チフネの日記
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2009年03月15日(日) スローモーション (最終話)跡リョ

無言で手招きする向日を見付け、跡部は迷うことなくダッシュでそちらに駆け込んだ。
振り切れ。
コートでボールを追い掛けるスピードと同様の速さで、空き教室に滑り込む。
しーっ、と向日が人差し指を立てるのを見て、跡部は零れそうになる呼吸を両手で押さえた。

すると教室の外からバタバタと何人かの足音が聞こえる。
「あれ?たしかこっちに来ていたのに」
「私も見た。でもいないー?」
「まだ外には出ていないはず」
「あっち探してみよう」
「うん、行こう」

声と共に足音も遠くなっていく。
ほっとして、口を開放した。

「うぜぇな、全く。卒業式だからって、羽目外し過ぎだろ」
ハーっと息を吐いて、向日を見た。
その上着にはボタンが一個も無い。
ここに来る間に全て奪われたか、と推測する。

「サンキュ。助かったぜ」
礼を言うと向日は「気にすんな」と笑った。
「この後、越前と待ち合わせしてるんだろ。それで引き千切られた制服なんて見せたくないよな。
何百人かの女子に狙われてると知ったら、さすがに引くよなあ」
「何百人も狙っている訳ないだろ。…多分」

教室から出た途端、大勢の女子生徒達に囲まれてさすがの跡部も逃げられないかもと、観念し掛けた。
ボタン下さいと、数週間前から何人も何人も申し込まれては、誰にもやるつもりは無いと断ったというのに。
諦めが悪いというか、ポジティブというか。
当日になれば気が変わるかもと思った女子生徒達が押し寄せた結果だった。
樺地を始めとする後輩達がその場に現れて逃がしてくれなかったら、あの場で身包み剥がされていたに違いない。
難を逃れて廊下から階段を駆け下りようとしたその時、第二弾の津波がやって来た。
そして校内を舞台にした鬼ごっこの始まりだ。

もう越前との待ち合わせ時間なのに、と時計を見て顔を顰める。

「こっからどういうルートで行くかだよな……。2階だしさ。この樹を伝って下りられないか?」
窓をの外を見て、向日が指差す。
なるほど。
すぐ側には大きな樹木が立っていて、それを使えば降りられないこともなさそうだ。

が。
「靴はどうするんだよ」
下駄箱付近にも、追っ手は回っているはず。のこのこ行けば、捕獲されるのは目に見えている。
「そんなもの、諦めろよ」
向日が肩を竦めて言う。
「越前と靴、どっちが大事なんだ?」
「決まっているだろ。考えるまでもない」
即答する。
越前より大切なものなんて、あるはずなかった。
靴の代わりはいくらでもあるけど、あいつだけは……。

「なら、決まりだな。急がないとここも見付かるかもしれねえし」
向日が窓をそっと開ける。
卒業式にこんな所から退場なんてありかよと思うが、仕方無い。
鞄を肩に掛け、覚悟を決めた。
「お前ら、上手く行っているようだけどさ。あんまり越前に無茶なことすんなよ」
先に窓から外へ手を伸ばしながら、向日がそんなこと言う。
どうやら一緒にここから降りてくれるらしい。しかも誘導までしてくれるみたいだ。
付き合いの良いやつ、と今更感心してしまう。

「無茶って、なんだ。おい」
越前にそんなことしてないよな、と思いつつ聞き返すと、
向日は溜息混じりに口を開く。
「だから、あっちは成長過程なんだからよ。わかるだろ。
部活に支障を来たすことはあんまりするなってことだ」
「はあ?」
「とぼけんな。お前の今までの行動を考えたら、すぐにわかることだろ。
いちいち言わせんな」
喋りながら向日は大きな枝を掴み、樹へと移ろうとしている。
二階だけど落ちたら危ないよなと心配しつつ、向日の質問に答える為口を開いた。
「言っておくけど、まだ手は出しちゃいないからな」
「はあ?……あ!?おい、今、何て言った」
「越前とはまだ何もしていないって、言ったんだよ。おい、余所見していると危ないぞ」
こっちを向いた向日はぽかんと口を開けている。
「マジかよ。意外過ぎて、驚いた」
「ほっとけ」

意外で悪かったな、と跡部はぷいと横を向いた。
けど大切だからこそ手を出せないって、今まで生きて来てようやく知ったんだ。
好き過ぎてどう触れたら良いか、逆にわからない。
それに折角リョーマとの仲も順調に進んでいるのだ。
ここで失敗はしたくない。
テニス以外でも外出することも増えて、用も無いのに会うことだってある。
やっと望んだ恋人らしい付き合いが始まったところだ。

(そりゃ、越前も望んでいるのかもしれない。そうに決まっている!
俺だって同じ気持ちだからな。けど、ここは慎重にタイミングを見極めなければならない)

