チフネの日記
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2009年04月11日(土) 眠れない夜 不二リョ

今よりももっと子供の頃、最初になりたいと思ったのは『姉さんの王子様』だった。
物心が付くか付かないかの頃、姉さんが「周助、王子様になっていつか私の来てね」と繰り返し囁いていた成果だ。
最もこの話は今ではタブーになっている。
口に出せば姉さんが「あの頃、周助は私のことが大好きで自分からそう言ったんだから!」と怒るからだ。
都合よく擦り返られている気がするが、こちらも3・4歳のことで曖昧になってる為、反論出来ない部分が多い。
蒸し返すのは止めようと暗黙の了解が出来ている。

それからなりたいものは沢山変わって行った。
学校の先生にも憧れた。写真も好きだからカメラマンもいい。
でも植物も好きだからお花屋さんとか、植物園で働きたい。勿論、テニスのプロにもなりたいと思った。

でも今、なりたいものがあるかと問われたら、こんな風に答える。
越前リョーマの隣にいられる人になりたい、と。
それはどうしたらなれるのか、まだ見当が付かない。
まだ15歳で、遠くに行く好きな人を追い掛けることさえ出来ない僕には途方も無い話だった。


「これで、全部?」
「うん」
リョーマの部屋の片付けが終わった所で、不二は軽く肩を叩いた。さすがに少し疲れた。

「綺麗になったね。意外とちらかっていたから、どうなることかと思っていたけど」
「だから俺一人でやるって言ったのに」
唇を尖らせつつ、リョーマは用意していたペットボトルを不二に向って投げる。
「でも一人でやったら、今日中には終わらなかったかもしれないよ?」
「その時は親父をこき使うから、いい」
「あ、そう」

全国大会のゴタゴタで、リョーマは直前まで部屋の片づけをしていなかった。
もう明日にはアメリカに発ってしまうというのに。
だったら一緒に荷物を纏めようと提案したのは不二からだった。
そうでもしなければこの最後の日、一緒に過ごす時間はほんの数分しか無かったに違いない。
片付けでも側にいられれば、不二にとっては良かったのだから。

「先輩、休みましょ」
床にぺたんと座り込んで、リョーマが言う。
そして自分の分のペットボトルの蓋を開けて、あっという間に半分まで飲み干した。
不二も喉が渇いていたことを思い出し、リョーマの側に座って渇きを潤す。
少し飲んだところで、リョーマに話し掛ける。

「明日、何時だっけ」
「……9時。前にも言ったと思うけど」
「ごめん、ごめん。つい忘れちゃって」

本当は覚えていた。リョーマのことで何一つ忘れることなんて無いのに。
つい確認したくて尋ねただけだ。
本当に行ってしまうことを、実感するだけの為に。

「長かったような、あっという間の数ヶ月だったな」
また一口飲んでから言うと、リョーマはこくんと頷いた。
「俺も、同じかも。先輩と付き合ってから今日まで、まだ一週間位にしか経っていないみたいっす。
でも一年位一緒にいたような、そんな感じもする」
「うん、僕と同じだね」

笑顔と向けると、リョーマも目元を綻ばせている。
別れを前にしても、こんなに穏やかだ。
それは最初から、決まっていたことだから。
こんな日が来るとわかっていて、歩んで来た。
覚悟は出来ている。だから取り乱すことなく、笑顔を作ることさえ出来る。

泣き顔を見せる心配も無い。
リョーマに最後まで笑顔の自分を覚えていたかったから、良かったと不二は内心で呟いた。








「俺、夏が終わったらまたアメリカに戻るから。そういう訳で、先輩が言った付き合うとかそういうの出来ないっす」

告白したのは不二の方からだった。
入部直後から生意気で、だけど光り輝くような越前の存在は無視出来るものじゃなかった。
それはテニスの実力が他より抜きん出ているから、だけじゃない。
リョーマ自身にも惹かれているからと気付いたのは、雨の日の試合を終えてからだった。
まだ全ての実力を隠し余裕のある不二に対しても、リョーマはひたむきでがむしゃらになって食らい付いてくる。
勝ちたいという執念を隠すことのない圧倒的なオーラと、強い瞳に、好きだなと自覚してしまった。

