チフネの日記
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2004年09月27日(月) 盲目の王子様 57 リョーマ 



昨日の夜から落ち込んでたリョーマの心は、少しずつ上向きに変わって来た。
朝に跡部と忍足と、昼にジローと会話したからだ。
一人でいたままだったら…きっとまだ落ち込んでいたかもしれない。

(誰かと喋ることで、気持ちが浮上することってあるんだ)

アメリカにいた時、こんな風に関わっていた友人などいなかった。
いつも一人で、テニスに打ち込んでいただけだから。
積極的に人と関わろうとしたことも無いし、
一人でいてもそれがどうしたと思っていた。

誰かといて安心するなんて、初めてのことかもしれない。

(でも心配ばっかり掛けちゃいけないよね)

彼等の為にもいつまでもうじうじ悩んでいるのは止めてしまおう。
手塚とは学校も違う。会うことも、もう無い。
すっぱり吹っ切ってしまった方が良い。




「リョーマ君、バイバイ」
「また明日ね」
「うん、バイバイ」

カチロー達が教室から出て行く足音を聞きながら、リョーマも立ち上がった。
家に帰ったら、軽く近所を散歩しよう。
外の空気を吸って、気持ちを入れ替えるんだ。
そんな風に考える。

だが校門を抜け家へと歩き出すと同時に、邪魔が入ってしまう。

「越前君」
聞き覚えのある声に、リョーマの体が強張る。
「え…?」
聞き覆えのある声の主は、さっと寄って来て隣に立つ。
「昨日は済まなかった。あ…その、手塚だが、わかるか?」
遠慮がちに名乗りを上げる手塚に、リョーマはぐらっとふら付く体を必死で留めた。

「何であんたがここにいるの!?」

テニス部に所属しているのなら、部活動の時間のはず。
どうして、と呟くリョーマに、手塚はたどたどしく訳を話す。

「今日は大会の疲れを取る為に、部活は休みとなった。
だから氷帝まで君を探しに来た。入れ違いにならなくて本当に良かった」
ほっとしたように話す手塚は、ずっと自分が出てくるのを待っていたのだろう。
しかしリョーマは、嫌そうに眉を寄せた。

「ふうん、休みなんて余裕なんですね。それで、わざわざここまで来たんだ?」
興味無いというように、リョーマは手塚に背を向ける。
「何しに来たか知らないけど、あんたと話すことなんて無いから」
そう言い捨てて、家へと歩き始める。

素っ気無い態度のリョーマに、手塚は挫けることなく慌てて追う。
「待ってくれ!少しでいい、俺の言い分を聞いてくれないか」
「ヤダ。あんたと話すと気分悪くなる」
「頼む、どうしても伝えたいことがあるんだ」
「…あんた、俺がなんで怒ってるかわかってんの?」

諦めようとしない手塚に、リョーマは大きく溜息をついてみせた。

視力を失い、回復するかどうか保証も無いことも知らないくせに、諦めるなと説教するなんて。
思い出すと、腹が立ってきてしまう。

ぎゅうっと杖を握るリョーマを見て、手塚は困ったように顔を伏せた。

「初対面の俺がわかったような口の聞き方して、傷つけたことは謝る。悪かった」
「そう思うなら、もう俺に近付いて来ないで」
「それは出来ない」

これで引いてくれるかと思ったのに、手塚から出た言葉はまるで逆のものだった。
「はあ?」
何言い出すんだと、リョーマはぽかんと口を開ける。
一向に気にした風でも無く、手塚は宣言する。
「それは約束出来ない。君のことを、ずっと探していた。
やっと会えたというのに、このまま引き下がるなんて出来る訳が無い」
「だーかーら!それは俺がまだテニスしてたらってことでしょ?
今の状態の何の俺に用があるんだよ」

テニスを出来ない自分に、価値など無い。
リョーマはそう思い込んでた。
視力を失った時、実際周囲から何度もそんな言葉で叩かれたりもした。

‘結局、あいつからテニスが無くなってしまえばただの生意気なガキだよな’

