リョーマと付き合っていた過去を知らない。
これからもきっと話すことは無いだろう。

男と付き合っていた、それだけが理由ではない。

リョーマとのことを冷静に話せる自信が無いからだ。

―――胸を掻き毟るほどの、激しい気持ち。

きっとあんなに誰かを好きになることは無い。

彼女のことは、勿論好きだ。
一緒にいると安らぐ。
親も賛成してくれる相手だから、誰にでも堂々と紹介出来る。

純粋で人を疑うことを知らなくて、決して裏切ることは無いだろう。
だからこそ、跡部にとって必要な人だ。

彼女を裏切るような真似はしたくない。


だけど。

あんな顔をしたリョーマを、放っておいて良かったのか。

ずっとそればかりを考えてしまう。

12歳のリョーマには何も罪は無い。

記憶を失った時、たしかに拒絶された。
それに絶望して、彼の言葉通り二度と顔を合わすことはしなかったけれど。

記憶喪失前のリョーマは、その時のやり取りを何も知らない。
なのに「俺達は別れたんだ」と、そんな説明だけで終わらせて。

少し大人びたその顔は青褪めて、だけど文句一つ言わずこちらの言葉を受け入れていた。

耐え忍ぶその姿に、心が痛んだ。
いつも強気で、生意気な彼をこんな顔させているのは自分だと。

それでもここには決着をつけに来ただけだと言い聞かせて、
リョーマを一人残して部屋を出たのだ。

だけど、一日経過してもあれで良かったのかと悩んでいる。

どうしようもない位、自分は後ろ向きな奴だと跡部は自嘲した。



「おっはよー。跡部!」
「ジロー……」

朝から厄介な奴に見付かった、と跡部は顔を背けた。
が、直ぐにジローは探るように覗き込んで来る。

「なんか顔色悪いよ?どうしたの」
「いや、別に何も」
「まさかあいつと会おうなんて、考えてたりしてないよね?」

一瞬で、ジローの声色が変わる。
冷たく、鋭いものだ。
あいつ呼ばわりしても、それが誰だかわかる。リョーマのことだ。
ジローは名前すら呼びたくないと考えいているようだった。


「考えてねえよ。もうその話は止めろ」
「ふーん。なら、いいけど」

じっと観察するように見られて、跡部は内心で冷や汗をかく。
もし会ったと知られたら、どんなに責められるか。
終わったことだと言っても、きっと聞いてくれないだろうなと思う。

「いい?でも、もしあっちから会いたいって言っても、無視するんだよ。
跡部が断れないと言うのなら、俺が断ってやるよ!」
「わかった、わかった……」

両手で制しても、ジローは興奮したように声を上げている。
困ったものだ。


「おーっす。お前ら、朝から何やってんだよ」
「元気やなあ。今日も気温上がる言うとるのに、ジローはなんでそないに元気なんや」

途中で会ったのか向日と忍足が一緒にこちらに向かって歩いて来る。
ジローはくるっと振り返り、「おはよー」と返事した。

「だって、聞いてよ!あいつ、また跡部にちょっかい掛けようとしてるんだよ!」
「あいつって?」
「おい、ジロー……」

何を勝手に、と止めようとしたが、
それより先にジローは口に出してしまう。

「越前だよっ!記憶が戻ったからって、跡部に会って欲しいなんて言うのは間違っていると思わない!?」
「え、記憶が戻ったって、どういうことだよ!」
「いつからや。跡部、ほんまなんか?」

向日と忍足が驚いたように騒ぎ始める。
二年前のチームメイト達は多少事情を知っている。
だからと言って、ばらして良いものではない。
どうして、とジローを見るが、跡部の視線に気付かず、更にその先まで話してしまう。

「本当だよ。なんでかは知らないけど、記憶が戻ったって千石が言っていたの聞いたもん」
「千石が?ふーん。あの二人、まだ繋がりがあったんか」
忍足が、納得したように頷く。
「で、跡部に会いたいって?そりゃ、ちょっとムシが良すぎるんじゃね?」
「でしょ?岳人もそう思うよね!」

二人が盛り上がったところで、跡部はこれ以上はまずいと判断して釘を刺す。

「おい。お前ら、いい加減にしろよ。
俺は会うつもりは無えんだ。これ以上、関係ないやつのことで騒ぐな」
「なんで?記憶が戻ったのは事実なんでしょ」

庇うのか?というように、ジローはこちらを見る。

「その内、噂になって広まるんじゃないの。
そうなる前に、忍足や岳人とかには一言言っておいてもいいと思うけど」
「……そうかもしれねえが」

お前が言うことじゃないだろ、という言葉を飲み込む。

ジローをこんな風にさせてしまったのは、自分に原因がある。

あの頃、リョーマに拒絶されたのが辛くて、ほとんど悪口みたいな風に話していた。
ジローはそれを真に受けて、同情して慰めてくれていた。

あの言葉を真実だと、ジローは思い込んでいる。

けれど……。


「忍足達もさあ、千石かあいつがこの辺りをうろうろしているの見たら、
迷惑だって言ってやってよ。跡部は会う気無いんだって」
「そうだな。ハッキリ言わないと、わからないだろうからなー」

ジローに同調するように、向日もそう言いながら二人は部室へと歩き出す。

忍足だけが何か聞きたそうな顔をしてこちらを向いたが、すぐに二人を追い掛けて行く。


残された跡部は、ジローの誤解を解くべきかどうか迷って立ち尽くしていた。


あまりにも情けない過去の自分の行動。
それによって何もかも、駄目になってしまった。
あの日の出来事を、詳しく語ったわけではない。
傷付いている自分の都合良いよう、リョーマに拒絶されたとだけしか言っていない。




(俺は、ジローに全てを話したわけじゃない)


チフネ