チフネの日記
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2007年10月29日(月) 約束しよう

部長と二人きりで、歩いている。
最後にまともに会話したのは、そうだ、留学を正式に断ったと聞いた時だっけ。
それから大会に向けてバタバタしてて、会話らしい会話もしてなかった。

久し振りに二人きり、という状況に少し緊張する。

しかも、部長は明日から九州に行くと言う。
今を逃したら、次はいつ顔を見て話を出来るかわからない。
すぐ会える距離じゃないてこと位、知っている。

色々話すことがあると思っているけれど、中々言葉は出て来ない。
そこで、ちらっと部長の様子を伺う。
さっきから俺と同じで無言のままだ。

声を掛けて来たのは部長の方なんだから、言いたいことがあるなら先に言ってくれればいいのに。
そうしたら俺も話がしやすくなるのになあ、と考える。
年上なんだから、その位察してくれればいいのに。

ぶちぶちと呟いていると、「どうかしたのか?」とやっと部長が声を掛けて来た。

「もしかして、怒っているのか」
「はあ?」
「勝手に九州行きを決めたから……そうなんだな」
「……」

困ったように眉を顰めて言う部長に、すぐ答えることは出来なかった。

怒っているというよりは、驚いている方が近い。
治療する為にしばらく大会に出られなくなるのは、予想していたから、
仕方無いと思う部分は大きい。

ただ、それが九州っていうのは戸惑っている。

この先の大会に出る時、応援席にも部長の姿はない。
これから俺達は部長抜きで戦わないといけないんだ。

試合の最中に振り返った時、部長がいないと思うと……そんな光景を思い浮かべて、苦しくなる。

たとえ試合に出なくても、部長がそこにいるってだけでも励まされたり、刺激を受けたり、支えにもなっていた。皆も俺も。

それなのに九州なんて、遠過ぎる。


「やはり、そうか」
俺の沈黙に、部長は肯定として受け取ったようだ。
「急に決まったことだからな。話す間も無かった。
早く治療してコートに戻りたいと思ったから、どうしようもなかったんだ」

必死に言葉を紡ぐ部長の姿に、なんだかこっちが困らせているみたいな気になった。
ここはつんけんしても仕方無い。
大体、怪我をして不安を抱えている部長に八つ当たりして、どうする。

気持ちよく送り出してあげなきゃ、駄目だ。
でないと治療に専念することが出来なくなるだろう。
一刻も早く治して、こっちに戻ってもらわないと困る。

「部長」
俺は顔を上げた。
「その決断は間違ってないっすよ。
だから申し訳無さそうな顔する必要は無いっす」
「越前……」
「もし部長の立場になったなら、俺も同じことを選択したと思う。
だから、絶対ちゃんと治して帰って来て下さいね」
「ああ」
部長が頷く。
「約束する。次に会う時はコートに立てる状態で戻って来る」
「絶対っすよ?」

念押しすると、部長は何故か苦笑した。

「絶対、とは言い切れないかもしれない。
二度も俺は約束を破っているからな。……三度目はどうなるか」
「二度って?」
そんなにも約束したっけ?
ぽかんと口を開ける俺に、部長は言った。
「一度目は、氷帝戦との後で時間を作ると約束しただろ。結局、果たせなかった」
「だって、それは!病院に行くことが大事だから。それで、二度目は?」
「試合に、勝てなかったことだ」
「……」

部長の低い声に、何も言えなくなる。
そうか。
『俺に勝っといて負けんな』
『俺は、負けない』
あの言葉をずっと、引き摺っていたんだ……。

「情けないよな。大口叩いておいて、結局負けてしまった。
青学の部長として、これじゃ失格だ」

自嘲気味に言う部長に、俺は目を見開いた。
思っていた以上にずっと、あの試合の勝敗が堪えていたなんて。

「やっぱり棄権するべきだったな」

その言葉を聞いて、俺は「部長!」と声を上げていた。
そんなの違う、間違っているって、今伝えてないと駄目だって、思ったからだ。

シャツを引っ張ると、驚いたように部長が足を止めた。

「どうした」
「今の、取り消して下さい」
「何のことだ」
「部長失格だなんて言うな。棄権すれば良かったなんて、後悔するのも。
俺も、他の皆もそんなこと思っていないっす」
「けど、負けは負けだ」
「勝敗なんて、どうでもいいって言っているんだよ!」

