チフネの日記
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2007年10月21日(日) 捨てられた子猫のように

部室のドアが見えた所で、俺は足を止めた。
部長から昨日された話を、まだどう折り合いつけて良いか答えは出ていない。
それなのに顔を合わせないといけないのか。どんな罰ゲームだよ。
はあ、と溜息をついていると、後ろからぽんと肩を叩かれる。

「おはよう」
「……おはようっす」
不二先輩だった。
よりによって朝からこの人に見付かるなんて、運がない。
早く来たのは失敗だった。
詮索される前に逃げてしまおうと、足を踏み出す。

「どこ、行くの」
不二先輩の低い声に、固まってしまう。こ、怖い。
恐る恐る顔を上げると、にやっと笑う不二先輩と目が合った。
「あの、俺……朝練行きたいんで」
「朝練なんてどうでもいいじゃないか!」
急にテンションが高くなった!?
俺の肩をがっちりと掴んで、距離を詰めて来る。

「それより昨日、手塚とどんな話をしたか、じっくりたっぷり聞かせて欲しいな」
「やっぱりそうなるんすか。プライベートっすよ」
「この部では僕に対して隠し事をしちゃいけないって規則があるんだ。知らなかった?」
「どんな規則っすか?絶対嘘でしょ」
「嘘じゃないよ。言わない者には力ずくで吐かしてもOKなんだ。
君もあまり痛い思いはしたくないでしょ」
「何するつもりっすかー!?」

部室からそう遠くない所でやり取りしていた所為で、中まで響いていたのかもしれない。
不意に、ドアが開いた。
そして誰か出て来た、と思ったらよりによって部長だった。

「お前達、何をしている!早く着替えてコートに出ろ。
遅刻したらグラウンド20周だからな」
「はいはい。ちょっとふざけていただけじゃないか」
ぽいっと不二先輩は俺から手を放した。

「大丈夫か、越前」
「大丈夫ってどういう意味?感じ悪いよ、手塚」
「そういうお前の言い方も感じ悪いぞ」
うわ、部長がこっち近付いて来る。
まだ心の準備が出来ていないのに困る。
近くに寄られても俺には何を言うべきか、まだ見付かっていないのに。

来て欲しくないと思った瞬間、俺は駆け出していた。
顔を伏せたままで部長の横を通り過ぎる。

「越前?」
「着替えて来るっすー!」
前を向いたまま、声を出す。

絶対、変だと思われた。部長にも、不二先輩にも。
でも真正面から部長の顔を見ることは、どうしても出来なかった。
これでまた不二先輩に絡まれるんだろうな。
でもひたすら無視して、交わせばいいや。

部長は、そうもいかない。
一年生だったの頃の話を聞いて、その上で俺がどう思ったか、
返事を待っているのだろう。

(そんなの、わかんないよ)

数秒で身支度を終えて部室を出ようとした。
すると、不二先輩と出入り口で鉢合わせしてしまう。

「あれ、やけに早いね」
「遅刻したくないんで」
それだけ言って飛び出す。
絡まれている場合じゃない。折角遅刻しないで来れたんだ。
罰走は避けたい。
不二先輩に捕まったら、遅刻どころか朝練に参加出来ることも危うい。
さっさと逃げるに限る。


そして無事に朝練に参加出来たのは良かったのだけれど……。
結局、苦労するのには変わりなかった。

部長とは、部活の間に会話することは必要以外ほとんど無い。
だから楽勝だと考えていたのに、甘かった。
今日に限って、話掛けて来ようとするんだ。
でも明確な用事がある訳でもなく、呼び止めようとして中途半端に手を挙げて、何て言おうか考え込んでいるみたいだ。
ここで部長権限を使って、強気に出られたらさすがに俺も従うしかなかっただろう。
しかし部長も私用ということで、中々そこまで思い切れないらしい。
そして俺が機嫌悪いということも察して、結局声を掛けることは出来ないみたいだ。

部長が強気に出て来ないのを良い事に、俺は必死で側に寄らないようにと、避け続けた。
部長に呼ばれたのを無視している訳じゃないから、不審がられることはほとんど無い。
勿論、気付いている人も数人いたけれど、そうやって部長を交わしている間になんとか朝練は終了した。






