チフネの日記
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2004年10月18日(月) 盲目の王子様 78 跡部 

都大会を目前にして、レギュラー専用の部室はぴりぴりとした空気が広がっている。
例外はただ一人。
「ねえねえー、リョーマへのお土産はファンタとー、えび煎餅と他に何がいいと思う?コンビにで買えるもので他あるかな?」
「ジロー……今は空気読んだ方がええで」
「え?何?何かまずいこと言ってる?」
大きな声で騒ごうとするジローの口を、忍足は慌てて塞ぐ。
「明日から都大会やろ。皆の気持ちも察して、な?」
「……」
こくんとジローが頷くのを見て、塞いでいた手を放す。
その様子を見て、日吉が呆れたようにため息をついた。
「呑気でいいですよね。うかうかしている間にさっさと下克上するから、俺は構わないんですけど」
「日吉、そう言うなや。ジローも大会が大事やってこと位は理解しとるで」
「どうですかね」
鞄を掴んで、日吉はさっさと部室から出て行こうとする。
「お先に失礼します。俺はまだ一人で練習したいことがあるんで」
「あ、ああ」
可愛くない後輩だが、その努力は認めている。
正レギュラーを目指して、日吉が頑張っているのはわかるが、
あの下克上はなんとかならないかと忍足もジローも顔を見合わせて小さく笑った。
「俺もお先に。ちょっと寄ってく所があるからな」
「ふーん、デートか?」
全然興味無さそうに言う忍足に、向日は何故か嬉しそうに「違えーよ」と答える。
「そんなに頻繁に会ってるように見える?まあ、当然かもしれねえけどな」
「誰もそこまで言ってへん……」
「最近毎日、一緒に帰ってるしなー。俺の帰る時間に合わせてくれてるんだって。
あっちも部活忙しいけど、出来るだけ一緒にいたいって。そう言われたんだよなー」
「忍足、岳人聞いてないよ」
「せやな」
うんざりとした顔をする二人に構うことなく、向日は自慢話をそれから5分程した後、
「あ、そろそろ行くわ」と急に態度を変える。
「明日は大会初日だから、バンジーでもやって気合入れようかと思って。
その分、彼女とは後で電話することになってるけど、一日会わないとやっぱり調子狂うと思うか?」
「どっちでもええ。早う行って来い」
「ああ、そうする」
「……」
相変わらずな向日の様子に、二人共無口になった。

「お前らも早く帰って休めよ。明日は大会なんだからな」
「宍戸、お前ももう帰るんか?」
「ああ」
残って自主練習するかと思ったが、意外にも切り上げて帰るようだ。
「監督の行った通り、明日に疲れを残したら元も子も無いからな。
帰るぞ長太郎」
「はい、宍戸さん」
宍戸の言葉に従うようにいそいそと付いて行く鳳の姿は、忠実な大型犬のように見える。
あれはあれで息ぴったりみたいだ。

「俺らも行くか」
「あれ、樺地は?」
この場にいない大柄の後輩に、ジローは首を傾げる。
「樺地なら跡部の荷物持って出て行った。
監督に呼ばれたから、持って来いって命令に従ったんやろ。
きっとそのまま帰るはずや」
「ふーん、じゃあ行こうか。跡部は後から来るんだよね」
「そうや。別に来る必要無いのになあ。今日位譲ってくれてもええのに」
ぶちぶち言う忍足に、ジローは宥めるように肩を叩く。
「跡部だって、リョーマを見送りたいって気持ちがあるんだからしょうがないよ。
さ、コンビに行こう?」
「ああ」

意気揚々と歩くジローを、忍足も早足で追い掛けた。

明日からリョーマは手術に備えて検査が沢山あるとかで、入院してしまう。
こちらも大会が始まるから、毎日会うのは難しい。
だから今日は三人で快く送り出してあげようという話になっている。
いつも通りの越前の訪問とはちょっと違って、リョーマの手術成功を祈る為の集まりだ。


跡部は連日榊と打ち合わせをしている為、遅れることは予め決まっていた。
最終的に決まったオーダーに納得をして、頷く。
「わかりました。初日はこの順番ですね」
「ああ。特に芥川に注意しておいてくれ。どこかで居眠りをして遅刻するようなことだけは避けるように」
「はい」
軽く頭を下げて、跡部は立ち上がった。
用件はこれで終わりだ。
今から越前家に向かって、リョーマに纏わり付いているだろう二人を剥がしてやらなければならない。
「跡部、ちょっといいか」
「は、はい?」
行ってよしと言われるかと思ったのに、話し掛けられて声が裏返る。
一体なんだと恐る恐る顔を上げると、思ったよりも榊は穏やかな表情を浮かべていた。

「大会とは関係ない。越前リョーマのことだ」
「……」
何かやらかしただろうか。
また注意されるような何かはした覚えが無い。

(告白も我慢してるから、問題は無いはずだぞ!?)

