チフネの日記
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2007年10月11日(木) よくやったな   塚リョ

「よくここまで来たな、小僧」
「……」
テンション高い奴だなと、無言のまま亜久津を見た。

D2とS3は青学が取って既にリーチ状態。
ここで俺が勝てば都大会での優勝が決まる。
きっと簡単には勝たせてくれないだろうけど。

何しろ、青学にまで乗り込んで宣戦布告をして来た位だ。
亜久津のやる気は十分なはず。
今もこっちを見て楽しそうに笑っていやがる。
獲物を前にした野生動物の目をしている。
勿論、こっちも負けるつもりはない。
だが、その前に一言伝えておくべきことがある。

「あんたさ、試合するんだから真面目にテニスやってよ」
「ああ?」
更に顔を険しくする亜久津に、「大事なことだから」と親指を立てて青学の応援がいる方を示した。
「ケンカになったら、止めに入ろうとする人がいるんだって。
あんただって、この勝負に水を差されたくないでしょ」

スタンバイ状態の部長を見て、俺は溜息をついた。
さっきまで入り口付近に立っていなかったくせに、移動していやがる。
亜久津が手を出して来たら、乱入するつもり満々だ。
だからこそまともなテニスの試合で、決着をつけておきたい。
亜久津も部長の様子に気付いたらしく、チッと舌打ちする。
「けどその代わりつまらねえ試合だったら、承知しねえからな」と言った。
一応、暴力は止めてくれるらしい。
案外物分りがいいんだな。
話が通じて良かったと、胸を撫で下ろす。

「いいけど。あんたが負けても恨みっこ無しだからね」
「けっ。そんなのは勝ってから言いやがれ」
一番の心配をクリアしたところで、もう一度振り返る。
今にもコートに入ろうと出入り口に手を伸ばし掛けている部長に、
大丈夫だからと目で制する。
全く、心配性にも程がある。
側にいる菊丸先輩と不二先輩が笑っているの、わかっているのかな。
ま、いいけど。

気持ちを切り替えて、ボールを握り締める。
ここから先は余計なことは気にしない。
亜久津に怪我をさせられたことも、部長が外で見張っていることも。
試合をただ楽しむ、それだけだ。

懇親のツイストサーブを打つ為、高くボールを空へと投げた。







さすがに訳のわからない因縁をつけてくるだけあって、亜久津は強かった。
読めない動き、パワーのある打球。半端無い運動能力。
悔しいが、奴の実力は認めるしかない。
全力で立ち向かって、今の所五分五分の展開が続いている。
反撃をしたい所だが、亜久津もそれはわかっているらしく、緩急をつけて俺を苦しめて来る。
このままだと押し切られてしまいそうだ。

でも、俺は負けない。負けられない。
勝つって、宣言したんだ。
それに、負けたら今度は部長が責任取って亜久津と試合することになってしまう。
だったら、俺は今ここで勝つしか無いじゃん。
負けるもんか!

その一心で、後は無我夢中でラケットを振っていた。

そして気付いたら奴の足元にボールが転がっていた。

「ゲームセット、ウォンバイ、越前!」
審判のコールに、肩から力を抜く。
「勝ったんだ……」
無意識に亜久津を見ると、呆然って顔をして突っ立っていた。
まさか自分が負けるとは、思っていなかったのだろう。
あれだけ自信あったから、当然っちゃ当然だろうけど。
この後、どうするんだろ。
そう思って見守っていたら、「ハー八ッハッ!」と急に笑い出した。
「小僧。なかなか面白い試合だったぜ」
なんて上機嫌の声で言うから、びっくりしてしまう。
負けて、何か吹っ切れたみたいだ。

「あんたもね」
ニヤッと笑って告げると、「言うじゃねえか」と亜久津はまた笑った。
「最後の試合相手がお前で良かったかもしれねえな。
俺に勝ったんだから、この先誰にも負けるなよ、小僧」
「え?最後って?」
俺の質問を無視して、亜久津は背を向けて行ってしまう。
握手もしてないんだけど、いいのか。
けど、きっと亜久津はそんなこと望んでいないと思う。俺もこれで終わっても構わない。
試合の中で全てお互いの力を出し切った。
それだけでもう十分だとわかっている。

