チフネの日記
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2007年11月03日(土) 遠距離恋愛  塚リョ

復活した部長の試合に、その場に居た全員が圧倒されていた。
九州に行く前よりも力強く相手を全く寄せ付けない展開に、さすが部長とさえ思った。
本当の意味でコートに帰ってきたんだ。
自分が勝ったことよりも嬉しかった。
けど、同時にますます部長に勝つのは難しくなったような気がする……。

いつか、追い付く日は来るんだろうか。

弱気な気持ちが一瞬芽生えたりしたけれど、諦めるつもりは無かった。
高架下のコートで思い切り俺を負かしてくれた彼に、
挑んで勝つというのは沢山ある目標の中の一つだ。
あの背中を追い掛けて、追い付こうと、ぎゅっとジャージの裾を握り締めた。



もう問題は、これで何一つ無い。
このまま決勝まで突っ走るんだと、俺は信じて疑ったりしなかった。
だけど、よく考えたらそんなわけはない。
ついこの前まで治療をしていた人が、前の状態と全く同じなんてありえない。
初戦があまりにも圧倒的過ぎて、周囲も気付かなかった。

問題は氷帝戦のS2で起きた。

コピー能力を持つ樺地と対戦して、部長は窮地に追い込まれた。
体格差の所為でパワーは樺地の方が上。
同じ技で返されると部長の方が不利になるなんて。
どんどん追い込まれて行く部長に、大石先輩が「また腕でも痛めたりしたら」と、不安そうな声を出す。
あの打球を返し続けているんだ。
再び悪化することは十分考えられる。
だけど部長は一歩も引いたりしない。
降り出した雨の中でも、雷が鳴り響いても動じることなく目の前の相手を倒そうと必死になっている。
「大石よ……うちの部長は絶対に逃げたりせん」
あたふたしている大石先輩に、ばあさんが言い聞かせるように言う。
「たとえもう一度腕を痛めたりしてもな」
俺も全く同じことを考えていた。
コートから引きずり出そうとしても、拒否されるだろう。
部長は頑固だから、最後の最後まで諦めることはしないんだ。
たとえ俺達がどんなに心を痛めても、試合を続ける。そういう人だ。

結局、雨というアクシデントに対処仕切れなった樺地がアウトを連発、
それに対して部長は悪条件でも自分のテニスを崩すことも無くコートに立ち続け、
見事に勝利をもぎ取った。
けれど俺の心には、納得出来ない何かが残った。


「それで、何故俺の家へ向かって歩いているのか、説明をしてもらえないか」
どしゃぶりの雨の所為で、氷帝とのS2以降の試合は一日延びた。
一度学校へ戻ってミーティングをしてから解散となり、
俺は部長を捉まえて「一緒に帰りませんか?」と誘った。
返事を迷うことなく、「わかった」と部長は頷いてくれた。
そうして校門から出て歩き出したところで、「今日は俺が部長を送るから」と宣言してやった。


「何でって言われたら、部長は試合して疲れているからでしょ。今日は俺が送るっす」
「いや、しかしそれなら明日に試合を控えているお前の方が」
「部長?俺、これでも結構自分を抑えているんだけど。
無茶したアンタを見ていて、どれだけハラハラしたかわかる?
だから今日は俺が送る番っす。反論は無し。いいよね?」
「……はい」

気迫に飲み込まれたのか、部長は大きく頷いた。
そういえば、部長の家まで行くのは初めてだ。
大体どの辺にあるのかは、この前の帰り道で聞いたけれど。
この際、ちゃんと覚えておこうと目印になりそうなものを確認しつつ歩いて行く。
部長は俺が怒っているものだと勘違いしているらしく、黙ったままぎくしゃくとした姿勢で歩いている。

怒っている……。簡単に言えばそうだ。
でも、もっと違う。なんだろう。
あの試合を見て、もやもやした気持ちが残っているのは本当だ。
どうやって上手く伝えようか。

考えている内に随分長い間歩いていてしまったらしい。
「ここが俺の家だ」
不意に部長が立ち止まる。
そして傘を差したまま、くるっと振り返った。
「折角だから、上がって行くか?お茶なら出せるぞ。ファンタは無いが……」
「いや、ファンタじゃなくてもいいけど。急だけど、入っていいんすか」
遠慮はしたものの、すぐにわくわくした気持ちに変わっていた。
だって部長が普段どんな生活をしているか、ものすごく気になったからだ。
こんな機会、次いつ訪れるかわからない。入りたいと、強く思う。
だから「遠慮するな」と部長が言ったのと同時に、
「じゃ、お邪魔させてもらいます」と言っていた。

