チフネの日記
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2009年03月10日(火) 世界の枝葉 8 跡リョ スローモーションシリーズ

背を向けて歩いて行く跡部に、リョーマは追い付こうと必死で駆け寄る。
なのに、走っても走っても距離が縮まらない。
跡部は歩いているのに、どうしても追い付くことが出来ない。
とうとうリョーマは声を上げた。

「跡部さん!待ってよ、止まって!」
歩きながら、跡部がちらっと振り返る。
「今更何の用だ」
「何って」
「もう俺の顔は見たくないんだろ。お望み通り消えてやるよ」
冷たい言い方に一瞬怯むが、ここで引いてはいけないともう一度声を上げる。
「あれは本心じゃなかった。いきなりいなくなるって聞かされて、動揺したんだ。
お願いだから、俺の話を聞いて」
「ふーん。てめえの都合が悪くなったら、そうやって言い訳するのか」
また跡部は前を向いてしまった。

「いつでも俺が流してくれると思っていたのか。
だったら見当違いだったな。俺にだって心ってものがあるんだ。
話も聞かず一方的に傷付けられて、もう我慢も限界だ。
越前、お前には失望した」
「失望……」

リョーマの足が止まった。

一瞬だけ、最後に跡部がこちらを見る。
その目は冷たく、リョーマは思わず立ち止まった。

跡部はまた前へと進んで行く。
止められることも出来ずに、ここから動けない。

彼に失望されることが、こんなにも辛いことなんて。

そして跡部が誰かから、失望されることが怖いと言っていた意味がようやくわかった。
こんな時になってわかっても、もう遅いのに……。


酷く暗い気持ちに支配されながら、ぱちりと目を開ける。


「ゆめ、か」

ベッドの中でびっしょりと汗を掻いていた。
喉もカラカラに渇いている。
時間を見ると少し早いが、リョーマはベッドから這い出た。
このまま二度寝しても、悪夢の続きを見そうだ。


(最低な内容だったな)

頭を掻いて、溜息をつく。
本当に現実で言われそうな台詞だったから、余計に怖い。
それだけのことを跡部にしてしまったのだと、思い知る。
顔も見たくないなんて言って、跡部が傷付かないなんてどうして思ったのだろう。
あの時、振り返って跡部の元へ駆け寄って謝罪していたら、
おかしな世界に引き込まれることは無かったかもしれないのに。

ふらふらと机に近付いて、その上に置かれた携帯を手に取る。
迷わず跡部のアドレスを呼び出して、掛けてみる。

「繋がらない、か」

まだ枝葉に別れた世界の内の一つに飛ばされたままらしい。
一日毎に見知らぬ世界に飛ばされないだけマシかなと、自嘲気味に笑う。

いつまで自分は、ここにいるのだろう。

携帯の側に放り投げていたメモを無意識に見る。
こちらの跡部が訪問した時に置いて行った連絡先だ。


『俺と仲良くしても、困ることは無い。そうだろ?』

話すべきことは話した。
もう彼とは会わないと、リョーマは決めていた。








「おい、越前。ちょっといいか?」
「何すか桃先輩」
「副部長とは未だに読んでくれないんだな。まあ、いいけどよ……」

放課後の部活前に、桃城にちょっと来いと隅っこに呼ばれた。
なんだろと思いつつも、リョーマはついて行った。
今朝も昨日も朝練に遅刻はしていない。
怒られることは無いはずだと、小さく頷く。

隅まで移動した所で、桃城がくるっと振り返って口を開く。
「越前……。ここの所無理していねえか?」
「は?なんで?」
特に無理なんてしていないけど、と言うリョーマに、桃城は頭をがしがしと掻く。
「そうか?この前、倒れたばかりだろ。こういう時くらいは休むべきだろ」
「だから無理していないって。睡眠も十分取ってる、から」
嘘だった。
妙な夢や不安の所為で、いつもより睡眠時間は減っていた。
それを見透かされたのだろうかと桃城をじっと見詰めると、困ったように口を曲げている。

