チフネの日記
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部長の連絡先は、あえて聞かなかった。 部長も携帯持っているかとか、聞いて来なかったから、 それでいいと思っていた。 治療に専念している部長と、ここでこの先の試合を頑張る俺。 中途半端に連絡を取ったりしたら、きっと会いたくなる。 だから電話もメールもしなくていいんだ、と自分に言い聞かせた。
部長が戻って来たら、いっぱい話をして、それから……保留にしていた件の答えを出すんだって。
今やるべきことは、試合に勝つ、それだけだ。 絶対、負けられない。 その思いから、今まで以上にテニスへ打ち込んだ。 熱心さのあまり、乾先輩にもう少しセーブするように注意を受けた位だ。 無理すると関節を痛めて、試合に出られなくなるかもしれない。 それを聞かなかったら、今も自主練習を増やし続けていただろう。 注意を受けてから、通常のメニューへと戻した。
そんな熱意が報われたのか、2回戦も、3回戦も余裕で乗り切ることが出来た。 残るは決勝のみ。 予想通り、相手は常勝・立海大付属だ。 不動峰との試合を少し見たのだけれど、確かに常勝と呼ばれるのに相応しい実力者ばかり、というのは認めるしかない。 恐らく、青学は苦戦するだろう。
でも、それでも俺は負けない。 九州にいる部長に朗報を届ける為にも、俺に勝ったあの人が最強だって証明する為にも。 立海だろうが、かかってきやがれ、と前向きに意気込んでいた。
「で?どうなっているのか、説明してもらえるかな?」 不二先輩の顔がすぐ間近にある。 目覚めてすぐ、この状況だったので何がなんだかわからない。 「どうって、何がどうなんすか。一体、どうなっているのか、せめて説明して欲しいっす」 「おチビ、覚えてにゃいのー?コートで倒れてから、俺達で部室に運んだんだけど、 ずっとこのベンチで眠っていたんだよー」 不二先輩の後ろから、菊丸先輩の声。 その言葉に、ようやく「ああ……」と思い出す。
皆が充血やドライアイだの色々理由はあったけど、 赤い目をしていることに仰天して、意識失ったんだった。 コートで倒れるなんて、恥ずかしい。 後で、どんな顔をすればいいんだ。
顔を引き攣らす俺に、「ほら、ちゃんと答えて」と不二先輩がぐいっと顎を掴んで来た。 「ちょっ、何なんすか。皆の赤い目がホラーみたいで、びっくりしただけっすよ」 不二先輩の手から逃れるように無理矢理顔を背けると、怒ったような声を出された。 「僕が言いたいのはそのことじゃなくって、こっち」 つん、と包帯を巻いた膝を突かれる。 やっぱり、気になっていたらしい。
昨日、ガットを張り替えた帰りに、立海大付属の切原に偶然出会った。 微妙に青学のことをバカにしている発言が聞こえてカッとなって、 奴を挑発したら簡単に乗って来て、あっさり野試合することになった。 途中から赤目になったあいつに膝にボールをぶつけられて、その後どうなったか、覚えていない。 気付いたら、家だった。 試合の結果って、どうなったんだ。今もそれはわからない。
「大したことないっすよ。ちょっと、転んで」 「へえー?じゃあ、こっちは?ボールをぶつけられたみたいな跡がついているけど」 「それは……」 しまった、全部包帯で隠すべきだったか。 でもそれこそ巻き過ぎたら、どうしたんだって大石先輩が胃を抑えながら聞いてきそうだから、 必要最低限にしておいたのに。 不二先輩の観察力を侮っていた。
「おチビ、本当のことを言った方がいいよ。不二、本気で怒っているみたいだからさ」 笑いながら、菊丸先輩が言う。 この状況を面白がっているみたいだけれど、こっちは真剣に止めて欲しい。 間近で開眼した不二先輩って、本気で怖い。勘弁して下さいって、許しを請いたくなる位なんだから。
