チフネの日記
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2007年11月04日(日) 彼女  塚リョ

遠距離恋愛か。
無理じゃないよな、と俺は自分に言い聞かせる。
寂しい気持ちはあるけれど、九州に行った時とは違う。
部長がテニスしている所を見られなくなる。そんな沈んだ気持ちじゃない。
夢を追い掛けていくのなら、素直に応援したいと思った。
どうせ俺もそこに行くことになるんだから。

プロになる。
今までそれは漠然とした考えでしかなかった。
でも部長が卒業してすぐに留学するというのなら、俺も早い所目指してみようかな。
もたもたしていると差を広げられる一方だ。
焦った方がいいのかもしれない。
けど、本当のところは部長と同じ場所にいたいだけなんだよね。
我ながら単純だ。すぐにでも動き始めたい気分になっている。
一人、日本に残って部長を待っているんて性に合わない。
どうせなら、前に進んで行った方がいい。
家に帰ったら、母さんに相談してみよう。
こういうことは、早い方がいい。
さっさとプロになって部長に会いに行ける程の旅費を稼ぐんだ。

そうしようと、意気揚々と帰宅した俺に、早いなんてもんじゃない話が待ち受けていた。





氷帝との坊主を掛けた試合も消化し、準決勝での遠山との一球勝負を引き分けに持ち込み、
俺はくたくたになっていた。
後は決勝を残すのみ。
皆、ここまで来たという思いでいるに違いない。
後、一つで全国制覇の夢が叶う。
その喜びと、次の試合への緊張感で一杯……の、はず。

「おっチビ。もう、どうなるかって心配したぞ!このっ」
「わっ、菊丸先輩!?」
菊丸先輩が、急に俺を背後から抱きしめてくる。この人はいっつもいっつも懲りもせず…。
少しは普通にしてくれ。疲れているんだから。
俺の心を知らず、菊丸先輩は更に話し掛けて来る。
「遠山との必殺技でおチビが会場の外まで飛ばされるんじゃにゃいかと思って、怖かったー」
「そんなのあるわけないじゃん……」
「タカさんの試合観ただろ?もう忘れたのかあ?何が起こるかわからないんだぞ!」
「はあ」
「元はといえば、誰かさんが試合を止めない所為だよね」
チッと舌打ちと共に、今度は不二先輩が隣に並んだ。
「決勝のことも考えずに承諾した越前も悪いけど、部長として止めるべきだった。
全く何をやっているんだか。怪我した後じゃ遅いのに」
「それは部長の所為じゃないでしょ。俺がやりたいって言ったんだから」
「でも無理矢理止めに入るのが手塚の役目だって、不二は言っているんだよ。
あれが俺だったら、絶対駄目だって言うくせにさあ。おチビには甘いよね」
「ほーんと。甘いのはいちゃついている時だけにして欲しいよ」
「ちょっと、二人共何を言っているんすか!?」
3−6コンビは俺の頭上でニヤッと笑みを交わしている。
「わかっていないのはおチビだけだよ。あんなラブラブの空気纏っちゃってさあ」
「ラブ……っ!?」
「そうだよ。全く、暑苦しくって仕方無い。
二人がくっ付けば面白そうだと思っていたけど、予想以上に鬱陶しい。
もっとドライな感じに出来ない?」
「いや、普通にしているつもりっすよ……」

言い返す気力すら無い。
俺と部長って、そんなわかりやすいんだろうか?
あんまり人前では会話もしていないのに。
何がいけないんだと、頭を抱えたくなる。
「まあ、うまくいっているようだから、とやかくは言わないけど。
もし手塚に泣かされるようなことがあったら、いつでも相談して。思いつく限りの制裁をしてやるから」
「……はあ」
笑いながら言う不二先輩に、顔を引き攣らせながら頷く。
一体どこまで本気なんだ、この人は。
制裁って、シャレにならないようなことじゃないよな。
相談しようにも、かなり微妙な感じだ。

