チフネの日記
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2007年10月05日(金) 言葉が足りないんだ 塚リョ

このイライラを解消するには、テニスするしかない。全部忘れる位、暴れ回ろう。
遅れてコートに入った俺は、すぐその案を実行した。
犠牲者は桃先輩だ。
「打とうぜ」と誘ってきたのが運の尽き。勿論容赦はしない。
攻めて、攻めて、それだけ考えて体を動かした。

「越前――!お前、無茶ばっかりし過ぎだぞ。そんなテニスをやってて、この先通用するかよ」
「でも、俺のこと止められないじゃん。文句言うのなら、返してみたら」
「くそっ、そう来たか」
悔しそうに言う桃先輩に、ふんっと無視して顔を背ける。
余計なこと、言わないで欲しい。今はテニスにだけ、集中していたいんだから。

しばらくして、がっくりと肩を落とす桃先輩を置いて、俺はコートを出た。
交代の時間が無ければもっと打っていられたのに、残念だ。
誰かが打つのを見ているだけなのもつまらないから、壁打ちでもしてこようかな。
コートを抜け出そうと足を向けた瞬間、「越前、休憩か?」と声を掛けられた。

「あ、ちょっと……」
声の主は大石先輩だった。
なんかマズイかも。
さっきの桃先輩との打ち合いは見られていただろうし、きっと説教されるんだなと身構える。
褒められた内容ではないけど俺が勝ったんだから文句言われる筋合いはない……。
ああ、駄目だ。
さっき部長と話をした時に芽生えた反発心がまたムクムクと大きくなっていく。
すっかり調子が狂ってしまった。
これもしつこく部長が言って来た所為だ。
どうしてくれる、と八つ当たり的なことを考える。

「そうか。喉が渇いたから水を飲みに行くつもりだな」
大石先輩は柔らかい笑みを浮かべて、出入り口のフェンスを押した。
「俺もだ。一緒に行こうか」
「……えっと」
「さあ、越前」
押し切られる形で、俺は外へ出た。
他の部員がいる所で話をしたくないのかな。だったら、わかるけど。
面倒だなと思ったが、結局ついて行くことにした。
ここで逃げても、後になっても追求は続くだろう。
調子が悪いと言い切ってやり過ごそうと腹を括る。
大石先輩なら部長みたいに押し付けるようなこと言って来ないはず。
明日には元に戻るからと言っておけば、納得してくれるだろう。うん。

水飲み場に到着してすぐ話が始まるのかと思ったら、大石先輩は蛇口を捻って口を近付ける。
……水、飲んでいるよ。
これはひょっとして「喉が渇いている」と言った手前、飲まない訳にはいかないと思っているのかもしれない。
あんなの話をする為の口実に過ぎないと、俺にもばれてるのに。
「越前は飲まないのか?」
「あー、うん。飲みます」
「そうだ。水分補給はしておけよ」
「うん」
喉の渇きを潤しながら、真面目な人と俺は心の中で呟く。
部長といい大石先輩といい、うちの代表は揃って真面目な人間だ。
だからこそ、皆の信頼も厚いんだろうけど。

「ところで、越前」
ほら来た。本題に入るぞ。
タオルで口元を拭いながら「何すか」と平常心を装いつつ答える。
「今日、桃城と打っている時、いつもより攻撃的に見えたが何かあったのか。
もし心配事とか、トラブルを抱えているのならいつでも相談に乗るぞ」
「はあ」

そのトラブルは部長についてとは、とても言えない。
もし口にしたら、大石先輩の異はこの場で悪化して救急車で運ばれるかもしれない。
『手塚が〜!』とか呻きながら。
大石先輩が胃薬持ち歩いている噂は、もう俺達一年の耳に入っている。
心配掛けないようにしないとね、と言っていたのはカチローだったっけ。

「あー、ちょっと今日は速攻決めたい気分だったんす。もうあんなテニスはしないから、安心していいっすよ」
「なんだ、そうか。だったら仕方無いな」
実験か、と大石先輩は笑う。
「少し心配していたんだ。けど、自分で冷静に分析出来るようなら大丈夫そうだな。良かった」
「どうも」

部長とは反対だね。簡単に丸め込まれているよ。
大石先輩はすぐ引っ込んでくれるのに、部長はなんであんなにも頑固なんだろう。
俺が「うん」って言うまで、自分の考えを押し付けて来る。
駄目だ。考えたら、また腹が立って来た。

「越前?」
眉を寄せる俺に、大石先輩が顔を覗き込んで来る。
そうだ。
良い機会だ。この人なら部長と付き合いが長い。
ちょっと聞いてみようと口を開く。

「あの、大石先輩」
「うん。どうした?」
「部長のことで一つ聞いてもいいっすか」
「手塚?ああ、俺で答えられることなら」
二年生達といざこざ合ったことは避けて、
俺は部長からしつこく他の者と上手くやっていないのか根堀り葉掘り聞かれたことだけを伝えた。
部長も大石先輩にはあの日の出来事は話して無さそうだ。
俺も言わない方がいいと思った。部内で揉め事の火種が燻っているなんて知ったら、胃の悪化の元だよね。

「そうか。手塚がそんなことを言ったのか」
ふむ、と大石先輩が頷く。
「何の問題も無いのに、しつこくって。ちょっと困っているんす」
正直に気持ちを伝える。
これで大石先輩の方からそれとなく止めるよう部長に伝えて貰えたら。
さすがに心配の押し付けは止めるだろう。そうなれば助かる。