「そこまできっぱり言うなら、俺も強制的に休めなんて言えないけどよ。
なんだかお前が悩んでいるように見えたからなあ。
何かあったら話してくれよな。上手い解決法はすぐに出て来ないかもしれないが」
「……」

こっちの世界でも相変わらず面倒見のよい兄のような桃城に、知らず口元が綻ぶ。
きっとほとんど変わることの無い選択肢を選んで、ここにいるに違いない。
忍足みたいに何かのきっかけでがらっと趣味が変わったりするかと思えば、
向日や桃城のようにほとんど同じままというケースもあって不思議だなと考える。

けど、彼らが変わっていないことにほっともしていた。
これえ桃城が根暗だったり、向日が意地悪だったりしたら、
何の選択肢を違えてそうなってしまったのか悩むし、導く方法すらきっと思いつかない。
そう考えると忍足がフィギュアから正義の味方へ興味を変更したのは些細なことすら思える。


「越前ー、桃城ー。こないなところで密談か?」
「わぁっ!忍足さん!?」
後ろから声を掛けられて、桃城が素早く飛び退く。
ちょうど忍足のことを考えていたリョーマも、びっくりして肩を揺らした。
「何やっているんですか、そんなところで」
「何って、越前を探しに来たんだけど」
丸眼鏡をくいっと上に上げて、忍足は言った。
すぐ隣には向日もいる。
「越前に話がある。ちょっと時間取れるか?」
「いや、部活始まるから、無理」
どうせ跡部絡みだろうと思って、リョーマは首を横に振った。
彼の話なら聞きたくも無い。

なのに桃城が「おい、越前!わざわざ来てくれたのに、そりゃねえだろ」と二人の援護をする。
「行って来いよ。なんなら早退していいぞ」
「何言っているんすか。そんなの許される訳無いでしょ」
まだ海堂はここにいないが、さぼって抜け出したと知ったらグラウンド100周は避けられない。
冗談じゃないと目を険しくするリョーマに、桃城は「大丈夫だって」と胸を張った。
「海堂もお前の不調を見抜いているからな。何かあったらすぐ帰らせるようにって頼まれてるんだ」
「何も無いから帰らないっす」
「越前ー!これは副部長命令だ。不調の間はコートには入れさせない。
今日はこの二人に送ってもらえ。いいっすよね?忍足さん」
「ま、ええけど」
忍足は肩を竦める。
「越前は不満そうやな。このまま大人しく帰らへんとちゃうか?」
「帰らせますよ。おら、越前。部室に行ってとっとと着替えて来い。今日は絶対コートに入れないからな」
「横暴っすよ、桃城先輩!」

しつこく食い下がったものの、桃城は「駄目」の一点張りで仕舞いには腕を引っ張られて部室まで連れて行かされた。
こうなったら参加は出来そうにない。
渋々リョーマは、放課後の練習を諦めることにした。

「ばあさんにも俺からよーく説明しておくからな!」

手を振って見送られて、リョーマは校門へとトボトボ歩き出した。

「おい、越前っ。おい」
「……」
向日からの呼びかけを無視する。
こうなったのも、二人が青学に来るからだ。
八つ当たりだと言われても、態度を改めるつもりは無い。
「そないな怖い顔されたら悲しいわ。ええ加減、こっち向いてくれんか?」
「……」
「おい、俺達のこと無視してるぜ。どうするんだよ、侑士。お前が青学行くって言い出したんだろ」
「せやかて、正義の味方はどんな些細なことも見逃せないんや。
あーあ。このまま跡部を行かせてもええんやろうか。旅立ちの日まで残りも少ないいうのに」
「え?」

思わずリョーマは振り返ってしまった。
跡部の留学の日がそんなに早くだとは思わなかったからだ。
精々、春休み後半くらいだと考えていたから……。

「やっとこっち向いたな、越前」
向日が勝ち誇ったように笑う。
「跡部の気持ちを引っ掻き回して気にも留めてないと思ったが、違うみたいだな」
「違わない。俺はあの人のことなんて、なんとも思ってない」
無表情を装って言ったが、忍足に笑われてしまう。
「めっちゃ動揺しているやんか。跡部がいつ行くか、知りたいやろ?
教えてやってもええけど、その前に俺らの話を聞いてくれんか?」
「知りたくないっす」
「うわっ!薄情やな!」