「ただいま」
玄関に通されるのと同時に、奥から人が出て来る。
「おかえりなさい、国光……あら、そちらは?」
部長のお母さん、だよな。一つに髪を結んだその人は綺麗な笑顔を浮かべて、俺を見ている。
慌てて背筋を伸ばし、「こんにちは」と挨拶する。
「国光の後輩さんかしら?」
「そうっす。越前リョーマって言います。えっと、いつも部長にはお世話になってます!」
しどろもどろになった挨拶も、部長のお母さんは「こちらこそ、国光がお世話になってます」と微笑んでくれた。
「どうぞゆっくりしていって下さいね。
今、お茶を淹れますから。そうだ、ケーキは好きかしら?ちょうどロールケーキを買って来たところなのよ」
「あの、おかまいなく」
「遠慮しないで。とっても美味しいお店だから、折角だから越前君にも食べてもらいわ。
少し待っててね。国光の部屋に持って行くから」
パタパタとスリッパの音を立てて、部長のお母さんはまた奥へと引っ込んで行ってしまう。

なんだか気を使わせてしまったかなあと、ぼーっとしてたら、
「俺の部屋は2階だ」と部長は先に靴を脱いでスリッパを履き、俺にも用意してくれた。
「ついて来い」
「はあ……」
先を歩く部長に、遅れを取らないように俺も急いでその後について行く。

階段を上がって、奥の部屋で部長は立ち止まった。
「ここが俺の部屋だ」
事前に来る約束なてしていないのに、躊躇い無くドアを開ける。
中を見るを想像通りきちっと整頓されていた。
俺の部屋とは全然違う。さすが部長だなあ、と感心してしまう。

「あれ……部長って山が好きなんすか?」
貼ってある山の写真を指差すと、「ああ」と頷く。
「登山は趣味の一つだ。大会が無い休日に登ったりしている」
「え、じゃあ、あれは?」
今度はベッド近くに飾られているもの達を指差す。
「ルアーだ。釣りも好きなんだ。越前は釣りに興味は無いか?」
「いや、どっちかというと魚を食べるだけの方がいいっす。
それよりも部長って意外とアウトドア派なんだ。びっくりしたかも」
「そうか?昔からキャンプも釣りも登山も好きだったが」
「へえ。でも俺の中では本を静かに読んでいるイメージだったから……」
ゲームしているか昼寝か風呂に浸かっているだけの俺と違い過ぎるというか。
意外過ぎて、次の言葉が見付からない。

黙ってしまった俺に代わって、今度は部長から話し掛けて来る。
「お互いまだ付き合い始めたばかりだ。知らないことも沢山あるだろう。
これから知っていけばいい」
「そう、っすね」
「お前はどうなんだ?休日には何をしている」
「え?俺?俺は、えーっと」
顔が引き攣る。しまった。こんなことなら何かテニス以外でも楽しめること、しておけばよかった。
部長の趣味があんまりにもまとも過ぎて、答えることが恥ずかしいじゃんか。
「どうした、越前」
「その、聞いてもつまんないことっすよ」
笑って誤魔化そうとしたが、当然部長は流してくれない。

「つまらないこととは、なんだ。
お前はそんな風に言うが、俺にとって越前リョーマを知る上でつまらないことは何一つない」
「部長……」
「だから、観念して白状しろ」
「何すか、それ」
呆れながらも、俺は笑っていた。
この人の生真面目な態度や言葉が嬉しかったからだ。
どんなこともつまらなくないと言い切ってくれたこと。
ここまで真面目に語る人は、そうそういない。
だから俺も正直に、話すことが出来る。
「本当に大したことはしていないっすよ?
暇があればゲームして、漫画読んで、後は昼寝っす」
「ゲームか。あまり詳しくないけど、面白いのか?」
「うん。そうだ!今度やってみる?
部長がゲームしている姿って新鮮でいいかも」
「そういう意味で面白がられても困るのだが……」

