チフネの日記
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決勝戦だけあって、立海の大将はこれまで以上の強敵だった。 テニスってこんなに辛いものだっけと、俺が思う位に苦戦させられてしまう。 もう無理。と、一瞬そんな弱音が頭を過ぎる。 ここで倒れても、誰もが仕方無いと思うだろう。 よく頑張った、とそんな慰めの言葉を口にして、準優勝の結果を堂々と受け入れる。 そんな場面をちらっと想像して、冗談じゃない!と震えている手を動かす。 そうだ、まだ動ける。 寝ている場合じゃないだろ、俺!と自分を叱咤する。 誰かがコートで同じように倒れていたら、何て言っていた?まだまだやれるっすね?と、そんな言葉を口にしていた俺自身が、へばってどうするんだ。
それに、テニスをやってて辛いことだけじゃなかったはずだ。 そう思った瞬間、足も動いていた。 立ち上がる。そして前を向く。 「テニスって、楽しいや」 目を開ける。するとコートの向こう側で呆然としている立海の大将が目に入った。 圧倒的優位なはずなのに、なんて顔しているんだ。 思わず笑ってしまう。 よし、大分調子を取り戻して来たぞ。
テニスをして辛いことも沢山あった。それは否定しない。 親父に勝てなくて、悔しくて、腹が立って、他にも見も知らずの連中から妬まれたり、絡まれたりと、 嫌な目にもあった。それはテニスをしてなかったら、起こらなかったことかもしれない。 だけど、楽しいことだってあったんだ。 何度も練習したサーブが決まった瞬間とか、試合に勝って嬉しかった気持ち、皆と喜び合ったりすることとか。 そして何より、部長と出会ったのも。 テニスを続けていたおかげだ。 そのテニスを否定するなんて、出来るはずがない。
これからも、精一杯楽しんでやる。 こんなピンチの瞬間だって、楽しみながら最後には勝ってやるんだ!
徐々に形勢は逆転していく。 立海の大将は屈服しない俺を見て苛立ち、混乱しているようだった。 そこに攻め入る隙が生まれる。 じわじわと追い付いて行く。
最後に二つに割れたボールを返した瞬間、青学の優勝が決まった。
「優勝だぞ、優勝!やったね、おチビっ!」 「菊丸先輩、テンション高過ぎっす」 「だって嬉しいんだもんー。今夜は眠れないかも!」 閉会式が終わっても、俺達はまだ会場に留まっていた。 青学の優勝に皆興奮していて、ここから立ち去り難かったのかもしれない。 試合が終わった後、コートに乱入して来て胴上げまでやっておいてまだはしゃぎ足りないのか。 相変わらずだな、と横を向く。 「あっ、大石ー!これから打ち上げするよね?するよね?どこでやるのー?」 「それがタカさんが是非家に来てくれって」 「え、じゃあ。またお寿司食べ放題ー!?」 「それは、どうかな」 菊丸先輩は俺から離れて大石先輩にくっ付き始めた。 やれやれ。やっと解放された。 ほっと息を吐くと、タイミングを見計らったかのように「ちょっと疲れた?」と声を掛けられる。 「不二先輩……」 いつの間にか背後を取られてた。 全く、油断も隙もない。 「試合疲れというよりも、このノリについていけないって顔しているね」 「まあ、そうっすね」 「今日だけは許してやってよ。悲願の青学優勝なんだから」 「悲願、っすか」 「うん」 不二先輩はいつになく真面目な顔をして頷いた。
「君が青学に来てくれたおかげだね。皆の夢を叶えることが出来た。ありがとう」 「急に何すか?気持ち悪いんだけど」 「酷いなあ。感謝の言葉を素直に口にしただけなのにさ」 「不二先輩が言うと、なんか胡散臭く聞こえるっす」 「あのねえ……まあ、いいや。これからもテニス部のこと、よろしく頼むよ」 「……」
