チフネの日記
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悪夢としか言えない焼肉大会が終わった。 それぞれ意識を取り戻した後、俺達青学の面々はファミレスに一旦入ることにした。 とてもじゃないけれど、あのまま帰ったら今夜はうなされることは間違いない。 口直ししようと言い出したのは菊丸先輩で、全員が提案に乗ることにした。 何か甘いものか、まともな飲み物が必要だったからだ。 この莫大な被害を生み出した乾先輩は負傷の為、海堂先輩に肩を借りて先に帰宅して行った。 あんな目に合ってもちゃんと送って行くなんて、海堂先輩って人間が出来ていると、俺はこの時真剣に感心してしまった。
他の学校の人々はそれぞれ電車の時間だの、顧問に引っ張られたり、でかい迎えの車に乗り込んだりと、よろよろになりながらも解散していた。 今夜のことはきっとトラウマになったに違いない。 焼肉を嫌いになった人もいる可能性もある。運が悪かったとしか言いようがない。
俺達は自力で歩いて、最初に発見したファミレスに入り、ようやっと一息ついた。 でも、俺にとっては休まるどころじゃなかったのだけれど。
「それで、一体どうなってるの?」 何故か隣に座った不二先輩に、壁際まで追い込まれているこの状況。 しまった。こんなことなら最初から桃先輩の隣をキープしておくべきだった。 不二先輩が引っ付いてくるとは全くの予想外だった 部長と別の席ならどこでもいいと、それだけしか考えていなかったのが仇になった。
「そうだよ。あれから手塚とまともに話をしていないんでしょ?それでいいの、おチビー」 俺の前には菊丸先輩がいる。 大石先輩と一緒に座ればいいのに、なんでここにいるんだ。 「あのー、一体どういう話になっているんすか?説明が欲しいっす」 菊丸先輩の隣、つまり俺の斜め前には不思議そうな顔をしている桃先輩がいる。 どうやら部長と付き合っていることは、知らないようだ。 桃先輩の反応に、安心する。 不二先輩がいちゃいちゃしているなんて言ったから、全員にばれているのか!?と不安になったけれど、勘違いだった。 他から見たら普通なんだと、ほっとする。
「色々あるんだよ。桃にもその内わかるよ」 誤魔化すように笑う菊丸先輩に、「何すか。教えてくれてもいいじゃないっすかー」と桃先輩が食い下がる。 「言ってもいいけどぉ、驚くなよ?」 「はい……」 「ここは桃の奢りって決定したんだってー」 「ええ!?そりゃ無いっすよ!」 「俺、追加しちゃおうかなっ」 「勘弁して下さいよ。本当にお願いしますっ」 二人がどうでもいいやり取りをしている間に、不二先輩がまたこそっと話し掛けて来た。
「まだ手塚と話をつけてないんでしょ。 こんな風に席まで離れちゃって。君らしくないよねえ。そんなに動揺することかな? 少なくとも僕は波多田先輩より、君の方が手塚には合っていると思うけど」 最後の言葉は嬉しかったが、俺は下を向いたまま答えた。 「不二先輩。人のことに踏み込み過ぎっすよ。放っておいて下さい」 「出来ることなら、放っておきたいよ。でも、君達の場合、悪い方に転がって行きそうだからね。 手塚に泣きつかれるのも鬱陶しいし。 だから君にアドバイスしているんじゃないか。少しは感謝して欲しいね」 「……」 「まあ、君の気持ちもわからなくもないよ。 あんな鼻の下伸ばした手塚の顔を見た後じゃ、ムカつくのも当然だ」 「伸ばしてなんかいなかったっすよ。普通でした」 「そう?デレデレしていたから、怒っているんじゃないの?」 「怒ってなんていないっす」 「嘘」 人差し指で不二先輩は俺の頬をぎゅーっと押して来た。 「さっきからずっと膨れっ面しているの、自分で気付かない? 焼肉食べてた時も無理していたでしょ。普段は乾の飲み物なんて、警戒して取らないはずなのに。 一体、どうしたの」 言われて、ムッと黙り込む。 確かに、あの時は部長と二人だけになって、気まずさから怪しいと思ってもあの飲み物を手に取っちゃったんだ。油断していたのは認める。 それにしても不二先輩はその場にいなかったのに、何故知っているんだ。 いや、きっと誰かに聞いたんだよな、と自分を納得させる。
