チフネの日記
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| 2004年10月27日(水) |
盲目の王子様 87 跡部 |
青学のゴールデンペアも、危ない場面はあったものの連携プレイで乗り切って勝利を掴んだ。 S3は二年の桃城が出て来る。
(手塚と不二はこの後か……。桃城が負けても、手塚に回る前に不二が勝敗を決めるだろうな。 やっぱり奴の試合は観ることが出来ないか)
顔を顰めている間に、桃城が弾丸サーブを決めて試合は青学有利に展開して行く。 奴らの勢いは止まらないのかよと腕組みをする。 あのパワー、樺地ほどとは行かないが厄介だ。
ポケットに入れていた携帯が振動しているのに気付き、ジャージに手を突っ込む。 『跡部!試合終わりそうだよ。整列するから早く戻って来て!』 ジローからの短いメールに、慌ててコートへと引き返す。 どうやら氷帝は無事ダブルス二つとS3の勝利を取ったらしい。 当然だなと思いつつ、もう一度ちらっと後ろを振り返る。 勝ち進んで行けばきっと、当たるのは……。
(今は考えても仕方無ない。行くか)
大股で元来た道を歩き出す。 じたばたしても、試合は避けられないのだから。
一礼をした後、項垂れてコートから出て行く相手校を横目で見送りながら、 跡部は榊の元へと向かった。 「監督、今から行けばまだ青学の試合に間に合うはずです。 皆に向かうよう言って下さい」 跡部の真剣な様子に、榊は頬に人差し指を当てて頷いた。 「その様子だと、彼らは以前にも増して成長していたか」 「はい。明日の試合、かなり苦戦することになるかもしれません」 「そうか」 侮っていたら、負ける。 そう思って、跡部は思ったことを口に出した。 氷帝が負けることは無い。その甘い考えは都大会で捨てた。 例えレギュラーでも絶対は有り得ない。 特に、青学相手では何が起こるかわからない。
「全員、集合だ!」 榊が声を上げてレギュラーを集める。 「今から別コートで試合している青学を観に行く。 途中からになるが、明日の対策の参考にするように」 行ってよし、の声に皆は顔を見合わせた後、すぐ移動を始める。 だが跡部は残ったまま、監督に向かって口を開いた。 「自分はこのまま練習に行こうと思ってます」 「他の部員を行かせておいて、見ないつもりなのか」 「はい。他の皆は青学がどの程度かよく知っておくべきだと思います。 でも俺は明日、勝つ為に少しでも調整をしておきたいです。 どうせ今日の試合は手塚まで回らない。だったらいっそ、奴への対策を練るべきかと」 「好きにすればいい」
あっさりと榊は許可を出した。 「その代わり、明日結果を出してくれるんだろうな」 「……はい」 即答出来ない自分が悔しいが、今はまだ迷いの中にある。
だから、ひたすらボールを打ち続けて何か掴んで置きたい。 そう考えて、跡部は自らラケットバッグを肩に掛けて、コートが完備されている自宅へと向かった。 手塚との試合はこの間にも刻一刻と迫っている。 何か、そう長期戦を挑まずとも試合に勝てるだけの何かを掴んで置きたかった。
しかし黄色いボールをどんなに打っても、コートを埋め尽くす位になっても。 結局迷いから抜け出すことが出来ないまま、時間ばかりが過ぎて行く。
これ以上やっていたら、疲労の為明日にも支障が出るかもしれない。
(俺はまだどうするか決めていない。こんなままで、明日を迎えてもいいのか?)
黄色いボールに埋め尽くされた反対コートを見て、呆然と立ち尽くす。 勝ちに拘って行くか、それとも正面からぶつかって行くか。 出て来ない答えの迷路の中、ふっと空が暗くなり掛けているのに気付く。
(やべえ、見舞いの時間!)