言われて、固まる。 困った。返事をすることが出来ない。 まさか三日後にいなくなります、なんて。 今このタイミングで言えるはずがない。 黙っていると「どうかした?」と不二先輩が近付いて来る。 まずい。 この人相手に誤魔化せる自信が無い。 青くなる俺に「越前!ちょっと来てくれ」と部長がタイミング良く名前を呼んでくれる。 助かった。このまま不二先輩から離れよう。 「あの、部長が呼んでいるんで」 「ふーん、いいけど」 じろじろと見られて、顔が引き攣る。 心の内を読んでいるんじゃないだろうな。 そそくさとこの場を後にした。
部長の元へと向かうと、「こっちだ」と腕を掴まれる。 「え、ちょっと、部長?」 「すまない。少し俺に付き合ってくれないか」 「はあ…」 何なのかはわからないが、急いでいるらしい。 部長に引っ張られてついて行くと、会場の外へと出てしまう。 皆を置いて出て行ってもいいんだろうか。 そう思いながら進んで行くと、「手塚君!」と高い声が耳に届く。 顔を上げるとそこには例の彼女、波多田さんが立っている。
「どういうこと、っすか?」 低い声で部長に問い掛ける。 まさか彼女が待っているとは思わなかった。 俺と引き合わせて、何をするというんだろう。 もしかしてよりを戻したから、別れてくれとかそういう話じゃないだろうな。
そうだったら、もう今すぐにでも逃げ出したい。 俺の知らない所で勝手にくっ付くのならともかう、見せ付けられるのはご免だ。 勘弁して欲しい。 足が震えそうになる俺と反対に、「優勝おめでとう」と彼女は屈託の無い笑顔を浮かべている。 そして部長の隣にいる俺に気付き、「こんにちは」と軽く会釈をした。 「越前君…、だっけ。君の試合観たけど、あんな状態でもテニスを続けようとする姿にすっごく感動したよ。 これからも応援しているから、頑張ってね」 事情も何も知らない彼女は、思ったままのことを口に出しているだけなのだろう。 素直な人、なんだと思う。 例えばこれが部長のクラスメイトの女子からの言葉だったら、「どうも」と俺も普通に受け流していただろう。 だけど彼女から言われると、苛々させられるというか、聞きたくないって気持ちにさせられる。
それは嫉妬から来る感情なんだろうか。
部長を彼女を交互に見て、溜息をつく。 一度でも部長に好かれたことのある人だから、変に意識しているのかもしれない。 だって、出来ることなら一生会いたくなかった。 改めて実物を見ると納得出来る美人で、それに部長と並ぶとお似合いなのがまた腹立つ。
黙っている俺に小首を傾げただけで、彼女は特に気を悪くした素振りも見せない。 部長に向かって「手塚君も、お疲れ様」と話し掛ける。 「全国制覇、おめでとう。夢が叶ったんだね」 「はい」 「そこにいる後輩君のおかげでもあるのかな?」 くすっと、彼女は笑顔を浮かべる。 「青学はいい後輩に恵まれたね。感謝しなくちゃ」 「ええ、とても感謝しています」 そう言って部長は不貞腐れている俺の肩をぎゅっと掴んだ。 そのままぐいっと引き寄せられる。
「部長?」 問い掛けるが部長は答えない。視線は真っ直ぐ彼女に向いたままだ。 「たしかに越前が入学してくれたのは、青学テニス部にとって有益なことばかりでした。 皆の向上心も上がり、レベルアップへと繋がった。おかげで全国制覇の夢が叶いました」 きっぱりとした口調で続ける。 「だけど俺にとって越前はそれだけの存在ではありません」 「え?」 「は?」 予想もしなかった言葉に、彼女も俺も目を丸くした。 意に返すことなく部長は先を言う。 「共に戦ってきた仲間というだけではなく、これからも一緒の道を歩いてく大切な人なんです。 簡単に言うと、恋人ということになりますが」 「……!!」 堂々と言い切る部長に目を見開く。
