チフネの日記
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2009年11月26日(木) 最後のチャンス 千→リョ  

告白の返事に、越前君は頷くでもなく拒否するわけでもなく、
「俺、これからすぐにアメリカに戻るんだけど」と言った。
「……すぐって、いつ?」
「三日後」
その言葉に、もう会えないんだと俺は思った。
アメリカへ戻るというのはプロを目指す、そういう意味に受け取ったからだ。
いつかは彼はプロになるんだろうと、試合を見て将来の姿を想像したけれど、
それはもっと先だと思い込んでいた。
三日後なんて、そんな現実を突きつけられてうろたえてしまう。言葉が見付からない。
そんな俺を越前君はじっと大きな瞳で見上げている。
感情もなく、ただそこにあるものとして見ているような。
ああ、そっか。
俺は頭を掻いた。
この子にとって、別に俺は親しい人間でも、興味を引くような選手でもない。
最初から失恋していたんだと、気付く。
「そっかあ。あっちでも頑張ってね。越前君なら、どこでも上を目指せるよ」
振り絞って声を出す。普通に聞こえるようにと思ったけれど、掠れていた。
だけど越前君は怪訝な顔をするわけでもなく、いつもと変わらない調子で「そうだね」と頷く。
全く俺のこと、眼中にないらしい。ひょっとしたら、どこの誰のなのかもわかっていないんじゃないか。
いきなり声を掛けられた相手に告白された。彼にとってはそれだけ。

(俺はずっと、好きだったんだけどなあ)
全国大会が終わったら、告白しようと決めていた。
会場からずっと目で追っていて、チームメイト達から離れるチャンスをずっと伺っていた。
やっとの所で捉まえて、気持ちを伝えてみればこの結果だ。
最初から実ることはなかったんだ。
すっぱり諦めるしかないらしい。
ここですがって見苦しい所を見せて、彼の記憶にそんな俺が残るのはさすがに格好悪過ぎる。
気持ちよく送り出して、良い印象のままアメリカに渡って欲しいと思った。
だから告白の返事を問い質すことなく、
「じゃあね」と笑ってみせた。

本当は引き止めたかったけれど。
三日しかないのに、どうにもならない。振り向かせることなんて出来ない。
そう言い聞かせて、俺はこの恋に終止符を打った。

暑い夏の日のことだった。



もう彼と二度と会うこともない。
俺がどんなに頑張っても追い付けない高みを、越前君は目指しているのだから。
好きになったのは、一目ぼれに近かった。
今思うと、あの時すぐに告白しておけば良かったんだ。
あの頃なら、タイムリミットがあったとしても時間はあった。
ひょっとしたら振り向かせることが出来たかもしれない。
手が届くところに、居たのだから。
短くても越前君と付き合うことが出来たのなら、それだけでも幸せだっただろう。
彼に負けない程頑張って、それから告白しようなんて。
何先延ばしにしていたんだよ、と今更後悔しても仕方無い。
もう、彼は行ってしまったのだ。

そんな風に俺は残された夏休みをただウダウダと過ごした。
越前君が居なくなったことと、全国への目標も終わりぽっかりと空いてしまったかのよう。
気付いたら、季節は秋へと移り変わっていた。

そんな時だ、U−17の合宿に招待されたのは。
山吹中からも何人か呼ばれた。
気持ちを切り替えるいいチャンスかもしれない。
少し前向きな気持ちでそこへ向かうと、予期しなかった再会を果たす。

「ちーっす」
どうして、越前君がここにいるの?
アメリカに行っていたんじゃないの?
最後の一つになったボールを掴み、得意げな笑顔を浮かべている彼の顔を凝視する。
見間違えるわけがない。
大好きだった彼、だ。




「あの、越前君……久し振り」
正直なところ、俺は迷っていた。
声を掛けるべきか、どうか。
迷惑に思うかもしれないし、あんた誰?と告白したことも忘れているかもしれない。
だけど入浴後に彼が一人でロビー自販機の前でうろうろしているのを見掛けた時、
もう足は踏み出してた。
この合宿こそ会話出来る最後の機会かもしれない。
そう思ったら居ても立ってもいられなくなっていたからだ。

越前君は俺に声を掛けられても驚くことなく、「どうも」と素っ気無く返し、
自販機にコインを入れてジュースを購入する。
……無視されてるのかな。
でもめげずにもう一回口を開く。
「いつこっちに戻ってきたの?驚いちゃった。
越前君がこの合宿に参加するなんて聞いていなかったから」
「そりゃ、誰にも言っていなかったからね」
「え……」
返事、してくれた。
相変わらず目も合わせないけれど。
ちゃんと答えてくれた。

嬉しいと、思わずベンチへ移動する彼を追う。
真ん中に腰を下ろした彼の隣に、遠慮がちに俺も座る。
越前君は一瞬、何?というように俺の方を見たけれど、またすぐに缶へ視線を移す。
と、とりあえず座ってもいいってことかな。
都合よく解釈して、また話し掛けてみる。
「じゃあ、今回は飛び入りで参加したってことなのかな?青学の連中も驚いていたようだし、皆も知らなかったんだね」
「さっきもそう言ったじゃん。こっちに来られるかはぎりぎりまでわかんなかったんだから」
「へえ。じゃあ、ひょっとして飛行機が到着したのも今日だったりして」
「そうだよ」
「えっ……そりゃ、大変だったねえ」
「別に」
頷いた後、越前君は缶を口に持って行きごくごくと飲み出す。
ファンタのグレープだ。大会中も何度かそれを飲んでいる所を目撃したから、きっと好物なんだろうなと思った。
ああ、駄目だ。
彼といると色んなことを思い出してしまう。
あの日、もうこの恋は諦めると決めたのに。
未練がましいなあ、と苦笑する。
本人に会ってしまうと、やっぱり忘れられない。側にいたいなと思ってしまうから。
だけど彼は俺のことなんて眼中に無いかのように、無言でファンタを飲み続けている。
話掛けたのも迷惑だったんだろうか。
それとも告白されたことも忘れている?越前君の性格ならそれも有りだろう。
俺からの告白なんて、取るに足りないこと。
何も気にするようなことじゃない。
…考えたら、なんか落ち込んで来た。
ラッキー千石なんて自分でも名乗っているくせに、実は大事なものはいつも手に出来ずするっと逃げて行くばかりで、ラッキーなんかじゃなかったりする。
だけどこの再会は、最後に神様がもう少し頑張れと俺にチャンスを与えてくれたラッキーなのかもしれない。
諦めちゃいけない。
勇気を振り絞って、もう一度顔を上げる。

