チフネの日記
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2008年05月28日(水) 明日の見つけ方(千リョ) 千石side

軽快な着信音が流れて、火を付けたばかりの煙草を灰皿に置く。
まさに今、休憩しようと思った所なのに。
(ったく、誰だよ)
確認するとそれは南からだった。
高校を卒業した後、別々の大学に進学したけれど、まだちょくちょく連絡は取っている。
本当に、一年に何回かだけど。
(なんだろ)
携帯を手にして、電話口に出る。

「よぉ、南ぃ。元気?」
「お、おう。そっちこそ…元気か?」
「まあね」
「それは何より、だな」
「はあ」
「ちょっと話しても大丈夫か?忙しいなら後で掛け直すから、その」
「へーき平気。さっきまで勉強してたけど、ひと段落したとこだから」
「そっか。しかしお前が真面目に勉強してるなんて、想像つかないな」
「酷いよ、それ。俺だってやる時はやるんだからね」
「わかってる、わかってるよ…」
「南?それよりなんか用じゃないの?」
「あー、うん」

なかなか本題に入らない南の声に、首を傾げる。だらだらとした会話をするタイプじゃないから、南から電話がある時は、何か用事がある時。
元々ハキハキと喋るタイプじゃないけれど、普段とは違う。
これも勘って奴だろうか。
何か言いたいことがあるんだと、俺は瞬時に察した。

「ええっと、用ってほどじゃないんだけどさ、ちょっと知らせておきたいことがあってな」
まどろっこしい言い方に、俺は眉を寄せた。
一体なんなんだ。
それでも久しぶりに掛けてくれた旧友に冷たい態度を取る訳にもいかず、精一杯丁寧に尋ねてみる。

「知らせたいこと?俺にとって良いニュース?悪いニュース?」
「いや、どっちかというと良い方かな、多分」
「なんだよ、勿体つけるなよー」
わざと焦らしているのかと、笑いたくなる。
いや、きっと無意識だ。
良いニュースとはいえないな、と俺は身構える。

「あのな、今日、サークルに顔を出したんだ。週一度の会合だから」
「それで?」
なかなか本題に入らない。前振り長過ぎだよ、と心の中で呟く。
「そうしたら大石も来ていたんだ。あいつも在籍してるって前に言っただろ?
でも勉強の方が忙しくて、毎週は出ていないんだ」
「ふーん」
南と、青学テニス部の元副部長の大石君(俺達の中では通称水泳帽子君)は偶然にも同じ大学に通っている。学部は違うけれど、テニスサークルで再会したんだと聞いていた。

「それで、大石と会話している時に教えてもらったんだ。だからお前に知らせなくっちゃって思ってな」
「何を聞いたんだよ」
主語抜けているよと、半分欠伸しながら返す。
このままだと主題に入るまでにまだ時間が掛かりそうだ。
じりじりと燃えている煙草に、俺は手を伸ばし掛ける。

「越前が、今週末に帰国するんだって」
「え…?」

慌てて俺は煙草の火を消した。
暢気に吸っている場合じゃない。もっと南から真剣に話を聞く必要がありそうだ。

「帰国ってどういうこと?だって、あの子の拠点は今アメリカだろ!」
「だから休暇と取材を兼ねての一時帰国なんだって。
期間は一週間も無いらしい。逆に忙しそうだよなあ」
「そうだね」

リョーマ君。
リョーマ君が日本に来る。
そう考えただけで、心音が速くなるのがわかる。

リョーマ君が渡米してから5年経った。
プロの道を歩んだ彼は、今やテニスをしない人達でさえ名前を聞く程の存在になっている。
あの頃、隣にいられたのがまるで奇跡みたいだ。それ位、今は遠い距離にいる。

もし彼の手を離さなかったら、どうなっていたんだろう。
そんな仮定を考えるのも、とっくに今の俺は止めていた。
だって何度繰り返しても。
きっと俺達はいつかは別れを選んでいた、そんな結論しか出て来ないのだ。

「で、その日程の中で青学に行くことが決まっているらしいぜ。
なんでもある雑誌が、越前リョーマの過去の活躍も取材したいって申し込んだらいい。
あの時の青学を優勝に導いた選手ってことでな」
「ふーん」
「で、実際青学に行って取材するって運びらしい。それが終わったら、青学の連中は越前と会う約束をしているみたいだぜ。大石がそう言ってた」
当事のチームメイトの同窓会みたいなものか、と考える。
「さすがに手塚は海外だから、不参加みたいだけどな。他はほとんど集まるみたいだぜ」
「そう…」
「お前はどうする?」
「えっ?」

