チフネの日記
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| 2004年10月08日(金) |
盲目の王子様 68 跡部 |
周囲を探りながら歩くリョーマのペースに合わせながら、跡部はゆっくりと手を引いてやった。 特に珍しいものがある訳でも無い。 どこにでもありそうな道のりなのに、リョーマはどこか楽しげな様子で歩いている。 初めて歩く知らない区域に、わくわくしているのだろうか。 目の見えないリョーマの為に、跡部はいちいち「そこに花が咲いている」とか「あっちの家には犬がいる」と説明をした。 そうすると必ず「そうなんだ」とにっこりとした顔を向けられる。 想像でしかなかった区域に何があるのか知ることが出来て、心底楽しそうなリョーマに。 また跡部は、自分の目につくものを口に出した。
そうしてどの位歩いただろうか。 不意に、リョーマが足を止める。
「どうした、疲れたか?」 「ううん、そうじゃなくて」 じっとリョーマは耳を澄ましている。 何か、聞こえたのだろうか。
「近くでボールを打ってる音が聞こえたから」 「ああ…、そういえば」 跡部は思い出した。 もう少し先にはストリートテニス場がある。音はそこから聞こえたものだろう。 「行ってみるか?」 ここからは、そう遠くない。もうちょっと歩けば行ける範囲だ。 なのにリョーマは首を横に振る。 「いいよ、今日はもう帰ろ」 「いいって、まだ歩いたばっかりじゃないか」 「本当に、十分だから」
ありがとう、と礼を言うリョーマを見て、跡部はため息をつく。 淡々としている口調だから、リョーマのことをよく知らないままだったら言葉通りに受け取っていただろう。 でも跡部には、それがただの遠慮だと気付いていた。 誰かの負担になるのを嫌うような子供だから。 跡部を自分の我侭に付き合わせたくないと、考えているのだろう。
(何度遠慮するなって言っても、こいつには無駄なんだろうな)
仕方ない、とまた手を引っ張る。
「跡部さん、帰り道はそっちじゃない。こっちだよ」 驚いたように声を上げるリョーマに、跡部は返事をした。 「やっぱりもうちょっと寄り道して行こうぜ。 ストリートテニス場には他校の奴も集まるから、何か情報も得られるかもしれねえ。 少し付き合ってくれても、いいだろ」
咄嗟とはいえ、我ながら下手な言い訳だと思った。 しかし、もう口から出たものは取り返しが付かない。 リョーマの負担にならないように言ったつもりだったが、あんまりにも見え透いたものだったろうか。
「もういい、行くぞ」 「あ、ちょっと…」
照れ隠しするように、跡部はわざと急ぎ足でストリート場へと引っ張って行く。 勿論、リョーマが歩いて行ける位の速度で。
「さっと行って、情報収集するだけだからな。 そんなに時間は掛からないから、いいよな」 「…うん」
困ったような顔をしていたリョーマだったが、次第に表情を和らげていく。 言っていることが嘘だと丸わかりでも。 心遣いが嬉しかったのか、指摘してくることは無い。
「ねえ。そこって誰でもテニス出来んの」 「ああ。ラケットさえもっていればな」 「へえー」 「でもたしかあそこはダブルスしか出来なかったはずだ」 「え、そうなの?」 「ああ。テニスする人数が多くて、ダブルスでの参加じゃないと認められなかったな」
ストリートテニスのことを聞きたがるリョーマに、跡部は自分の知っている数少ないことを全部話してやる。 実際、足を運んだのは二、三回位だ。 別に試合をする相手を探していた訳じゃない。 来たのも、ただの暇つぶしだった。 一緒に伴った樺地と自分に敵うものがいるはずが無く、 そこらにいた連中を笑い者にして帰って行った。
『お前ら、こんな程度の実力しかなくて、恥ずかしくないのかよ』
今思うと、よくあんな真似出来たものだ。 ただテニスが好きで、打っているだけ。 その気持ちがあれば、十分じゃないか。 それを笑う権利は誰にも無いはずだ。
「人が沢山いるね」 「…ああ」
前に来た時と同じに、コートには沢山の人が順番を待っていた。 もしかして挑発した連中がいるかもしれない。 自分だけならともかく、リョーマに暴言でも吐いたらと思うとぞっとする。 跡部は静かに隅の方のベンチへと誘導して行った。
「何か飲むか?ちょうど自販機があるぜ」 「うーん、じゃあファンタグレープある?」 「ああ。でも、こんな甘ったるいもの飲むのかよ」 「いいじゃん、好きなんだから」 「まあ、いいけどな」
リョーマに蓋を開けたファンタの缶を渡してやって、跡部もすぐ隣に腰掛けた。 甘い飲み物を飲んでは、リョーマは目を閉じてコートに響く音を追っている。 その様子を黙って、跡部は見守っていた。
(何も見えない世界の中で、一人でボールを追っているのか?)
