チフネの日記
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| 2010年03月07日(日) |
lost 悲劇編 7.跡部景吾 |
リョーマの心が12歳のままと聞いて、じっとしていられるはずが無かった。
千石が嘘を言っている可能性もあるので、まず確かめる必要がある。
使用人に探らすのは簡単だが、リョーマのことに関して人の手は借りたくない。 だから跡部は直接問い合わせる方法を取った。
二年前、付き合っていた頃に聞いていた越前家の自宅の番号。 そこに電話を掛けて、まずリョーマ自身に会えないかと言うつもりでいた。
さすがに番号を押す時は、指が震える。
もう二度と掛けることは無いと思っていた。 しかしそれでもリョーマに関する全ての情報を捨ててしまわなかったのは、 いつかまた……とどこかで期待していたからだろうか。
いや、違うと跡部は首を振った。 そんな甘い考えは、リョーマとの決定的な別れで砕け散った。 これは恋人の思い出をいつまでも捨てられない、そんな女々しい自分の心の残骸みたいなものだ。
それが今、役に立って良かったと乾いた笑いを浮かべる。
一度だけだ。 リョーマに会うのは今回限りと言い聞かせて、最後まで番号を押す。
受話器を取るまでのたったの数秒が長く感じられる。
相手が出たら最初に、何を言おうか。 リョーマ本人ではないかもしれない。 家族だったら挨拶から、と考えながらどんどん混乱していく。
「はい、越前です」
心音が限界じゃないかと思うほど速くなったのと同時に、 誰かが電話口に出た。
少し低い声だ。 だが、跡部はその声の持ち主に気付いた。
昔のような子供っぽさは無い。 けれど、どうしてかリョーマに間違いないと直感した。
「越前、か?」
跡部がそう言うと、向こう側で息を呑む気配がした。
「俺だ。……久し振りだな」 「うん……」 「この前、家に来たんだってな。俺が留守にしていたから、会えなかったが」 「ううん。突然行ったりして、ごめん」
リョーマの遠慮するような物の言い方に、きゅっと胸が締め付けられるようだ。 前は絶対こんな風に言ったりしなかった。 記憶が戻ったことで相当参っていると伺わせる声に、悲しくなってくる。
それでも跡部は自分のやるべきことのみを考えようと、 振り切るように先を続ける。
「いや。それより、近々会えないか?」 「え?」 「俺も、ちゃんとお前と話がしたいと思っている」
期待させないように、素っ気無い言い方をしたつもりだ。 それが伝わったのか、リョーマは「わかった……」と暗い声を出す。
「俺の方はいつでも暇だから、そっちの都合の良い日でいいよ」 「そうか。じゃあ、明日の夕方はどうだ?」 「うん、大丈夫。どこかで待ち合わせする?」
少し考えて、跡部は「いや、迎えに行く」と答えた。 失った記憶を取り戻したリョーマは、今の風景に慣れていないこともあるだろう。 たった二年とはいえ、街並みも変わっている。 一人で歩かせるのは、やはり心配だ。
跡部の提案に、「だったら、俺の家で話をする?」とリョーマは言った。 「いや、しかし……」 「明日は母さんも親父もいないみたいだから、邪魔は入らないっすよ。 どこかに移動するのも面倒でしょ。何も無いけど、話する位なら出来るから」
反対する理由も無かったので、跡部は「わかった」と答えた。
「じゃあ、明日5時過ぎにはそちらに行く」 「うん、待ってる」
そこで電話をお互いに切った。
5分も掛からない短い会話だったが、どっと疲れた。
電話でこれだから、明日会ったらどうなるのか。 あまり考えたくも無い。
翌日、跡部は部活に出た時、普段と態度を変えないよう注意を払った。 特にジローを警戒し、なるべく近寄らないようにしていた。 最もジローは今大会ではレギュラーにならなかったので、練習メニューが被ることが無い。 意識的に避ければ、ほとんど顔を合わすことはない。
ジローに知られたら、間違いなくリョーマと会うことを阻止される。 それだけは避けたいところだ。
(今日一日だけだ。もう会うことはしないから……)
おそらく最後になるであろうリョーマとの約束を守りたい。
ジローとの接触をこそこそ避けて、その日の練習をやり過ごす。
帰りも、うっかり忍足や向日に声を掛けられないよう、急いで学校を出た。
車に乗って、懐かしい越前家へと向かう。 二年前はよく行き来していた道だ。 なんとなく覚えているものだと、跡部は苦笑する。
リョーマはよく寝坊する為、約束した日は直接起こしに迎えに行ったものだ。 パジャマ姿で出て来た彼は、いつもの生意気そうな顔ではなく、少し申し訳なさそうにしていて。 とても可愛かったと、記憶している。