リョーマの手術も明日だ。 今日は顔を出しておこうと決めていたのに、ボールを打つことに夢中のあまり失念していた。 慌ててベンチに置いておいた携帯で時間を確認しようと開くと、メールが何件も入っていた。 ほとんどがジローと忍足からで、「今日はリョーマの所行くよね?まだ来ないの?」「お前、今どこにおるんや。さっさとリョーマに会って来い」という内容だ。 二人はとっくに病院へ行ったらしい。
(……当然だろうな) 手術を前にしたリョーマに励ましの言葉を掛けてやりたい。 跡部も二人と同じことを考えていた。 それなのに、こんな時間まですっかり忘れてしまうなんて。 なんてバカなんだと、急いでコートを抜けて、車を出すよう使用人に向けて声を上げる。
(頼む。間に合ってくれ)
シャワーを浴びる間も無く飛び出し、ウエアの上に上着を羽織っただけ。 こんな格好で会うなんてみっとも無いと思うが、どうしようも無い。
車を飛ばして、病院の駐車場に乗り付ける。 時刻を確認すると、僅かに見舞いの時間は過ぎていた。
(ここまで来て、帰る訳に行くかよ)
外来に回って、跡部は病院内へ入り込む。 何食わぬ顔して受付を通り、通院患者の振りをして奥へと入り込みエレベーターに乗る。 ここから先が問題だった。 すでにいくつか騒ぎを起こしているので、スタッフに顔を覚えられている可能性が高い。 こんな時間にうろうろしている所を見付かったら、迷わずつまみ出されるだろう。 エレベーターが開いた瞬間、緊張して廊下を見渡す。 人影がいないのを確認して、忍び足ですぐにリョーマの病室へと向かう。 途中のナースステーションでは腰を低くして、なんとか無事クリアして目的地に辿り着いた。 しかしここでも油断ならない。 リョーマの病室前で耳を立てて、誰もいないのを確認してからノックする。
「ハイ」 返事が聞こえたと同時に、跡部は病室内へと滑り込む。 「よお」 「跡部さん!?」 声を掛けると、リョーマはびっくりとした様子でベッドから立ち上がった。 「何してんの、もう面会時間過ぎてるよ!」 「わかってる。だからこっそり忍び込んで来た」 「こっそりって……」 呆れるように呟いた後、リョーマはハッと顔を上げる。
「まずい、誰かこっちに向かって来てる」 「えっ」 「跡部さん、早くここ、隠れて!」 「お、おい」
リョーマの剣幕に呑まれて、跡部は指示されるまま移動する。 「入って、早く!」 「けど、俺はさっきまで汗掻いてて」 「いいからっ」 隠れろと言われたのは、リョーマが使っているベッドの布団の中だ。 こんな所にいいのかと困惑するが、結局リョーマに押し切られて潜り込んだ。 そしてリョーマはベッドを仕切るカーテンを半分ほど引っ張って跡部を目立たなくしてから、 すぐ隣に入って来た。 上半身だけ起こした形でリョーマが溜息をつくと同時に、ノックの音がした。
「はい」 「越前君、もうそろそろ寝る頃かしら?」 看護士の声に、跡部は身を固くした。 見付かったら間違いなく叩き出されるだろう。 当然、リョーマにも迷惑が掛かる。 何やっているんだと、布団の中で今更反省を始める。
「はい、明日に備えてもう休みます」 「そうね。ゆっくり休んで」 「はい」 幸いなことに看護士はそれ以上部屋に踏み込んで来なかった。 様子を見に来ただけのようだ。
ほっとして息を吐いた所で、跡部は今置かれている状況に気付く。 押し込まれたとはいえ、リョーマと同じベッドで寝ている。 吸い込むと広がるリョーマの香りと、密着している場所から伝わる体温に、叫びだしたいような恥ずかしさに襲われる。
(まずい、落ち着け)
呼吸が荒くなったら、リョーマが不審に思うかもしれない。 そう考えて、跡部は出来るだけ細く息を吸って吐いた。 今、動揺したら看護士にも気付かれてしまう。 だから冷静に冷静にと心の中で繰り返して、指一本動かないように努める。 しかし意識しないようにしても、リョーマと同じ布団に入っていると思うと体が熱くなってきて、 額にうっすらと汗が滲んでしまう。
「また明日の朝、来るからね」 「お願いします」
どうやら看護士は行ってしまったようだ。 ドアが閉まった音に、跡部はほっと息を吐いた。 「ねえ、大丈夫?」 リョーマが布団を捲く気配に、跡部も自ら体を起こした。 「ああ。悪かったな。こんな汗くさい奴、ベッドに匿わせて」 「構わないよ、そんなの」 「そうか……」
リョーマの目が見えていたら、きっとその汗はなんだとびっくりしている所だろう。 ジャージの袖で跡部はこっそりと額を拭う。 そして、ベッドからゆっくり外へ出た。
「大事な手術前に押し掛けて悪かったな」 「ううん。でも今日は来ないかと思っていた」 時間も過ぎたし、とリョーマは呟く。 その返答に、もしかして待っていてくれたのだろうかと考える。 やっぱり先にここへ顔を出しておくべきだったと後悔しつつ、 リョーマの頭にぽんと手を乗せる。
さっきは上手くやり過ごせたが、見付からないという保証は無い。 ここは大人しく退散しておくべきだろう。
