チフネの日記
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2008年08月08日(金) 青春はこれからだ(千リョ)


「お疲れ様でした!」
部長の声に、本日の部活が終了する。
流れる汗をタオルで拭って、千石はネットへと向かった。
片付けは一年生の役目。かったるいなんて言ってられない。
もう一人の一年とネットを畳んでいると、二年の先輩から声を掛けられる。

「おい、千石」
「何すか」
「明日さー、部活休みだろ?」
馴れ馴れしく先輩に肩を掴まれる。この時点で嫌な予感がした。
「何か予定入っているか」
「まあ…」
特には無いが、あいまいに答えておく。
嫌なら断れるよう、その為の準備だ。
「よし、ないな。じゃあ、海行くぞ、海」
「ちょっ、待って下さい。俺予定あるって」
「言ってねえだろ。それに元からお前はメンバー入り決定してんの」
「マジっすか」
がっくりと肩を落とす。
どうやら逃がしてくれそうにない。
半分諦めながら、千石は先輩に尋ねてみた。

「他に誰が行くんすか。俺達二人だけってこと無いっすよね」
「当たり前だろ」
そう言って先輩は、他の二年の部員の名前を出した。
「…ヤローばっかりっすね。俺も行きたくねー」
千石が呟くと、先輩は組んでた肩を解いて、頭をべしっと叩いてきた。
「だーかーら、現地調達するんだよ。水着の女の子がたくさんいるんだぞ?
ここで汗かいてばっかりいないで、少しは有意義な夏を過ごそうぜ」
「はあ、でもなんで俺も参加なんすか?」
「なんでって、お前そういうの得意だろ」
「得意?」
「ああ」
先輩は胸を張って答える。
「中等部の行いを忘れたとは言わせないぜ。
入部一日目にして女テニの部長を口説いたもんな。あれには驚かされたぜ」
「あ、あはは…あの時は俺も若かったというか」
苦笑する千石に、先輩は「頼むよ」と背中を叩く。

「お前ならやってくれるって皆信じているんだ。
それともあれか。今の彼女がよっぽど怖いのか?ナンパに行くことを知られちゃまずいとか」
「いや、付き合っている子はいないけど…」
歯切れ悪く、千石は俯いた。

特定の子も、遊びで付き合っている子もいない。
忘れられない子が、いるからだ。

困ったまま喋ろうとしない千石を見て、一緒に片付けしてた一年が先輩にそっと耳打ちをする。
「先輩。そいつ、もうナンパなんて無理っすよ」
「どういうことだ」
「失恋の痛手からまだ立ち直っていないんで、高等部に入っても未だに誰一人声掛けてないんす」
「本当かよ!?」
先輩相当驚いたようだ。
「女と見れば口説いていたお前が、どうしたんだ。どんな失恋をしたんだ」
「そう失恋失恋って連呼しないで下さい…余計傷付くんで」
沈んだ声で答えると、先輩は「そうか」と頷いた。

「お前がそんな状況になっているとは知らなかった。
よっぽどのことがあったんだな。わかった、今回は諦めてやる」
「そうしてもらえると、有難いっす」
「元気出せよ。また誘うからな」
ぽん、と肩を叩いて先輩は行ってしまった。
そして千石は同級生に向かって「誰が失恋したって?」と言い放った。
「本当のことだろ。面倒な誘いが断れて良かったじゃん」
「けど人のプライベートまで喋るのはどうかなあ」
「じゃあ、明日海に行ってくれば?」
「それはパス…、今の俺にはテニスだけで十分」
「うわあ、似合わねえ」
「ほっとけ、これ片付けてくるからな」
ネットを奪って、千石は用具入れの倉庫へと向かう。

(別に誰も好きにならないとか、そういう訳じゃないんだけど)
ただ彼のことを好きでいる内は、他に行く気になれない。
それだけのことだ。

「あー、今日も暑いなー」
テニスは中学で止めようと考えたこともあった。
中等部最後の夏。悔いの無いように頑張っていた。
だからこそ、自分の限界を知った。
特に一番近くにいる彼を見て、本物には敵わないんだと理解した。
嫉妬からではない。自分よりも強い奴がこの世界に身を置いていればいいと、一歩引いた気持ちになっただけだ。

それなのに、また高等部でテニスを続けている。
(あの子も、向こうでテニスしてるんだろうな)
空を見上げる。
遠いけれど同じ空のどこかで繋がっているリョーマが、今もテニスをしている。
そう思うと出会った切っ掛けになったテニスを簡単に捨てることが出来ない。


全国大会が終わった当日。
夕日の中、リョーマはお祝いに駆け寄ってきた千石に顔を上げて告げた。

「俺、またアメリカに行くことが決まったんだ。だから、ごめん…別れよう」

まっすぐ迷い無くこちらを見た大きな目に、息が一瞬止まった。
どうして、何で、と喚かなかったのは、
彼の手が小さく震えていることに気付いたからだ。

(無理している)
それは俺の為だと、瞬時に理解した。
自惚れだけじゃない。
クールな彼だけど、ちゃんと好かれていること位わかっていた。
俺の負担にならないよう、自分から別れを切り出そうって決めたんだ。

「わかったよ。アメリカと日本じゃ遠すぎるもんね。
リョーマ君の言う通り別れよう」
「…うん」
がっかりしたように顔を伏せてしまう。
引き止められることを、もしかしたら期待してたのかもしれない。
たまらなくなって、千石はリョーマの小さな体を抱きしめた。

「でも、また会えたら、俺もう一度リョーマ君にアプローチするから!
今日の別れだけで終わりだなんて、全然思っていないんだからね」
そんな未来があるかはわからないけれど。
希望が無いまま、別れたくない。
リョーマ君はどう思うかなと様子を伺う。
胸の中にすっぽり納まったままの彼は、黙って小さく頷いてくれた。

それから。
あっけない別れから、半年以上が過ぎた。
勿論、リョーマからの連絡は無い。
千石もメールや手紙を送ったりはしていない。
二人は他人同士に戻ったのだ。
でも。
(絶対、このままで終わらせたりしないよ)

まずは限界だと思っていた壁をぶち壊すことから始めるか。
高等部でのレギュラー入りの目標は果たした。
次は勝ち抜くことを考えよう。
合間に塾だって通っている。
特に英語は重要だ。
いずれ留学することを考えたら、勉強も疎かには出来ない。

道のりは困難だけど、
その先にあのクールな彼の驚いた顔が待っていると思えば、やり遂げられる。必ず。

(俺がまた目の前に現れたら、きっとびっくりするんだろうな)

一瞬驚いたら、すぐにあの強気な笑顔で迎えてくれるだろう。
「意外と諦め悪いね」って懐かしい軽口も聞けるはず。

そうしたらまた黙って、手を繋いで。
あの日の続きから、始めるんだ。

空を見上げて、千石は深呼吸する。

(まだまだ、俺達の人生は始まったばかりだ)


あの日と同じようで、でも違う夕日の中を歩いて行く。
次に彼と会う時は、今よりもっと綺麗に映るはずだ。

そして、ここにはいないリョーマとの再会をゆっくりゆっくり思い描いた。


終わり


チフネ