「問題無いならそこまで言う必要は無いな。
俺の方から、手塚にそう伝えておくよ」
「ありがとうございます」
流石は大石先輩だ。これで余計なことを言われなくて済む。

助かったと体から力を抜く俺に「でもな」と大石先輩は言い聞かせるように話を続けた。

「手塚に悪気が無かったことだけはわかって欲しい。
あいつなりに心配だったんだと思う。
昔の自分のように上級生とのトラブルはこの部で起こしたくないと考えているからな」
「昔の自分って?部長が誰かとトラブルを起こすなんて、てっきり上手くやっているとばっかり……」

一年生の頃の部長は想像つかないけれど、今と同じうように真面目で、俺みたいに年上だからどうしたって、歯向かうようなタイプじゃないだろう。
挨拶もきちんとして、遅刻もしない。練習態度も問題無い。そうに決まっている。
なのにどうしてと、大石先輩をじっと見上げる。

「あいつには問題無くても、受け取る側は必ずしも好意的な人間ばかりじゃない。
時にはその才能すら嫉妬の原因になる」
「そんな、滅茶苦茶っすよ」
声を上げると、「そうだな」と大石先輩は頷く。


「手塚もそのことで一時悩んでいた。今も当時のことを気にしている。
だから越前のことも必要以上に構ってしまうんじゃないかな」
「そんなこと……」
言わなければわからない、と俯く。

知らなかった。部長は一年の時から部内で認められて、先輩達と上手くやっていたとばかり思っていた。
こんな風に話してくれれば、俺もちゃんと聞いていたのかもしれないのに。
一方的に心配しているとだけ主張するから、鬱陶しくなって逃げ出したくなるんだ。
説明するのが下手っていうか、圧倒的に言葉が足りないんだ。

「だから手塚が言ったこと、許してもらえると助かる」
ポンと帽子に手を置いて、「戻るか」と大石先輩が先にコートへと歩き出す。
許すも何も。
今の話を聞いたからには、もう怒ってなんていられるはずがない。

なんて、言えないけど。

少し深呼吸した俺は、もうさっきのような荒れたプレイはしないと決めた。




練習後。

「越前〜、今日マック寄って行くだろ」
「いいっすよ」
とっくに立ち直った桃先輩に話掛けられ、俺は「いいっすよ」と頷く。
腹も減っていたし、今日のお詫びを兼ねて付き合おう。
勿論奢ったりはしないけど。

「じゃ、チャリ取ってくるから待ってろよ」
さっさと着替えて外へ出て行く。あれだけ動いていて元気だな。
食べに行くと決まったからかもしれない。なんて単純なんだ。
着替え終えた俺もバッグを持って外へ出た。

「あ」
ドアを開けて、左を向いて固まる。
部長がこっちに向って走って来るのが見えて来たからだ。
なんで?生徒会が終わったからにしろ、こっちも練習時間が過ぎている。
何しに来たんだろと目を向けると、「越前」と声を掛けられた。
「部長?」
「すまない」
「は?」
いきなりの謝罪に、ぽかんと口を開けてしまう。
「何謝っているんすか」
「さっきのことだ」
深刻そうに部長が声を出す。
「かなり怒らせてしまったようだから、どうしても今日中に謝罪したくて急いで来た。
お前の気持ちを考えず押し付けるようなことを言って済まなかった」
「部長……」
それだけの為に来たんだ。
ひょっとして生徒会にいる間もずっと気にしていたのかもしれない。
考えて考えて、ここに走って来たんだ。
こっちも申し訳無い気になって、俺は一歩部長に近付いた。

「もう、怒ってないっすよ」
「本当か?」
「うん」

みるみる部長の顔に喜びが広がっていくのがわかる。
鉄仮面とかロボットとか表情の無い人と見ていたけど、こんなにわかりやすい人だったんだよね。
なんだか微笑ましくなってしまう。

「俺の方こそごめん。部長が心配してくれたこと、ちゃんと考えてみるっす」
こっちも思ったことを素直に口に出した。部長ばっかり言わせるのは、フェアじゃないからね。
「何かあったら相談するから、その時はよろしくっす」
「も、勿論だ」
噛んでるし。慌てて言わなくていいから。
笑いそうになるのを必死で堪えた。

「越前−!待たせたな」
桃先輩の声に、振り向く。自転車に跨っての登場だ。
なんか部長ともうちょっと話をしていたかったけど、約束をしたんだからもう行かなくちゃ。
「それじゃ、部長。お先っす」
「ああ。気をつけてな」
「うぃーっす」

軽く手を振って、桃先輩の所へと走って行く。
「なあ、部長と何話していたんだよ。生徒会に行ってたのに、いつ来ていたんだ?」
早速質問してくる桃先輩に、しれっとして答える。
「ついさっき。大石先輩に用事みたい。
なんか明日の朝、遅刻するなって言われた」
「なんだ、そんなことかー。お前の遅刻に部長も頭悩ませているみたいだなー」
納得した桃先輩の後ろに乗って、マックへと出発する。

その間も俺は部長のことを思い出し、笑いを堪えていた。
さっきの会話と、部長の表情。
あれを誰かに話すなんて勿体無い。
心の中だけで楽しもうと、決めていた。


チフネ