チフネの日記
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2007年10月03日(水) じゃあ、保留ってことで 塚リョ


向き合って、それでどうしようと困ってしまう。
これがネットを挟んだコートだったらどんなに良いか。この人と再び試合出来ることを純粋に喜んでいたはず。
しかしここは部室で。
本鈴が鳴る前の忙しい時間。
一体、何やっているんだと自分に問いたくなった。

少し時間をくれと言った部長と、部室に二人きり。
早く教室に行かないと、なんて思ってもみないことが浮かぶのは、
この状況から逃げ出したいからだろう。
テニスで窮地に追い込まれても、ここまで困ったことは無かった。
俯く俺に、部長から話を切り出して来た。

「昨日の件だが」
「はい」
「突然あんなことを打ち明けて済まない。急過ぎたと俺も反省している所だ」

心から詫びるような声に、俺はまだ下を向いたまま眉を寄せる。
悪いのは部長だけじゃない。
あの時うっかり茶々を入れたこっちにも責任があるはずだ。
普段は会話なんてしないくせに、余計なことだけは口に出してしまう。
この口が、と手で塞ぎたくなってきた。

「もしかして気にして朝練に出て来ないかもしれないと、心配していた。
お前の姿を見た時はほっとした。来てくれて感謝している」

そこまで思うことじゃないのに。少し大袈裟過ぎる。
もしかして、と俺は顔を上げた。

昨日は悩んでどうしようかと頭を抱えていたのは俺だけじゃなく、部長も同じかもしれない。
いや、もっとずっと眠れないほど悩んでいた可能性が高い。
なんたって、あの時言うつもりじゃない気持ちがばれてしまったのだから。

マジマジとすぐ近くにある顔を見詰めると、さっきは気が付かなかったけれど僅かにやつれている感じがする。
考えに考えて、朝練に現れた俺に声を掛けたとしたら。
普通に返事をしたことが嬉しくて、足が地に着いていないような歩き方になっていたのか。
今、理解した。

あの部長が。
「グラウンド10週だ!」と揉め事を全てそれで片付ける独裁者のような部長。
その怖い顔で何人もの一年生達をびびらせている部長。
なのにうっかり告白で悩みに悩んで、俺のこと気にしているあんて。
可愛い所もあるんだ、と何だか笑いたくなってしまう。
勿論、そんなことはしない。
こちらを見ている部長の目は試合の時のように真剣で、そして切なさを滲ませている。
そんな相手を笑うほど、俺は鬼畜じゃない。

「感謝とかいらないっすよ。俺は避けたりしない、態度を変えたりしない。
勿論、誰にも言ったりしないっす」
素早く俺はそう言った。
部長を安心させるのと同時に、無かったことにするつもりだと伝えたつもりだった。
この先、変に気まずくならないように、部活にも支障が起きない為だ。
そうする為の言葉を、俺なりに選んで口に出したつもりだった。

「そう、か」
部長が頷く。その表情は何を考えているのか、わからない。
元々人のことを気にしていないので、思考を読むのは苦手だ。
だから部長が次に何を言ってくれるか、それだけを待った。

「越前」
予鈴のチャイムがその時鳴った。後、三分したら教室に入って席につかなくてはならない。
ダッシュすれば間に合うか、なんて考えている場合じゃないのに。
今は部長のことだけと、雑念を振り払う。

「出来れば、そうしてくれると助かる。
昨日の俺はどうかしていたから。……忘れて欲しい」
「は!?」

思わず声が出てしまった。
慌てて口を手で塞ぐ。何やっているんだ。
折角無かったことにしてくれようと部長から申し出てくれているのに、聞き返してどうする。
このままにしておけば、何もかも元通り。
明日からは今までと変わらない日常が続いて行く。

「話はそれだけだ。引き止めて悪かったな」
部長は俺の声など気にしないように振舞っている。
忘れて欲しい、その言葉通りに。
「急ごう。俺の所為で遅刻したら申し訳無い」
なんて言いながら、ドアを開けようとしている。

ここを出て行けば、この話は終わる。蒸し返されることは多分なくなる。
望んでいた展開だ。
そうするべきなんだと、わかっている。頭では。

だけど……。

「越前?」
俺は無意識に部長のシャツを掴んでいた。
自分で自分の行動にびっくりする。
もう教室に行かないといけないのに。
何してるんだか。

「どうした。まだ言い足りないことがあるのか?」
優しく問い掛けられる。
本当は傷付いているくせに、こんな時にすら俺に気を使っているなんてどこまで人が良いんだ。

そう、わかったんだ。
俺が無かったことにしようって言うことは、部長の気持ちをまるっと無視してしまうこと。
ほとんど失恋したようなものじゃないか。

なのに、この人は何も言わず、ただ俺の気持ちを汲んで素知らぬ顔で元の日常へ戻ることを選択した。なんなんだよ。
自分の気持ちを投げることなんて、そんな簡単な訳?
あんなに顔を赤くする位なのに?
でも、もしかしたら全部押し込める覚悟が出来るほど、好きだとしたら。
こんな簡単に決めちゃいけないんだって今思った。

「保留に、しましょう」
やっと考えて出たのはこれだった。
部長は目を大きく見開いている。昨日から本当に色んな表情を見せてくれている。
「越前?それはどういう」
「だって俺が部長の気持ちを知ってしまった事実は消えない。
忘れるのは無理そうっすよ。
だから、一旦保留。今までと変わらないように過ごした上で、どうするのか考えようよ」
「……」
俺の話を聞きながら、部長は少しずついつもの顔に戻っていった。
悩んでいる、って感じだ。
そして、「それでいいのか?」確認するように言われて、俺は頷いた。
「いいっすよ。じゃあ、保留ってことで」
「ああ、わかった」

どこかほっとしたような顔。

部長の失恋はこれで先延ばしになった。
よくわからないけど、もうちょっと真面目に考えてみようと俺が決めたんだから、これでいい……はず。

「じゃ、教室行こうよ。走らないと本当に遅れるっすよ」
「あ、ああ。そうだな」

小走りで部長と一緒に校舎に向って走り出す。

色々考えることが出て来そうだけど、今は遅刻しない方が先だった。


チフネ