チフネの日記
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2007年10月23日(火) 遠くに行きたい

俺から話し掛けよう。
そう思って放課後の部活に臨んだというのに、部長は遅れてやって来ると連絡があった。
一瞬で気が抜けてしまう。
なんだ……。折角、やる気満々で顔を出したら、この結果だ。
やり場の無いこの気合をどうしてくれようか。

「なあ、やっぱり……理由って、そうだよな」
「俺もそうそう思った」
整列している間から、ぼそぼそと意味不明な会話が聞こえた。
何だろう。
今日も来ていない桃先輩のことだろうか。

このまま顔を出さないつもりじゃないよな。
そろそろ関東大会も始まるのに、何やってるんだ。
本人が来る気になるまで、とやかく言っても仕方無いと思っていたけれど……。
もしかして誰か迎えに来るのを待っているのかな。
一度レギュラージャージを置いて行った分、気まずくて引っ込みつかなくなったとか。
……面倒だけど、一言声を掛けておくか。
桃先輩がいないことで、部内にも変にぎくしゃくしているからなあ。
いい加減戻って来いと、ガツンと言ってやろう。

そんなことを考えていたのだけれど、彼らの話題は全然別の人だった。

「しかし留学の誘いが来るなんて、さすが部長だな」
「他校の監督が直々に持って来たんだろ?出来る人は違うっていうか」

部長が留学!?

聞こえて来た内容に、ぽかんと口を開ける。
なんだ、それ。
俺、全然聞いていないんだけど!

ショックのあまり、大石先輩の「解散」の声も聞こえなかった。
立ち尽くす俺に、「越前」と不二先輩に腕を引っ張られる。
「その様子だと、君の耳にも届いたようだね」
「部長が、留学するって」
出て来た声は震えていて、自分でもびっくりした。
不二先輩はコートの隅まで誘導してくれて、それから口を開いた。

「まだ、決まったわけじゃないよ」
きっぱりと言う。
「ただ、そういう話があるってだけだ。山吹中の監督が持って来たらしい。
手塚自身が行くと決めたんじゃないから、まだなんとも言えないよ」
「そうっすか……」
不二先輩の言葉を聞いても、気休めにもならなかった。
だって部長がその気になれば、直ぐに決まるってことじゃないのか。

あれだけの実力を備えている人が、留学を考えないはずが無い。
美味しい話が来ているのに、みすみす棒に振るなんて、普通無いよな。
よっぽどの理由が無い限り、話に乗るに決まっている。

「そんなにショックだった?」
楽しそうな顔をする不二先輩に、「意外だったから、驚いているだけっす」と答える。
ショックを受けているなんて、自分でも認めたくないからだ。
「大丈夫だと思うけどなあ」
「その根拠は?」
「勘、かな」
「……」

当てにならない。
溜息をついて離れようとすると、「あんまり思い詰めないで」と言われる。
「悩むなら本人に直接確認取ってからでも、遅くないんじゃないの」
「……そうっすね」
俯いたまま歩き出す。

でも、どうしよう。
留学が決まったんだと、明るく報告されたら。
おめでとうと、言わなくちゃいけないんだけれど、普通に言える自信が無い。
いや、待てよ、と考える。

朝練の時の俺の態度に傷付いた部長は、「遠くに行きたい」と考えるようになって、
持って来た話にこれ幸いに乗ったとしたら?
後押ししたのが俺の所為だったら、笑えないよ。

そりゃ、いつかは部長も旅立って行くんだと思っていた。
あの人がこの国だけなんて狭い枠で収まる器じゃないこと位わかっている。
でもそれは、大会制覇を成し遂げた後でのことだって……。
こんなの、突然過ぎる。

(だけど、ちゃんと見送ってあげないと駄目だ)

部長が決めたことだから、反対なんて出来ない。
ましてや広い世界を目指そうとしている人を、引止めようとするなんて。
俺だったら、そんなことされたくない。振り切っても出て行く。
きっと、部長も同じだ。こう、と決めたら絶対に曲げない。
だったら俺に出来るのは、気持ち良く送り出してあげることと、
全国制覇を達成すること。
部長が不在になった青学を支えて、頂上を目指すんだ。
柱を託された俺になら、出来るはず。

そこで、ハッと気付く。
だったら尚更、桃先輩を早く部に呼び戻さないといけないんじゃないの。
チームメイトが欠けた状態で、大会当日になるなんてあってはならない。
部長の心配を一つでも解消してあげないと。

よし、と直ぐに行動へ移すことにした。

「あれ、越前。どこに行くの?」
コートから出ようとしたら、不二先輩に見付かってしまった。
……本当に目敏いな。
「ちょっと、走って来ます」
「グラウンド以外で走るつもりなら、せめて大石に許可を取らないとまずいよ」
「えーっと」
外に行くことまでお見通しか。
桃先輩を探しに行くのもバレてるのかもしれない。何者なんだよ、この人。

「す、すぐに戻って来るっす」
心当たりの場所は少ないから、そんなに時間は掛からないはずだ。
そこにもいなかったら、後は桃先輩の家に押し掛けるか。部活が終わったら、行くつもりだ。
必死に目で「お願い」と訴えると、「仕方無いなあ」と不二先輩は笑って出入り口を開けてくれた。

「少しの間だけなら、誤魔化してあげるから。
その代わり、すぐ戻って来るんだよ」
「あ、はい」
「見付かると、いいね」
にこっと笑う不二先輩に頷いて、急いで走り出す。
どう誤魔化すかは知らないが、任せておこう。不二先輩なら、上手いことやってくれるはずだ。


それからひたすら走って、桃先輩がいそうな所を探した。
学校帰りに一緒に行ったファーストフードや、ファミレス、主に食べ物の店に、ゲームセンター。
これらの場所にはいなかった。
家に帰るにはまだ早いはずだ。
さぼっていること、家族にはきっと言っていない。
きっと部活の時間まで潰して、それから帰宅しているに違いない。
少し遠いけど、あそこに行ってみるか。
俺はまた走った。

いつか来たストリートテニス場。ここで見付からなかったら、出直すしかない。
そう思って階段を上がって行くと、何やら揉めているような声が聞こえた。
ケンカでもしているのかと、足を進めて行くと、コートに桃先輩がいるのが見えた。
やった。見付かった!

そしてその隣には不動峰中の部長の妹も一緒だ。
あの野郎。部活をさぼってデートしていたのかよ。
一瞬、ムッとするが他にもギャラリーがいることに気付く。

あれは……確か氷帝の部員?
真ん中にいるのって、部長のような気がする。妙に偉そうだから、きっとそうだ。
でも、なんで桃先輩に絡んでいるんだろ。
知り合い、だったのか?

ゆっくりと俺は近付いて行く。

「さぼりっすか?桃先輩」

多少の嫌味も込めて、声を出す。
さっと、この場にいる連中の視線を集めたが、気にしない。

青学が全国へ行く為にも。
部長を送り出す為にも。
ここで油売っている桃先輩を連れ戻さないといけないんだ。

何してんだと、じろっと視線を向けると、
桃先輩の顔が一瞬申し訳なさそうに歪んだ。
やれやれ、だね。


チフネ