そんな他愛無い会話を続けていると、不意にノックの音が聞こえた。
「国光、悪いけれど、開けて頂けるかしら」
「はい、ただいま」
さっと動いて部長はドアを開けた。
「楽しそうな会話しているところ、ごめんなさい。
冷めない間にお茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
トレイを机の上へ置いて、部長のお母さんはすぐに退散して行った。
なんというか物腰も柔らかいし、にこにこと笑っているし、
部長のお母さんとはちょっと思えない。

ドアが閉められたのを確認して、俺は呟いた。
「お父さん似なんすか?」
「なんの話だ?」
「部長のことっす。お母さんよりもお父さんに似ているって言われることが多いでしょ」
すると部長は首を横に振った。
「いや、祖父に似ているとよく言われる」
「へえ。そうなんだ」
「ああ。俺もそう思う」
「そのお祖父さんってここに一緒に住んでる?」
「ああ」
「ちょっと会ってみたいかも。部長に似てるって、どんな人なんだろうって興味あるっす」
「今日は外出されている。夕飯もいらないと言っていたから、帰りは遅いと思うぞ」
「なんだ、残念ー」
見たかったなあと言うと、「また来ればいいだろ」と部長は言った。
「何度も来ている内に、祖父にも会えると思うぞ」
「来てもいいんすか?」
「ああ、お前なら大歓迎だ」
そう言って口元を緩める部長の表情が可愛くて、
「じゃあ、また来る」と俺は即答していた。

「折角、母が用意してくれたんだ。冷めない内に紅茶を飲もう。
ケーキも食べるだろ」
「うん」
椅子はこの部屋に一つしかなかったので、二人でベッドを背に床に座った。
「お前の分だ」と部長が回してくれた皿に乗せられたロールケーキは大きくカットされていて、
申し訳ないなあと思うのと同時にありがたく頂いた。
部長のお母さんが美味しいと言っていたのは本当で、なんだか幸せな気持ちになる。
スポンジはふわふわと柔らかく、それでてちゃんと弾力がある。
クリームはカスタードのみで甘過ぎず、あっさりしていてそれがまたスポンジによく合っていた。
ほわんとした気持ちになった所で、部長に「越前」と話し掛けられる。

「そういえば、さっきは怒っていたようだが、もう機嫌は直ったのか?」
「……」
「どうなんだ」
それで一気に思い出した。
S2の試合で感じていた思い。
甘いケーキを食べていたのに、急に舌がざらざらとして来た。
もう少し、素敵な余韻に浸っていたかったけれど、今の一言でぶち壊されてしまった。
最後の一口を放り込み、俺は眉を寄せたまま部長へ顔を向けた。

「じゃあ、聞くけどなんで俺が怒っていたか、わかっているんすか?」
「その割には今まで機嫌が良かったようだが」
「部長のお母さんがいる所で不機嫌な顔をしているわけにもいかないからっす」
「母がいない所でも、いつも通りだったじゃないか」
「もう、いちいちうるさい。とにかく、俺の機嫌はまだ治っていなから」
階下にいるであろう部長のお母さんに聞こえないよう声を潜めて、でもしっかりと伝える。
「なんでこうなったか、わかる?」
「ああ」
意外にも部長はあっさりと頷いた。

「俺が無茶ばかりするからだろう。
青学の勝利の為に無理して試合を続けようとしていることに、怒っている。違うか?」
「まあ、大体……合っている」
わかっているなら、なんで。
非難の目を向けると、部長は困ったように笑った。
「あのな、越前。俺も九州行きで怪我をすることはさすがに懲りたつもりだ。
腕や肩を壊さない程度に十分気をつけて試合していることは、わかってくれないか」
「あれで!?大石先輩なんて見てて倒れそうな位心配していたけど?
あんたの無理していないって基準が、わからないっす」
喋りながらふつふつと怒りが込み上げて来る。
樺地との試合でまた腕や肩がどうにかなるんじゃないかって、心配したのに。
体を大事にしないこの人に、泣きそうにもなったのに。

