チフネの日記
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2004年09月09日(木) 盲目の王子様 40 跡部景吾

いつの間にか時刻は10時近くなっていた。

まだ寝るには早い時間だが、ジローは眠くなってきたらしい。

「ふぁああ」
「ジロー、眠いの?」
「んーん、まだ起きてる!リョーマと遊ぶからー」
「でも、眠そうだけど」
「平気、平気」

(平気じゃないだろ。絶対寝るぞ、こいつ)
半開きのジローの眼を見て跡部は確信する。
すっと立ち上がり、リョーマの腰に回してる腕を離しに掛かった。

「いい加減帰るぞ」
「やだー。もう少しリョーマといるー」

バタバタと手を振る様は、子供がぐする姿のようだ。
本人に言ったら、思い切り否定するだろうが。

それよりも下手したらジローは、ここに泊まるなどと言い出すことも考えられる。
そっちの事態の方が、恐ろしい。

「リョーマと一緒に寝るー!」等と言ってごねる姿が容易に想像できる。
しかもリョーマの母と菜々子は簡単に承諾しそうだ。
(冗談じぇねえ)
跡部は軽く首を振った。

帰らせよう。
絶対に。

「車を呼ぶから、帰るんだ。いいな」
「送ってくれるんか?」

ジローに悪戦苦闘している跡部を手伝いもしない忍足が、一歩離れた場所から声を掛けてきた。
どこかからかっているような声色に、跡部は眉を顰める。

「近くまではな。そっからは歩いて帰れ」
「まあ、ええけど」

忍足も立ち上がり、ジローの横へと立った。

「ほなジロー行くで」
ぺしっと額を叩くと、ジローは不満げに唇を尖らせる。

「もうちょっとリョーマといる」
「リョーマ、困っとるやろ。ええ加減にせい」
ひょいっと忍足はジローの体を抱え、立たせた。
「跡部。車、呼ばんの?」
「ああ・・・・」

さっきまでちっとも言うことを聞かなかったジローだが、忍足の言葉には従っている。

(だったらさっさと越前から引き離せよ)
ちっと舌打ちして、携帯をポケットから取り出す。

「また遊びに来ればええやろ。今日は我慢して家に帰ろうな」
「うー。リョーマ、また来てもいい?」
「うん」
「ほらな。リョーマもええ言うとるやろ」
「わかった・・・今日は帰る」
「ジローって叱られてる子供みたい」
「ははっ、そうやな」
「なんだよ、忍足までー!」

運転手に連絡を取ってる間、三人は和やかに会話をしている。

忍足の態度を見ていると、自分一人だけジローがリョーマにべったりくっついているのが気に入らないようだ。

(忍足の奴、ジローが越前にべたべたしててもなんとも思わないのか?)
さっきの時だってそうだ。
わざわざリョーマと二人きりで話できるように、ジローを押さえてくれた。
(どういうつもりだ)
気付かれないよう忍足の顔を見ると、その視線はジローに抱きつかれてるリョーマに向けられている。
初めて見た穏やかな眼差しに、ジローとは違う苛立ちを覚える。

「跡部?どないしたんや」
見ていたのに気付いたのか、忍足が顔をこちらへ向けた。
「車の都合がつかんかったんか?」
「・・・すぐに来るそうだ。5分も掛からない」
「ほら、ジロー!もう来るて言うとるやろ。まだリョーマにくっついとったんかい」
「だって、リョーマ抱っこしてると気持ち良いもん」
「しょうもないやっちゃなあ」

苦笑いしながらも、無理矢理リョーマから引き離さない忍足にますますムカついてくる。
しかしここでまた機嫌を悪くしたら、またリョーマは何事かと気にするだろう。
心配はさせたくない。

「もたもたするな。帰る前に、一言挨拶もしないといけないだろうが。
越前、お母さんと菜々子さんを呼んでくれるか?」
跡部は不満を隠してリョーマの前に立った。

「跡部さんって、そういうとこきちんとしているよね」
くすっと笑いリョーマは「ちょっと待って」とジローを剥がす。
さすがにリョーマの言うことだからか、ジローも大人しく離れる。

「きちんと?挨拶?跡部が?」
「うるせぇ、自分の荷物持っていけよ」
「きちんと・・・・」
「ほら、ジロー。忘れたらあかんで」
慌てて忍足は、ジローにバッグを押し付ける。