「ねえねえ。その手塚がダッシュで走って行くけど、何かあったのかなあ」
菊丸先輩の声に、顔を上げる。
部長は少し先を大石先輩と一緒に歩いていたはずだ。
しかし確かに慌しく会場から出ようとしているのが見えた。
「焼肉屋の予約でもしに行ったのかなあ」
「竜崎先生の知っている店にするって決まっていたはずだから、それは無いね。
なんか怪しいな。事件の匂いがする」
「どんな匂いっすか」
不二先輩は俺のツッコミを無視して、「ここは後をつけてみるべきだ」とまたおかしなことを提案した。
「よーし、じゃあ急ごう!」
菊丸先輩も乗り気になっている。
「ほら、行くよ。おチビ」
「俺もっすか!?」
「そりゃ後をつけたのがばれた時に、越前が一緒なら怒られなくて済むからね」
「そんな理由かよ!」
必死で抵抗する。
しかし二人に敵うはずがなく、引き摺られる形で部長の後を追うことになった。





「あんなに何急いでいるんだろうねえ。誰か、探しているのかにゃ?」
「うーん、たしかにあの焦り具合、変だよね」
隠れながら、俺達は部長の様子を探っていた。何やっているんだか。
でもきょろきょろと周囲を見渡している部長の姿に、俺も一体誰を探しているんだろうと興味が湧いてきた。
あんな風に熱心に探しているなんて、よっぽどの相手なんだろう。

「あっ、手塚が動いた」
「誰か見つけたみたいだね」
部長が駆け寄って行くその先には、肩より少し下まで髪を伸ばした綺麗な人がいる。
あれは、一体誰なんだ。
眉を寄せていると、「ねえ、あれって波多田先輩じゃないの?」と菊丸先輩が答えをくれた。

波多田って……。
その人の名前はよく覚えている。
忘れられるはずがない。
部長が一年生の時に好きだった、人。
あの人が、その波多田?なんで今頃、しかもここで再会?
ついていけない事態に、言葉も出ない。

「いや、ハッキリとはわからない。似ているだけかも」
不二先輩が、ちらっと俺を見る。
気遣うような目線に、やっぱりそうか、本人なんだなと確信する。
俺を傷つけない為に、否定したけれど逆効果だ。
でもこれで部長が必死になったのも納得出来た。

あの時の彼女が試合を観に現れたと知って、居ても立ってもいられなくなったのだろう。
次に会話が出来る機会があるかわからない。
咄嗟に動いた部長の行動を責めるつもりは無かった。
彼女が卒業してしまった後もずっともやもやとした気持ちを抱えてここまで来たんだから、
今話し掛けるのも自然に思えた。

だけど彼女に話し掛けている部長の姿を見て、平静でいられるか。
それはまた別の問題だ。

「俺、皆の所に戻るっす……」
「おチビ、あの」
こんな所に引っ張って来た罪悪感からか、菊丸先輩は申し訳なさそうに掴んでいた腕を放した。
でも、不二先輩は全く逆のことを言い出す。
「越前、このまま知らん顔していいの?僕は声を掛けておくべきだと思うけど」
少し離れた場所にいる部長達を親指で示す。まだ二人は会話を続けている。
それに割って入る勇気なんて、無い。
だって俺の知らない過去を二人は共有している。
知らないことを話している部長なんて、見たくない。
「いいんです。積もる話もあるんじゃないっすか。邪魔したら悪いよ」
「でも」
「もういい。部長には後で聞く。だから今はそっとしておきます」
自分で言いながら、部長にはあの人と一緒にいたのを見たなんて指摘出来ないだろうと思った。
さっき喋っていた女の人って誰?なんて、軽く聞けるはずがない。
もしそれを誤魔化されたりなんてされたら……かなりのダメージを受けるだろう。
じゃあ、部長から話してくれるのを待つしかない。
でも、隠されたら?
もっと傷付く。
思っている以上にずっと、彼女の出現に動揺してしまっている自分がいた。

「越前、やっぱりここは確認しておくべきだよ」
不二先輩が見透かすように、じっと俺を見た。
「ここで逃げたら、後で余計顔を合わせ辛くなるよ。ほら、今さらっと声を掛けちゃおうよ」
「いや、さらっとなんて無理っす」
「平気、平気」
「他人事だと思って。平気じゃないっす」
「おチビがこう言っているんだし、今は止めておけば?」
「英二もそんなこと言って。事は深刻だよ。最大の危機だと言ってもいい。
このまま誤魔化したままでいいと思っている?」
「いやあ、それは駄目でしょ」
「でしょ?だからあの眼鏡に越前はこのこと知っているよってことを思い知らせてやらなくちゃ」
「うん、やっぱり不二の言う通りか。おチビ、手塚の所に行こっ」
「だから俺のことは放っておいて下さいって言っているじゃん!」