けれど、それも全部過去のことだ。 もうあの頃の二人のままじゃない。 例えリョーマの心が12歳のままで止まっていたとしても、 こちらの時間は二年分流れている。
会ったとしても何も変わらない、と跡部は小さく呟いた。
どれ位の話し合いになるかわからない為、跡部は運転手に余所で待つように伝えて車を降りた。
家の前に立ち、インターフォンを押そうと指を伸ばす。 が、それより前に玄関から出てきた人影に気付き、跡部は顔を上げた。
「越前……」
こちらを見ているリョーマの顔に、言葉を失くす。
見ない間に身長はかなり伸びた。 当時の自分よりは低いが、それでも十分な成長だろう。 顔つきも、ずいぶん大人びた。 付き合っていた時のリョーマは本当に子供と言えるようなあどけなさがあったが、 もう青年という方がしっくりくる。 離れた間に随分変わったな、としみじみ思う。
だけど目だけは、あの頃と少しも変わらない。 大きな印象的な瞳が、当時と変わらず跡部をじっと見詰めている。
(動揺、するな)
現れたリョーマに意識を奪われた自分を叱咤し、 「よお」と何でもないように声を掛ける。
「元気そうだな」 「うん。どうぞ、入って」 促されて、中に入る。
電話で聞いた通り、家族は誰もいないようだ。 中はしん、と静まり返っている。
「お茶とジュース、どっちがいい?大したもの出せないけど」 そう言って振り向くリョーマに、「いや、結構だ」と返す。 「飲み物をもらいに来たわけじゃないからな。お前も気を使うな」 「……うん。じゃあ、俺の部屋に行こうか。そこで話、しよ」
階段を先に上がるリョーマの後に、跡部も続いた。 二階の奥の部屋。そこが自室だと、わかっている。
もしも付き合いが続いていたら、今も気軽に出入りしていた……はず。
(いや、だからそれも終わったことだ)
いちいち動揺する自分が情けなくて、跡部はぐっと拳を握り締めた。 ここに来たのは、決着をつけに来ただけ、と首を振る。
「どうぞ」
跡部の心境など知らず、リョーマは至って普通に部屋へと招く。
平静を装って中へと入る。 するとベッドの上にある毛の塊から「ホアラ」と鳴き声が聞こえた。
そういえばベッドはこいつの指定席だったなと思い出す。
「カルピン、元気だったか」 名前を呼んでやると、カルピンはのそっと立ち上がる。 そして床にストッと降りて、跡部の足にじゃれつくように体を摺り寄せてくる。
「ああっ、カルピン。もう、毛がつくだろ」 「別に気にしない。そうか、俺のこと覚えていたのか」 「ホアラ」 カルピンの嬉しそうな声に、跡部はそっと屈んで体を撫でてやった。 リョーマを起こしに来た時に、こうやってよく触れていた。 跡部が友好的な態度で接していた所為か、カルピンも懐いてくれた。 珍しいことだと、リョーマが言ったことも覚えている。
「そっか。カルピンはちゃんと跡部さんのことを覚えていたんだ……」
寂しげなリョーマの声に、跡部はハッとなって顔を上げた。
自分は忘れてしまったけど、猫のカルピンは覚えている。 比較して落ち込んでいるのだろうか。 ベッドに腰掛けて、リョーマは項垂れていた。 いつもの彼らしい勝気な表情はそこにない。
どこか諦めたかのような目に、話をするのを躊躇われる。 しかし、迷っていては先に進めない。
カルピンから手を放して、跡部はリョーマのすぐ隣に座った。
「二年、ぶりだな」 「うん。けど、俺の方はそんな久し振りって感じじゃないんだけどね」
自嘲気味に笑って、リョーマは跡部の方を見た。
「千石さんに聞いたんでしょ。記憶、戻ったんだ。 それより自分が記憶喪失だった、ってことに驚いているんだけどね。 しかも二年だよ?テニスも止めたって聞かされて、最初は嘘かと思った。 笑っちゃうよね、本当」 「……」
捲くし立てるリョーマが痛々しくて、声を掛けることすら出来ない。
「笑うしか、無いよ」 そう言って、左手を額に押し当てる。
今更ながら、こんな彼に現実を突きつけていいのだろうか、という気になる。
だってあまりにも酷過ぎるじゃないか。
不可抗力で記憶喪失になり、戻ってみたら大好きだったテニスを止めて、 側にいるべきだった自分は離れている。 12歳のリョーマを傷つける勇気がない。 何も言わずに離れていくべきだったのだろうかと、後悔する。
しかしこのまま終わり、というわけにもいかない。
真実を知りたいと思っているのは、リョーマ本人だからだ。
「ねえ、跡部さん」 「なんだ」 「俺達って、もう別れているんだよね?」
直接的な質問に、一瞬跡部は怯んだ。 だがここで嘘を言うことは出来ない。
「違う」と答えても、この先側にいられないのだから余計に傷つけるだけだ。
覚悟を決めて、跡部は口を開く。 迷うな、と息を吐いてからその質問に答えた。
「ああ。そうだ。俺達は二年前に、終わった」 「やっぱり、ね」
納得するように、リョーマは頷いた。