想像の中で、誰も返すことの無いボール。 音だけの世界。
(もう一度コートに立ちたいって、願っているんだろうな)
一人で暗闇に立つリョーマのことを考えると苦しくて、 思わず肩に手を伸ばしてしまう。
「跡部さん?どうかした?」
それまで音を追っていたリョーマが、戸惑ったように声を掛ける。
「いや。…退屈じゃないか?」 本当の考えは言えるはずが無く、そんな言葉で誤魔化す。 「ううん。皆楽しそうなのが伝わってくるから、退屈じゃないよ」 目の前にあるはずの光景を想像して、リョーマは笑う。 「きっと一生懸命やっているんだろうなって思っているけど、違う?」 「いや。違わない。まだまだ努力するべき所はあるけどな。でも、それぞれ懸命にボールを追ってる」 「そっか」
穏やかなリョーマの横顔に、つきんと胸が痛む。 これから話そうと思っている内容は、少なからず動揺させてしまうことになるだろう。 それでも、もう誤魔化しや嘘は無しにしたい。 この先の為にも。 だから跡部は、今まで隠していたあのことを告白することにした。
「なあ、越前」 「何?」 「コートに戻りたいって、考えることはあるか?」 「……!」
たった一言で。 リョーマは手から缶を落とし、小さく体を震わせてしまう。
(仕方ない、か) テニスをしていた過去をひたすら隠そうとしていた分、衝撃は大きかったのだろう。 (ちゃんと話さないとまずいな) 缶を拾った後、跡部は「ごめんな」とまず謝罪をした。
「跡部さん、俺のこと知っていて…」 「ああ、少し前に知っていた。アメリカでテニスしていたんだな」 動揺にふらつく小さな体を、しっかりと抱きしめる。 「偶然、監督の所でお前が映ってるテープを観た。どこかの大会、だったと思う。 そんな経緯で知ったから、何も言い出せ無くて。 今まで黙っていた。すまない」 「……」 「少しずつ親しくなっていったけれど、お前の口からテニスした事は一度も出て来なかったよな。 触れちゃいけないんだと思って黙っていたけど、ずっとこのまま知らん顔していいのかと悩んでたんだ。 だから今日、ちゃんと話をしようって思った」 「そう、っすか」
素っ気無いリョーマの言い方に、やはり怒らせてしまったかと跡部は唇を噛む。 でも、どうしても何も知らないまま、彼の本当の苦しみを支えてやれないままなんて嫌だったから。 あえて、その奥に踏み込むことを決めた。
「すまない、越前。お前の過去を、こんな形で知った俺を許して欲しい。 知ってて、言えなかったことも含めて謝罪する」 抱きしめていた体を一旦離して、跡部はゆっくりと深く頭を下げた。 リョーマには見えないのはわかっているけれど、けじめとしてするべきだと思ったからだ。
「跡部さんは…」
リョーマがぽつりと口を開く。
「なんで話すことを決めたりしたんだよ。 言わないままだったら、俺に謝罪すること無かったのに。それなのに、なんで…」 「そうしないと、お前の本心に近づけないと思ったからに決まってるだろ」 「本心?」 「ああ」 跡部は頷いて、リョーマの両手を取った。
「だって、そうだろ。お前の苦悩を知ってて、気付かない振りして、それで本当にわかり合えるのか。 俺は嫌だ。そんな他人みたいな関係、今までみたいな付き合いだったら許せたが、お前とはそうなりたくない。 お前が辛いのなら、一緒に悩んでその気持ちを楽にしてやりたい。 幸せなら、よりもっと笑って欲しい。そうなるには、上辺だけで一緒にいるだけじゃダメだろ」
一気に捲くし立てると、しばらく沈黙が続く。 ぽかんと口を開けていたリョーマだったが、やがて戸惑うように声を発する。 「跡部さん。ねえ、なんで?なんで他人の俺にそこまでのことを言う訳?」 「それは…」 「それは?」
まだ告白は出来ない。 忍足と手塚と。 二人に言われて、リョーマは混乱したままだ。 その上自分も、なんて言ったら。 拠り所をまた見失ってしまう。 そんなのは、嫌だ。
「あるんじゃねえか、そういうことって」 「え?」 「誰かを笑顔にしてやりたいとか、今ある感情を分け合いたいとか。そういうのに理由なんて無くて。 きっと考えるよりも前に、自然と行動に出るんだろうな。 多分、俺にとってお前がその誰か、なんだと思う。 これが理由、じゃ駄目か?」
遠回しだけど告白に近いよな、と跡部は少し額に汗を掻いた。 でも、きっとこの少年はそこまでは気付かない。 自分に関することは、意外と鈍い奴だから。
「…そう、なんだ」 跡部の言葉を噛み締めるように、リョーマは頷いた。 「なんだかよくわからないけど、跡部さんが俺のこと同情とか、そういうので今まで仲良くしてくれてた訳じゃない。 それはわかってるつもりだよ」 「越前」 「ごめんね、知られてたことに動揺し過ぎて忘れてた。 跡部さんがあの時、俺の杖を家に持ってきてくれた時。本当に嬉しかったんだ。 俺のことを思って行動してくれてたに、その…今まで言い出せなくてごめん」 「いや、俺こそ黙っていて悪かった」 「だったら俺だって」
それから二人で何度も謝罪をした所で、同時に笑い出す。
「じゃあ、お互い隠し事していた者同士。引き分けってことでいい?」 「いつの間に勝負になっていたんだ。まあ、お前がそれでいいって言うのなら、俺は構わないがな」 「うん。でも、良かった」 「何が良かったんだ」 「もう跡部さんに隠し事無くなったから、なんかすごく楽な気分になれた。 知ったら変わっちゃうのが怖くて黙っていたけど、そんな人じゃないって…気付かなかった自分がバカみたいだ」 「別に、そんなことは無いと思うぜ」 「ううん。でも、もう何も無いから。すっきりした」
晴れ晴れと笑うリョーマと逆に、跡部は少し複雑な気持ちのままだった。
(俺の方はまだ隠し事あるんだけどな)
好きだとは、まだ言えない。 でもいつか。 リョーマの目のことが、解決した時には。
自然と、何も考えずに優しくしてやりたいって思える人こそが、好きな人なんだって。 この気持ちを全部、伝えよう。
チフネ

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