無理矢理引っ張って行こうとする不二先輩と菊丸先輩に、俺はさっき以上に抵抗する。
が、近くでこんな風に揉めていて、気付かれないはずがない。

「お前達、そこで何をやっている?」
全く望んでいない形で、部長に見付かってしまう。
「何って、手塚こそ誰と話しているのさ?」
先に質問をしたのは部長なのに、不二先輩は堂々と質問で返している。
その態度、今後から見習わせてもらおうかと考えてしまう。

「いや、俺は……」
部長は俺の方を見て、気まずそうにしている。
ああ、そうかい。昔、好きだった人を追い掛けていました、なんて正直に言えないってことか。ふーん。
ぷいっと横を向いていると、「手塚君」と彼女が後ろから声を掛けて来た。
「もう、友達の所に戻らないといけないから、私行くね」
どうやら連れがいるらしい。
彼女の言葉に、部長は振り返って頭を下げた。
「今日はいきなり呼び止めたりして、すみません」
「いいよ。私の方こそ、話が出来て良かった」
この時俺は彼女を真正面から見ていた。
その笑顔に(綺麗な人)と、正直な感想を抱いた。
一年の頃の部長が、恋に落ちてしまっても仕方無い。
そう思わせる笑顔だった。
顔が整っているとか、そういうのじゃなく、温かく輝いている光のような。
こんな人がいるのかと、ぼんやり考えていた。

「じゃあ、決勝頑張ってね。応援しているから」
「ありがとうございます」
軽く片手を上げた後、彼女は背を向けて駈けて行ってしまった。
友人の所に向かっているのだろう。

「ねえ。なんで波多田先輩がここにいるの?」
「そーだよ。どういうことだよ。これって浮気?」
「ちょっと待て。落ち着け。浮気ってなんだ?」
早速、不二先輩と菊丸先輩は部長を取り囲んだ。
必死で首を振り、部長は「浮気じゃない」と否定する。
「信じてくれ。先輩はただテニス部が勝ち進んでいるから、観に来ないかと高等部にいる友人に誘われたらしい。
応援に来てくれただけなんだ」
「ふーん。でもここで会うなんて、すごい偶然だね」
「本当だ!俺も今聞いたばかりで、最初は見間違いじゃないかと思った。
確認したくて追い掛けただけだ。やましいことはない。
その、元気なのかどうか知っておきたかったんだ」
「わざわざ追い掛けて、それだけ?他に何かあるんじゃにゃいのー?」
「何も無い。誓って言う」

部長ははっきりと否定してるが、二人はまだ疑いの目を向けている。
俺はそれまで一歩引いた所で部長の様子を見ていたのだけど、
何か気の毒になって来て、思わず口を開いた。

「もう、信じてあげたら?ここまで言っているんだから、本当のことだと思うよ」
「越前?でも、君はそれでいいの?」
「いいっす、もう。懐かしくなって思わず声を掛けただけでしょ。
そういうのもあるんじゃないの?」
「まあ、あるかもねー」
「俺はもう納得しているっす。だからもう部長を苛めるの、止めようよ」
「おチビがそう言うのなら」
「仕方無いね」
二人が部長から離れる。
「越前、その、信じてくれてありがとう」
神妙な顔をしている部長に「別に」と答える。
「どうってこと、ないことだし……気にしてないから」


それは嘘だった。
心の中では割り切れない気持ちが渦を巻いてる。
部長は寄りを戻したくて話しかけたんじゃないとわかっている。彼女が元気かどうか、確認したかったのも本当だろう。わかっている。

問題は俺の方の心にあった。
部長の隣には、綺麗な女の人がいる方が似合っている。
彼女と会話している姿を見て、そんなことがちらっと頭を掠めた。

だって俺と歩いていても、恋人だとは誰も思ってくれないだろう。
そな世間一般の評価を気にしているつもりはなかったけれど、
ここに来て引っ掛かっている。
そんな自分に苛立って仕方無い。
何が不満なんだろう。わけがわからない。

だけどムッとした顔をすれば、部長が気にするのはわかっている。
出来るだけ平常心を保っていつも通りに振舞う。
「俺達も外に出ましょうよ。竜崎先生がどこに連れて行ってくれるか、楽しみっすね」
「ああ、そうだな。行くか」
「部長は焼肉好き?俺は結構食べるっすよ」
「そうか」
じーっと見透かすような不二先輩の視線は当然無視して、歩き出す。



これから焼肉を食べに行くのに、なんだかもう嬉しくなくなっていた。


チフネ