さっきまでもたもたしていたのが嘘みたいだ。
ずばっと南に切り込まれて、返答に詰まってしまう。
どうするって聞かれても、困る。
他の連中がリョーマ君と会うからって、俺がなんだって言うんだ。

「越前に、会いたくないのか?」
「……」
「わかっているんだろ。本当はお前だって会いたいはず」
「南!」
声を上げて、遮る。
それ以上、誰かにあの子のことで何か言われたくなかった。

「ごめん、折角掛けてくれたのに。でも、もういいんだ。
あの子とは、終わったんだってわかってる」
「でも」
「5年も経っているんだよ?会ってどうするんの。
今更、向こうだって迷惑に思うよ」

軽い口調で話そうとしたが、失敗した。声が震えたの、南はきっと気付いている。

5年経った今でも、まだ俺はあの子のことを想っていた。
他の誰かと付き合っても、本気になれない。
リョーマ君への気持ちが消えないんだ。

自分でも思っていた以上に、俺はリョーマ君との恋に夢中だったらしい。

だからこそ、会わない。
もし顔を合わせたら、きっと気持ちがばれちゃう。
敏いあの子の事だから、俺の未練をすぐに看破するだろう。
まだ好きだって気持ちを知ったら、リョーマ君はきっと困ってしまう。
これから先、まだあの子の道は続くのに。昔の恋なんかに、引きずり込んじゃいけないんだ。

「だから、もういいよ…電話は嬉しかった。ありがとうな、南」
「千石、お前もうちょっと考えろよ」
「考えて出した答えなんだけど、なんでそんな怒った風に言うかなあ」
「そりゃ怒りたくもなるだろ。あの頃、お前が真剣だったの、俺はよく知っているんだから。
越前も、同じじゃなかったのかよ」
「南……」

リョーマ君との別れから、南には随分迷惑を掛けた。ぐしゃぐしゃに泣きまくって、一晩中長電話に付き合ってくれたり。
ああ、でも交際してた時からのろけ話を散々聞かせて、迷惑な顔されたっけ。
当時の俺とリョーマ君とのことを知っている分、南は余計にお節介を焼きたくなったんだろうな。

(真剣だったさ、リョーマ君もね…)

最初のアプローチは俺から。
テニスも強くて、その上滅茶苦茶可愛い顔をした彼に惚れ込んで、
それこそしつこいと言われて追い払われるくらい青学に通ったものだ。
本気が伝わったのか、諦めたのか。
リョーマ君が仕方なく折れるという形で、交際が始まった。

最初はガードが固かったけど、次第に気を許してくれるのが嬉しくって。
笑顔が見たくて、馬鹿なことばかりやったりしてたと思う。
そんな俺に呆れながらも、笑顔を向けてくれた彼は最高に可愛かった。
平凡な毎日が幸せだった。俺だけじゃなく、きっとリョーマ君も。

けれど季節が冬に変わり、そしてもうすぐ卒業を迎える頃。
唐突に、別れはやって来た。

「アメリカに行くことが決まった」

玄関から上がろうともせず、リョーマ君は目を伏せた状態で俺にそれを告げた。
重い石が突然頭に降ってくるようなショックって、こういうことなんだろうか。
ぼんやりと、俺は思った。

「いつ…行くの?」
「終業式が終わったら、すぐ」
「それじゃあ、それじゃあ、後一ヶ月も無いね」
「うん」

ずっと目を逸らしたまま、リョーマ君は動かない。
生意気で勝気で、いつでも凛と背筋を伸ばしていた彼が。
こんな風になるのは、俺への愛情がリョーマ君の心の中で大きくなっていたんだと知った。
愛されている。そう思っただけで、胸がじんとなる。

勿論リョーマ君の気持ちを疑ったことは無い。素っ気無いけど、好かれている自信はあった。
でも絶対俺の方が好きだって思っていたから。
馬鹿だな、と心の中で自分を笑う。
リョーマ君はそれ以上に俺に心を傾けていたのに。
気付けなかったことが、悔やまれる。今更、だけど。

「向こうに行ったら、やっぱりプロ目指すの?」
「わからない」
リョーマ君は首を振った。
「まだ何も決めてない。わからないんだ、行ってもいいかって」
「リョーマ君」
「どうしよう、ねえ。どうしたら良いと思う?」

迷っている。彼はテニスをしたいはずだ。
もっと上に行きたいと、いつか話してくれた。他愛無い話題の中での一部だけど、俺は覚えている。
リョーマ君との会話は、全部忘れていない。