「おチビっ、、やったー!優勝だぞ、優勝!」
「痛っ、菊丸先輩……。なんでコートに入って来てんの?」
急に抱きつかれて、体がつんのめりそうになるのを踏み止まる。
一体どこから湧いて来たんだ。
「だーって、もう整列だよっ。この試合で青学の勝ちが決まったんだから当然でしょ」
「あー、そっか」
入り口の方を見ると、他の先輩達が入って来るのが見える。
菊丸先輩が一番早く俺の所に来たみたいだけど、まさか抱きつく為じゃないだろうな。
というか、入り口のところにいた部長を押し退けたのだろうか。
その部長は、皆の後ろから入って来ている。

「越前、やったな。お疲れ!」
「桃先輩、足はもう大丈夫なんすか?」
「おうよ」
痙攣というアクシデントに見舞われたにも拘わらず、桃先輩はS3を制覇した。
河村先輩に支えられながら、ゆっくりと歩いている。
「しかよくあの亜久津に勝てたな。全く、冷や冷やさせやがって」
「俺が負ける訳ないでしょ」
「ちくしょう、大した自信だよなあ」
「さすがおチビだにゃー」
「わっ、ちょっと菊丸先輩、重いっすよ」
「やーだーねーっ」
いつまで俺は菊丸先輩に圧し掛かられていなきゃいけないんだ。

そこへ会話を断ち切るように、
「いい加減、整列しろ」と部長の低い声が響いた。
「おしゃべりなら、後にしろ」
「す、すみません」
桃先輩が首を小さくして謝罪する。
菊丸先輩も慌てて俺から離れた。
そして重石が無くなって体が軽くなった俺も、一応頭を下げてみた。
何か、部長の様子がぴりぴりしているのがわかったからだ。

亜久津のこと、まだ警戒しているのかな。
整列の時に、また何か仕掛けてくるとか思っている?
でもあの人、もうそんなことどうでも良さそうな感じがしたんだけど。
とにかく俺も列に並ぼうとささっと間に入った。

「両校、礼!」

青学と山吹の学校がそれぞれ横に並び礼をする。
その中に亜久津の姿は無い。
もう帰ったとか?つくづく自由な奴だ。
人のことはあまり言えないけど……。

「この後は表彰式だ。今度はそっちに移動するぞ」
固い表情のまま、部長はくるっと方向を変換して出口へと向かって行く。
不二先輩がやれやれというように肩を竦める。
「全く、手塚のコミュニケーション不足も大概にして欲しいね。
頑張っていた後輩に、一言の挨拶も無しかい?」
「でも、手塚のことだから内心では喜んでいるんじゃなのか?」
大石先輩のフォローに、不二先輩は「ハッ」と鼻で笑った。

「そんなの口に出さなきゃわからないでしょ。ねえ、越前?」
「なんで俺に話を振るんすか」
ここで俺かよ!と心の中で叫ぶ。いい加減、俺に構うのは止めて欲しい。
「別に、たまたまそこに居たからだよ。他意は無いから」
「……」
嘘だ、と言い返す気にもなれない。
なんだかこの人と話をしていると、頭が痛くなってしまう。

不二先輩の側から離れようと、俺は慌てて部長が歩いていった方向へと駆け出した。
「あ、越前……」
名前を呼ぶ声を無視する。
不二先輩と一緒にいたら、またとんでも無いことを言われるかもしれない。
格好悪くても逃げ出した方がマシだ。



しかし数メートル先に部長を発見して、俺は足を止めた。
「あれ……部長。なんでそこに立っているんすか」
てっきり後を振り返ることなく先に行ってしまったとばかり思っていたのに。
こっちを振り返るようにして、立っている。