その通りだ。振り返ってもテニスしか無かった。
何言われても、仕方ないと我慢してきたのだ。
榊がやって来るまで、リョーマは心を閉ざして悪意の感情から耐え続けてた。

「俺に構う必要なんか、無いでしょ」

心に壁を作るリョーマに、手塚は苦しそうに声を出して伝える。

「必要無いなんて、言わないでくれ」
「だって、」
「テニスを出来なくなったと知っても、会いたい気持ちには変わらなかった。本当だ。
ずっと探していたんだ。絶対、君がテニスをすることを諦めていないと、信じていた。
あんなテニスをする君が、わずかにでもある可能性を捨てるはずは無いと」
「……」
「なぜなら俺に、もう一度テニスへの情熱を取り戻させてくれたのは、
君のテニスだったから。
そんな君が諦めるはずがない、そうだろ」

え?とリョーマは首を傾げた。

「どういう、意味?」

手塚は青学のテニス部に所属していて、跡部が認める程の実力の持ち主で。
なのに、今の言葉は…まるでテニスを一度捨てようとしたような。
そんな風に聞こえた。

戸惑うリョーマに、手塚は語った。

「あの時、君と試合をしたいと願い控え室にまで行ったが、
本当は俺の肘は万全じゃ無かったんだ」
「え?」
立ち止まったリョーマに、手塚は過去の出来事を話出した。

青学に入学してすぐ、実力を妬んだ上級生に怪我をさせられたこと。
その所為で肘に負担が掛かって、医師からしばらくテニスすることを禁じられていたこと。

「本当はあの夏、Jr選抜の合宿に出るはずだったのだが、
その所為でラケットすら振れなかった」

両親と旅行に行ったのも、テニス出来ない辛さを紛らわせる為だったと。
手塚は全てを話す。

「もし、このままテニスが出来なくなったらと考えると怖かった。
焦りと、苛立ち。いつしかテニス出来ない自分の体を恨んだ。
そして、着実に前へ進んで行く周囲も嫌いになった。
変わらずテニス出来る仲間に、俺の苦しみなどわかるかと…嫌な奴だな、全く」

医者からテニスをするなと言われた時から、手塚はずっと独りで苦しんでいた。
みじめな気持ちや周囲への嫉妬を、口に出せるはずもなく。
ただひたすら耐えてた。

(俺と、同じ…)

手塚の告白を、リョーマは呆然と聞いていた。
視力を失った直後の自分と似てる。
その苦しみは、よく理解出来た。

「君のテニスを観た時、曇っていた心に光が差したように思えた。
テニスが試合がしたいと、渇望する純粋な気持ち。
それを思い出した。実際にはまだラケットも振れなかったから、
試合を申し込むにしても、完治してからしか無理だというのに」
「その時約束を取り付けてたら、またアメリカまで来て試合するつもりだった?」
計画無しの手塚にそう問い掛けると、
「そうだな」と何故か自信たっぷりに言われてしまう。

「どこにいたとしても、試合出来るのなら出向いただろう。
君と、テニスがしたい。今でもその気持ちは変わっていない」
「でも、俺は…」

ごめん、と俯くリョーマの肩を、手塚が両手で掴む。


「可能性はゼロじゃない。諦めるな」
「諦めて、ダメだったらどうするんだよ」

一番怖いこと。
期待して、それでもダメだった時だ。
以前なら、そんな事を考えなかったのに。
この件に関しては、本当に臆病になってしまう。

「ダメじゃない。俺は信じてる」
「なんの根拠も無いじゃん…」
「俺が信じているだけじゃ、ダメか?
コートに立っている君は、神様みたいに見えた。あんなテニスする人は他にいない」
「神様って、大袈裟過ぎるんだけど」
「大袈裟なものか。俺を導いてくれたんだから、当たり前だろう。
その君が、このままコートから消えるなんてそんなことあるはず無い。
もう一度あの場所に立つと俺は信じてる」

思い込みだけで、よくまあこれ程のことが言えるものだ。
手塚が信じていたとしても、手術で治る保障はどこにも無い。
けれど。

「…俺も、信じたい。
本当はすぐにでもコートに戻りたいんだ」

ぽろっと本音の言葉が口から出る。
同時に、リョーマの目から涙が流れた。

「わかってる。大丈夫、絶対に戻れるはずだ。俺は信じてる」

肩を掴んでた手塚の手が、涙を拭う為に頬を優しく撫でる。
その言葉に、また新しい涙を流してしまった。



チフネ