青学に迎えに行くと、いつも最後までラケットを振っていたリョーマ君の姿を思い出す。
声を掛けるまで、ずっと熱心にボールを打ち込んでいたあの姿も、忘れない。
俺よりもずっと小さいはずの背中が、大きく見えたんだ。

いつの日か広い世界に、手が届かない所に、行ってしまうと。
とっくに、覚悟は出来ていたはずだ。

リョーマ君の肩に、手を置く。
彼を行かせる為に、口を開いた。

「良かったじゃん。向こうには強い奴いっぱいいるんだろ?
行って来なよ。リョーマ君なら、きっとここよりもっと上に行ける。俺はそう信じてる」
「清純…?」
「俺も高校に進学するし、ちょうど良かったじゃん。
お互い新しい出会いを探す機会ってことで」
「……」

もっとマシな言い方は無いのかなと、俺は心の中で泣いていた。
でも、これでいい。
怒って彼が出て行ってしまえば、もう振り返ることは無い。

アメリカと日本と。
そんな遠距離で俺達の恋愛が続くとはどうしても信じられなかった。
リョーマ君はプロを目指すならどんどん忙しくなるし、
俺も進学して新しい環境に慣れる為に今よりも余裕を無くすだろう。
そうして出口を無くした不満でお互いを傷つけ合うよりも。
今ここで終わらせてしまった方が、早く楽になれる。
リョーマ君を、解放出来るのは俺だけなんだ。


沈黙の後、リョーマ君の足が動く。
このまま踵を返して帰るのかな。
そう考えた瞬間、俺の腕がぐいっと引っ張られる。

「リョーマ君!?」
「ごめんね、清純……」
ぎゅっとリョーマ君がしがみ付いてくる。
「そんな風に清純に言わせるなんて、俺は酷いことしてるね。自分じゃ決められないからって、清純に選択させるなんて卑怯だ」
「何言って、俺は本当にそろそろ新しい出会いが欲しくて」
「うん、わかっている」
少し涙声になって、リョーマ君が耳元で呟く。

「ありがとう。清純を好きになって良かった。好きになってくれて、嬉しかった。
ずっと忘れないから」
「……」
「本当はもっと一緒にいたかった。それが出来る位の大人だったら良かったのに、俺はまだこんなにも無力なんだ。ごめんね、清純」
「ずるいよ、リョーマ君」
リョーマ君の肩に顔を寄せる。零れそうになる涙を、見られない為にだ。

「こんな時にだけ、素直になるなんてさー。本当、ずるい子なんだから」
「そうかな?」
「そうだよ」
お互いちょっと笑って、それから俺は口を開いた。

「必ず上に行ってね。日本にいる俺の耳に届く位にさ。
ずっと応援しているから」
「うん」
「約束だよ」
「約束、する」

そうして、俺達は別れを選んだ。


約束を守る為なのかはわからないが、
リョーマ君は異例とも言える若さで大会を勝ち昇って、世界に名前が知られる程の選手になろうとしている。
俺はといえば、テニスは高等部で止めてしまったけれど、
彼に負けないように今歩んでいる道を精一杯歩んでいる。
せめて恥ずかしくないように、胸を張れる自分でいたいから。



「で、どうするんだ?」
南の声に、ハッと我に返る。

長い間、ずっとリョーマ君のことを考えていた。
南は沈黙にも付き合っていてくれたらしい。向こうから掛けて来たくせに、人が良いというか。
そこが長所なんだって、わかっている。

「やっぱり、会うのは止めておく」
「…いいのか?」
「うん。まだ会っちゃいけないんだろ、思うんだ」

これが50年後とかだったら、会いに行ってたかもしれない。
あの時はお互い夢中だったねなんて言ったりして、普通に顔を合わすことが出来るはず。
でも、まだ繋ぎ止めれなかった恋を笑い飛ばせるほど、大人になっていない。きっと、リョーマ君も。
楽しかった思い出、辛かった別れ、それらの感情を呼び起こすだけで、
何もプラスになることは無い。
だから、俺達は会わない方がいいんだ。


「でも、南」
「ん?」
「ちょっと、いいかな」



俺達の別れが間違いじゃなかった、と思うような。
望む未来へ歩んで行くリョーマ君の姿を、この目に映しておきたい。


遠くから、見えない所からだったら。


(いいよね、それ位)

例えこの気持ちがもう届かなくても、
君の幸せを願っている。


チフネ