ぐるぐると頭の中で考えていると、ふっと笑われる。
「別に叱ろうと言う訳じゃない。ただ、礼を言いたかっただけだ」
「礼、ですか?」
意外な言葉に目を見開くと、榊は静かに頷いた。
「私はあの子の為に出来るだけ良い環境を与えてやりたいと思った。
問題が何も無いようにしたかった。
だから変な興味を持って近付く輩は排除したい、そう考えてた」
「それは自分のことですか?」
思い切って尋ねてみた。
そう思われても仕方ないかもしれない。
あの時、リョーマが写っていたビデオを偶然見てしまった。
その一件で榊が警戒するのも無理は無い。
「ああ、そうだ。
越前がテニスをしているのを知って、好奇心から近付くのなら許せないと思った。
彼のプレイは人を惹きつける。だが今はテニスをすることが出来ない状況だ。
もしその傷を抉ることがあったらと、私はそれを恐れた」
「……」
「だが、違っていたようだな」
「え?」
榊の柔らかい笑みに、跡部は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
「越前の様子を見ていればわかる。
あの子はあんな事があって、他人を拒絶している風さえ感じた。
でも今は違う。お前と出会ってそして、他にも交流を深めて。
良い方向へ行ってるんだとわかる」
「監督」
「以前は注意などして私が悪かった。
結果的にお前達と仲良くなれたことで、あの子は強くなってる。
だからこれからも、支えになってくれ」
「あの……!」
思わず声を上げる。
もっと落ち着いて喋るべきかもしれない。
でも止まりそうに無かった。

「俺は、あいつのことが好きです」
「……」
「今はまだ何も言っていません。あいつは何より手術を優先するべきだとわかっているから、伝えることは出来ない。
でも、全てが終わったら打ち明けるつもりです。
俺の正直な気持ちを全部告白します」
「それで?」
「それで、って……」
榊は軽くため息をついた後、指をコメカミに当てた。
「私の許可を取る必要は無い。面白半分でそのようなことを言うのなら反対するが、そうじゃないんだろう?」
「勿論。俺は真剣です」
「だったら勝手にすればいい。後は越前次第だ」
「そう、ですね」
「話は終わりか?」
「はい」
「ご苦労、行ってよし」
そのまま目も合わさず机の上に出した書類を片付け始める榊に、
もう一度礼をして跡部は部屋を出て行った。

(冷静に考えると、監督に向かってよく言えたな…)

今頃になって、汗が吹き出て来る。
許可がどう、とかそういう訳じゃないけれど、監督に言っておくべきだと思っただけだ。
あの人は本気で越前リョーマという子供の将来を明るいものであるようにと願っている。
そんな監督に真摯な気持ちで向き合いたい、こそこそ告白するのは卑怯かと思ったからだ。

(反対されたら、どうしてたんだ……全く、馬鹿だな)

越前次第だと、リョーマの気持ちを尊重することを選んでくれたから良かったものの、
下手したら告白出来なくなる所だった。
これからは発言は慎重にしよう、と手で汗を拭う。

(さて、越前の家に向かうか)

着替えは終わっているから、このまま真っ直ぐ向かうだけだ。
樺地に行って用意させてた荷物は、音楽室にきちんと揃えられている。
それを持って、下駄箱へと向かう。

ここからリョーマの家は5分と掛からない。
走ればもっと早くに着くだろう。

だが跡部は少し考えた後、逆方向へと向かって走り始めた。
ただの勘に過ぎないのだけれど、何故かこの行動が正しい気がする。
向かった先に越前がいるような、待っているような予感。