「あのさ、今度はどの位滞在出来るの?合宿が終わるまで居られるのかな?」
「は?何でそんなこと聞くんすか?」
素っ気無いのは変わらないけれど、無視しているわけじゃないらしい。ほっとして会話を続ける。
「何でって、気になるからだよ。その、出来るだけ長く一緒にいたいし」
すると彼は眉を寄せた。
「長くって、言うけどさ。この合宿、いつ帰されるかわからないじゃん。あの高校生達、見たでしょ?」
ボールを拾えなかった高校生達は即退場した。
たしかにそうだけど。
「明日も誰かが退場なんてこともあるかもね。そうなったらどうする?」
「ならないように頑張るよ。折角越前君と会えたんだから。
君と再会出来たことを、ものすごく喜んでいるんだ。
もう、会えないと思ってたから……」
彼は俺の言葉を聞いて、ふうっと溜息をつく。

「どうせまたすぐにアメリカに戻るのに?バカみたい」
「バカって、酷いなあ。本心から言っているよ?」
「あんたの気持ちは会えなくなるとわかったら、すぐ諦めるような軽いもんでしょ」
「え……」
越前君はファンタを飲み干し、そして空になった缶をぎゅっと握り潰した。その音が誰もいないロビーに響く。
じっとその手元を見ている俺に、越前君は鼻で笑う。
「三日しかないとわかったら、すぐ引いたくせに。
あんたの気持ちってその程度でしょ。へらへら笑って軽いんだよ。
そんな奴に嬉しいとか言われたくない。迷惑っす」
「……」

俺は呆然と彼の言葉を受け止めていた。
反論する余地もない。
返事を聞く前から諦めてしまった。
彼は俺のことなんて眼中にないと決め付けて。ちゃんと聞いていてくれていたのだ。
三日しかなくてもいいからと食い下がっていたら、本気を見せていたら。
越前君が振ったんじゃない。無理と決め付けていたのは自分の方だ。
そんな俺の気持ちを越前君は見抜いていた。
だから、返事をしなかったのか……。

「もう、俺行くから。あんたも部屋に戻ったら?」
越前君は立ち上がり、ゴミ箱に缶を投げ入れる。
そしてくるっと背中を向けた。
「あのっ」
「何?まだなんかあるの?」
射抜くように見詰められて、俺は僅かにたじろく。
彼の言うことは正しくて、だからこそ痛い。
でもこっちも最後のチャンスを逃すわけにいかない。
みっともなくたって格好悪くたって、今度は「ちゃんと」失恋するまでやり遂げるんだって、今そう決めたから。

「やっぱり、君のこと好きだから。諦めないよ」
「へえ。俺はなんとも思っていないけど」
「……」
1秒も間を開けず、玉砕した。
だけど、構わない。
背筋を伸ばして、俺は声を出す。
「だとしても好きなのには変わらないから。
合宿中に君が注目するくらい頑張って、それから気になる存在にもなってみせる。
そう決めたから」
ほとんどやけくそ気味の宣言だった。
女の子達に告白するのはもっと簡単でスマートに言えるのに。
彼を前にすると、こんなにも格好悪くて不器用な言葉しか出てこない。

でも。
「へえ、案外あんたも真剣な顔するんだね。いつもへらへら笑ってばかりだから、知らなかった」
と、越前君は笑ってくれた。
苦笑でもなく、呆れているのでもなく、ちょっと可愛い笑顔で。
「そりゃ、まあ。本気だから」
「だったら精々頑張れば。言っておくけど、俺は簡単に落ちないよ」
「それはもう、わかっているよ」
十分過ぎるほどね。
大きく頷くと、越前君はまた笑った。
「話はそれだけ?今度こそ、行くからね」
「あああっ!出来ればもう少しここに居てくれないかな?せっかくこうやって話も弾むようになったことだし。ねっ」
「何がねっ、だ。調子に乗んな」
ぴしゃっと跳ね付けられる。
だよね、さすがに今日はここまでか、と引くことにする。
でも、恋を諦めたわけじゃない。
夏の時の俺とは違う。
いい人のままでいたいからと遠慮もしない。時間が無いことを言い訳にしない。

じゃあ、と片手を振って部屋に戻る彼に、「おやすみー、越前君!」と声を上げる。

明日から、やり直すんだ。
失恋未満なんて中途半端な真似はやめて、最後の最後までこの実らないかもしれない恋に掛けてやる。
たとえ泣いたとしてもそれでいいじゃないか。
その為にも何がなんでもこの合宿に残らないと。
ちゃんと睡眠を取っておこうと、俺も急いで部屋へと戻ることにする。
テニスと片思いの恋と忙しくなりそうだけれど、ウダウダしていた頃よりずっといい。

明日は何て言って話し掛けようか。
そんなことを考えながら、足取り軽く自室へと向かった。


終わり。



チフネ