チフネの日記
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| 2009年03月09日(月) |
世界の枝葉 7 跡リョ スローモーションシリーズ |
黙ったまま動けないリョーマを見て、跡部はやっと襟首を掴んでいた手を放した。
「一体なんて顔してやがる」 軽く溜息をついてから、自分の髪をがしがしと掻く。 「本当にお前はあの越前なのか?試合の時とはまるで別人のようだぜ。 いや、俺が知らなかっただけか……」 そう言ってから、今度は手を掴まれる。
「跡部さん?」 顔を上げると、穏やかな目がこちらを見ている。 「ちょっと場所変えようぜ。 お前がそんな顔をしている理由、じっくり聞かせてもらおうじゃねえか」 「だから、俺から話すことなんて無いも」 「あるって顔してる。俺が言うんだから、間違いない」 自信満々に言われ、リョーマは言葉を詰まらせた。
何故こんな自信満々に言えるのだろう。 全部見抜かれているとは思えないけど、あながち外れていないのだから困ってしまう。 ここで逃げても、納得するまで追って来る気がする。 だったら、いっそのこと。
(全部話してみるか)
おかしな奴だと思われてもいい。 どうせ留学して会えなくなる人なのだから。 この奇妙な体験をぶちまけてしまっても、構わないはず。
よし、と腹を括ったリョーマはそのまま大人しく跡部が呼んだ車に乗り込んだ。 どうせなら人に聞かれない所で話したい。 そんな場所ならどこでもいい、と跡部に行く先を任せることにした。
「で、あんたの部屋って訳か」 「あーん?何か文句あるのかよ」 「無いっす。ここでなら誰にも聞かれずに済みそうだから」 「ふん。さっきまで逃げようとしていたくせに、やっと話す気になったか」
淹れ立ての紅茶の入ったカップを手に取って、跡部はリョーマをちらっと見た。 リョーマの前にも同じカップが置かれている。 来客用のものだ。 元居た世界でも、最初に足を踏み入れた時似たような感じのカップを出されたのを覚えている。 今ではリョーマ専用にと、猫の柄が入ったカップやグラスが出て来る。 猫、好きだろう?特別に作らせたんだと得意げに言う跡部に、 そういう意味じゃないと思ったが、折角のカップをこのまま未使用で眠らせるのも悪いと思ってあえて何も言わないでおいた。 白地に紺色の猫のシルエットの入ったカップは、リョーマにとってお馴染みのものとなって出されても違和感が無くなっていた。 薄い緑色に金色の猫のシルエットが刻印されたグラスも。 この世界にはそれが無いんだと思いだし、少し切なくなる。
「どうした。遠慮せず飲んだらどうだ。自慢じゃないが、うちの紅茶は結構いけると思うぜ」 「……うん」
知ってるよ、と胸の中で呟いてそっとカップに口をつける。 何度もご馳走になった馴染み深い味が広がった。 跡部と親しくならないまま時間が経過した世界だが、紅茶の味も、この部屋も変わることはない。
懐かしさに、錯覚しそうになってしまう。
(しっかりしろ。この人は俺が知っている跡部さんじゃない)
それを話す為に、ここまでやって来た。 感傷に浸っている場合じゃない。 リョーマはもう一口紅茶を飲んでから、カップをテーブルへ戻した。
「これから話すことは冗談でも嘘でも無い。 それだけはわかって欲しいんだ」 背筋を伸ばして跡部に話しかける。 跡部もスッと真面目な表情になって頷いた。
「ああ、わかっている。 それにさっきも言ったよな。笑ったりしないし、ちゃんと聞くって」 「うん」 「じゃあ、お前は言いたいことを言えばいい。 俺は黙って聞いているだけだ」 「……わかった」
そしてリョーマは語り始めた。
本当にいるべき場所はここじゃないこと。 もう一つの世界で、そちらの跡部とどんな風に過ごしているか。
話が上手な方ではないから、説明につっかえたり、しどろもどろになったりしたが、 跡部は最後まで口を挟むことなく静かに聞いてくれた。
「どう、だった?」
全部言い終えたと思うところで、リョーマはちらっと目の前にいる跡部を見た。 腕を組んで考えている。
(きっと突拍子も無い作り話をしたおかしな奴と思っているんだろうな)
それでもいいや、とリョーマはカップに再び手を伸ばした。 すっかり冷めていたが、喉の渇きを潤わせることが出来るのならなんでも良かった。 ぐいっと残っている液体を一気に飲み干す。
「つまり、あれか……パラレルワールドみたいなものか」 ようやく口を開いた跡部は、考え込むようにしながら言った。 「けどおかしいな。この世界でも越前リョーマという人間はたしかに存在している。 お前が向こう側から来たって言うのなら、元からいた奴はどうしたんだ。 入れ替わったとでもいうのか?」 「わかんないよ、そんなの」