彼女の前でそんなことを言っていいの!? こっちを見ていなくても周りに人だっている。なのに、何言い出すんだ。 あんまりの展開に絶句していると、 「あら、まあ」と彼女は両手を会わせた。 「じゃあ、手塚君は大切な子を見付けていたのね」 「はい」 「良かった……」 にっこりと彼女は笑った。 それは、まるで巣立った子供を見守るような母の目にも似ていて。 俺はゆっくりと瞬きをした。
もしかしたら彼女の方でも、二年前の部長の気持ちに気付いていて、 だけど応えられなくて苦しんで、そしてずっと引き摺っていたのかもしれない。 自分の所為で傷付くことになった後輩の幸せを祈り続けて、 それで様子を見に会場に足を運んだ、なんて考え過ぎだろうか。
「幸せになってね。手塚君も、越前君も」 「はい。先輩も、どうかお元気で」 「うん、ありがとう」 バイバイ、と小さく言うと彼女は俺達の前から立ち去っていく。 背筋をしゃんと伸ばし、格好良く歩いて行く姿に迷いは無い。 その後姿を見送ってから、俺はようやく口を開いた。
「あんなこと言ってもいいんすか?」 「あんなこととは?」 「俺が恋人だって、ばらしてもいいかってことっすよ」 わからないのか、と肩を落とすと「事実だろう」と部長はしれっとした顔で言った。 「どう思われようと構わない。 先輩に大切な人がいると伝えたかった、それだけだ。 俺はもう大丈夫だと、過去を引き摺っていないとあの人に言わなければ、いつまでも気にしていると思っていた」 そう言って、左腕を右手で掴む。 「これの件で随分心配を掛けたからな。 でも先輩もそろそろ解放されていいはずだ。 俺はもう吹っ切っている。大切な人を見つけることが出来たからな。 先輩も自分のことだけ考えて、幸せになって欲しい。 そう思ったから、お前を一緒に連れて来たんだ。 急だったからなんの打ち合わせもなく、悪かったな」 「別に、ちょっと驚いただけで……迷惑だとか思ってないから……」
言いながら、帽子を不覚被る。
終わってしまえばなんてことはない。 よりを戻すなんて俺の勘違いもいい所だ。 彼女の前ではっきりと恋人だと紹介してくれた。吹っ切ったとも言った。 嬉しくないはずがない。
ほっとして、部長の体にそのまま寄り添う。
「ありがとう、部長」 「…?なんのことだ」 「いや、なんとなく」 「意味がわからないぞ」 「いいから、いいから」
好きだといわれても、やっぱりどこか自信無かったんだと思う。 俺なんかより似合う女子は沢山いて、昔好きだった人はかなりの美人で。 本当はそっちの方がいいんじゃないかって、ずっと心が揺れていた。 そんな俺のバカみたいな思いを、簡単に壊してくれるなんて。
やっぱり部長には敵わないと、じわっと浮かんで来た涙をこっそり拭う。
好きなのに、こんなに好きなのに三日後には離れなくちゃいけないなんて。 やっぱり無理。部長の側にいたいよ。 今からでも親父を説得して、なんとかアメリカに帰らないで済む方法は無いかと考える。 せめて部長が卒業するまではここにいたいよと、強く思うから。
「どうした、越前」 黙ったままの俺を変に思ったのか、部長が顔を覗き込んで来る。 「泣いている、のか?」 「まあ、ね」 「俺の所為か!?ばらされたのがそんなにショックだったなんて」 「違うよ、そうじゃないから」 急にオロオロする姿がおかしくって、少し笑う。 普段はものすごく厳格な顔しているくせにね。 部長の素の部分を見る度に、これからも可愛いなって思うんだろう。 きっと、この先も。
「あのさ、俺、部長に隠していたことがあるんだ……」
全部話してしまおうと、俺は覚悟を決めて口を開いた。
チフネ

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