チフネの日記
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2004年10月17日(日) 盲目の王子様 77 リョーマ

手術の日が決まったことを榊に伝えに行くと、
「そうか、良かったな」と短いが歓喜の篭った言葉が返って来る。

「まだどうなるかはわからないんだけどね」
「きっと成功する。私は君が再びテニスが出来ると信じてる」
「本当に……先生が最初にそう言ってくれたから、救われました」

この学園に連れて来てくれて、世話をしてくれた榊にリョーマは深くおじぎをして礼を口に出した。

「あのまま向こうにいたら、きっと絶望して何もかも放り出していたかもしれない。
全部先生のおかげです。ありがとうございます」

もうテニスが出来なくなるかもしれない。
落ち込んで、周囲からの声に絶望して。
膝を丸めていた自分に、榊が手を差し伸べてくれた。
最初は拒絶した。
でも、「君はテニスをしたいんじゃないのか。諦めていいのか。俺はもう一度君がコートに立っている姿が見たい」と根気良く外へ引っ張って行ってくれた。
感謝の言葉をどれだけ口にしても、足りない。

「前も言ったが、礼などいらない。君の手術が成功したら、氷帝のテニス部に入ってもらう。
そういう約束をしただけだ」
「それでも、先生のおかげです」
素っ気無い風を装っているが、本当はどんな顔をして言っているのだろうとリョーマは思った。
父親は無愛想な奴と言うけれど、声の暖かさからそんな事は無いと想像している。
手術が成功したら、きちんと目を合わせてまた「ありがとう」と伝えたい。

「先生がいなかったら氷帝に入ることも難しかっただろうし、頑張れたかどうかもわからない」
「それはどうだろう」
「え……?」
榊がふっと笑った気がして、リョーマは首を傾げる。
何か変なことを言っただろうか。
考え込んでいると、「頑張れたのは、私がいたからだけじゃないだろう」と返される。
「他にもいるんじゃないのか。君の周囲には色々と、人が集まっているようだな」
「はあ……」
跡部達のことを言っているらしい。
手塚の一件を思い出して、リョーマは小さく首を竦める。
揉め事を起こしている訳じゃない。一緒に家へ上げたけれど、あの時はああするのが一番良いと思った。
でも榊は忠告を聞かずに、勝手なことをしてと怒っているのかもしれない。
どうしよう…と悩むリョーマに、榊がふっと笑う。

「咎めている訳じゃない。ただ日本に来る前は誰も親しい友人はいるようには見えなかった。
その時と比べるといつの間にか笑顔が増えて来た。
多分それは私がいるからじゃないだろうな」
「……」
たしかに向こうでは友人などいなかった。
テニスだけ。他にはいらないとまで思っていた位だ。
そしてこうなった時でさえ、榊は別だが人の手は借りないと虚勢を張っていた。

『そんなんじゃいつまでも家に帰れやしねぇぞ』
『送ってやるから大人しくしてろ』

大嫌いだったはずの奴が、何故か強引に杖を持たない自分を引っ張ってくれた。
あっけに取られた所為もあったけれど、すんなりとその好意を受け取ることが出来た。
きっとあの日は自分にとって何かの転換だったと思う。
拒絶することしか考えていなかった、それを変える切っ掛け。

『きっと考えるよりも前に、自然と行動に出るんだろうな』

跡部の言う通りだ。
可哀想に思われているからとか、同情なんていらないとか考えていた自分が恥ずかしい。
悪意ばかり見出そうとして、そこにある好意を拒絶するなんて愚かなことだ。

「そう、かもしれません」
榊の言葉に、リョーマは頷いた。
「良い人達と巡り合えて、すごく幸せなんだと思う。
だからここに連れて来てくれた先生は、やっぱり俺にとって恩人です」
「そう、何度も言うな」

ひょっとして榊は照れているのかもしれない。
なんとなくだが、声のトーンからそんな気持ちを察する。

「そろそろ時間だな。越前、済まないが退室してもらえるか」
「うん、忙しい所に押し掛けたのはこっちだから。でもどうなったのかだけは、絶対自分の口で報告したかったんだ」
「ああ。当日は大会と重なっているから遅れるが、必ず見舞いに駆けつける」
「はい」

一礼して、外へと出る。
大会を前にして多忙な榊と話を出来るのは、今日位だと思ったので会っておきたかった。
話が出来て良かったと、満足そうにリョーマは歩き出した。
そして向こう側から近付いてくる人物の足音に、耳を澄ます。

「…跡部さん」
「やっぱりわかるのか」
「うん」
すげえなと言いながら、跡部が近付いてくる。
学校の廊下でも、知り合いの足音なら大体聞き分けることが出来る。
特に、この人なら絶対に間違えない自信があった。

「監督に用事だったのか?」
「うん。でも話は終わった。手術の日がいつか、話に言っただけだから」
「そうか」
「跡部さんは今から先生と打ち合わせ?大会前で大変だね」
「ああ…。やる事いっぱいあって、疲れる。けど、頑張らないと勝てないからな」
ふっと跡部が漏らした一言に、リョーマは思わず「大丈夫」と言ってしまう。
「越前?」
「あ、いや…なんとなく。跡部さんなら大丈夫って気がしたから。
簡単に言っちゃってごめん」

勝負の世界はそんな生易しいものじゃない。
部外者が何言っているんだろうと小さくなるが、
跡部は笑ってから優しく頭を撫でて来た。

「そうだな。でもお前が応援してくれるのなら、大丈夫って気になれるかもしれねえな」
「え?」
「なんだ、応援してくれないのか」

心なしか寂しそうな声に、リョーマは首を大きく横に振った。
「そんな訳無いじゃん。応援してるよ。当然じゃん」
「いやに力込めて言うんだな」
「だって、本当のことだから!」

思わず大きな声を出してしまう。
榊に聞かれたかと思ったが、音楽室は完全防音だと前に自慢してたことを思い出す。多分大丈夫だろう。
良かったと胸を撫で下ろした。

「本当に応援してるから…頑張って」
「ああ。サンキュ」
見えないけれど、跡部が微笑んでいる気がする。
嬉しくなって、でもそれが見えないことが少し悲しくて、ぎゅっと杖を握り締める。

「おい、どうした?」
「う、ううん。別に。直接応援出来なくて残念だなって」
「気にすんな。そういえば、いつから入院するか聞いて無かったな。いつだ」
「今週末から。そのまま手術して、しばらくいると思う」
終業式には出られないが、今は手術の方が優先だ。
そのまま夏休みの半分は病院で過ごすことになる。
つまらないが、こればかりはどうしようも無い。
「そうか。じゃあ、また面会時間とか詳しいこと聞きに行くからな」
「うん」
「監督待たせるとうるさいから、もう行くけど。
気をつけて帰れよ」
「平気。部活、頑張って」
「ああ。じゃあな」

気配で彼が手を振っているのを感じる。
リョーマも杖を持ってない手を軽く上げて、ゆっくりとその場を歩いて行く。

(言いたいこといっぱいあった気がするんだけど…)
ジローと忍足にも以前の自分を打ち明けたこととか。
跡部のおかげでジローや忍足という良い友人達と巡り合えたことへの礼とか。
他にも何か話をしたかったけど、上手く言葉が出て来なかった。
(なんか調子狂う。今度会う時はきちんと出来るよね)

変だな、と考え込みながら廊下を歩いて行く。
その感情がなんなのか、まだリョーマは気付いていない。


チフネ