チフネの日記
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| 2007年10月27日(土) |
長い長いタイブレーク |
部長が苦しんでいる。 痛くて痛くて、我慢出来ないはずだ。
棄権を促す声が聞こえて、俺はぎゅっと目を閉じる。 皆と違って、ベンチから動けない。座ったままだ。
この先、部長が何を言うか、わかっている。 不動峰との試合の時、左目を怪我しても続けることを望んだ俺と同じで、 きっと続行を望んでいるはず。
心配そうな大石先輩の声に「大丈夫だ」と部長は答える。 「このまま続ける。俺に任せてくれないか」 「だけど、手塚」 「頼む」 「……」
こう、と決めたら部長は考えを曲げない。 大石先輩も渋々というように、その場を引いた。 そうだ。この人は一度決めたら、腕が千切れようが、足が動かなくなろうが、 絶対に続ける。 だから言えるのは引き止めるような言葉じゃなくて、むしろ送り出すことを言わなくちゃいけない。 何か、俺に言えることはあるだろうか。 不動峰の時、部長が俺の背中を押してくれたように。
一生懸命考える。 急がないと、またコートに戻ってしまう。
一呼吸置いて、俺は口を開いた。 1メートルくらい離れて、背中を向けている部長に伝える為に。
「俺に勝っといて、負けんな」
高架下のあの試合。 一本道しか知らなかった俺に、もっと広い世界があるんだと教えてくれたこと。 ドロップショットが戻っていったボールの動きも。 全力で俺にぶつかって来てくれたことも。 覚えている。
だから、あんな試合をした部長が負けるわけがないんだ。
俺の言いたいことが伝わったのかどうかはわからないけれど、 部長は少しだけこっちを振り返り、そして言った。
「俺は負けない」
その言葉を聞いただけで十分だった。
ベンチから立ち上がる。 そんままラケットが置いてある方向へと向かう。
見ていられないから、逃げ出すんじゃない。 信じているからこそ、俺は行くんだ。
「越前、アップに行くなら手伝うぜ」 ニッ、と笑顔を浮かべた桃先輩が、俺にラケットが入ったバッグを差し出す。 「試合、見なくてもいいんすか?」 付き合ってくれるのはありがたいけれど、折角の部長の試合なのに。 首を傾げると、「いいから、行こうぜ」と急かされる。
「部長の試合なら、この先も見ること出来るだろ? 今は俺達がやれることしようぜ」 「……っす」 「ま、どうせアップしても、無駄になるだろうな」 「俺も、そう思ってる」
そうか。 桃先輩も部長が勝つって信じているのか。
俺だけじゃない。 ここにいる青学の皆が勝利することを信じている。
再びコートに戻ろうとする部長に、‘頑張れ’と小さく呟く。 肩が痛くないわけがない。 それでも勝利の為に、青学を全国に導く為に立ち上がろうとするあの人を止めることは出来ない。
部長を信じて、俺はここを出よう。 今度こそ振り返らず、真っ直ぐ歩いて行った。
空いているコートを見付け、俺と桃先輩は早速軽く打ち始めた。
その間にも会場が全く気にならなかったわけじゃない。 だけど、気持ちを必死で抑えていた。 今、行ってもどうすることも出来ない。 待っているしかないんだって、静かにボールに打ち続ける。
それをしばらく続けて、どれ位経ったのだろう。
「越前、一度戻ろうぜ」
桃先輩の声に、俺は顔を上げた。
本当は誰かが「試合は終わったから、戻って来いよ」と呼びに来るまで打っているつもりだった。 勿論、部長の勝利が確定した報告付きで。
しかしいつまでも誰も来る気配はない。 このまま続けていても体力を消耗するだけと、桃先輩は言いたいのだろう。
仕方なく、ラケットを下ろす。
「そうっすね。戻りましょうか」 「あっちの様子も気になるからな。こりゃ、タイブレークが続いているんだろうな」 「……うん」
途端に不安になった。 あの腕と肩で、この長時間打ち続けているとしたら。 この先、部長はどうなるのだろう?
しばらく試合に出られないんじゃないか。 いや、しばらくどころか全国大会が終わっても、その先も……だとしたら。
嫌な想像に軽く首を振る。
悪いことは考えるな。 今は部長の勝利を信じるだけだ。 そう思って、桃先輩と一緒に会場へと急いだ。
走って、青学の応援席に戻ると、思いの外静かで驚く。
「大石先輩?あの、今一体どうなっているんすか?」 「ああ、桃と越前か。今、戻ったんだな」 大石先輩がこちらを振り返る。 「まだ、続いていたんすか?」
スコアを見て驚く。
あれからずっと両者一歩も譲らず、タイブレークを続けていたのか。
どちらも体力が限界なのは、ここから見てもわかる。 部長も辛そうだ。 でも棄権するとは言わない。 絶対に、諦めないんだ。 それはここにいる全員が、わかっている。
決着がつくまで、コートを出ないんだって。
そんな部長に、相手も手を抜くことなく、精一杯応えている。 気を抜くことなく、お互いの限界ギリギリまで力を出して戦っている。
以前、部長に負けた時、すぐに追い抜いてやると決意したけれど、 この試合を見ていると、まだまだ無理なんじゃないかと思わされる。
こんなにもがむしゃらになってテニスしているこの人に、 勝てるはずが無いんだって。 俺はもっともっと頑張らないと、追い越せないって。
(部長……)
何回目ののタイブレークか、もうお互いわかっていないだろう。 追っているボールしか見えていない。
その時、ボールを返そうとしたショットを構えた部長の姿が、 何故か俺の目にはあの日の光景とダブって見えた。 部長の得意技のドロップショット。
地面に落ちたボールは跳ねることなく、手前に戻って来る。 これで決まるんだって、思った。
だけど、現実は……。
「駄目だ、戻らない!?」 「跡部が走りこんでいるぞ、まずい、拾われる!」
戻らなかったボールは、ダイビングボレーでキャッチされて、再びコートに返された。
それをダッシュで追う力は、部長には無い。 走ろうとして、足が動かそうとしているけれどスロー再生のようにゆっくりとしたもので。
長い長いタイブレークが終わった瞬間だった。
チフネ

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