「本当に気にしていないし……明日になったら忘れているよ」 これ以上絡まれるのが嫌で、俺はわざとそんな風に言った。 消化出来ていない気持ちを持て余しているのに、これ以上追い詰めないで欲しい。 一生懸命なんでもないって言い聞かせているのに、 どうして不二先輩はそれを許してくれないんだろう。
じろっと睨むと、「ああ、そう。あくまで反抗的な態度を取るんだ。へえー」と言って、 不二先輩は嫌な笑みを浮かべる。 そして、 「手塚ー!越前が気分悪くなったから先に帰るって言っているけど!」と少し大きな声を出した。 隣のベンチシートで大石先輩と河村先輩と一緒に座っている部長がこっちを向く。 「どうした、大丈夫なのか」 俺は当然今の台詞を取り消そうとしたが、その口を不二先輩の手でがっちり塞がれて声を出せない。 唖然としている菊丸先輩と桃先輩に目で助けを求めるが、気付いてもらえない。 その間に不二先輩は、部長にまた余計なことを吹き込む。 「やっぱりさっきの乾汁が効いているみたい。 手塚、ここは部長として越前のことを責任もって家まで送ってあげなよ」 「ああ、勿論だ」 真面目な顔をして、部長は頷いた。 こうなったら、止められない。俺が大丈夫だと叫んだところで、いいから送って行こうと言い張るだろう。 がっくりと肩から力を抜く。 不二先輩は俺の口から手を放し、「お代だけは置いていってね」と笑顔で付け加えた。
こうして非常に不本意な形で、部長と二人きりで帰ることになったのだけど。 気まずい。 もうちょっと一人で考えていたかったのに、不二先輩が無理矢理追い出すような真似をするから。 なんでこうなるんだろう。 溜息をつくと、「大丈夫か?」と隣を歩いている部長が心配そうに顔を覗き込んで来た。 「体調に響くようなら、病院に行った方がいいな。今からでも寄って行くか?」 「そんな、大袈裟っすよ」 「いや、万が一のことがあってからでは遅い。 得体の知れない汁の影響が響いたりしたら、どうするつもりだ」 「いや、汁はもう関係ないっていうか、口直しもしたから平気っすよ」 「だったら、一体どうした。急に帰ると言った理由は体調不良じゃないのか」 「何もないって。不二先輩が勝手に騒いだだけっす。 すぐに乗せられるんだから。少しは疑って下さい」 はぐらかすように、俺は前を歩く。
今日は綺麗な月が出ている。 暗い夜道もこれなら困ることは無さそうだ。 こんな風に気持ちも明るく照らしてくれればいいのに、なんて思う。 部長と一緒にいるのに、ちっとも心は浮上しない。 嫌な気持ちに取り付かれたままだ。 こんなネガティブな気持ち、今まで体験したことが無かった。 自分のやりたいように進んで来たのに、 それよりも隣を歩いているこの人のことばかり考えて、沈んだり、嬉しくなったりと振り回されているんだ。 誰かを好きになるって、大変だったんだと、今更しみじみ実感する。 それがわかった所で何も解決はしないけど。
「俺の所為、なのか?」 沈黙を破り、部長が思いきったように口を開く。 「波多田先輩を追い掛けて、それで気を悪くしたのか?そうなんだろ?」 「違うよ」 俺は否定した。 「部長の気持ちもわかるって言ったよね。 あまりいいとは言えない別れ方した人と偶然に再会したら、どうしてるのか気になると思う。 だから、別に気にしてない」 「なら、どうしてさっきからお前は怒ったままなんだ」 「怒っていないって」 「いや、怒っている」 断定するように言われてしまう。 「さっきから、俺と目を合わせないようにしている。会場を出てからずっとだ。 気付いていないのか」 「え……そうだった?」 言われて、顔が強張った。 普通にしているつもりだったのに、やっぱり取り繕うことが出来なかったか。 まだまだだね、と軽く首を振った。
「越前」 部長が間を詰めて来て、俺の手を握る。 「何かあるのなら、話してくれないか。 お前と気持ちが擦れ違ったままなのは、かなり堪える」 「部長……」 やけに苦しそうな声だったから、思わず振り返ってしまう。 月明かりの下だからハッキリとは見えないけど、部長の目は悲しんでいるように映った。 それこそ、俺の所為か。 くだらない考えに捕らわれて、押し潰されそうにそうになって、拗ねて、怒って。 結果、部長にこんな顔させている。 自分でも、どうしたいんだろう。
