チフネの日記
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2004年10月29日(金) 盲目の王子様 89 跡部 忍足


楽勝、のはずだった。
青学は大石不在の状態で、しかもダブルスには不慣れな様子の桃城。
そして頼みの菊丸は向日のアクロバティックに翻弄されて、やる気を無くしたように見えた。

しかし後半からは流れが一気に変わってしまう。
菊丸は突如コートを駆け回り、それまでとは違い逆に桃城を引っ張るように全てのボールを拾い始める。
向日の挑発にも乗らず、一心不乱に集中する菊丸を止めることが出来ない。
そして桃城も忍足の読みとは違い冷静な読みで試合を有利な方向へ運んで行く。

(まずいな……)

D2の試合を観戦しながら、跡部は唇をぎゅっと噛んだ。

早々に体力を使った向日は、もう息が上がっている。
忍足一人じゃ対処し切れない。
その上、青学の応援席には遅れて来た大石の姿がある。
明らかに向こうの士気が上がっている。
このまま青学優勢のまま進めば、負けてしまいそうだ。

そう思った瞬間、跡部は立ち上がっていた。

「おい、忍足!」
サーブを打とうとベースラインまで下がった忍足が、不思議そうに顔を上げる。
当然だ。
今まで一度だって、試合中に声を掛けたことは無い。
樺地への命令を除けば、多分これが初めての行動だった。

「何やってる。勝ちに行くって言ったのは、嘘だったのかよ。
あいつにも約束したんだろうが!さっさと本気を出しやがれ」
「……よお言うわ。簡単に勝てる相手やないで」

跡部の言葉に、忍足はそれまでの厳しい顔を解いてふっと笑った。
「けど試合はまだこれからや。俺は案外しぶといからな。
お前はさっさと座って、そこで黙って俺達が勝つのを待っとけや」
「ふん。口だけで終わるなよ」
「ああ」

忍足の目に冷静さと、それと勝利への執着があることを確認して、
跡部はまた元の位置へと戻った。
周囲が驚いたように跡部を見ているが、それも気にならない。

「跡部さんが試合中に口出しするなんて、珍しいですねー」
「黙ってろ、長太郎。あいつも色々考えているんだろ」
宍戸と鳳がひそひそ話しているのも無視して、コートに意識を集中させる。

(勝てよ、忍足。お前がもっと本気を出せば、やれるはずだ)

氷帝の天才と言われる忍足の実力なら、ここからでも逆転は可能なはずだ。
少なくともまだ負けが確定した訳じゃない。
向日の体力が回復するには時間が掛かって、劣勢なのには変わりないけれど。
それでも諦めるには早過ぎる。



跡部の言葉が効いたのか、忍足は落ち着いた様子でサーブの構えを取る。
盛り上がっている青学とは逆に、氷帝側は静かになっていた。
もうこのまま負けてしまう、そんな空気さえ漂っている。

けれど跡部だけは落ち着いて、腕を組んで試合の様子をじっと見守っていた。
(あいつの目は諦めていない。そうだろ?忍足)

サーブを打つと同時に、それまで前に出ることが無かった忍足が、突如飛び出したことによって陣形が変わっていく。
「岳人っ!後ろに下がれ!俺が前に出て拾うたる!」
「侑士!?」
桃城のリターンを寸での所で忍足が前面に出て、菊丸の四角をつく。
「にゃっ、にゃんで忍足が前に出るんだよお」
「英二先輩、今のは気にしないで、どんどん勢いに乗って行きましょうや」
「うー、俺の所抜かれるなんて、むかつく!」

ジタバタしている青学側と同じように、忍足達もコートの中で何やら揉めている。
「なんで、お前が前に出て来るんだよ。俺がもうへばったとか思ってるのか!?」
「ああ。思うてる」
「まだやれる!」
「ばてばてやん。それで勝てる程相手は甘くないで」
向日を落ち着かせるよう、忍足はこつんとラケットを額に当てる。
「お前が回復するまで俺が全部拾うたる。勿論フォローも必要だから、頼むわ。
そんでまだ動けるようになったら、アクロバティック全開で行くで」
「侑士……」
うっ、と向日は言葉を詰まらせる。
自分が今この場面で十分に動けないことが足を引っ張っている。
申し訳なさそうな顔を一瞬した後、すぐに顔を上げて「ああ」と頷く。
「悪い。ちょっとだけ、侑士に負担掛けるけど頼む」
「ちょっとだけな。軽く言うてくれるわ」
「けどっ、俺も絶対負けたくないから!時間稼ぐ間に、絶対戻ってみせる!」
「ああ、頼むで。待ってるからな」