「本当のことって、えっと、自主練習で転んで……」 「まだそんなこと言うんだ!?」 更に不二先輩はカッと目を見開く。 怖いよ。夢に見そうだ。 でもそれ以上にもっと怖いのは、事実を知った不二先輩が立海に乗り込むんじゃないかってことだ。 流血沙汰は避けたい。 別に切原を庇っているわけじゃないんだ。 不二先輩が暴力沙汰を起こすことの方を気にしているだけで。 これで出場停止になったら、泣くに泣けない。 絶対黙っておこうと、俺はこんな状況の中、ぎゅっと口を結んだ。
「そう、……あくまで反抗するつもりなんだね」 低い声で囁くように言われる。どうやら不二先輩は、本気モードらしい。 どうやってここから逃げ出そう……。 そんなことを考えていると、ぱっと体が離れる。 呆気に取られている間に、不二先輩は自分のロッカーに手を突っ込んで、 それから携帯を取り出した。
「どうしてもいいたくないのなら、それでもいいよ。 僕の方から手塚に報告させてもらうから。 越前は大事な決勝前に、またケンカして怪我をして来ましたってね」 「はあああっ!?」 「ちょっと、不二。それはあんまりじゃ」 「英二は黙ってて」 「はい」 ぴしゃっと言われて、菊丸先輩はその場で項垂れる。弱っ。 とか思っている場合じゃない!
「部長に報告ってどういうことっすか。それにケンカしたわけじゃない!」 「だとしても、その怪我はとても見逃せるようなものじゃないでしょ。 明日、痛みがもっと酷くなるかもしれない。 関東大会を前にして、あまりにも軽率な行動をしたってわかっているの?」 「それは……」 そう言われると、何も言えない。 不二先輩の言う通りだからだ 大会前なんだから、もう少し気をつけても良かった。 怪我をするつもりで野試合したんじゃないと言っても、通らないだろう。
菊丸先輩と同じように項垂れる俺に、 不二先輩は「はい、これ」と携帯を差し出した。
「何すか?」 「自分から手塚に言い訳するっていうのなら、それでいい。 でもここで嫌だって言い張るのなら、僕の言葉で手塚から伝える。 どっちがいい?」 「……報告しないって選択肢は無いんすか。心配掛けたくないんですけど」
別に言うよなことじゃない。 部長には治療に専念してもらいたいから、こんなこと伝えたくない。 そう思って不二先輩の目を見るけど、「出来ないね」と冷たく言われる。
「手塚に知られたくないと思うのなら、今後誰彼構わず挑発するようなことは控えることだね。 それに毎日毎日、越前の様子はどうだって聞いてくる手塚に、 今日も元気だって嘘の報告をするのは、僕の気が引けるんだよね。 だから、さっさと自分でこの状況を伝えてくれる? 僕から言ってもいいんだけど、どうなっているんだとか、怪我の具合はどうなんだとか、試合には出られるのかと、あれこれ聞かれるのが面倒なんだよ……。 この気持ちわかる?越前?」 「…………」
お経のような不二先輩の言葉に、俺はコクコクと頷いた。 怖い、怖過ぎる。 それより部長は、俺の様子を不二先輩にこっそり毎日確認していたのか。 人選間違っていると言いたいところだけれど、 大石先輩だと「普通だよ」と心配掛けないように言うだろうし、 乾先輩だと「代わりにデータを」とか交換条件持ち出しそうだからな。 やっぱり、不二先輩が一番的確な答えを出しそうだ。多少誇張は入っているだろうけど。
「わかったら、さっさとしてよね。 それと、いい加減連絡先を交換しといて。 もう僕のところに掛けて来るなって、手塚に伝えておいてくれる?鬱陶しいから」 「わ、わかりました」 「じゃあ、今から手塚に繋ぐよ」 「今から!?だって、電話に出られるかわからないのに」 「大丈夫。僕からの電話だと知ったら、緊急事態でも起きたと思って絶対出るから」
