チフネの日記
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2009年08月21日(金) 夏の夜の夢 不二リョ 後編

翌日。
部活へ行くと、早速不二先輩に声を掛けられた。

「あれ?また寝不足?」
「おかげさまで」
先輩の心配そうな視線を、ツンと無視する。
昨日あんたが変なことを言う所為でおかしな夢を見た。
またしても眠りを邪魔された。
その怒りの矛先を先輩に向ける。
しゅんとした横顔を見て、ちくっと心が痛んだけれど知らん顔をする。
それだけ、苛立っているからだ。
ああ、もう寝不足なんてなるもんじゃない。


全国大会を前にして今日もやることが一杯だ。練習は日々ハードになっている。
時間が足りない。48時間あっても足りない。
なのに寝不足でベストな体調じゃない俺は、何しているんだろう。
足元がふらつく。

「動きが遅いよ、リョーマ!」
遠くからおばさんの声がする。
わかっているって。俺だってもっと早く走ってボールに追い付きたい。
でも睡眠が足りなかったから、これが精一杯。
チクショウ。こんなの言い訳にならない。
試合だったら、どうするんだ。
体調管理なんて出来て当たり前。眠れなかったなんて、どうにもならないくらいわかっている。

「先生!越前を保健室に連れて行ってもいいですか?」
「はい?」
突然の申し出に、俺は間の抜けた声を出した。周囲もこっちに注目している。
練習中だっていうのに、不二先輩は構うことなく堂々と手を挙げている。
「なんだい、リョーマの具合でも悪いって言うのかい?」
「はい。少し休ませた方が良いと思います」
「ちょっと、あんた勝ってなこと言って」
文句を言おうとした瞬間、また足元がふらつく。
おばさんがこっちを見て、「仕方無いねえ。不二、連れてってやりな」とあっさり承諾した。

「さ、行こうか」
勝ち誇ったように笑って近付いて来る不二先輩に、俺は無言でそっぽを向いた。
なんだっていうんだ、もう。

「保健室くらい、一人で行けるっすよ」
「駄目。もし途中で倒れたら、どうするの」
「……」
腕を支えられて歩くなんて、格好悪過ぎる。
抵抗しても不二先輩はそれを許さず、がっちりと掴んでいる。
細い腕のくせして力が強いなんて、詐欺だろ。

「あれ?先生、いないなあ」
保健室のドアは開いたけれど、中には誰もいない。
「休憩でも行っているのかな?とにかく越前は休んでて」
「俺、練習を続けたいんだけど」
「駄目!ここで体調を崩したら大会所じゃなくなるよ。それでもいいの?」
「……うーん」
そう言われると反論出来ない。
眠れるのは嬉しいことだと自分を納得させて、靴を脱ぐ。
そして空いているベッドに横になった。

「昨日の夜、また変な夢を見たのかな?」
「…なんであんたは当然のように椅子に座っているんすか」
パイプ椅子をベッドの横まで寄せてきて、不二先輩は俺のすぐ横に腰を下ろす。
この体勢はしばらく付き添う気満々ってことか。
「だって、君の事が心配だから」
しれっとした顔で言う。
「少し眠ったらよくなると思うから平気っすよ」
「でもまた夢を見たりしたら」
「しつこいっ!」
自分でもびっくりするような大きな声が出た。
「大丈夫だって言っているじゃん俺のことは放っておいてよ」

苛々する。
不二先輩がおかしなこと言うから、変な夢を見て安眠出来なくなったんじゃないかって思ってしまう。
八つ当たりだとわかっているけれど、
練習時間にこんな所にいるってだけでストレス溜まっている俺には余裕なんて無かった。
フン、と先輩の顔を睨みつける。

「ごめんね…」
沈んだような声を出して、先輩は立ち上がった。
「もう行くから、ゆっくり休んでいて。今度こそ安眠できるといいね」
そして静かに保健室から出て行ってしまう。


「なんで、こんなことになるんだよ…」
先輩がいなくなってから、俺は大きく溜息をついた。

別にケンカをしたかった訳じゃない。
なのに零れた言葉は酷く刺々しいものばかりだった。

あの人が俺に対して怒ったりすることは無い。
それを知っているから、ついつい冷たい態度を取ってしまう。

(これじゃ、一方的に甘えているだけだよな)

結局、そんな事を考え続けていたら、眠ることなんて出来なかった。
折角、休んでいいって言われたのに、何をやってるんだろう。
しばらくしてコートに戻ったら、おばさんからはゲームなんてやってないで早く寝るんだよと釘を刺されるし、
桃先輩と菊丸先輩からは体調管理も大事だとか説教されて散々だった。


不二先輩はというと、保健室から戻った俺に近付く素振りを見せず、
結局擦れ違ったまま帰宅時間になってしまった。

さすがに愛想も尽きたのかもしれない。
あれだけ素っ気無い態度を取っていたら、告白の返事もしたと同然と捉えてもおかしくない。
やっぱり態度悪かったよな、と頭を抱えたくなって来た。