そうなったらもう止めることは出来ない。

都大会が終わったその日、不二はリョーマが一人になったのを見計らって好きだと告げた。
同性同士のタブーなんて、頭から吹き飛んでいた。
ただリョーマの側にいたい。他には何も考えられなかった。

幸いなことにリョーマは不二の告白を嫌悪することも、戸惑うこともなく静かに聴いてくれた。
そしてちょっと肩を竦め、付き合えないと口にした。

「アメリカ……本当なの?」
大会が終わったら、行ってしまう。
冗談みたいな発言に疑いの目を向けると、リョーマは「本当っす」と頷く。
「出来れば他の人には黙っていて欲しいっす。先輩が付き合って欲しいなんて言わなかったら、今のも内緒にしてたんだから」
目線を逸らすリョーマの顔には、僅かに日本に残ることの未練が読み取れた。
ほんの短い期間の中でも、青学のことを大切に思っているのだろうか。
それでもどうしようもない事情を抱えているのかもしれない。例えば家庭の事情とか。
だとしたら、止める術は何も無い。


「誰にも言わないよ」
不二は素早く答えた。
「でも、越前……もし、もしもだよ。君がこの先も日本に留まっていたとして、学園生活も続くとしたら。
少しは僕の告白の返事も今と違った風に考えてくれてたかな?」
仮定で話すなんて馬鹿げている。無意味だ。
わかってはいるけれど、不二はリョーマに問い掛けてみた。
この先も同じ場所にいられたとしたら、どうするのかと。
もう望みは絶たれているというのに。
それでも、聞きたかった。

リョーマは少し眉を寄せて「さあ?」と言った。
「わかんない。だって現実は変わらないから、考えてもしょうがないんじゃないっすか」
「うん、でも今のでわかった」
「何が?」
「少しは僕のこと、考えていてくれているんだね」
「……は?」
不二は自信たっぷりに頷いた。
「あんた、俺の言ったこと聞いてた?なんで、そうなるのか教えて欲しいっす」
「うん。それは、ね」
強がりではなく、不二は笑ってみせた。リョーマが否定するほど、何故か自分の考えが合っている気がしたからだ。
「もし僕の告白が最初から嫌だと思ったら、即座に君は切り捨てていただろうと思って。
アメリカへ行くとか持ち出したのは、傷付かないようにって気を使ってくれたんでしょ」
「違うっ」
「そうかな。君は僕のこと気になっているんだよ。だから理由をつけて断ろうとしている。
僕の為に」
「……」

リョーマが僅かに動揺してるのを見逃さず、不二はその手をぎゅっと掴まえて握った。

「ねえ、越前。アメリカに行くまでの間でも構わない。
残された時間を、僕に下さい。付き合ってもらえないだろうか」

必死に訴えると、やがてリョーマは諦めたように肩から力を抜いた。

「応えるつもりなんか無かった」
「うん」
「でも先輩が覚悟出来てるっていうのなら、俺も逃げる訳にはいかないっすよね」

顔を上げた時にはもう吹っ切ったみたいで、いつもの力強い瞳に戻っていた。

「俺もあの試合から、不二先輩のこと気になっていたんだよね。
それが好きっていう気持ちかまでは確定してない、そうなるまでの時間も残されてない。
でも、いいんすか?」
「うん!じゃあ、今日から僕と君は恋人同士だよ」
「はい」

リョーマが返事をした瞬間から、期間限定のお付き合いがスタートした。

とはいえ、全国大会を前にして前より一層忙しくなって、
二人きりで会う時間は決して多くは無い。
それでも短い中でめいっぱい楽しもうと不二が働き掛けたおかげで、
ささやかだけど沢山の思い出を作った。
とてもアルバム一冊では収まりきらない位の、どれを取っても大切な瞬間ばかり。

