チフネの日記
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2009年03月11日(水) 世界の枝葉 9 跡リョ スローモーションシリーズ

思えば、俺達の間にはテニスしか無かったはずだった。
一個のボールをネットを挟んで打ち合う。それだけの繋がり。
あの日、彼が話し掛けて来ることが無かったら。
ただの対戦相手として、終わっていたと思う。
そのまま別の人生を歩んでいた方が幸せだったのかどうかは、まだわからない。
色々な問題はこの先も出て来る可能性はある。苦しみだってあるだろう。

でも俺達の道は繋がってしまったのだから、このまま歩んで行くつもりだ。
仕方無いじゃないか。
あの人の笑顔を見ると、こっちまでも嬉しくなるんだから。
きっとそんな人と出会うこと、この先もそうそう無いと思う。





「俺の勝ち、だね」

アウトになったボールが転がって行くのを確認して、リョーマは勝ちを宣言した。
反対側にいる跡部は額に流れる汗を手で拭って、「くそっ。勝つつもりだったのによ」と唇を噛んだ。

「前半は俺がリードしていたよな?あのままで行っていたら勝てたのに」
「結果が全て。俺の勝ち」
「わかってる。そう何度も強調すんな」
「素直に認めようとしないからっす」
「あー、もういい、休憩しようぜ」

跡部が指を差したその先には使用人達によって用意された椅子とテーブルがコート隅に置かれている。
自宅のコートだからこそ出来ることだ。
テーブルの上には冷たいドリンクもある。
普通、ここまでやらないよな……と、リョーマは椅子に腰掛けた。

「この俺に二度も勝つなんて、大した奴だな。全く」
「どーも」

ここに来てから先日電話での会話について、一切何も触れていない。
跡部は淡々とした態度で、「すぐコートに行こうぜ」と案内しただけで、
試合もウォーミングアップ直後に開始した。

こんなままで良いのかなとリョーマは眉を寄せた。
彼の願いである「もう一度、試合をしたい」これは叶えたけど。
もっと跡部と話をするべきじゃないだろうか。
留学を控えている為、そんなに時間は残されていないはずだ。
後悔しないように送り出すにはどうしたら、と顔を上げる。
すると跡部と見事に視線がぶつかった。

「どうした。俺の顔に見惚れていたか?」
「そんな訳ないだろ……」

駄目だ。言いたいことが出てこない。
こんな軽い言葉の投げ合いで終わりになんかしたくないのに。
困った、と顔を顰めると跡部がフッと笑った。

「どうやら王子様はお悩み中のようだな」
「誰の…!」
所為だ、と声を上げようとした所で、リョーマは口を噤んだ。
からかわているかと思ったのに、跡部の顔がやけに真面目で拍子抜けしてしまったからだ。

「この間の電話では悪かったな。変なこと言って」
意外な謝罪の言葉に、リョーマは慌てて首を横に振った。
「気にしてないっすよ」
「そうか、良かった。その所為で負担掛けているんじゃないかと、心配したからな」
「別に……俺の方こそ余計なことばっかり言って悪いと思っているよ」

そう言ってまた黙る。
ここの跡部に会いに来た所為で、変なことに巻き込んでしまった。
謝るのはこっちだと、リョーマは俯いた。

「おい、しゃきっとしろよ。いつも通りのお前じゃないとこっちの調子も狂う」
跡部は飲み物を一気に飲んで、音を立ててグラスをテーブルに置いた。
「お前が悩むことじゃないだろ。問題は俺にある。そう言ったよな」
「でも」
「たしかに切っ掛けはお前にあるかもしれない。
けど元々は行動しなかった俺に原因がある。
仕方無いだろ?誰かを誘うなんてあり得ないことなんだ。
今までは相手から寄って来るのが当然だったからな」
溜息をついた後、跡部は頭を軽く掻いた。
「なのにもう一人の俺はやってのけたって言われて。
ずるいよな。同じ『俺』なのによ。
いや、ずるいとか考えている時点で、もう負けてるのか」
「……」
「お前にここまで想ってもらえるのも、そいつなら当然だな」

にっ、と不敵に笑う跡部の表情には卑屈さが無く、
心からそう言っているように思えた。

「だから俺はもっと頑張るべき、なんだよな。
いつかお前と再会した時、思わず惚れるようなそんな男になって帰って来てやる」
「は?」
まぬけな声が出てしまった。
目を瞬かせた後、リョーマは静かに跡部に問い掛けた。

「だってあんた留学するって、もう帰って来れないんじゃ」
「そんな訳ないだろ?俺の家はここにあるんだから、この先日本に帰る機会はあるだろうよ。
数年は無理かもしれねえが、その先はどうなるかわからない。
ま、再会の時は派手に演出してやるから期待しとけよ」
「期待って……」

得意げに親指を立てる跡部を見て、リョーマの体から力が抜けていく。

(やっぱりこいつ、跡部景吾だ。間違いない)

真面目な話をしているかと思えば、暴走して。よく知っている彼そのものだ。
ひょっとして誰かを好きになったら性格が変わってしまうんだろうかと分析する。
元の世界の跡部もそうだった。途中から言動が怪しくなっていった。
そのスイッチを押してしまったのが自分かと思うと少々複雑だ。

「でもその頃には、……俺は元の世界に戻ってるかもしれないっすよ」
小声であまり奇天烈なことはしないように伝えると、
跡部はやけに自信ありげに胸を張る。
「そうだな。元々のお前とはこの俺との接点が無い。もしここにいる越前リョーマが元の世界に戻ったとしたら、ここの越前の中では今までのやり取りは全部無かったことになるかもしれねえな」
「うん……」
「けど、一つわかったことがある」
「何すか?」
跡部は笑いながら答える。
「要するにここのお前も俺のことを好きになれば問題が無くなる。
なに、順番が違っただけだ。
好きになったら、結局それは今のお前……なんかややこやしいな、けど、俺を好きでいる世界のお前と上手く繋がるそういうことじゃねえのか?
だから俺は諦めないぜ。
越前リョーマがこの世界にいる限り、ずっと」
「跡部さん……」

