チフネの日記
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昼過ぎから降り出した雨は、放課後になっても勢いは収まらない。 しばらく続きそうだな、と僕は窓の空を見て呟いた。
「やっぱり今日は休みだってよー。今から大石も他の学年に連絡回すって言ってた」 「そう」 とてもじゃないけれどコートに出られそうにない天気なのはわかっていたが、室内トレーニングとして部活を行うかもしれない。 確認して来てくれた英二に礼を言って、僕は立ち上がった。 「不二、帰んの?」 「ううん、図書室に寄って行く」 借りていた本を見せると、英二はちょっとだけ眉を寄せた。 「またそんな難しそうなもの読んでるー。俺は行かないからなっ。 さっきも大石となんか食べに行こうって喋ってたんだ。不二も一緒にって思ってたのにー」 「ごめん。そろそろ返却の期限が迫っているんだ。新しい本も借りたいし」 「また借りるの?本なんて読んで面白いのかよ」 呆れるように言う英二に、僕は「うん」と笑顔を向けた。 「じゃあ、また明日ね」 「あ、ちょっと待った。今日っておチビが当番の日なんじゃない?」 期待に満ちた目に、冷静に返事をする。 「さあね。誰が当番かまでは知らないし」 「本当ー?」 「何勘ぐってるの。別に越前が図書委員だからって通っている訳じゃないし」 「それもそうか。俺の考え過ぎだよねー。大体不二はおチビのこと相手にしてないし」 あっさりと引いた英二は「じゃーねー」と片手を振る。
(別に彼が当番とかは、あんまり関係無いんだよね…)
用があれば行くし、無ければ行かない。それだけのことだ。 それでも居たらちょっと嬉しいかな、と思う。 今日は部活が休みの為、顔を合わすことは無い。 こんな雨だ。用が無ければ越前は今頃帰宅している所だろう。 でもたまたま当番の日で、図書室に居たら? 運命っぽいかも、と柄にも無いことを考えて笑ってしまう。
(そんな偶然、滅多に無いか)
図書室のドアを開けて、中へと足を進める。
「あ、不二先輩」 「越前?」 驚いた。 出来すぎる偶然が、ここにあった。 越前の大きな目が僕を捉えたと思うとすぐに、たたっと駆け寄ってきた。 「先輩、一体どうしたの?俺に会いに来たとか?」 「越前…ここ図書室だよ。走るのは感心しないな」 他の生徒からの視線を受けて、僕は声を潜めて注意をした。 すると「ごめんなさい」と素直な反応が返って来る。 「嬉しくって、つい」 「次回からは気をつけてね。他の人もいるんだから」 「はーい」 小さな声で真面目に返事する越前が可笑しくって、思わずくすっと笑ってしまう。
「本の返却に来たんだよ。ほら」 持っていたものを見せると「なーんだ」と越前は小さなため息を零した。 「俺に会いに来てくれたかと思ったのに」 「君がいつ当番なのか、知らないんだけど」 「今度教えます」 「その時に来るとは限らないよ?」 「それでもいいっすよ。いつか来てくれるかもしれないって、期待して待つのは嫌いじゃない」
テニススタイルは攻撃型。 恋愛面でも積極的に動くし、びっくりするような告白もするくせに。 こういういじらしいギャップ見せる所に、くらくらしてしまう。
(ちょっと、冷静になろう…)
まだ子供、まだ12歳。今応えるには早いと言い聞かせて、何でもないような顔をして本を差し出す。 「返却お願いしてもいい?」 「うん。ねえねえ、それ返したら、また新しい本借りる?」 「一応そのつもりで来たよ」 「じゃあさ、俺も一緒に面白そうな本探してあげるよ」 「君が?」 「役に立つと思うよ。あっちの奥とかお勧めあるし」 「……」 越前が指差した方を見て、僕は顔を引きつらせた。彼の考えていることが、なんとなくわかったからだ。 「越前、人気の無い所に向かって何するつもり?」 「え、別に、先輩にキス迫ろうとかそういうことを考えてる訳じゃなくって」 「本音が漏れてるよ…」 しまった、と口を塞ぐ越前に、やっぱりなと肩を落とす。 そんな事だろうと思った。 「いいよ、一人で見てくるから」 「先輩、ちょっと待って」