心の準備が、と思う間も無く不二先輩は携帯を操作して、すぐに俺に押し付けた。 電子音が聞こえ、慌てて耳に押し当てる。 部長、本当に出るのかな……。 半信半疑で数秒待っていたら、「もしもし、不二か!?」と部長の声がした。
「どうした!越前に何かあったのか?それとも青学で揉め事でも起きたのか」 「あの、部長……」 必死な声に悪いなと思いつつ、声を出す。 すると、いきなり沈黙が続く。 「もしもしー?部長?聞こえている?」 「あ、ああ。それより、その声は越前…なのか?」 「うん」
俺が頷いたところで、不二先輩は菊丸先輩を連れて部室の外へと出て行くのが見えた。 どうやら気を使ってくれているらしい。 その反面、先程言われた『これ以上、不二先輩の所に連絡するな』ということを絶対に伝えなければ、後で締められる……とも思った。
「けれどこれは不二の携帯、だよな?」 恐る恐る言う部長に、俺はさっきまでのやり取りを説明する。
「部長に、俺が今どんな状況なのか説明しろって、不二先輩に言われて……。 それで携帯押し付けられたんだ。ごめんね、忙しいのに」 「いや。今はちょうどウォーキングしている最中だから、ちょうど良かった。 それで、説明しなければいけない状況とはどういうことだ。何かあったのか」 部長の声に、一瞬躊躇する。 遠くで治療に専念しているこの人に、心配を掛けたくない。 言うべきことなんじゃないんじゃないかと思って、ごくっと唾を飲み込む。
「別に、何も」 出来るだけ、いつもと変わらない声を出す。 「不二先輩がふざけていただけ。 あの人、部長が毎日俺のことを聞くことをストレスに思っていたみたいっすよ。 それでこんな悪戯みたいな真似して、俺に電話を掛けさせたってわけ。 もー、部長が回りくどいやり方するから、怒られたじゃないっすか」 「す、すまない……」 途端に消え入りそうな声の返事。 こっそり様子を探っていたことを知られて、きっとバツが悪いのだろう。
「これからは、俺に直接聞いて下さいね。今から携帯番号、教えるから」 「いいのか」 「勿論!俺もやっぱり部長と話したかった……」
そこまで言って、口元を押さえる。 久し振りの部長の声。嬉しいけど、でも。 やっぱり俺は、電話だけじゃ満足出来ない。
「もしもし?どうかしたのか?」 「やぱり……電話だけじゃ、ヤダ」 「越前?」 「部長の顔を見て、話がしたいのに。 なんでこんなに遠い所にいるんすか? すぐ会いたいのに、理不尽だ。どうにかしてよ。もう、ヤダ」
電話だからこそ、本音が漏れてしまったのかもしれない。 数日振りの部長の声に、何かが俺の中で爆発した感じだ。 離れても、頑張れるなんて嘘だ。 やっぱり側に居て、俺のこと見ていて欲しい。 不意に見上げた時、びっくりするような優しい目が、懐かしい。 振り向いても、どこにもいない。 その事実を考えないようにしてたのに、声を聞いた所為で一気に現実に帰った気分だ。
「すまない」 向こう側で困っている気配が、こっちに伝わった。 「今すぐそっちに行くことは出来ない。 お前に、我慢させてしまっていることを申し訳なく思う」 「……いや、そこまで謝らなくてもいいっす」 真摯な謝罪に、俺の方も一瞬冷静になる。 ここで駄々捏ねても、部長を困らせるだけだ。心配させてしまう。 慌てて「ちょっと、言ってみただけっす」と言い訳をした。
「しかし、不自由させているのは事実だろう。 こんな俺が今出来ることは、何か無いか」 「いや、だからもう気にしないで欲しいっす。むしろさっきのことは忘れて欲しいというか」