そう考えて、もう少しと、モタモタしている内に日々が過ぎて行った。
気付けばまだ、リョーマにキスすらしていない。

「へえ。跡部が何もしていないなんてなあ」
あり得ないと言うように、向日が笑う。
「笑うな」
「お前が二の足踏んでいるのなら、越前にOKかどうか俺が聞いてやろうか」
「何言ってる?おい、向日!」
「先、行ってるぜー」

ひょいっと樹に移り、向日は軽々と腕を足を使って下へと降りていく。
機敏な身のこなしに感心している場合じゃない。
こうしちゃいられないと、跡部も後へと続いて窓から外に出る。

「待て、こら」
「お先に」
上履きのままで、向日は校門方面へと駈けて行く。
リョーマと合流するつもりだ。
まずい、と慣れないながらも跡部も一生懸命に樹を伝って地上へと着地した。

「くそっ。向日の野郎……」
制服の汚れを払って、跡部は向日の後を追うべく足を踏み出そうとした。
その瞬間、
「こっちの靴使うた方がええとちゃいます?」と、にゅっと見覚えのある靴を差し出される。
「忍足!?」
「気が利くやろ」
片手で持っていた靴を、忍足は「どうぞ」と地面に置いてくれた。
「ああ。助かった」
素直に礼を言いながら、履き替える。それまで履いていた上履きは鞄へ突っ込んだ。
「岳人が上の階で待機してるメール貰ってからな、こうなるって予想してこっちも用意してたんや。
先に靴を押さえとけば、身動きもとり易いやろ」
「ああ。お前の言う通りだ」
忍足の言うことに頷く日が来るとは。参ったな、と頭を掻く。

「ところでお前は無事だったのかよ」

ボタンが全滅だった向日に比べて、忍足はきっちりと全部揃っている。
こいつも何人かの女子生徒のファンがいたはず。(ただしフィギュアのことを知った途端、逃げ出すが)
奇特なやつが欲しがるかと思ったのに、一個も取られてないとは不思議だ。
疑問を口に出すと、忍足は「愚問やな」と笑う。
「俺には108人の天使達が家で待っているんや!だから誰にも渡せへん。
あの子達が悲しむからなあ。
そう言うたら、全員素直に引き下がったで」
「へえ……」
何か力が抜けてしまう。
「100体以上揃えていたのかよ」
「俺の天使達は108人いるんやで」
「もう、いい」
聞くんじゃなかったと、首を振る。

「靴を持って来てくれたことには感謝する。じゃあな、忍足」
「おー、越前にもよろしくな」
「ああ」

今度は外へと目掛けて走る。ひたすら、他にも目をくれずに。
「跡部様だ!」
そんな声も振り切って、ただ走る。
校門前だとこんな連中が集まっているからと予想して、少し離れた公園で待ち合わせをしている。
当然、向日もそれを読んでいるに違いない。
変なことを吹き込むなよと祈りつつ、急ぐ。

(いた!)

公園の隅に置かれたブランコに、リョーマと向日の姿を見付ける。
ここからだと彼らの背中しか見えない。だからまだ跡部が到着したことは、気付いていないようだ。

(……一応、確認してみるか)

二人が何の話をしているか聞く為に、跡部はそろりそろりと背後から近寄って行った。


「でも、跡部にそんなこと言ったら大変だぞ。言わない方がいいんじゃないのか?」
向日が何か助言している。
言わない方がいいとは、なんだ、と跡部は眉を寄せた。
彼氏でもないお前にどうこう言われたくないと、叫びそうになる。
が、ちょっと様子を伺おうともう少し我慢する。

リョーマはというと、待っている間にそこに設置された自販機で買ったらしいファンタを飲みながら答える。
「うーん、でも俺としては構わないんだけど」
「マジでいいのか」
「まあね。結局、あの人が俺を好きなら問題無いみたい。
多分、今押し倒されてもそれなりの覚悟は出来ているのかもしれない」

その言葉が跡部の限界を振り切る。
「越前ー!本当か!?」
声を上げると、二人の肩がびくっと大きく揺れるのが見えた。
「跡部、声でけえ!」
「何だ。聞いていたんすか」
こんな時にも澄ました表情で言えるリョーマの度胸は大したものだと思う。

「俺はいつでも準備OKだ。越前」
「おいっ。昼間の公園で堂々と言うことじゃねえぞ」
向日が焦ったような声を出す。
見ると靴はちゃんと履き替えている。きっと忍足から同じ様に受け取っていたのだろう。
「良いだろ、別に。越前の本心が聞けたんだ。周りなんてどうでもいい」
「あっそ。恥ずかしいから、俺はもう行くぜ」
立ち上がって、向日はブランコから離れた。