腕を引っ張る越前にどうしたものかと困っていると、 「越前君!カウンターで待ってる人を放って何してるの!」 「げっ」 「さぼってるのなら、本の片付けに回る?」 もう一人の図書当番らしき女子生徒が、越前と僕の間に入って来た。 三年生らしいその子は、越前を無理やりカウンターへと引っ張って行く。
「先輩〜」 越前の声が響くが、僕は聞こえない振りをして書物の棚へと足を進めた。 見える所にいたら、また越前はカウンターを放って来てしまうかもしれない。 ここは心を鬼にするべき所だ。 他の生徒の迷惑にならないようにする為にも。
とはいえ、越前の行動が気になって仕方ないのも事実。 なのでこっそりこっそりと、棚の間からチェックすることに決めた。
早速さっきの三年の女子が、越前にお小言を言っているような場面が見えた。 ただでさえ部活で当番する日が少ないのだから、きちんとやれとか、そんな感じか。 越前は動じること無く横を向いて、説教を流してしまっている。 ここら辺りは手塚からの注意を無視する態度とよく似ている。 あ、今何冊か本を押し付けられた。 だったらこれ片付けて来てよと、そんな感じだろう。 苛々している表情の彼女に越前は何を言う訳でも無く、無視してカウンターを出て行く。 あの子の中に年功序列という言葉は無いなと、僕は確信した。 テニス部の中で我関せずと自由な行動をする越前が、ここできちんとするとは到底思えない。 一緒の当番になったのが運の尽きだと、僕はカウンターの中にいる女子に少しばかり同情をした。
「不二先輩、何してるんすか?」 「わっ、越前。なんでここにいるの」 越前のことを分析している間に、いつの間にか背後に回っていたみたいだった。 「本の返却して来いって言われたからっすよ。先輩は?面白そうな本は見付かった?」 「あー、えっと」
越前の行動ばかり見ていたから、探していなかったとは言えない。 困っている僕に、不思議そうな目を向けてくる。
「先輩?」 「まだ見付からないから、もうちょっと探してみるよ」 「そうなんだ。じゃあ、俺も」 「お手伝いは遠慮するよ。越前は図書当番の仕事をやらなくちゃ駄目でしょう」 「…はい」
先に釘を刺されて越前はしゅんとなってしまった。
(どうして、こうも僕の言葉に過剰な反応するかな) 当たり前のことを言ってるだけなのに、罪悪感で胸がいっぱいになってしまう。 これが計算だったら大したものだが、越前は吹き込まれでもしない限りそんな演技をするような子じゃない。 素の状態だから余計に困る。 何か言わなくちゃと、僕は口を開いた。
「あの、越前」 「ん?」 「その、…ここが閉まるまで待っているから、一緒に帰らない?」 思わず出した言葉に、自分でも驚いた。 一気に関係を進めるのはまずいと思って、自分から出来るだけ距離を保とうと今まで頑張っていたのに。 でも。 「本当っすか!?でもいいの?まだ時間掛かるよ」 「…うん。本でも読んで待っているから平気。途中の分かれ道までで、良かったら」 「全然、構わないっすよ」 嬉しそうに笑みを零す越前を見て、誘って良かったなと思った。
(あー、やっぱり可愛いな)
急に生き生きとして「本片付けてきます」と去って行く後姿に、緩む口元を押さえた。
越前のあんな笑顔、他の人が見たらきっとびっくりするだろうな。 今よりも、もっともっとファンが増えるかもしれない。 誰だって好きになってしまうよ。
(でも12歳……さすがに越前の望むように応えるにはまだ早いと思うんだよね)