そもそも違う世界に飛ばされたというだけで、理解の範囲を超えている。 簡単に答えを出せるのなら、苦労はしていない。
「むしろ、そうだな。お前が俺……っていうか、あっちの俺、ああ、もうややこやしい。 お前がいたという世界での俺と留学の話をする前に戻りたいと強く願ったことが、偶然にも叶った。 しかし願いは中途半端で、俺と深く関わることが無かったこの世界に来ることになった」 言いながら、跡部は首を傾げる。 「もしかして、願いが叶った時点で元の世界は無かったことになったんじゃねえのか? こっちがお前にとって本当の世界に取って変わったのかもな」 「そんなの困る!」
思わずリョーマは立ち上がって叫んでいた。
「俺は戻らなくちゃいけない。だって、まだあの人と何の話もしていないのに……」 最後に見たのは、酷く傷付いた跡部の表情だった。 一方的に罵って、その場から去ったのが今生のお別れなんて。 そんなの絶対認められない。
「わかった、とにかく落ち着け」 両手を挙げて、こっちの跡部が宥めるように言った。 「確定した訳じゃないだろ。あくまで俺の仮説だ。そんなに興奮すんな」 その声に、リョーマは少し落ち着きを取り戻した。 たしかに、まだ決まったわけじゃない。あくまで思った意見を口に出しただけだ。 「ごめん。ちょっと、頭に血が昇った」 もう一度、椅子に腰掛けた。
「こんな話を真面目に聞いてくれてるのに、大声出して悪かったね」 「いや。お前の様子を見ていても、嘘を言っているようには見えなかったからな」 けど驚いた、と跡部は苦笑いをする。 「よりによって、別世界からのお客さんか。人生色々あるって、本当なんだな」 「感心するようなことじゃないし……。それに作り話かもしれないっすよ?」
こんな荒唐無稽で、とても信じられないような出来事。 信じてもらえるとは思っていない。 正直な気持ちを話すと、跡部は豪快に笑った。
「それこそ疑い出したらキリが無いだろ。だから、まあ信じてやる」 完全に理解は出来ねえけど、と肩を竦める。 「お前が本当だと必死で訴えなかったら、嘘だと思うんだがな。 けど俺の気を引く為にしちゃ、話がぶっ飛び過ぎてる」 「……なんであんたの気を引かなきゃならないの。しかもこんなしょうもない話で」 「だな」 くくっ、と跡部はまた笑う。
「けど、もう一人の俺か……。少し興味あるな。 どうだ。お前から見てどっちがいい男に見える?」 くだらない質問に、リョーマは眉を潜めた。そんなこと話している場合じゃない。 「あのさ、俺はあんたが話をしろって言うから全部打ち明けたのに、 気にする所がそこなんだ?馬鹿馬鹿しい」 「そうか?普通は気になるはずだ。それに俺の方がいい男なら、可能性があるって訳だ」 「何の?」
意味がわからずリョーマは瞬きする。 可能性って何のことだろう。
その間にさっと立ち上がった跡部は、大股で近付いて来る。 隣に立ち、リョーマの肩に手を置いた。
「決まっているだろ。この先、お前が選ぶのは俺だってことだ」 「はああ?」 思わず声を上げる。 冗談だと言って欲しかったのだが、跡部は肩に置いた手を外そうとしない。 しかも真面目な表情で言っているから困る。
「……からかっているんだよね?そうっすよね?」 仕方なくリョーマは確認する為に質問をした。 なのに跡部は軽く首を振って、「そんな事嘘でも言えるか」と答えた。 「だ、だって!そう!最初に会った時、女連れだったじゃん。付き合っている相手がいっぱいるんでしょ。 そっちを相手にしなよ」 動揺しながらさりげなく跡部の手から逃れようとしたが、がっちりと掴んで離れない。 結局こうなるのかよ、と顔を引き攣らせた。
「あん?気になるのか」 「そうじゃなくて、俺は事実を言ってるだけっす」 「安心しろ。あんなのただの取り巻きだ。留学する前に最後の思い出だとかいって、纏わり付いて来る。気にしなくてもいいぜ」 「だからって、こっちに来ること無いから!俺は自分の跡部さん一人で間に合っているから」 意味不明だと思いつつ、リョーマは必死で抵抗をする。 このままではまずい。 こっちの跡部に迫られても困るだけだ。 だからひたすら「遠慮する」と拒否の言葉を繰り返した。
「そんなに嫌なのか?」 傷付いた表情をする跡部に、ずるいと思った。 元々は同じ顔なのだから、どうしたって動揺してしまう。
(しかも、俺が冷たい態度を取った時にそっくり……。あの顔が可愛くて、それ以上意地悪言えなかったんだよなって呑気に思い出している場合か!)