大袈裟に驚く忍足を押し退けて、向日がずいっと顔を近づけてくる。

「越前、お前には聞く義務があると思うぜ。
留学間近になって跡部の前へ現れて、動揺させたツケくらいは払うべきだろ」
「……」

何も言い返せない。

向日の言う通りだ。
本来なら、ここでの越前リョーマと跡部景吾は擦れ違ったまま離れて行く道を辿っていくはずだった。
なのにいるべき存在ではない自分の所為で、こちらの跡部を巻き込んでしまったのは事実だ。

傷付いたような、あの顔。
あれは紛れも無く自分に責がある。

(関わったりしなければ、ここの跡部さんは余計なことを考えずに留学していたのに)


沈黙を肯定と受け取ったのか、向日は強気な態度に出た。
「話出来るところへ移動しようぜ」






三人で移動した先は、よくあるファミレスだった。
学生達が集まっているテーブルが多い。
喧騒から少し離れたところに、リョーマ達も腰を下ろした。

「正義の味方として、ここは何を頼むべきやろうか。悩むわ」
メニューを見ながら、忍足は真面目に悩んでいる。
「トマトジュースでも頼んでろ。俺はパイナップルジュースにしとく」
投げやりに言う向日に、忍足が反応を示す。
「そうか!日々健康的なものを選ぶのはそれらしいな。よっしゃ、トマトジュースにしとくわ」
「本当にそれにするのか……」
「越前も同じものでどうや?」
必死で正義の味方へ引き込もうとする忍足の視線を感じて、
リョーマは慌ててメニューに目を通した。
「俺はソーダ水にするっす」
「なるほど。ソーダ水の色はグリーン。越前、そないにグリーンのポジションを」
「あー!もう、いいから注文するぞ!」

そんな馬鹿らしいやり取りしてオーダーをした後、不意に向日が真面目な顔になった。

「越前。この前、俺達と店に行っただろ。それから跡部と一体何話したんだよ」
「えーっと」
向日の力強い視線に、リョーマは珍しくたじろいた。
これはただ事じゃない。
跡部の様子はそんなに深刻なんだろうか。
どう答えようかと目を泳がせていると、忍足にも詰め寄られる。
「跡部がえらい落ち込んでいてなー。
あの帝王様が気付くと溜息ついてるんやで。そりゃ気になるわ」
「跡部さんが落ち込んでいる原因が俺だけにあるとは考えられない。
留学を前にして疲れているんじゃないの」

自分の所為じゃないと言い訳するリョーマに、忍足は首を横に振った。

「それは違うな。あいつは留学することに迷いは無かった」
「…忍足さん達にもわからない悩みを抱えてるかもしれないじゃん」
チームメイトでさえ、跡部が誰かからの失望を恐れていると気付いていない。
一方から見ただけではわからないと、リョーマは言いたかったのだがそれも却下されてしまう。

「せやけど、越前が現れてからやで。
それまで跡部は悩むよりも前に進もうとしてた。今は後ろ向きになっているようでなあ」
「侑士に言われて俺も跡部の様子を探ってみたけど、たしかに落ち込んでいるように見えるな」
同調するように、向日も頷いた。
「絶対、越前に原因があるって侑士が言うからお前に会いに来たんだぜ。
お節介だと思うけど、跡部をあのままの状態で送り出すのも気の毒だからな。
解決してやろうなんて、大それたことは出来ないかもしれないけど、まずは一歩だ。
なあ、跡部ともう一度話をしてやってくれないか」

忍足と向日の真摯な目を見ていられず、リョーマは下を向いた。

(全く……意外にも人望があるから困るんだよ)
こんな風に動いてくれる良き友人がいることを、跡部は気付いているのか。
自分で思っている以上に優しい人々に囲まれているんだって。
理解したらきっと、失望に怯えることも無くなっていくだろうに。