付き合うことを承諾したら、僕だって抑えてる衝動を堪えることが出来るかどうか。 はっきりいって自信無い。 だからもう少しこのまま、付かず離れず今の時間を過ごせていけたら。 そんな風に思うのは、我侭なんだろうか。
一冊の本を取って、僕は空いている席に腰掛けた。 時折こっそり越前の様子を伺うが、今度は真面目に委員の仕事をこなしている。 そうして脱線しながら読み進めている間に、閉館の時間になった。
「雨、止んだっすね」 「本当だ。もう少し早く止んだら、…ってさすがに今日の部活は無理だったか」 越前が図書室の鍵を返しに行くのを待ってから、二人で下駄箱から外へと出た。 あんなに降っていた雨は上がって、うっすらと夕日の光が空を赤く照らしている。
「俺は部活無くて良かったかも」 「どうして?」 不要になった傘を左手で揺らしながら、越前は答える。 「おかげで先輩と一緒に帰れた。いつもはテニス出来ないから雨なんて嫌いだけど、今日は別。 恵みの雨だと思ってる」 「大げさだなあ…」
ストレートな言葉にドキっとしながら、僕は一歩先を歩いた。 越前の包み隠さない言い方にはまだ慣れなくて、その度に鼓動が早くなってしまう。 落ち着こうと無口でいる僕に、越前がくいっとシャツを引っ張って来る。
「何?どうかした?」 「いや、…もっとゆっくり歩いて欲しいっす」 「え?」 足が痛いのだろうかと慌てて振り返る僕に、 越前は真っ直ぐ視線を向けたままで言った。 「こんなに早く歩いたら、すぐお別れしなきゃいけなくなるでしょ。 出来るだけもっと一緒にいたいから、そんな速く歩かないで」 「越前…」 シャツを掴む手を緩めたかと思うと、またいつものように腰にしがみ付いて来る。
「自分では結構前向きだと思っていたけど、先輩に関すると途端に駄目になる。 今だってずっとこのまま時間が止まればいいのに、なんて考えるのって変だよね。 でもそれが正直な気持ち。今のこの幸せなままで、明日が来なくたって構わない。先輩のこと、こんな風に掴んでいたいよ」 「……」
越前の顔が赤いのは、夕陽に照らされたからだけじゃないだろう。 恥ずかしい気持ちをわかっていながらも、真っ直ぐに心をぶつけて来る。 そういう所、すごく好きだとまた思った。
だけど僕は彼より年上だから。 宥めるように越前の頭を撫でながら、そっと口を開いた。
「明日が来なくてもいい、そんな風に考えちゃ駄目だ。 今のまま止まっていたら、素敵な未来に出会うことが出来なくなっちゃうよ」 「でも、俺は」 「越前。君はある可能性のことを忘れてる」 「何それ?」 「明日か明後日か、もっと先の未来か。とにかくその頃の僕が君に好きだって言うかもしれないってこと」 「え…?」 「その可能性を捨てて、ここで立ち止まることを選ぶ?それが望みなの?」
その言葉を聞いて、越前は首を横に振った。
「ううん。先輩が俺に好きだって言う未来が待っているのなら、迷うことなくそっちを選ぶ。 だってその方が今より幸せに決まっているよ」 「うん」 「よし、明日からも頑張ろう。先輩、覚悟しておいてよ」 「お手柔らかに…本当に無茶だけはしないでね」
吹っ切れたように笑う越前を見て、僕も一緒に笑った。
(今回はちょっと焦った。相変わらず僕をびっくりさせることに掛けては、天才的としか言いようが無い…)
ずっとこのまま一緒にいられると望むのなら。 その為にも、早く成長してよね。 キスすることすら躊躇われるような幼い外見に、何度罪悪感を覚えたことだろう。
(今すぐ二人の未来にジャンプ出来たら、どんなに良いか) 越前は未だ腰に手を回したまま離れようとしない。 我慢我慢と言い聞かせてる内に、僕の額にうっすらと汗が浮かんだ。
チフネ

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