そうだ。
俺はもう部長が傷付くところを見たくない。
テニスが出来ないかもしれないなんて、絶望的な思いをしたくない。
それだけ、なんだ。

そっぽを向くと「越前、少し聞いてくれないか」と懇願するような声で言われる。
「俺としても無茶しているつもりは無い。
この先の事を考えると、さすがの俺も腕や肩を大事にしようと思っている。
それをわかって欲しい」
「この先って?」
まだ目を合わさないまま尋ねると、「卒業したら留学するつもりだ」と部長は静かに言った。

「えっ」
思わず振り返ってしまう。
留学って、断ったんじゃないかと驚いたからだ。
「やっとこっちを向いたな」
嬉しそうに言う部長に、「当たり前っすよ」と返す。
「だって、その、留学って何すか?」
「大会中に持って来た話を断ったのを覚えているか?」
「そりゃ、まあ」
「全国を制覇するまではここを離れるつもりはない。
しかし卒業したら海外へ行き、プロを目指す。それが俺の夢だ」
「……」
「行き先はドイツにしようと検討している所だ」
「知らなかった」
半ば放心しながら答えると、「当たり前だ」と部長は俺の頭を優しく撫でた。
「まだ付き合い始めたばかりで、知らないこともあるとさっき言ったはずだ。
だからこそ今、話しておこうと思った」
混乱しつつも、俺は頷いた。

今すぐ行くという話じゃない。
卒業後に海外へ行き、実力をつけるという選択は正しい。
反対する理由は無かった。
「それで、どう思う?」
「何が?」
「卒業と同時に遠距離恋愛になるが、構わないか?
俺としてはこの先もお前とずっと一緒に歩んで行きたい。
しかしドイツと日本は遠い。長く会えない日も続くだろう。
それでも俺とこのまま交際を続けてくれるか?
……返事を聞かせてもらないだろういか」

不安そうにしている部長に、不謹慎にも笑ってしまいそうになった。
聞くまでもない。
既に俺の心は決まっている。

「距離が離れた位じゃ、別れるつもりは無いっすよ」
きっぱりと答える。
部長は嬉しそうに目を輝かせた。
「越前、本当か?」
「ただし、一つ条件があるけど」
「条件?」
問われて頷く。俺にとって重要なことだ。
「条件は……俺の知らない所で怪我をしないで。
また腕を痛めているんじゃないかと思うと、心配で眠れなくなる。
俺の安眠の為にも、体を大事にして下さい。それだけっす」
「……」
「返事は?」
何だかぼんやりしている部長に詰め寄ると、「わかった、約束しよう」と慌てて口を開いた。
「本当にわかっているんすか?なんか、怪しいような」
「ちゃんとわかっている。その、あまりにも嬉しかったから混乱しただけだ」
「嬉しいって?」
「遠距離恋愛は嫌だと拒絶されるのを覚悟もしていた。
お前から別れないと行ってもらえて、嬉しかったんだ」
照れながら言う部長に、「バカじゃないの」と俺は冷たい声で言った。
「別れるなんていうわけないのに。まだ俺の気持ちを疑っているんすか?」
「いや、九州と東京都で離れていた間、寂しそうにしていたから、てっきり遠距離はお断りだと言われると思って」
「ちょっと、何言ってんの?」
寂しがっているなんて、俺ばっかりそんな風に思われるなんて。
ムッとして睨みつけると、「すまない。寂しいのは俺の方だった」と部長は言った。

「しかし振られなくて本当に良かった。
これでも結構打ち明けるのに、内心冷や汗ものだったからな」
「へえ。どれ?」
「お、おい。越前……」
中腰の姿勢で、部長に抱きつく。そして胸に顔を押し付ける。
「本当だ。鼓動が早い。緊張してたんだ?」
「そうだと言っただろ。もし捨てられていたら、泣いたかもしれないな」
「部長が?それ、見てみたい気もするかも」
「おい」
「嘘。振ったりなんてしないよ。だからあんたが泣くこともない。安心した?」
「そうだな。しかし確認させてもらうか」
「確認って?」

その先の言葉は言うことが出来なかった。
部長に唇を塞がれたからだ。

今回のキスはさっき食べたロールケーキの味がして、俺はうっとりと目を閉じた。
幸せと甘さが交じった、最高のキスだった。


チフネ