廊下へ出てきたリョーマの母に、跡部はさっと挨拶をした。
「なんのお構いもしませんで」
「いえ、ごちそう様でした」

後ろで、にっこりと菜々子が微笑んでいる。
目が合って、慌てて跡部は視線を逸らした。

別にやましいことなど無い。
けれどリョーマの従姉であるこの女性に前回出会って車で送った時に、
色々と口が滑り余計なことを言ってしまった。
学校でのリョーマはどうなのかと聞きたがる彼女に、知ってる範囲のことを話した程度だが・・・。

話しを聞き終えた菜々子は、「リョーマさんのこと、よくわかって下さっているんですね」と笑顔を向けた。
「心配だったんです。リョーマさん、決して人の手を借りようとしないから。
でも跡部さんみたいな方が側にいるなら安心できます」

真っ直ぐな菜々子の言葉。
気恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまった。

安心できます、そんな風に言われたのは初めてだ。

自分のことだけしか、ずっと考えていなかった。
人のことなど、見向きもしずに生きて来た。
傷付けても、放り投げても何とも思わなかったのに。

知らない間に、リョーマの側にいて見守っている、ような行動をしていると自分でも思う。
(少しでも変わったのだろうか、俺は・・・)

けど、そんな変化を不快だとは思わない。

リョーマの側にいて安心だと言われるような人に変わったのなら、
むしろ嬉しいと思える。





「遅くまでお邪魔しました」
「いいえ。また来て下さいね」
「ハイ、また来ますー!」
「こら、ジロー」
「いいんですよ。遠慮せずに、来てね」
「はーい!」
「・・・・・・」
それぞれ靴を履いて、玄関を開けようとした瞬間。

それはやって来た。

「それがぁーおとこのー浪漫ー」

調子外れた歌が聞こえ、跡部もジローも忍足も動きを止めり。

声の主は玄関の向こう側にいるらしい。

思わず三人は顔を見合わせて、外にいる人物の出方を伺う。
すぐにドアは開けられ、外から無精ひげの男がのっそりと入って来た。

「んん?君達はどこのどなた様なのかなあ?」

跡部達の顔を見回して、男は頭を掻いた。
酒のせいで頬が赤いのだろう。舌回りも怪しい。

「ひょっとして菜々子ちゃんのボーイフレンドか?一、ニ、三人!?こりゃモテモテだなー、おい?」
「おじ様!」
「照れることないない。だがな。菜々子ちゃんは親御さんから大切に預かった娘さんだ。
お付き合いしたいというのなら、この俺を倒してもらおうじゃないか!」

ハッハッハと笑う男に、跡部達は唖然としていた。
(誰だ、こいつ・・・)

酔っ払いが絡んでいるのはわかるが、どう対処したものか。

そこへ、
「あなた、いい加減にして下さい」
後方より厳しい声がぴしゃりと響いた。

全員、振り返ると笑顔のまま拳を握り締めているリョーマの母がいた。

「随分楽しいお酒だったようね?」
「あ・・・いや、そのう」
「いいから早く上がって。そこにいられると、お客様の邪魔になるんだから」
「ハイ」
「ほら、急いで」

しゅんとして、男は履いていた草履を脱いだ。
どうやら今の会話から、ずっと姿を見せなかったリョーマの父親だと三人は推測する。
いなかったのはどこぞで飲んでいたからか。


ふとリョーマの様子を伺うと、疲れた顔して壁に体を凭れさせていた。
呆れているらしい。

「で、結局菜々子ちゃんの本命はどいつだい?」
「いませんっ!この方達はリョーマさんのお友達です。制服を見てわからないんですか?」

もう、と菜々子は額を押さえた。

「リョーマの・・・?じゃあお前さん達、中学生かい」
「はい」

目線が合った忍足は、思わず頷いた。

「そうかー。最近の中学生はがたいがいいねえ。おい、リョーマ。お前だけ小さいからって悲観することねえぞ」
「大きなお世話。それに跡部さん達は俺よりも2コ上なんだから、その分成長してて当たり前じゃん」

小さい、が気に触ったのかリョーマの口調は憮然としている。
父はリョーマの様子を無視して、
「跡部・・・・?聞いたことあるような・・・」と考え始めた。

自分の名前が呼ばれ、跡部は何だろうと少し不安になる。
この家で自分の話題が出ることがあるのか。
そう思うと、心音が早くなる。

「ああ、跡部か!で、どいつが跡部君か!?」
パンっと手を叩く音が響く。
そして、三人の顔をじーっと見比べ始める。

「俺です」
反射的に名乗り出た跡部に、リョーマの父は「君がかー!」と肩をばしばし叩いた。
ハッキリ言って痛いのだが、相手が相手だけに文句は言えない。

「聞いたぜ。リョーマが世話になったようだな」
「いえ、俺は」
「隠すな、隠すな。リョーマもな、お前さんが杖を届けてくれたこと、リョーマはそりゃあ喜んでいたからな」
「親父っ!余計なこと言うなよ!」