「じゃあな、越前。あんまり早まるなよ」
「わかったっす」
こくんと頷くリョーマに、跡部は声を上げる。
「わかったって何だよ。考える必要なんて無いだろ」
「声でかいよ、跡部さん。公園はみんなのもの。ちょっと静かにしてよ」
「……はい」

結局、言うなりになってしまう。
リョーマにはどうしても弱い。

公園を出て行く向日がちらりと振り返り、「まるで犬とご主人様だな」と呟いたが、
それは跡部の耳には届かなかった。

肩を落としつつ、さっきまで向日が座っていたブランコに腰掛ける。
そして今度はもう少し、静かな声で問い掛けてみることにした。
「なあ。さっき向日に言ったのは、本心なのか」
「……」
リョーマは黙ったまま、またファンタを飲んでいる。

焦らしプレイには慣れっこなので、跡部は答えを黙って待った。

(本心だよな?冗談でもあんなこと言える訳ない。どうなんだ、越前。
俺はいつでもOKだ。お前もそうだと素直に言えよ……)

そして沈黙を破るかのように、リョーマがファンタの缶を軽く握り締める。
軽い音を立てて、缶は潰れた。

「本当、っすよ」
「越前」

顔を上げる。
リョーマの横顔は少し赤く。こちらを向こうともしない。
珍しいことに、照れているらしい。

それでも、答えを言う為にまた口を開く。
「あんたのこと好きだからその気持ちがあれば先に進んでいける。
その位の覚悟だって出来たよ」
「そっか……。やっぱり俺達は通じているようだな。勿論知っていたぜ。
俺も越前のことが大好きだ」
「真顔で言われると、恥ずかしいんだけど」

リョーマはますます顔を背けてしまった。

やばい、しくじったかと跡部は奥歯を噛んだ。
折角良い方へ向おうとしているのに、この後もどうしたら良いかわからない。
家に行くことは決まっているのだが、ここで「帰ろうぜ」なんて言ったら下心見え過ぎて気まずい。
じゃあ、他へ行くか、と言うのも不自然だ。

(参ったな)

跡部が頭を抱えていると、すっとリョーマが立ち上がった。
そしてスタスタと前へろ歩き、数メートル先で止まる。
そのまた先には自販機があって、空き缶入れが置いてある。

どうするんだろうと見守っていると、
すっと左手を振りかぶって、持っていたファンタの缶を投げる。

その一連の動作が、まるでスローモーションのように跡部には映った。

時の流れがこの周囲だけ、違っているような。

弧を描き、コマ送りで空き缶は見事にダイブした。

たったそれだけで、拍手を送りたくなる気持ちが湧き上がる。何故だかはわからないけれど。


「今日、跡部さんの家に泊まってもいいっすか」

リョーマが振り返る。
直後の第一声に、跡部はしばし硬直してしまう。

くすっと笑われて、ようやく我に返った。

「も、勿論、いいぜ。当然だ」
どもってしまったことに、また笑われる。

「それじゃ、決定。何も用意とか持って来てないから、貸してくれる?」
「ああ」
「俺の家にも跡部さんから連絡しといてよね」
「え」
「ちゃんと親父の許可も取ってよ。後でうるさいから。よろしく」
「ええ!?」

サムライ南次郎相手に説得しろというのか。
ちらりと横目でリョーマの様子を伺うと、笑いを堪えながらこっちを見てる。
絶対、面白がっている。
しかし他に選択肢は無さそうだ。
次にリョーマが泊まりたいと言う日がいつになるかはわからない。
いずれは立ちはだかる壁(南次郎)だ。今立ち向かっても同じこと。

(俺は愛の為に戦う!そして負けない!)

拳を握り締める跡部に、クールな声が響く。

「何やってんの。早く行こうよ」

そして先を歩く小さな背中を、慌てて追い掛ける。

(素っ気無いのは相変わらずだが、まあ、いい。
こいつが俺に惚れているのは、とっくにわかっているからな)

照れ隠しも可愛いものだと、満足げに頷く。

きっとこの先も振り回されたり、焦らされたり、苛々することもあるだろうけど。
離れることなんて、考えられない。

何故ならこの先も、こいつさえ隣にいてくれれば何も怖くない。
誰の失望にも怯えることなく、胸張って生きて行ける。



リョーマの隣に並んで、跡部はさり気なく小さな手に触れた。
一瞬、リョーマは顔を上げたが、何も言わない。
指を絡めても、されるままになっているのは……いいよってことだともわかっている。
嬉しくて、跡部は少しだけ指に力を込めた。



これから過ごす時間に期待も膨らむけれど、今の心地良さも離したくない。

だから、家までの道のりをゆっくりゆっくり二人で歩いて行った。



終わり


チフネ