チフネの日記
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2007年10月02日(火) 無かったことにしよう 塚リョ

珍しく目覚まし時計が鳴るより前に目が覚めた。
アラームを止めて、大きく伸びをする。
「ホアラ」
足が隅っこで寝ているカルピンに当たった。ごめんって。
不満そうな声を出したけど、ベッドから降りようとしない。
うん。俺も出来れば寝ていたい。
このまま横になれたらどんなにいいか……。
二度寝しちゃいけないと、起き上がる。連続遅刻はこれで阻止だ。

大きく伸びをした所で、ふと昨日の出来事を思い出す。
うだうだ考えていて、結局眠ってしまったんだった。
どうするか、まだ俺は決めていない。
まずいよな、と思うと同時に赤くなった部長の顔が浮かぶ。

二年生達に絡まれてたところを助けてくれて。
過去の出来事に比べたら大したことないと言ったら、本気で心配してくれて、元気付けようとしてくれた。
悪い人じゃない。それはわかっている。

親父を倒すだけのテニスをしてた俺に、もっと広い世界があるって教えてくれた人。
そういう意味では部長は恩人と言えるかもしれない。
あの時、試合をしなかったらその先にある進化を知らないままだったから。
だから部長のことは嫌いじゃない。むしろ好感持っている方。

でも。

「俺も、お前のことが好きだぞ。本当に」

同じ意味かと聞かれたら、すぐ首を横にする。
考えもしないことだったから。

部長が俺を好き、ねえ。何か変な感じ。
いっそあれが冗談だったらどんなに良かったことか。
なんで「告白みたいっすね」なんて言ったんだろう。馬鹿、と自分の頭を軽く叩く。
その所為で一気におかしな空気になってしまった。
ありがとう、で終わらせておけばこんな事態にならなかったんだ。
部長だってあんなうっかり告白するつもりは無かったはず。
いや、「話がある」と呼び出されて、試合のこと?とのこのこ行ってみたら告白だった、そんなドッキリもいらないけど。

ああ、どうしよう。
両手で頬をぎゅっと押さえる。
がっかり告白してしまった部長も気の毒だけど、こっちも困っているんだ。なんて反応したら良いかわからない。
俺が「告白みたいっすね」なんて言わなかったら。
部長が顔を赤くしたりしなかったら。
そもそも、あいつらが絡んで来なかったら。ちくしょう。次にランキング戦で当たったら、ボコボコにしてやるか。
その前に、部長が俺との対戦を意図的に外しそうな気もするけど。

はあ、と溜息をつく。
眉間に皺、固い表情をした部長しか知らなかったから、あんな顔出来るんだってかなり驚かされた。
年相応に見えるかもと、失礼なことも考えてしまう。
普段はどう見ても、先生とかその位しか見えない。
部長のこと格好良いとか言っているクラスの女子が目撃したら、きっと喜んできゃあきゃあ言うんだろうけど。
あいにくと、俺は困惑の気持ちの方が大きい。

今日、どんな顔をして部長に会うか。
もう一度考えて、よし、と拳を握り締める。

無かったことにしてしまおう!
昨日は何も聞かなかった。
部室で部長と会っていない、そう思い込もう。
変に気まずくなって、部活に支障が起きたら困る。

そうしよう。こちらが知らん顔していたら、部長だって何かを察して蒸し返してくることは無い。
うん。
OK、と頷く。

「リョーマさんー!朝ご飯の準備が出来ましたよー!」

菜々子さんの声だ。時計を見ると、起床時間から5分ほど過ぎている。
やばい。
部長のことを考えていて、いつの間にか時が流れていたらしい。
「今、起きた!」
返事をして、階段を駆け下りた。






朝練には余裕とは言い難いけど間に合った。
急いで着替えてコートに行くと、ほとんどの人数が揃っている。
皆、早起きだなと感心する。毎日、毎日よくきちんと起きられるよね。

「全員集合だ!」

部長の声に、皆が整列する。
俺もその間に紛れ込んだ。そして隙間から、部長の姿を確認する。
良かった。いつも通りだ。
腕を組み、前を見据える姿は何一つ昨日と変わりない。
動揺の欠片も無く、ほっとする。
アレは夢だったんだと、思えるほどだ。

「皆、おはようさん」
ばあさんが朝練のメニューを発表する。
遅刻しなかったから、今日は最初から練習に参加出来る。
昨日のもやもやした気持ちをぶつけるか、の位の気持ちでばあさんの話を聞いていたら、何かこちらを見ている視線に気付いた。
しかも前方から。

もしや、と思って顔を上げる。
……思った通りだった。
部長がこっちを見ている。
見てるっていうより、ガン見だあれは。
俺のすぐ前にいる二年の先輩が勘違いして、怯えたように体を揺らしている。
睨まれていると思ったのかもしれない。気の毒に。

しかし、なんでこんな隙間を覗き込むようにこっち見る訳。
げんなりしたように、俺は俯いた。部長の視線から逃れる為だ。
無かったことにしようとしてるのに、どうやら逃がしてくれないらしい。
困った。絶対このままじゃ済まない予感に、体が強張る。

「以上だ。それぞれ練習を始めるよ!」
「はいっ!」
ばあさんの声に、皆がそれぞれ散って行く。
俺も紛れて逃げようとしたけれど、
「越前」
早速のお出ましだ。

「……何すか。今日は遅刻してないっすよ」
顔を上げず、下を向いたまま答える。
なんで今ここで話し掛けてくるんだろう。
もしかして、昨日のこと言いふらさないように釘刺しに来たとか。
だったら心配することは無い。俺は誰にも言わないし、この先も言うつもりは無い。
だからこれ以上何も言わなくていいんだと、祈るように心の中で繰り返す。

「遅刻していないのに走らせる訳ないだろう」
どこか苦笑交じりで喋る部長の声が聞こえる。
「朝練が終わったら、少し時間を貰えないだろうか。その、昨日の件で」
「あの」
他に部員がいる中、何かとんでも無いことを言われる前に、
俺は先に言ってしまおうと顔を上げた。


すると、何か懇願するような部長の目がそこにある。

昨日から、ぼろぼろと素顔見せ過ぎだ。
普段は鉄仮面のくせに。
意表ばっかり突かれて、言葉を失ってしまう。

「……」
「じゃあ、着替え終わったら待っている」

沈黙を肯定と受け止めたらしく、部長は一瞬笑みを見せて、耳元にそう囁いた。
そして何事も無かったかのように、コートへ歩いて行く。


「今の、何」

肩越しで振り返って、部長の姿を確認する。
記憶ではきっちり模範生のように背筋を伸ばしているのに、
今日はまるで宙を歩いているかのように軽やかだった。


チフネ