俺の問いに、部長は口を開いた。
「放っておいたら、あいつらはいつまでも来ないかもしれないからな。
優勝校が一番最後に駆け込むなんて、あるまじきことだ。
少しだけ待って、来ないようなら連れ戻るつもりだった」
部長の言葉に、俺は首を捻った。
「変なの。だったら、最初から引っ張って行けばいいのに」
「それは最終手段だ」
大真面目な顔をして言う。
「それに不二達のようなノリはどうも苦手だからな、出来るだけ遠くに離れていたいんだ」
「はあ」

言葉を濁す部長に、俺もその気持ちはわかると頷いた。
たしかに不二先輩と菊丸先輩のテンションにはついていけない。
部長も同じなんだろう。
それでもこの人が簡単に誰かに苦手と打ち明けたことに驚いてしまう。

「俺……部長がはっきりと苦手と言ったことに、びっくりしたかも。意外っす」
「そうか?」
「うん。部長でも苦手なものがあるんだね」
なんだか、完全無欠な部長がぐっと近くなった気分だ。
少し笑うと、部長は「当たり前だ。他にも色々あるぞ」と言った。

「え?他にも?何っすか。想像もつかないけど」
俺の言葉に、部長はゴホンと咳払いをした。

「例えば、そうだな。例えば褒め言葉とか」
「え?」
「……その、上手く言葉に出すのは難しいものだって、さっき気付かされた所だ」
「はあ」
何が言いたいんだ。
ぽかんと、部長を見上げると、不意に肩に手が置かれる。

そして。
「よくやったな、越前」
短い言葉が降って来た。


もしかして。

さっきの試合のことを言っているのだろうか。
何を言ったらよいのかわからず、迷っていたってこと?
それで出たのが、この短い一言なのか。


マジマジと部長の顔を見詰める。
少し額に汗を搔いて、緊張しているようにも見えた。

だから、わかった。
たった一言だけど、部長にとって最上級の褒め言葉なんだって。
褒めるのが苦手と言ったこの人が考え付いたのが、あれしかなかったんだ。

なんだか妙に嬉しくなる。
自然と顔がにやけてしまう。
部長といると、こんな状態になることが多くなってる気がする。

で、俺はなんて返したらいいんだろう。
部長の言葉に、やっぱり何か言わなきゃいけないよねと考える。
けど、思いつかない。

早くしないとまずいって、焦っていると、
「ふーん、二人で何しているの?楽しそうだね」
「本当だにゃ!俺もまぜて欲しいなあ」
たちの悪い二人の声が聞こえて来た。

「菊丸、不二。来ていたのか」
「生憎だけど来ていたよ。悪い?」
「いや、そういうことじゃなく……」
部長が言葉を濁す。
不二先輩は愉快そうに距離を詰めてきた。
「あーあ、優勝旗を貰う前に、手塚を別の意味で表彰したくなって来たよ」
「お前は何を言っているんだ?」
「えーっと、後輩を初めて褒めた記念って、どう?」
「な、何を言っている」
「だって、本当のことだもんー」
「馬鹿なことで騒ぎ立てるな」
「えー、でも手塚が後輩を褒めたのって、俺も初めて見たんだけどなあ」
「そうだよね、英二」
「うん!」
「お前ら、いい加減にしろ」


部長と不二先輩と菊丸先輩の揉め事に巻き込まれないようにと、
俺はこっそり距離を置いた。


部長が誰かを褒めたのって、ひょっとして俺が初めてなんだろうか。
また、頬が緩んでしまう。

だって、あの高架下であんなテニスをする人が認めてくれたと思ったら、
どうしても嬉しくなってしまう。仕方無いじゃないか。

そういえば、親父以外の誰かに褒められて嬉しいと思ったのは……。

部長が初めてかもしれない。

うん、こんな気分になるのも悪く無い。

「だからいい加減認めなよ、よくやったってさっき言ってたじゃないか!」
「どこから聞いていたんだ!?最初からか?」
「俺らのこと苦手なんだってー?知ってたけど、ショックだよなあ、不二」
「うん、ショックで泣いてしまいそうだ。だから洗い浚い喋ってくれてもいいんじゃないの」
「誰が泣くんだ。思い切り楽しんでいるじゃないか……」


……もう少し静かな所に避難しよう。
そう思って、ゆっくりと歩き始めた。


チフネ