「おい、リョーマ。食わないのなら、そのおかず貰うぞ」
「……どーぞ」
夕飯もろくに進まない俺に、親父がいつもの如くちょっかいを掛けて来る。
とてもじゃないけれど相手する気になれず、適当に返した。
今は親父に構っている場合じゃないんだって。
「どうした!?お前、熱でもあるのか?」
「別に。食べたかったら、食べれば?驚くことでも無いでしょ」
「いや、だっていつもなら怒るくせによ……。本当に大丈夫なのか?」
「うん……」
気味悪がる親父もほとんど眼中に無かった。
上の空のまま、夕飯を終える。

そしておばさんにも早く寝るようにと言われたこともあって、いつも以上に早い時間にベッドへ潜り込んだ。
どうせ起きていてもごちゃごちゃ色んなことを考えて、何も上手く行かないのなら寝た方がいい。
そうしよう。
今夜こそ安眠!と、意気込んで(睡眠に意気込みも無いと思うけど)タオルケットを被った。

そしていつの間にかうとうとしていたら、また夢を見た。

今回はホラー仕立てじゃない。
学校へ行って、テニスをしている。至って普通の日常風景だ。
皆と打ち合って、ランニングして。
乾先輩の汁すら出て来ないので、うなされるような内容じゃない。
でも、その中で不二先輩は俺の方を向いてくれない。
他の人には話し掛けているくせに、俺だけを無視している。
いない者のように扱っている。
いい加減ムカついて、俺は先輩の肩を叩いた。
そしてこっちを向かせると、うっすらと目を開けた先輩は嫌そうに口元を歪めて言った。

「もう、僕に構わないで。君の望む通り、これから二度と話し掛けないから」
「……!!」

そこで、目が覚めた。
幸いなことに夜中じゃなく、外は明るくなっていてもう朝になっているらしい。
睡眠時間としては十分な位だろう。
目覚めは最悪だけど……。

(なんであんな夢見たんだ。もしかして正夢?
今日から、先輩に無視されるとか。そんな現実、嫌だな)

昨日、あんなことを言っておいて、勝手だと思う。
先輩が本当に話し掛けて来なくなったとしても、文句言う筋合いは無い。
でも、今になって後悔している。
無視されると想像したら、結構辛いものなんだって気付かされた。

(今日は、ちゃんと謝ろう)

着替えしてから下に降りて、朝ご飯を食べる。
そして部活へ行こうとのろのろと学校へ向かって歩き始める。
(不二先輩に会ったら、謝罪するんだ)

機嫌を直してくれるかなあと考えていたら、「おはよう」と肩を叩かれた。
振り返ると不二先輩が立っていた。
「あれ……なんで、先輩がここにいるの?」
「なんでって、もう学校は目の前なんだけど……」
「あ、ホントだ」
ぼーっとしている内に着いていたようだ。
「大丈夫?まだ寝惚けているんじゃないの?」

夢の中で見せた冷たい視線と違って、先輩は優しく声を掛けてくれた。
なんだか、ほっとする。心が落ち着いて行くのがわかった。
すごく勝手な話なんだけど、この人に甘やかされているのが当然、だと俺は思っていたみたいだ。
バカだな。今頃気付くなんて。
告白に対する答えは、もうとっくに出ていたんじゃないか。

「あの、不二先輩」
「そうだ。越前、ちょっと待ってね」
謝罪しなければと口を開き掛けた俺に待ったを掛けて、
先輩は肩に掛けていたバッグを唐突に下ろしてごそごそと漁り出す。
一体、何なんだ。折角、決意した所だっていうのに。
「あった!」
先輩は嬉しそうな声を出した。
「何が?」
「越前、手を出してくれる?」
「何っすか?」
言われるまま手を出すと、小さな袋みたいなものを乗せられた。
フリルがついていて、ちょっと乙女チックなものだ。これは一体……。
まじまじと見詰めると、詰められているらしいものからふわっと優しい香りがした。

「それ、ラベンダーのポプリなんだ」
「ポプリ?」
「ほら、安眠出来ないって言っていたよね。
気休めかもしれないけど、この香りを側に置いとくとよく眠れるんだって。
姉さんに頼んで分けてもらったから、良かったら使ってみてよ」
「……俺の為に?」

昨日、あんな態度を取ったのにわざわざ持って来てくれたらしい。
どうして?と顔を上げると、照れたような笑顔を浮かべている先輩と目が合った。
「うん、だって好きな人の心配をするのは当然でしょ。 
僕に何か出来ないかなって考えて、結局こんなこと位しか思い付かなかった。
なんか、情けないよね」
「そんなことないっすよ!」
「越前?
「そんなこと……ない」

貰ったポプリの袋を握り締めて、俺は何度も「そんなことない」と繰り返した。
眠れない俺の為に一生懸命どうにかしようと考えてくれていた先輩の気持ちが嬉しくて、
それ以上の言葉が出て来なかった。

もう少し、気持ちが落ち着いたら謝罪と、お礼を言おう。
それから話があるから、今日は一緒に帰ろうと誘ってみよう。
明日からも一緒に帰る為に、告白の返事をするんだ。


もう、悪夢は訪れない。
そして今夜はきっと良い夢が見れる。

鼻を擽るラベンダーの香りに、俺はそう確信していた。


終わり。


チフネ