走って走って、跡部はこの前越前が立ち尽くしていた場所に辿り着く。


「越前……!」
彼はまたそこに立っていた。
何度も変わる信号。でもそ歩んで行くことなく、見えない目でその先を映して。
ただ立っている。

「跡部さん」
名前を呼ばれたリョーマが、ゆっくりと振り返る。
「まだ部活が終わるには早い時間じゃなの?」
呑気な声で言われて、跡部は肩を落とす。
「今日は大会前だから基礎練習のみなんだよ。それよりお前はなんでこんな所にいるんだ。
忍足やジローが家で待ってるんじゃないのか」
「あ、そうかも。いつもより早いなんて思ってなかったから、少しの間と思って散歩に出たんだけど」
悪いことしたな、と呟くリョーマに、跡部は笑って答えた。
「あいつらなんて待たしておけばいいだろ。そもそも予定が繰り上がったのも監督の気まぐれみたいなもんだし」
「そうなんだ?」
「ああ」
「でも、もう帰らないとね……」

静かに言った後、リョーマはまた信号を超えた向こう側を振り返る。
決して一人だけでは歩けない場所。
手術が終わったらその先を行けるようにと、願う為にここに来たのだろうか。
こんな時でもたった一人で。
きっと他に誰も知らない。
前に進めないことの辛さを、リョーマがここで噛み締めているなんて。

(一人で背負うこと、無いのにな…)

強くあろうと頑張っている、それはわかる。こんな状況でも家族にすら泣き言を言わないように、必死で前に進もうとしている。
人に見せないようにしているだけだ。
でも本当は弱い部分を隠し持っている。
わかっているから、だから。

「越前」
「何?」
「大丈夫か?」
そっと、彼の手を掴む。
「大丈夫って、なんのこと?別に俺は何も」
「俺に嘘つくな。そんな顔で言っても、全部わかってるんだよ」
「……」
「けどお前が弱音見せたくねーって頑張ってるのがわかるから、俺からは言わない。
でもな、越前。これだけは覚えておけ。
お前のこと死ぬほど心配してる奴は沢山いる。俺もその一人だ。
そんなお前が悩みを抱えてて何も出来ないって、それも辛いんだぞ。
苦しかったら吐き出せばいい。心配掛けるからとか、そんなつまらないこと考えんな。
少しでもお前の持ってる苦しみを抱えてやりたいって、考えるのは傲慢か?
なあ?俺達は、俺はお前に何も出来ないままなのかよ」

長い沈黙の後、リョーマは首を振った。
「そんなこと、無いよ」
「越前」
「跡部さんがここに来てくれただけで、嬉しかった。嬉しかったよ」
小さな手がぎゅうっと握り返してくる。
「ありがとう。差し伸べてくれるこの手が、俺にとってどれ程支えになってるか。
本当だよ?」
「……」
「でもね、ちょっと怖いなって思うこともある。ほんの一瞬だけど」
「ああ」
リョーマの漏らした弱音に、跡部はもう一方の手も重ねて聞いた。
「失敗したらどうしようとか。考えるべきじゃないのもわかってる。
でも、もしかしたらってこともあるよね」
「……」
「不安はそれだけ。はー、全部言えてすっきりした!」
口調をがらっと明るく変えて、越前は笑顔を浮かべる。
「誰にも言うつもり無かったのに、跡部さんが真剣に言うから…隠せなかった。
ずるいよねー」
「どこがずるい。俺は思ったことを言っただけだ」
「だから、そういう所。わかってて言ってるのかなあ」

リョーマがくすくす笑う訳がわからず、跡部は首を傾げた。
が、すぐ気持ちを切り替えて、伝えたいことを耳元で囁く。
今は少しでもリョーマの心を軽くしてやりたい。
それしか考えられない。

「退院したら、一緒にこの道を歩こう。
なんの変哲も無いただの道だけれど、お前と一緒ならそれも楽しそうだ。
どうだ、約束しないか?
お前に見せたい景色は、ここ以外にも沢山ある。俺と一緒に、色んな場所探しに行こう」
「……うん、そうだね。楽しそう」
「じゃあ、約束したからな。破るなよ」
「そっちこそ」

笑いあって、そしてリョーマの腕を取って今度こそ家に向かって歩き始める。

少しでも彼の不安を解消出来ただろうか。
たったら良いのだけれど、それすらも隠して笑っているんじゃないかと思って心配になる。
自分の口から出た言葉がリョーマの心にある不安を全部照らして消してしまえばいいのに。
そんなことを考えた。


チフネ