「あの、俺も混乱しているんで、上手く言えないんだけど」 「構わない。話せる範囲で言ってくれないか」 「えーっと、そうだ。ここで話すのもなんだから、あっちに行こうよ」 俺は前方にある公園を指差した。 もう家まで近付いている。 二人きりで話をするなら、今しかない。 「いいでしょ。行こっ」 さっさと歩き出すと、部長もすぐについて来てくれた。 その公園は滑り台と砂場とブランコしかない小さなもので、街灯も一つぽつんとあるだけだ。 当然こんな時間は誰もいない。 邪魔が入ることは無いだろう。
ベンチが無いから、仕方なく俺はブランコに腰を下ろした。 もう一つあるのに、部長はそっちに座ることなく俺のすぐ隣に立つ。 でもまだ何を口に出したら良いのか迷っている。 最初に踏み込むその一歩が難しい。 気まずさからブランコを漕ぎ出すと、錆びた音が響く。 結構古いみたいだ。 音を何回か立てた所で、 「話をするんじゃないのか」と、部長が口を開いた。 「するよ」 「なら、ブランコを漕ぐのを止めて、こっちを向いてくれないか」 「なんで?楽しいよ。部長もブランコに乗ったら?」 「あのな、越前。ブランコを漕ぐ為にここに来たんじゃないんだぞ」 呆れるように眼鏡を掛け直す部長に、俺は静かに語り出す。 「部長……。波多田先輩って、すごく綺麗な人だったね。 俺でさえそう思った。多分、その他の人から見ても同じ意見だと思う」 「何の話だ?だとしても俺達には関係ないだろ」 「いや、ちょっと気になったから。部長はあの人とキスしたいと思ったこと、ある?」 さりげなく、爆弾をぶつける。 「えええ越前?お前は何を言っているのか、わかっているのか?」 案の定。部長は思い切り動揺する。肩が震えているのが見えた。 構わず第二弾をぶつける。 「きっとあるよね。多分、それ以上のこともしたいと考えたんでしょ。 服を脱がせたり、触ったりしたいって」 「よさないか。何を言い出す。もう、止めろ」 ほとんど怒っているような声だった。 でも俺は止めない。 顔を上げて、部長の目を見て言う。 「なんで隠すんだよ? 俺と気持ちが擦れ違うのが嫌だって言うのなら、ちゃんと答えるべきだ。 あの人に欲情したことあるんでしょ」 「止めろと言っているだろう!」 とうとう部長は大声を出した。 「何を考えている。いくらなんでも聞いてもいいかどうかの質問か、わかるだろ。どうしたんだ」 「わからないよ」 俺は言った。 「部長が以前好きだったのは、眩しい位綺麗で、抱きしめたらいい匂いがしそうで、柔らかそうな女の人でしょ。 俺と違い過ぎるんだ。 部長にはああいう人の方が似合っている。一緒にいてすごくお似合いに見えた。 何も俺じゃなくたってと思ったら、力が抜けた。 この先、離れることになったら部長もやっぱり綺麗な女の人がいいと思うんじゃないかな。多分」
黙って聞いているけれど、部長の眉間の皺は見たこともない位に寄せられている。 そして俺が喋り終わった時、今度は部長が搾り出すような声で言った。 「それは、あれか。つまり遠距離恋愛をする自信が無くなった、そういうことか?」 「違うっすよ」 俺は首を横に振った。 「遠距離がどう、とかじゃない。 ただ俺は部長にはあの彼女みたいな人が合っているんじゃないかと思っただけで」 「勝手なことを言うな」 低い声で、部長は俺の話を遮った。 「お似合いとか、何を言い出すんだ。 別れ話をしたいのなら、ハッキリ言えばいい。だが、他の人を引き合いに出すな。 俺はお前のことを好きだと言った。 離れても付き合いたいと言ったよな。それが何故こんな話になるんだ? 波多田先輩に話しかけたことが、そんなに悪いことだったのか? たしかに彼女のことは気にしていた。 後味の悪い別れ方で、俺があんな計画を持ち出さなければ彼女が余計に傷付くことは無かった。 ずっと謝罪したかったんだ。 やっと今日その機会が巡って来たのに、お前におかしな考えを抱かせることになって、 どうすればいいんだ。 もう彼女への思いは吹っ切っている。でなければ、お前に好きだなんて言うはずないだろう!?」