話が途切れたタイミングで、店員がテーブルに注文の品を置いた。

「あんまり美味しくないわ」
「…自分で決めて頼んだくせに」
呆れたように言う向日に、リョーマはぷっと小さく吹き出した。
「ほら見ろ。越前だって笑っているじゃねえか」
向日の言葉に、リョーマはまた笑う。

どうってことのない風景に、懐かしさと感傷が混ざる。
笑いながら、リョーマは目元を拭った。
こみ上げてきたのは別の意味でだけれど、この状況なら悟られることは無いはず。
「ごめん、あまりにも二人のやり取りがおかしくて」
「ほらみろ。お前が正義の味方だとかおかしなことを言っているからだろ」
向日が肘で忍足を突く。
「何が悪いんや。俺は信念を元に行動してるだけやで」
「はー、そうかよ」

一見ちぐはぐな二人だけど、友人への思いやりは本物だ。
それに敬意を払おうと、リョーマは口を開いた。

「あの、二人の話を聞いて考えてんだけど、もう一度だけ跡部さんと話をしてみようと思う」
「ほんまか?おおきに、越前」
「越前!お前ならわかってくれると思っていたぜ!」

笑顔になる向日に、「な、青学に来てみてよかったやろ」と、
正義の味方が得意げな顔で赤いグラスを掲げた。

それから二人と取り留めの無い話をしてから、リョーマはまず家へと帰った。
まだ跡部と直接会うのは気が引ける。
だから携帯に掛けてみようと考えた。
メモを手に取って、そこに記されたナンバーを押していく。
数秒の後、「はい」と聞きなれた声が出た。

「あの、俺……越前だけど」
『お前だったのか、知らない番号だったから出るのかどうか迷ったけど取って正解だったな』
先日のやり取りなど気にしていないかのような声に、ほっと安堵する。

「そういえば、俺の番号は教えていなかったっけ」
向こうでの感覚が抜けていないせいか、跡部が知らないという方が不思議な気分だ。
でもここではそれが普通のこと。

お互い学校も違うし、学年も違う。
本来テニスコート以外で接点の無いはずの自分達を結びつけたのは、
元いた世界の跡部が行動したからだ。
その出来事が起きていないのなら、大会以降出会うことも言葉を交わすこともなく過ぎて行ってしまう。

「あの、跡部さん」
『なんだ』
「さっき忍足さん達が来て、あんたの様子が変だって教えてくれたんだ」
『……』
「それ、俺の所為っすか?この前変な話をした所為で、だから」
『違う』
きっぱりと否定される。

『お前の所為なんかじゃねえよ。どっちかというと原因は、俺にある』
「本当に?」
思わず心配そうな声が出る。
お前らしくない声だなと跡部は笑い、『気にすることはねえよ』と言った。

『ただ考えているだけだ。どうして俺はあの時、お前の所へ声を掛けに行かなかったんだろうってな。
お前がよく知っている俺は、迷いながらも声を掛けたんだろ?
自分に出来ないことをやったそいつに、ムカついている。何もしなかった俺にも。
もっと早く切っ掛けを掴んでいったら、今更後悔することなんて無かっただろうに』
「跡部さん」

携帯を握り締めている手が震えていた。

やはり自分が彼に会いに行った所為で、こんな思いを掘り返してしまった。
どうしようと、空いているもう一方の手で額を押さえる。

「ねえ。俺に出来ること何か無いっすか」
気付けばそんな言葉が口から出ていた。

もうすぐ旅立つ彼の為に、何かしたいと思ったからだ。
罪滅ぼしのつもりかもしれない。
けど、何もせず別れるのも嫌だった。

『そうだな。もしお前がいいって言うのなら、もう一度試合がしたい』

跡部の声に、リョーマは迷い無く「いいよ」と答えた。
「時間と場所は?明日でもいいっすよ」
『そう急くな。俺も忙しいし、お前も本調子じゃないだろ』
「平気っす」
『お前の平気は当てにならない。そうだな、×日はどうだ。
時間は土曜だから、昼からでもいいな』
「うん」

例え部活が入っていてもサボってでも会いに行くつもりだった。
約束をして、電話を切る。




その当日に知ったことだが、
跡部は次の日にはもう出発することが決まっていたのだ。


チフネ