放課後はどうしようか。
授業が始まって、更に昼休みになっても、俺は頭を抱えていた。
「越前、お前にお客が来ているぞ」
「客って?」
堀尾の声に顔を上げる。
まさか、部長じゃないよな。
出入り口をちらっと見て、驚愕に椅子から飛び上がった。

「やっほー、おチビ。お昼一緒に食べようよー」
「来ないのなら、こっちから行っちゃうよ」
菊丸先輩と不二先輩だ。
なんであの人達がここにいるんだ?
しかも不二先輩、「こっちから行く」と言っていたような。
まずい。警戒警報が頭に鳴り響く。
瞬間的に弁当を持って、走り出す。

「やあ、事態を把握出来たようだね」
「おチビの教室で食べても構わなかったのに」
「構います!早くここから離れるっすよ」

校内でも有名なこの二人に、女子達が熱い視線を注いでいる。
こんな所で話なんかしたら、全部筒抜けだ。
そしてこの人達がろくな話を持って来ないってことを、俺はよくわかっている。

ここ以外ならどこでもいい、と歩き出そうとする俺に、
「越前、こっち」と不二先輩が反対方向を指差す。
「誰にも邪魔されない良い場所を知っているんだ。そこへ行こう」
「はあ」
なんかそれって逃がさないよって言われているような。
顔を引き攣らせる俺に、「こっちだよ」と菊丸先輩が腕を引っ張った。



連れて行かれた咲は、現在使用されていない教室の一つだった。

最初の内は和やかな空気で食事が進んで行く。
菊丸先輩が自作だという卵焼きを勧めてくれて、食べてみたら意外と美味しくてびっくりした。
不二先輩は辛いものが好きらしく、お母さんにわざわざものすごい味付けを頼んで作ってもらっているらしい。
「食べてみてよ」と差し出された真っ赤な唐揚げ(多分、唐辛子だ)に、俺も菊丸先輩も全力で首を横に振った。

お腹が一杯になって、弁当箱に蓋をした所で、
「さて」と、不二先輩が顔を上げた。

「ご飯も食べ終えたことだし、そろそろ本題に入ろうか」
「そうだにゃー」
それまで床に座っていた二人が、腰を浮かしてじりじりと詰めて来る。
挟まれた格好になって、俺はここからもう逃げることは叶わないのだと知った。

「本題って、何すか」
惚けたように言うと、「わかっているんでしょ」と脇を突かれる。
「朝の手塚に対するあの態度は何?説明してくれるかな」
不二先輩の言葉に、菊丸先輩も「そうそう、あれは無いよねー」と頷く。
「そんなこと言われても……」
語尾が小さくなる俺に、「え?何?」と不二先輩が耳に手を当てる。わざとだ。

「手塚の気持ちを受け取りたくない。
嫌だって言うのなら生殺し状態続けていないで、ハッキリ言ってやっていいんだよ。
でも、越前は……そうじゃないんだよね?」

言われても答えられる訳がない。
それに頷くってことは、部長のことを好きだって言っているのと同じになるよね?
本人に返事をしていないのに、先に別の人へ教えられる訳が無いじゃないか。

むっとして黙っていると、「そーんな怖い顔しないで欲しいにゃー」と菊丸先輩が言う。
「余計なお世話かもしれないけど、これでも俺達心配しているんだよ」
「先輩達が心配しているのは、俺じゃなく部長でしょ」

つん、と横を向く。
全くよりによって厄介な二人が部長の味方につくなんて。
俺は一人で悩んでいるっていうのに。

「そりゃ今朝の状況を見たら、手塚側につくのは仕方無いんじゃないかな」
不二先輩が苦笑いする。
「捨てられた子猫みたいな首の動きして、おチビのこと見ていたからなあ、
あれじゃ、味方にも付きたくなるって」
「うん、うん」

二人の言い訳に、がっくりと肩を落とす。

早くチャイムがなってしまえばいいと思ったのは、初めてだ。
そうしたら授業があるからと、抜け出すことが出来る。
だけど、そんな気配もない。
3−6コンビに囲まれて、この状況をどうやって切り抜けたら良いのかと、額に手を当てた。





チフネ