普段無口なくせに、部長は珍しく長々と喋り、そして疲れたようにもう一方のブランコに腰を下ろした。 そのまま頭を抱えている。 混乱しているのだろう。
悪いことしたかな、と少し反省する。 部長の気持ちを疑っているんじゃないんだ。 これは俺の問題。 言葉だけじゃ割り切れないものが胸の内に引っ掛かっていて苦しいんだ。
立ち上がって、まだ頭を抱えたままの部長に近付く。 「おかしなこと言って悪かったよ。じゃあ、言い方を変える」 「……」 「部長は、俺のこと欲しいって思ったことある?」 「あのな、越前……さっきの質問とあまり変わらない気がするんだが」 「重要なことっすよ。 ちなみに俺の答えなら、Yesだけど」 「越前」 顔を上げた部長に、俺は覆い被さるように抱きつく。 キスする時は逆の体勢が多いけど、こういうのも悪くない。 背中に手を回し、ゆっくりと膝の上に乗る。 「やっぱり俺じゃ、駄目っすか?部長の相手にもならない?」 「越前、俺は」 「もし少しでもその気があるんだったら、行動にして示してよ。 そうしたら、信じる」 俺の言葉に部長はじっと耳を傾けた後、 やがて、抱きしめている腕をそっと外しに掛かった。 「部長?」 「何をヤケになっているかしらないが、そんな状態で迫られても嬉しくない」 「……」 「波多田先輩にに対抗してどうする。もうあの人は関係ない。 俺の好きな人は、お前だけだ。その事実は変わらない。 それなのに何が不満だ。 もう帰るぞ。一旦頭を冷やせ、いいな」 誠実な言葉、真っ当な意見だったけれど、 今夜の俺は素直に聞き入れることが出来なかった。
「あっそ。じゃあ、いいよ」 ぴょん、と部長の膝から飛び降りて、くるっと背を向ける。 「一人で帰るから、ついて来ないで」 「おい、越前!こら、逃げるな」 「もうすぐそこだから大丈夫だって。俺のことは放って下さい!」 「何を怒っているかは知らないが、本当におかしいぞ。 あんな所で何か出来るわけないだろ」 「知らないっ。あんたとは決勝まで会わないことに決めたから」 「越前、おいっ、俺の話を聞かないか」
結局最後まで部長はついて来てしまったけど、 さすがに玄関の中には入ろうとせず、バタンと音を立てて閉めると諦めたように帰って行った。
「おー、リョーマ。遅かったじゃねえか。何やってたんだ」 「親父……」 物音に気付いたらしく、親父が奥からふらふらと出て来る。 「明日から、軽井沢行くことが決まったからな。用意だけしておけよ。朝も早いぞ」 「軽井沢?そんな急に」 「なんでえ。じゃあ、知りたくないのかよ?」 にやっと笑う親父に、俺は黙った。 決勝を前に親父から教わらなくちゃいけないことがある。 俺が頼み込んだことだ。 でも、まさか軽井沢だったなんて。ここじゃ教えられないってことか? 「アメリカに戻る前に、最後の仕上げしなくちゃいけないんだろ。 ぼやぼやしている時間は無いぜー」 そう言って、また部屋に戻って行く。 「……」
決勝が終わったら、アメリカに戻る。 急に決まったことだ。 肩から力が抜ける。 プロを目指そうと思ったけれど、こんなに早くとは予定していなかった。 俺と部長の間に時間はほとんど残されていない。 これからお互いのことを知っていけばいいと言っていたが、そんな時間も無いんだ。 知る前に、俺の方が旅立ってしまう。
こんな中途半端な付き合いをしているのなら、 すっぱり思い出として別れて、お互い別々の道を探した方がいいんじゃないかって、 不安になるのも当然じゃないだろうか。 もしあそこで部長が強引にそれでも俺のことを欲しがってくれたのなら、 迷うことなく飛び込んでいたかもしれない。続けることが出来るかも、と思えたのに。 でも部長はどこまでも真面目で融通の利かない人のままで……。 やっぱり俺達の距離が変わることはない。
このまま、決勝が終わったらひっそりと消えてしまおうか。 いっそのことその方がすっきりするかもしれない。
そんな風に俺は考えていた。
チフネ

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