「明日は頑張れよ。それだけ言っておきたかった」 「え、もしかしてもう帰んの?」 意外そうにリョーマは顔を上げる。 「もう、ってしょうがないだろ。見付かったらお前だって怒られるかもしれねえんだぞ」 本当は跡部だって、名残惜しい。 もう少しリョーマと一緒にいたいと思っている。 そんな気持ちを知っているのか、リョーマも引き止めに掛かって来る。
「でも、今様子を見に来たばかりだから、しばらくは平気だと思う。 折角来てくれたんだから、もうちょっと居てよ」 「あ、ああ……」 頷いて、跡部はベッドに腰を下ろす。 すると明らかにリョーマの顔はホッとしたものに変わった。
(明日のこと、不安に思っているのか)
だったらそう言えばいいのに、相変わらずこの少年は強がってなかなか弱みを見せてくれない。 こっちが察してやらねえとな、と跡部はリョーマの肩にそっと手を置いた。
「跡部さん……?」 「お前の親は今日は一緒じゃないのかよ」 「子供じゃないんだから。付き添ってもらう必要なんか無いよ。 明日はさすがに来る予定だけど」 「バーカ。お前は子供だろうが。こんな時くらい素直に甘えていればいいだろ」 「だから、本当に平気だって」 「手が震えているのにか?」
気まずそうに俯くリョーマを、そのままゆっくりと引き寄せる。 「大丈夫だって言ってるだろ?退院する時にはお前は目を開いて、今まで見れなかった世界をちゃんと見ている。 一緒にあの道の向こうを確認しに行こうって約束したよな? だからきっと手術は成功する。そんなに心配するな」 抵抗も無く小さな体は跡部に凭れ掛かって来た。 本当はもっと隙間も無い位抱きしめたいけれど、今はこれが背一杯で。 リョーマの不安を消すように、ゆっくりと背中を撫でてやった。
「ありがと、跡部さん」 安堵の溜息がリョーマの口から漏れる。 「そうだよね。あの道のもっと向こうに行くって約束を果たす為にも、明日は頑張るよ」 「ああ。成功を祈ってる」 「ごめんね、なんか…跡部さんも試合前に忙しいのに」 困ったようにリョーマは身動きして、跡部から離れてしまった。 少し残念に思いながらも、無理に引き戻すことはしないで笑って返事する。 「いらん気なんか回すなよ。 正直色々煮詰っていた所だから、お前の顔見てこっちも元気を貰いたかったんだ」 「そう、なの?」 「ああ」
頷いて、ふと跡部はリョーマに聞いてみたくなった。 リョーマがもし同じ立場に立ったのなら、相手が傷付こうと勝てるであろう戦略を選ぶのか、 それとも勝率は低くなるが正面からぶつかるのか。 どちらを選ぶのか、気になった。
「なあ、越前」 「ん?」 「お前なら、どうする?勝てるかどうか難しい相手とぶつかって、そいつの弱点をつけば有利になれる、でもそいつが怪我するかもしれないとわかったら……どうする?」
跡部の言葉を聞いて、リョーマは一瞬息を呑んだ。 「どうする、か。難しいね。 勝ちたいから弱点をつくのも有りだとは思う。 でも、勝ってもあんまり気分良くないかな。俺は、ね」 「そうか……」 「でも、あんたは俺じゃないでしょ」
にこっと、リョーマは笑顔を向けた。 「後悔しないように、自分で決めるべきだと思う。 だって跡部さんのテニスでしょ。思うようにすればいい。 どっちを選らんでも、俺はそれを間違っていたなんて言わない。 頑張ったね、ってそれしか言えない。 ごめん、答えにならないね」
もっと上手く伝えたいのに、と呟くリョーマの頭を、跡部は再び撫でた。
「いや。言ってくれて助かった。 おかげで、ちょっと気が楽になれた」 「本当?」 「ああ……。俺の欲しかった言葉をくれる、お前はすごいな」 感心したように言うと、何故かリョーマは俯いてもごもごと口の中で声にならない言葉を発している。
「それは、というか俺の方こそ、感謝しているし」 「何だよ、ハッキリ言えよ。聞こえないだろうが」 「今は言えない。退院したら、話があるって言ったよね?その時に言う」
まだ教えないから、と顔を逸らしてしまうリョーマに、(なんだ?)と跡部は首を傾げた。 が、すぐに気を取り直す。
「じゃあ、待っているからな。退院する時、絶対聞かせろよ」 「まあ、期待しないで…待ってて」
ハハ、と笑って誤魔化すリョーマに訝しく思うものの、 これ以上の追求はしないでおこうと、跡部は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ出るぜ。のんびりし過ぎるのもまずいからな」 「うん。明日頑張って」 「お前もな。明日、また様子を見に来る」
こくん、と頷くリョーマを確認して、跡部はそっと病室を出た。
(あいつに答えを委ねようなんてバカな真似したな。 でも、聞いてみて良かった。 やっぱり俺自身で決めよう。後悔しない為にもな)
そしてまた見付からないように、夜の病院を早足で駆け抜け、無事外へ脱出した。
チフネ

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