慌ててリョーマは抗議するが、父親はその反応が可笑しかったのだろう、ガハハと豪快に笑った。

「杖・・・?何それ?」
事情がわからないジローは、今の会話に顔を顰め、
その横で忍足は何も言わずただこのやり取りだけを見ている。

「できればこれからもリョーマの事、よろしくな。見ての通り可愛くないガキだが」
「うるさいよ」

低い声を出したリョーマに、南次郎は「本当のことだろ!」とまた笑う。

「もう、親父に構わなくていいから。車、来てんじゃないの?」

ぷんぷん怒りながら、リョーマは「行こう」と三人を促す。
息子の様子に父親は肩を竦め、「じゃあな」と廊下を歩いていった。

「お引止めして、ごめんなさいね」

急に静かになった空気を破り、リョーマの母は申し訳なさそうに謝った。

「いえ。今日はありがとうございました」
「また来て下さいね」
「ハイ!きっとすぐに!もう明日でも!」
「ジロー、行くぞ」
「もう跡部、引っ張んなって!」

リョーマが言った通りに車はもう家の前に着いていた。
ジローを押しこむ形で、一斉に車に乗り込む。
「じゃあね、リョーマ。また明日!」
「おやすみ、リョーマ」
「うん、またね。おやすみ」
「じゃあな、越前」
「うん」

見送りに出たリョーマへ挨拶をして、車は走り出した。



「あーあ、見えなくなっちゃった」
最後まで後ろを振り返っていたジローだが、さすがに角を曲がって諦めたようだ。
そして、今度は跡部の方へと体を向けた。

「ねえ、跡部。説明してよ」
「ああ?」
「お母さんも菜々子さんも、お父さんも!皆、跡部のこと知ってるってどういうこと?」
「日頃の行いが良いからだろ」
「そんな訳ないじゃん!杖のことって何!俺、聞いていないんだけど」

鬱陶しくて顔を背けるが、ジローがそんなことで堪えるはずがない。

「跡部、聞いているのになんで言わないの?」
でかい声に、耳を塞ぎたくなる。
(こいつ、車から降ろしてやろうか)

むっとした跡部に助け舟を出したのは、それまで黙っていた忍足だった。

「ジロー。個人的なことやで。放っておけや」
「なんで?忍足は気にならないの?」

腕を組んで、忍足は頷いた。

「気になるけど、跡部が話したくないからな。しゃあないやろ」

意外な忍足のセリフに、跡部は目を開いた。
てっきりジローと一緒になって聞きたがると思っていた。

「お前、リョーマにも根掘り葉掘り聞くなよ。前にも言うたけど、リョーマを困らせるな」
「俺は、別に困らせようなんて・・・」

居心地悪そうにジローは身を捩って、シートへ凭れた。

「たださー。跡部がリョーマの側にいる理由が知りたいんだよ。
なんで?跡部って今まで誰かに興味持ったことないじゃん」

わかんないんだよなと、ジローは呟く。

「なにか目的とかあるんじゃないよね?」
「あるか、バカ」
「バカってなんだよー。やっぱり口悪い!リョーマに悪い影響でたらどうするんだよ」

(あいつは最初から口が悪かったぞ・・・・)
言いたい事を飲み込んで、知らない振りを決め込む。
相手するほど、絡んでくるに違いないからだ。

「ジローは跡部がリョーマに近付く事、反対なんか?」

くすくす笑いながら、忍足はジローに聞いた。

「反対!跡部って女の子にもヒドイことばっかりするし、優しくないもん!
この先、リョーマと会話するならこの俺を通してよ!」
「何や、そのルールは。お前はリョーマの保護者かなんかか?」
「なんだっていいよ。跡部、わかった?」
「知るか」

お前を通す義務なんか無い。

そんな態度でいる跡部に、「絶対近付けさせないからー!」とジローが声を上げる。

(止められるものなら、やってみろ)

フッと鼻で笑い、また横を向く。

ジローの言った通り、たしかにここまで他人に興味を持ったことは無い。
それほどまでに、あの盲目の少年は自分にとって特別のようだ。

誰にも媚びず、一人で立とうとする強い心。
それでいて笑った時の、あどけない顔。

そして・・・。

(あいつのテニスしていた姿が、忘れられない)


生き生きとコートを駈け回っていた時の表情。


全部に、惹き付けられてしまうんだ。


チフネ