だけど、それも今日で終わり。

夕飯の用意が出来たことを告げる声に、二人で階下へ降りる。
不二が来たことと、日本での最後の食事ということで、「特上頼んじゃった」とリョーマの母は笑って言った。
「どうぞ、お構いなく」
頭を下げる不二の横に、リョーマは黙って腰掛ける。
お寿司を前にしてもはしゃぐことは無い。むしろ表情は曇っている。
もしかして寂しがっていてくれているのかなと、不二はその横顔を見詰めた。
だとしたら、同じだねと後で言ってあげるべきだろうか。

お寿司を食べ始めてもリョーマは無口なまま黙々と食べ続けている。
不二も会話が無いまま、お寿司を口に運んだ。
美味しいはずのそれがちっとも味気なく感じたこと。
きっと一生忘れない。


最後だからということで、今日不二はお泊りの許可を得ている。
すっかり片付いたリョーマの部屋に布団を並べて敷いてから、それぞれ潜り込む。

「てっきり一つの布団で一緒に寝ようって言うかと思った」
少し距離が空いた先、顔をこちらに向けたリョーマがそんなことを言う。

「そうして欲しいの?」
不二が笑うとリョーマはむっとしたように布団で顔を隠してしまう。
「もう、いい」
「ごめん、ごめん。でも僕はこうして隣で寝てるだけでも十分だよ。
今日まで一緒にいられたこと、ずっと忘れない」
「先輩?」
リョーマが顔を出す。
不二は笑顔のまま、布団から片手を差し出した。
「最後に一つだけ我侭言おうかな。
眠れるまで握っていて欲しいんだ」
「……子供みたい」
そう言いつつもリョーマも手を差し出してきた。
告白した時のように、不二はその小さな手をぎゅっと握り締めた。

そうしてお互い仰向けのまま眠る体勢に入る。

「おやすみ、越前」
「おやすみ、不二先輩」

数分と経たない内に、規則正しい呼吸が聞こえる。
子供だなあと笑って、不二は手を握り締めたままリョーマに気付かれないよう、そっと起き上がる。
そして安らかな寝顔を上から眺めた。


ねえ、越前。
今日までという約束で僕達は付き合って来た。
だから明日になったら、お別れすることはわかっている。
でもいつか、僕は君を追い掛けて行きたい。今はまだ無理だけど。
そういうことが自分の力で出来るように頑張るから、
再会した時に告白してもいいかな。
このままバイバイなんて、嫌だよ。
その時はちゃんと聞いて欲しいんだ。


安らかな寝顔を堪能した後、不二はリョーマの頬にそっと口付けた。

きっと今夜は眠れない。
明日リョーマを見送った後、死んだように眠ろう。
そして起き上がったら、今よりも強くなる為に。
頑張ろう、と心に決める。
今度こそなりたい自分を手にいれるんだ。





もそもそと不二が布団に入っていく音を聞きながら、
リョーマは目を瞑ったままできゅっと唇を強く噛んだ。


(不二先輩の、馬鹿)

今日何が起きても驚かないと決めていたのに、こんな時ですら彼の理性は崩れない。
けれど、あっさりと別れを受け入れている訳じゃないことは、
今の頬へのキスで気付いた。

(もっと気持ちをぶつけてくれてもいいのに)

引き止めようとしている目をしているくせに、不二は決して口には出さない。
アメリカに行くことを前提で付き合うことを提案した手前、何も言えないのかもしれない。

きっと明日も笑って、送り出す。そんな姿が目に浮かぶ。

その時に言ってしまおうか。

(絶対また会いに来るから!)と。

このまま終わりなんて、嫌だ。
でも今更そんなことを言っていいのか、わからない。
不二を困らせて、当てのない約束で縛っていいものか。
迷っている。

明日までに言わなくちゃいけないのに。

(どうしよう)

出発まで、もうそんなに時間が無い。
どう伝えるか、じっくり考えよう。後悔しないように。


互いに眠れないまま、夜はゆっくりと過ぎて行く。


翌朝、お互いの隈を見付けて何かを察し、本音をぶつけることになるのだけれど。

今のリョーマと不二は、気付かないままずっと悶々と悩み続けていた。


終わり


チフネ