別人別人、とリョーマは自分に言い聞かせた。
「嫌とかじゃなくて、あんたは俺の跡部さんじゃないから。ごめんなさい」 「俺の、とか言っているが付き合っていた訳じゃなかったんだろ?」 「……」
そこまで話してしまったことを、今更ながら悔やむ。 好かれているのはわかっていたけど、保留にしてたなんて。なんで言ってしまったのだろう。 嘘ついて、交際してたと宣言しとけば良かったのかもしれない。
「じゃあ、いいじゃないか。俺に乗り換えろよ」 「よくない。大体、なんでそんなこと言い出すかさっぱりわかんない。 俺に興味なんて無いんでしょ。おかしいよ」 この世界は、大会後に跡部から声を掛けられないままの状態から進んでいる。 すなわち、行動を起こす程興味を持たれてないとリョーマは考えたのだが、 その読みは甘かった。
「興味は無いことは無かった」 「え」 少しぶっきらぼうな口調で言う跡部に、リョーマは目を見開いた。 「目を引くのは当然だろ。俺のことを公式で負かした一年だぞ。 無視出来るはずがないか。 お前の実力は、認めている。それは嘘じゃない。 けど俺からまた試合しないかと誘うには、高過ぎるプライドが邪魔した。 お前から『どうぞ、お願いします』と言って来たら絶対断らなかったんだがな」
跡部の言葉を聞いて、リョーマは片手を振った。 「そんな風に俺が言う訳、絶対にない」 跡部が声を掛けて来たからこそ、始まったのだ。 もしあの行動が無かったら、この世界と同化してたのだろうか。
(だとしたら、跡部さんの踏み出した一歩ってものすごく大きいのかも) 今更ながら、評価する。
「そうだろな。 けど、今お前はここに来て、俺の前で話をしている。 しかも俺じゃない俺を想っているとか滅茶苦茶な話ながら可愛い顔見せやがって。 さすがに心動かされるな。責任取れよ」 「責任って!だから俺が会いたいのは、あんたじゃなくって」 「越前」
跡部がそっと耳に口を寄せる。
「お前はもう帰れないかもしれないんだぞ?手掛かりも無い。その後はどうする? ここにいるしか無いだろうが。 俺と仲良くしても、困ることは無い。そうだろ?」
その瞬間、リョーマは跡部の体を突き飛ばすようにして立ち上がった。
「ふざけんなっ」 強い怒りを込めて、言い放つ。 「俺は絶対に帰る。あの人がいる世界に、戻るんだ」 「おい!」 「あんたとはもう会わない」
そのまま背を向けて部屋から出て行こうとした。 が、走って追いついて来た跡部に、強い力で引き止められてしまう。 「放せっ」 「もう何もしない。だから大人しくしてろ」 「そんなこと信じられるかっ!」 「帰るつもりなら車で送ってやる。 俺はここに残る。運転手に頼むから、ちょっと待ってろ」 「一人で帰れるっす」 「駄目だ。病み上がりなんだから、無茶するな。これも最初に言ったよな?」 「……」
そのまま腕を開放される。 本当に何かする訳じゃないらしい。 すたすたと歩いて、部屋の隅に置いてある電話機を取って内線で車を出すように指示を出している。
ぼんやりと跡部の行動を見ながら、リョーマは軽く息を吐いた。 なんだか疲れてしまった。 たしかにここから一人で帰るのは、少し辛いかもしれない。 ここで抵抗してみせても、きっと跡部は言うことを聞いてくれないだろう。 黙って車に乗った方が良さそうだ。
「じゃあな、越前」 「……」
別れもあっさりしたものだった。 跡部は車まで見送りに来ることなく、自室から出ようとしない。 迎えに来た使用人に連れられて、リョーマは車に乗った。
心地よい振動に揺られながら、家へと向かう。 流れる景色を瞳に映し、先ほど跡部に言われたことを思い出す。
『お前はもう帰れないかもしれないんだぞ?手掛かりも無い。その後はどうする?』
そんなはずは無い。 きっと元の世界に帰ることが出来るはずだ。
そう信じていなければ、崩れてしまいそうになる。
(俺だって、いつでも強くいられる訳じゃない) シートに体を凭れて、そっと両手で顔を覆った。
チフネ

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