急に恥ずかしくなって来た。 顔を見たいとか、まだ付き合っているわけじゃないのに、何言っているんだろう。 自分のバカさ加減を呪う。 これ以上、醜態を見せたくない。いっそのこと電話を切ってしまおうか、なんて考えてしまう。
「忘れる?何故だ」 部長はこっちの事情をお構い無しに、平気でこんなこと聞いてくるし。 全く。少しは、空気を読んで欲しい。 「何故だ、も何も無いっす。さっきのことは前面撤回するから」 「その必要はない」 「だから」 「俺も同じ気持ちだからだ、越前」 「………え?」 「俺も顔を見て話したい。お前の近くいたい。 それが出来ないのを、今ほど残念に思ったことは無い」 「あ、ええっと、部長?」 「どうした」 「本当に部長だよね?不二先輩が声真似して、からかっているんじゃないっすよね?」 「何を言い出す。俺は本物だ」 「そう、だよね……」
だからキャラが違い過ぎるんだって。 ああ、もう。余計恥ずかしくなったじゃないか。 赤くなっていく頬を、携帯を持ってない方の手で仰ぐ。 こんな部室の中で、顔を真っ赤にしていたら、入って来た人に見られたら、 それこそどうしたんだって心配されるだろうから。 静まれ、とゆっくり呼吸をする。
「そうだ、……えっと、俺の携帯番号の話だったよね。今、メモ出来るものはある?」 「ウォーキング中だから持っていないな。まあ、いい。覚える」 「大丈夫っすか?」 「ああ。お前の番号だからな。死ぬ気で暗記しよう」 「………はあ」 「越前?溜息ついて、どうした?」 「いや、色々と慣れなきゃいけないことがあるなって思っただけっす」
心臓に悪い言葉の連続で、また倒れそうになる。 必死に留まって、なんとか携帯番号を伝えた。
「よし、覚えた。後で、また掛けてもいいか?」 「うん。家に着いた頃、掛けてくれたら助かるっす。 それに、じっくり話したいことがあるし」 「なんだ、やっぱりまだあるのか?」 「うん……」
この膝のことを内緒にしようかと思ったけれど、今になって考えが変わった。 心配掛けないように、って黙っているよりも、 やっぱりちゃんと伝えて、その上で大丈夫だと説明するべきなんじゃないかって。
こんなにも正直に気持ちをぶつけて来る部長に、 隠し事するのは気が引ける。 一呼吸置いて、ちゃんと全部話そうと決めた。
「でも、後でね。まだ、練習時間残っているから、そろそろコートに戻るっす」 「ああ。じゃあ、また後で」 「うん」
よし、と満足して電話を切る。 一切の連絡を絶つつもりだったけれど、声を聞いたら止められなくなった。 電話くらいは、いいか。と思い直す。 それに俺達が連絡を取り合えば、不二先輩も迷惑なことから解放されるから、 これでいい。 と、頷いたところで、部室のドアが不意に開けられた。
「いい顔しているね、越前〜」 「へえ。おチビって、手塚と話している時ってそんな顔してるんだー。可愛いっ」 「なっ、ちょっと、あんた達どこから見て……!?」
さーっと、血の気が引く。 不二先輩が後方を無言で指差す。
気付かなかったけれど、窓は全開のままだった。 この人達はきっとそこから覗いていた、ってことは、会話も丸聞こえだったってことで……。
「今の記憶、全部消して下さい!」 「無茶言うねえ、越前」 「なんら、協力してもいいっすよ。このボールとラケットで、俺が!」 「いやーん、おチビ怖いっ」
そうか、わかった。 部長が不在な分、全部この二人の矛先が俺に向かうんだ。
やっぱり、早く帰って来て欲しい。 キャッキャッとはしゃいでいる不二先輩と菊丸先輩を見て、俺はがっくりと肩を落とした。
チフネ

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