そんな風に考えていたのかと、びっくりしてしまう。
どうやら跡部は自分より先に迷いから抜け出していたようだ。

ここでの越前リョーマが跡部景吾を好きになる。
通って来た道は違うけど、結果が重なっていく。きっとそれを言いたかったのだろう。

「だからお前も諦めるな。本当に好きな奴のところに戻れるよう、俺も祈ってる」
「うん」
顔を見合わせて笑った後、拳を軽く合わせる。

きっとこれが最後の接触。
リョーマも跡部もそのことに気付いていた。

「もう俺は明日には出発しているから、連絡は取れなくなる。
元気でいろよ、越前」
「明日?ずいぶん早くないっすか?」
卒業式はまだのはずだ。
その前に行ってしまうのかと、問い掛ける。
跡部は「仕方無いだろ。向こうでも色々準備があるからな」と言った。

「岳人達には黙っていろよ。お前だから話したんだからな」
「ちょっと待って。氷帝の人達には言ってないんすか?」
「ああ」
「どうして?見送りしたいって思っているはずなのに」

友人として、向日や忍足やきっと他の人だって。
跡部のことを慕っていたはずだ。
黙って行くなんて、と非難するような目で見てしまう。
「見送りは苦手だから、しょうがねえだろ。俺の柄じゃねえよ」
「だからって、そんな」
「あいつらのことだから、きっと騒ぎ立てるだろうし200人、いやそれ以上の人数で押し掛けられても困る。だからひっそり出発すると、決めていた」
「……」
「そういう訳だから、ここでお別れだな。越前。
最後の数日に、お前と会えて良かった」

何もかも吹っ切れたような跡部にリョーマは黙っているしかなかった。
答えを見つけてしまった人に、これ以上何を言えばいいのだろうか。

(そうだ……。一つだけある)

パッと顔を上げる。
本当はあちらの跡部に言いたかったことだけど。
この目の前にいる彼んも、きっと必要なことだから。
伝えよう。

「出発は何時っすか?」
「なんだ。見送りに来るつもりか。いらねえって言ってるだろ」
片手を振る跡部に、「行かないっすよ」とリョーマは言った。
「来ないのなら、何故知りたがる」
「その時間、空を見上げてあんたが行ったことを実感したいんだ。それだけ」
「それだけか」
「うん」
軽く息を吐いた後、跡部は「10時だ」と教えてくれた。

「10時っすね。うん、わかった」
「変わった奴だよな、お前って。知ってたけどよ」
「あんたに言われたくない」
リョーマは笑った。
「でもそんなあんたのことを信頼したり、心配してくれる人達は沢山いると思うよ。
その中にはあんたが失敗したとしても、笑ったり幻滅したり離れたりしない人がいるはずだ。
もっと周りをよく見てよ。
考えるよりずっと周囲には優しい人達がいる。それを忘れないで欲しいっす」
「越前……」
「以上、俺の話終わりっ」

その宣言に跡部は一瞬面食らったものの、すぐ神妙に頷いた。

「お前に説教される日が来るとはな。けど、心に留めて置いてやるよ」
「うん」
リョーマは立ち上がって、荷物を手に取った。
もうこれ以上一緒にいると、離れ難くなってしまう。
ここらで切り上げておくべきだ。

「じゃあね、跡部さん。向こうでも頑張って」
笑顔で告げるリョーマに、跡部も笑顔で応える。
「ああ。お前もな」

そのまま跡部はコートに残ったままで、見送ろうと立ち上がりもしない。
きっとそれが正しい。
リョーマもそうして欲しいとは思わなかった。
だから背筋を伸ばし、そのまま歩いて跡部の家を去って行く。

この道では本来出会うことのなかったはずの二人。
あっさりと別れた方が良かったのだ。お互いに。
後はそれぞれの人生で、生きていくのだから。








「おい、リョーマ。暇ならテニスしようぜ。テニス」
「ヤダ」ぼーっと空見上げているだけじゃねえか。お父様の相手しろよ」
「うーん、もうちょっと後でね」
「一体どうしたっていうんだ。これが反抗期かねえ」
南次郎のテニスの誘いを断り続けながら、リョーマは縁側に座って空を眺めていた。
こんな所から跡部に見える訳がないと知っていても。
10時が過ぎるまではここで見送ると決めていた。

(俺の分まで、向日さん達が送り出してくれているだろうけどね)

昨日、跡部の家を出た後リョーマはすぐ過去の連絡網から乾に電話をして、
向日と忍足の連絡先を手に入れた。
やっぱりこのまま黙って行かせるなんて、出来ない。
後で知ったら向日も忍足も怒るし、そして悲しむだろう。
大人数では控えて欲しいと念押しした上で、跡部の出発時間を教えた。

「わかってる。派手好きな奴だけど、見送られるのは苦手みたいだからな。
明日は元レギュラー達だけで地味に送り出してやるよ」
「後は俺らに任せとき」

二人がそう言ってくれたのだから、きっと大丈夫なはず。
空港に現れた元氷帝レギュラー達を見たら、きっと跡部は驚くだろう。
そして照れくさそうに笑うに違いない。

見られないことが、少々残念だ。

(もう、行ったかな……)

広い空を見上げて、リョーマは深呼吸する。

頑張れと無言のエールを送った後、
まだかと騒ぐ南次郎の相手をする為に、ぴょんと庭へと飛び降りた。


チフネ