チフネの日記
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2005年08月02日(火) ↓その2


親父達の態度は、眼鏡を掛けて煙が見えなくなって変わらなかった。
相変わらず、親父は俺を見ると気難しそうな顔をしていたし、
お袋は悲しそうな表情。
急に余所余所しくなった姉は、もう俺に近寄ろうともしなかった。

小学校を卒業するまで、家の中で俺は一人浮いた存在だった。

時折、成長に合わせて新しい眼鏡が送られてくることだけが、
あの家での唯一楽しみだった。
伯父がまだ自分のことを気に掛けてくれてる。
味方がいると思うだけで、こんなにも心が軽くなるもんか。
当然、親父達はどこから届いてくるかわからない荷物にも、
何も触れることはない。


「なあ、侑士」
小学校生活も残り一年を切ったある日、母がか細い声で俺を呼んだ。

「東京の学校に、行かへんか?」

存在を抹消されてない方(つまりまともな人間ってことやな)の叔父さんが経営しているマンション。
そこに住まないかという話やった。

「叔父さんも近くに住んでいるし、心配は無いから」
新しく住む場所からは、氷帝学園という学校が近いらしい。
近代的で、スポーツにも学力にも力を入れている学校。
侑士の為に、そっちの環境が良いと母は言った。

俺の為でないことはわかっていたが、そこで駄々を捏ねて困らす気も無い。
この不自然な家の中で暮らすよりも、楽なのもわかっている。
俺がいない方が良いことも。

「そうする」
決断した俺に、「堪忍な」と母は少し泣いた。




親父から話を聞いているせいか、
何度かだけ会った叔父の態度は妙によそよそしいものだった。
頭を下げる母の前では、心配ないようなことを言っていたけど、
この先も当てにならないことはすぐに気付いた。

母が家へと帰った後、がらんとした部屋の中で本当に一人になったと実感する。

この目がそんなに悪いのか。
俺は、俺なのに。

涙は出なかったけれど、心の中は悲しみで一杯だった。



東京に移ってから3日後。
伯父から荷物が届いた。
家から送って来たかと思ったら、宛先はここの住所だ。
こっちに移ったことを母から聞いたのだろうか。

小さな小包を開けると、いつもと同じように眼鏡が入っていた。
入学祝いってやつだろうか。
それと、
「何かあったら、ここに連絡しろ」
電話番号らしきメモが一枚。

一人になったことを知っているような文。
どうしてなのか不思議に思ったけれど、伯父が気に掛けてくれていることが嬉しくて、
そのメモをピンで壁に留めた。

未だに連絡は取ったことは無いが、
もし困ったことが起きたら電話するより前に、伯父はやって来る。そんな気がした。




ほとんどが持ち上がりの氷帝で、
最初は上手くやっていけるか不安だったが、強豪といわれるテニス部に入ってすぐに馴染むことが出来た。
なにしろクラスのほとんどがテニス部に入ってる有様だからだ。

どうせなら、上を目指してやろうやないか。
一番、といわれるテニス部に入ったのは、そんな不純な動機だったけれど。
気付けばボールを追うことに夢中になっていた。
気の合う連中も、出来たことやし。
テニス部に入ったのは、正解だったようだ。



「なあ。侑士って、時々眼鏡外してるけど。目の調子でも悪いのかよ?」
ぴょんぴょん自由自在にコートを跳ね回るプレイ。
この所、よくつるんでいる向日岳人が、「ほら、さっきも」と尋ねてきた。
「あー、まあな」
「でも誰かの試合前に外すこと多いね」
のんびりした声は、よくコート隅で寝てしまう問題児の芥川慈朗。
眠そうな顔をしているくせに、意外と鋭い。

「そうか?試合をちゃんと見ようと目を擦ってるだけやけど」
「ふーん」

勿論、それは単なる言い訳だ。
普段、人の欲の形などは見たくも無い俺だが。

『勝ちたい』
勝利を望む執着心だけは、別だ。
この煙だけは気持悪くない。
むしろちゃんと見ていたいものだ。


今もネットを挟んだ二人の人間が、それぞれに煙を纏っている。
一人は余裕綽々とした表情。
けれどしっかりと、勝ってやるとばかりの煙が揺れている。
もう一人は言うまでもない。後輩に負けたらこの先の活躍の場が無しになるだろう。
絶対に叩きのめしてやると、試合前から力が入っている。

「どっちが勝つと思う?」
間延びしたジローの声に、試合を見ながら寝るなよとだけ注意する。
一緒にいて、起こしてやらないとは何事だと怒られたことも一度や二度じゃない。
「跡部やろ」
「でも正レギュラー相手だぜ?」
嫌味な奴と岳人は跡部を評していた。
無理も無い。

『俺様はお前らとちんたら練習するつもりは無い』

同級生達に向かって、跡部は入部初日から啖呵を切ったのだ。
たしかに跡部の実力は、同級生の誰よりも抜きん出ていた。
一年生とは思えない程のプレイスタイル。
しかしだからと言って、片付けをやらない理由にはならない。
文句を言い続けた皆に、跡部はこう宣言した。
『だったら今すぐ正レギュラー取ってやる。
そうしたら練習だけに専念できる待遇になれるからな』
飛躍した考えに、誰もが口をぽかんと開けた。
200人もいる部員の中で、正レギュラーになれるのは8人。
それを一年生の跡部が取ってみせる?
とても正気とは思えない。
普通なら。