「ねえ。この二年の間に俺は彼女を作ったんだって。 信じられる?女の子と付き合っているなんてさ。 じゃあ、跡部さんはどうしたんだろうと思って考えてみたけど、 やっぱり別れていたんだよね……。」
自らに言い聞かせるように喋るリョーマに、跡部は頷いた。
「お前のことをずっと待っていられなかったのは、悪かったと思う。 もしすぐに記憶が戻っていたなら、俺もこんな選択はしなかったけどな」 「ううん。跡部さんの所為じゃない。全部、俺の所為だ。 本当になんで大会前に遠くに行くようなことしたんだろ。 あのまま試合に臨んでいれば、こんなことにはならなかったのに」
馬鹿だね、とリョーマは呟く。
「今日は来てくれて、ありがとう。 どうしても、跡部さんの口からハッキリと事実を聞きたかったんだ。 でも、もう気が済んだ。十分だよ」
納得しているなんてそんなはずないのに、リョーマはそう言って話を終らせようとする。 強がっているとわかったけれど、跡部はもう優しい言葉を掛けることは出来なかった。 ここに来たのは、きちんと別れを告げる為。その覚悟を持って、来たはずだ。
「あのな、越前。いずれお前の耳にも入ると思うから、俺の口から言っておく」 「何?」 一番残酷であろう真実を、突きつける。 それでも他人から聞かされるよりは、マシなはずだ。 例えば千石やそれとも他の人間から聞いたら、もっと落ち込むだろうから。 今、言っておくのが最良だと信じて、本当のことを告げる。 、 「今、付き合っているやつがいるんだ。 多分、このままでいくと結婚相手になると思う」
リョーマの表情が強張ったのを目の端で捉えながらも、先を続ける。
「親が推薦する相手なんて、冗談じゃねえとずっと思っていた。 けどお前と別れてから、もうどうでもいいって気になって、 そんな時親に連れて行かれた会場で、今の彼女と引き合わされた。 作られたレールなんて馬鹿らしいと冷めた気持ちだったけど、 あいつと会っている内に段々と変わっていった。 おかしいことに、親の仕組んだものって気付かないような鈍くさいやつなんだ。 けど純粋で、俺のこと本気で好いてくれているのはわかる。 だから、この先の人生をあいつと生きて行こうと思ってる……」
リョーマはじっと身動きもせず、跡部の言葉に耳を傾けている。
いっそ裏切り者と罵られた方が楽になれるのだが、 責めることもなく、リョーマは黙って受け止めようとしている。
じっと目を閉じた後、 「そっか……。恋人がいるんだ」と言った。
「跡部さんが選んだのなら、きっと素敵な人なんだよね。 ご両親も祝福してくれる相手だし、良かったと思う」 「越前」 「本当に、良かった」
泣くのを我慢しているのだろうか、肩を震わす姿に思わず目を背ける。
けれど、自分にはどうしてやることも出来ない。
二年前だったら、その肩を引き寄せて安心させるように抱き締めていただろう。 でも、もうリョーマにしてやれることは何も無い。
あの日を境に、全てが変わってしまったのだ。
「じゃあ、もう俺は行くから……」
居た堪れず立ち上がる跡部に、再びカルピンが纏わりついてくる。 しかしリョーマは手を伸ばし、ぎゅっと抱き込んで押さえつける。 不満げにカルピンは「ホアラ」と鳴く。
「俺もカルピンみたいに、忘れないままでいたら……そうしたら」
その後の言葉は、聞こえなかった。 言っても仕方無いと思ったのかもしれない。
後ろ髪引かれつつも、跡部は部屋から外へと出る。
とてもじゃないが、平静でいられない。 早く離れなければ、またとんでもない間違いを起こしてしまいそうだ。
あの頃のリョーマと違って体は成長したけれど、 前よりもずっと頼りなげに見えて、放っておけないと思ってしまう。
それらの感情を振り切るように、表へ出る。
(結局、会っても後味の悪さだけが残ったな……)
ならば、どうすればいいか。 考えても答えは出ない。
越前家を出ると顔に当るものを感じて、跡部は上を見上げる。
「雨、か」
今にも土砂降りになりそうな雨に、急いで車を呼び出す。
そういえば昔、リョーマと約束をしていた。
「雨が降った後、虹が出ているのを確認しよう」
虹を見付けたら、すぐに連絡して一緒に眺めると。
しかし結局あれから一度も見つけられないままだ。
リョーマに振られた時、もし虹を見つけることが出来たらまた一緒にいられるような気がして、 必死に探していた。 だけど空に虹が架かることは無いままで。
二人が寄り添うことは無いと、空にも否定されていたのだろうか。
「ごめんな、越前……」
きっと自分はもう虹を見つけることは出来ない。
ただ、この先のリョーマの幸せを祈るだけだ。
チフネ

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