大きな声を出してしまった。
部長はきょとんとした顔で、こっちを見ている。
構わず俺は続けた。

「俺は、あの試合を見て感動したんだ。
青学の為に肩や腕を犠牲にして、それでも戦おうとするあんたに……。
敵わないって思わせるほどに、心を動かされた。
だからそんな言い方、止めて欲しい。
俺の中では今でもあんたは、最強なんだから!」

言っていて、涙が零れそうになった。
あの試合での、部長を思い出したからだ。

痛みに耐えて、それでも試合を続けようとした部長の姿に心が震えた。
なのに、本人がそんな汚点のように言うなんて、許せなかった。すぐに取り消して欲しかった。
結果は負けたとしても、胸を張っていいんだって、部長は知るべきだ。

そう思って睨み上げると、
「……すまなかった」
ぼそっと、部長が声を出した。
バツが悪そうな顔をして、こっちを見ている。

「負けたから、お前に呆れられているんじゃないかと思って……嫌な言い方をした。
悪かった、な」
「わかれば、いいんす」
涙を誤魔化すように、俺は何度も瞬きを繰り返した。
「その代わり、また同じことを言ったらしょうちしないっすよ」
「ああ、わかっている」
「約束する?」
「約束しよう」
真面目に頷く部長が可笑しくって、俺は吹き出した。
しばらく笑っていると困ったかのように、部長は眼鏡を掛け直している。

「そんなに、可笑しいか」
「うん。だって真剣に言うから、面白いなって」
「真剣にもなるだろ。泣くなんて、思わなかったからな」
「……え」

バレてた!?
今度はこっちが焦る番だ。
「な、泣いてなんかいないっす」
「しかしさっき、うっすらと目に涙が」
「見間違いっす。その眼鏡、度が合ってないんじゃないっすか」
「ついこの間、レンズを交換したばかりだが」
「あー、もうごちゃごちゃうるさい。細かいこと言う男は、嫌われるっすよ」


つんと、前を向いて歩き出すと、部長は慌てて走り寄って来る。

「嫌うなんて言わないでくれ、越前」
「さあね」
「もう二度と、さっきのことに触れたりしないから、許してくれないか」
「必死っすね」
「当たり前だ。明日から九州に行くのに、最後に見たのがお前の怒った顔では、
心残りで仕方無い。頼むから、機嫌を直してくれ」

部長の言葉に、足を止めた。
そうだ。明日からしばらく会えなくなる。
俺もつまらないことで意地を張っている場合じゃなかった。

「もう、気にしていないっす」
「本当か?」
「うん。ケンカなんてしている場合じゃないって、わかっているっすよ」

くるっと振り返って、部長の正面に立つ。
そしてそっと、包帯が巻かれている二の腕の付近に触れてみる。
実際痛いのは肩なんだから、この辺りは大丈夫だろう。
部長は黙ったままで、俺のしたいようにさせてくれている。

治りますようにと願いを込めてから、手を離した。

「もう一度、改めて約束して下さい。
完治して、それからまた大会に一緒に出るって」
「ああ」

目と目を合わせて、今度はハッキリと告げる。
「約束しよう。この肩を治し、一緒に大会に出ると」
「うん。約束したからね」

今度は、手を差し出す。
部長は一瞬「?」という顔をしたが、すぐに俺の手に自分の手を重ねた。
それをぎゅっと握り返し、俺が部長を引っ張る形で歩き出す。

少しの間だけでも、こうして歩いていたかったから。
明日からいなくなる部長のことを忘れないようにと、大きな手を握り締めていた。


「ねえ、部長」
「どうした」
「この約束ちゃんと守ったら……保留にしていた返事、するから」
「越前」

部長が息を呑むのをわかった。
俺も、緊張している。頬が熱くなるのがわかる。
だから前を向いたまま、続ける。

「でも守らなかったら、また保留期間を延長するから、覚悟しておいてよ」
「それは、厳しいな」
「当たり前っすよ。俺を置いて九州に行くんだから。
でも……戻ってきたら、全部話すよ」
「そうか。励みになりそうだな」
「でしょ?」
「ああ。何が何でも戻ろうって気になった」


嬉しそうに言う部長に、俺も頬が緩んでいく。

明日からは離れ離れれになるけれど、きっと大丈夫。
同じ空の下、それぞれ頑張って行けるはず。

約束を果たすまで、待っているから。

その日が、一日でも早くなりますように。

夕陽が落ちて輝き始めた夏の星座達に、俺はそっと部長の無事と回復を祈った。


チフネ