忍足と向日は笑い合って、そして拳を軽く合わせる。
向日もまた諦めたくない、その気持ちから覚悟を決めたようだ。

(楽にこのまま勝たせてもらえる相手じゃねえぞ。早く復活しろよ、向日)

いくら天才と呼ばれた忍足でも、青学の選手を二人も押さえ込むのは難しい。
だが忍足は諦めず、いつもの冷静なテニスを捨ててがむしゃらにボールを繋ぐことだけ考えて、コートの端から端まで拾い続けている。
桃城と菊丸はそれまでの戦術と全く変えて来た忍足に、若干戸惑っているようだ。
優勢なはずの彼らの方に、ミスが増えていく。

「ちっくしょー。なんで俺のボールが全部拾われるんだ」
「こっちも攻撃してるのに、一人に敵わないなんておかしいよっ!」
「体力はあっちの方が限界に来てるはずなのに、まだ動けるなんて……」

忍足の体力が限界を超えているのなんて、本人がよくわかっているだろう。
いつもの伊達眼鏡もベンチに投げ捨てて、形振り構わない姿勢に氷帝の部員達も唖然として観戦している。
汗だくになってふらふらになりながらも、それでも立っている。

「侑士……次、俺が前衛に出るから」
「岳人、もういいのか?」
「ああ、ごめん。今度は俺がもっと頑張るから。少し休んでろよ」
「あほ。休んでいる場合か。行くで、俺らのダブルスで勝ちに行こうや」
「うん!」

向日が動き出したのを見て、ようやく跡部は安堵の息を吐いた。
(なんとか間に合いそうだな、この試合)


そうしてほぼ不利に傾きかけたD2の試合だったが、
今まで以上に冴えた動きを見せる向日と、フォローに回る忍足とのコンビネーションのおかげで、
氷帝は一勝を手にすることが出来た。





「うわー!忍足、岳人!勝った、勝ったよ。すげえ、すげえ!」
珍しく目を覚ましたままのジローが、ぐったりと疲れて足を引きずる二人に抱きついて喜びの言葉を口にする。
「ジロー、今はそれより何か飲み物を」
「俺、感動しちゃったー!忍足があんなにがむしゃらになるなんて!また強くなったんじゃない?」
「いや、その前に喉がカラカラ」
「岳人も最後に見せたジャンプ格好良かったC。あれで決まったようなもんだな」
「あー!もう、いいからドリンクをくれよ、頼むから!」
限界だった向日が、枯れそうな声を出す。
慌ててすぐ側にいた鳳が「これ、どうぞ」とスポーツドリンクの入ったボトルを2本差し出す。
「今までの中で一番疲れたかもしれねえ。でも勝ってよかったな、侑士」
「ほんまにしんどかったわー。岳人があそこでへばってなかったら、もっと楽勝だったけどなあ」
「それは本当に悪いって、反省してるよ」
「うわ。いきなり素直になるなんてどうしたんや!?」
「うるせえ。俺だって今回のことで色々考えたんだよ!」
そう言って、向日はベンチに足を投げ出して残りのドリンクを一気に飲み干す。

「けど、勝って良かった。今はそれだけだな」
「ああ、せやな」
穏やかに笑いながら、忍足はそれまで放っていた伊達眼鏡を再び掛ける。
「お前、それ意味無いだろ。そろそろ止めたらどうだ」
「いや、これないとなんか落ち着かなくってな」
良し、と小さく言う忍足に、跡部は呆れたように溜息を漏らす。
「勝手にしろよ、もう」
「あー、あのな。跡部」
「なんだ」
「応援、ありがとうな。いい起爆剤になったで」
照れた物言いをする忍足に、ふんとつまらなそうに跡部は横を向いた。
「別に。お前らが負けると、後が大変だからな。ただそれだけのことだ」
「へえ、そうか。まあ、ええわ」
「うるせえ。何笑ってんだ、てめえ」
「いや、別に。それより次は宍戸と鳳やろ。声掛けんでええの?」
「しねえよ、そんなこと」
「あー、ピンチの時だけ限定か?」
「しつけえよ、忍足!」

二人のやり取りが聞こえてはくるが、宍戸と鳳は背中を向けてコートへと歩いて行く。
「なんか微笑ましい会話ですね。試合前だっていうのに」
「……どっちかというと恥ずかしい。それより試合に集中しようぜ」
「はい、宍戸さん」
「あいつらの頑張りを次に繋げる為にも、俺らも負けていられねえぞ」
「はい!」



まだまだ波乱がありそうな青学との試合。
忍足の顔をぐいっと押しやって、跡部はD1の二人に目を向ける。
楽な展開はきっと無いだろう。
頑張れよ、と心の中でエールを送った。


チフネ