跡部は一人で監督の元へ乗り込み、上級生と試合させて欲しいと頼み込んだ。
『実力を見て評価して欲しい』
上級生に勝ったら、準レギュラーと。準レギュラーに勝ったら、正レギュラーと。
しかし私情を交えた願いを、監督がハイそうですかと聞くはずがない。
跡部の申し出は却下された。
そこで諦めないのが跡部景吾という男だった。
部活の時間に、先輩を挑発して試合を申し込ませるという暴挙に出た。
仕方なく、コートに入ったと言う辺りがずるい。
しっかり勝利して監督に興味を持たせたくせに、よく言うわ。
実力主義を掲げているだけあって、監督は跡部の力を認めないわけにはいかず、
準レギュラー達と試合させることになった。
当然のように全勝利した跡部は、今、正レギュラーの椅子を賭け、あそこに立っているのだ。

「なら、賭けるか?」
ぴっと人差し指をコートへ向け、岳人へ尋ねる。
「俺は跡部が勝つ方に賭ける。負けたら、好きなもん奢ってやる」
「なら俺は先輩な。その言葉、忘れるなよ」
「ジローはどうする?」
「ジロー・・・」
フェンスにしがみ付いて、ジローは目を閉じていた。
やっぱり、と慌てて起こしに掛かる。
「ジロー、起きろ!」
その一瞬の間に、跡部はサービスエースを決めた。





「やっぱ、あいつ気に入らねー」
賭けに負けた岳人は、がっくりと項垂れ、大きく溜息をついた。
しかしフェンスの向こうでは、もっと脱力している奴がいる。
ゲームカウント6−4。
一年生に正レギュラーを奪われたのは屈辱だろう。
真っ青な顔をして、その場から一歩も動かない。
跡部はというと、監督の呼ぶ声に一礼してさっさと出て行ってしまった。
きっと正レギュラーとして選ばれたことの報告を聞きに言ったのだろう。
「侑士は跡部があんなにも強いって知ってたのかよ?」
「まあ、俺も負けたことあるからな」
一年同士の打ち合いで負けたのは、跡部一人だった。
最も向こうは勝ったことに対して、当然のような顔をしていた。
「くそくそ。大人しく負けてれば良かったのに」
「そういうこと言うな。賭けに負けたからってみっともないで」
「だって、さあ」
ぶちぶち言い続ける岳人に、肩を竦めてみせる。
「けど、あいつがおれば行けそうな気がする」
「どこへ?」
「決まってるやろ」
目指す場所は、一つ。
「全国か」
「俺らが三年になったら、きっと跡部が部長やろうなあ」
「うわ!最悪!」
「そんなこと言って、仲良うなったら意外と気があうかもしれへんで?」
「それはナイだろ!・・・・って、ジローは?」
「ぐぅ」
「また寝てるのかよ!」



これから後、跡部は正レギュラーのままで。

俺達がレギュラーになれた頃には、当然のように跡部が部長になった。

「本当にに部長になってやんの」
「なんだと、文句あるのか」
「別にー」
「ぐぅ」
「ジロー、また寝てるのか!?」

我侭だけれど、実力は本物の跡部部長と俺達レギュラーメンバーと。
打ち解けるには時間を要したが、壁を取っ払った後は早かった。
跡部は自己中心的な奴だとばかりに思っていたが、
意外と周りを見ている奴で、なるほど部員を纏めるには相応しいと思える部分もあるからだ。
これには反発してた奴も認めざるを得ない。
そして何より全国で通用する跡部の力は、氷帝で今や無くてはならないものだった。

たしかに、好き放題してる部分は問題があるが・・・。





「おい、ちょっと寄って行こうぜ」

その日は、レギュラー全員でスポーツショップに買い物へ行った帰りだった。
関東大会前に必要な物は揃えておけと、監督からの命令を受けて、外へと出た。
ただジローだけはどこかで寝ているのか、部活にも来ていない。
また怒られるな、と岳人は呆れた顔をした。
店を出た後、急に跡部は学園に帰る道で無い方を歩き始めた。

「また雑魚がいるかもしれねえな。その時はからかってやるか」
「ウス」

跡部の言葉に、用心棒のように隣にいる樺地が頷く。

「またって、何や?」

ここで帰ろうと言っても、跡部が聞くはずもない。
仕方なく、全員跡部の後ろを付いて歩いている。

「この前、すぐ先にあるストリートテニス場で樺地のボールを返した奴に会った」
「え!?ほんとかよ、樺地っ!」
「ウス」
「やるねー、そいつ」

皆は口々に驚きの言葉を口にする。
氷帝1のパワーの持ち主の樺地のボールを返したから、当然の反応といえる。

「しかも、そいつ。青学のレギュラーだぜ」
「青学って、一回戦で当たるじゃねーか!一体、誰だよ」
「まあ、慌てるなって」

興奮気味の岳人に、跡部は焦らすように笑った。
俺もその相手に少し興味がある。
一回戦で当たるなら、尚更。


偶然にも、樺地のボールを返した男・桃城はコートで女の子とテニスをしていた。
この時期にデートか。余裕やな。
大したこと無さそうやん。ボールを返したのも偶然に違いない。
軽く勝てそうだと、欠伸しそうになる。

「サボりっすか、桃先輩」

聞こえてきた声に、視線を上げる。

こちらへと歩いてくる、小柄な少年。

「越前君!」

女の子の声に、はっと我に返る。

なんや、あれ。
今、俺は「越前」と呼ばれた少年に、目を奪われていた。
眼鏡越しなのに、あの煙にも似たものが映っていたせいだ。
瞬きして、もう一度少年を見詰める。
やっぱり、何か纏っているよううに見える。

見間違いじゃない。
恐る恐る、そっと眼鏡を上げて確認する。


「お前が青学ルーキーか」

跡部をしっかり睨みつける越前の体は、今まで見たことの無い光に包まれていた。

太陽みたいに周囲を眩しく照らす、その光。

(こいつ、一体何者なんや・・・?)

一瞬で目が離せなくなった。


チフネ