チフネの日記
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2004年08月24日(火) 盲目の王子様 24 跡部景吾

図書館の片隅。

ちょうど棚で死角になっている席だから、入って来た瞬間には跡部も気付かなかった。

(越前・・・?)

本を枕にしてうつぶせの体勢を取っているリョーマに、そっと近寄る。
ぐっすり寝入っているようで、すぐ隣の椅子を引いてもリョーマはぴくりとも動かない。

(平和な寝顔だな)

穏やかに目を閉じて眠っている。

跡部は思わず笑みを零した。

起きて隣に自分が座っているとわかったら、どんな反応をするのだろうか。
持って来た生徒会の資料はそっちのけで、跡部はしばらくリョーマの顔だけを眺め続ける。

(なぁ、俺とお前は一体、なんだろうな)

不意に忍足の言葉を思い出し、心の中でリョーマに問い掛ける。

『俺とリョーマは友達やからな』

忍足に宣言された言葉は、跡部の感情に波紋を投げかけた。
別にリョーマが誰と友達になろうが、跡部が口出しする権利は無い。
それなのに何故か不愉快な気分になった。

(友達だと?勝手なこと言うな)

何に対してそんなに自分は腹を立てているのだろう。
それに。
だったら自分はリョーマのどういう存在か、考えたら混乱もしてきた。
出会った頃は最悪だったけれど、ここ最近は普通に会話もしている。
世間一般から見たら、自分とリョーマも「友達」なんていう分類に入るのだろうか?

入るとしても・・・跡部はそれは違うと首を振った。

友達なんかよりも、もっとリョーマの近くにいたい。そう思う。
その感情はなんて言うものなんだ?

そこまで考えて、跡部はリョーマの顔を覗き込んだ。
額に掛かる前髪を指ですくってやると、くすぐったいのかわずかに身動ぎする。

「・・・・・んっ」

わずかに漏れた声に、起こしてしまったのかと慌てるが、またすぐに寝息が聞こえてきた。
ほっとして、体から力を抜く。

(俺はどうして、お前のことばっかり気にするんだろうな)

いつかもリョーマに聞かれた。
『どうして、俺に関わるの』と。

でも今はまだ答えは出そうにない。
もっとじっくり考えて、それから出しても遅くない。

上着をリョーマの背中に掛けてから、
跡部は目の前にある資料から取り掛かり始めた。








(そろそろ、起きてもいいだろうに)

1時間程経過しても、リョーマはまだ夢の中だった。

いくらなんでも、もう起こした方が良いと判断する。
放っておけば、閉館時まで寝そうな勢いだ。
そう思って、跡部はリョーマの肩をゆっくり揺さぶり始めた。
跡部もそろそろ部活に顔を出そうと思っていた所だ。
生徒会の資料はこの1時間で、すっかり片付いてしまっている。

「おいっ、越前」
少し強めに揺さぶっても、目を覚ましそうにないので小声で呼び掛ける。
「越前、起きろ」
また声を声を掛ける。

(意外と寝汚い奴だな)

もう一度強く揺さぶると、リョーマの瞼がゆっくり開かれた。
「・・・・もう5分」
「5分じゃねぇ、起きろ」

低い声に、リョーマの意識は一気に覚醒した。
いつもリョーマを起こすのは、従姉の菜々子か母親だった。
知らない声に驚き、すばやく体を起こす。
瞬間、肩に掛けてあった上着が滑り落ちる。

「誰っ」
「静かにしろ。他の利用者に迷惑だろ」
「跡部さん!?」
「ああ」
「なんだ・・・びっくりした」

ようやくリョーマも今いる状況を思い出したらしい。
跡部は床から上着を広い、無言で誇りを払った。

「驚いたのは、こっちだ。起きないかと思ったぞ」
「あ、ごめん」

バツが悪そうに謝り、それからリョーマは首を傾げた。

「なんでこんなところに?部活は?」
「生徒会の資料を探しにと、少し業務してただけだ。部活には今から行く」
「ふぅん。忙しそうだね」
「ああ。暢気に昼寝できる誰かさんと違ってな」

からかうような跡部の口調に、リョーマはカッと耳を赤くする。

「うるさいなぁ。一休みしてただけじゃん」
「ほぉ。お前の一休みとは、1時間以上を差しているのか」
「俺がどれだけ休憩取ろうが、自由だろ」
ムキになって否定したリョーマの声は、普段通りと変わらないものだった。
すると、
「スミマセン、図書室ではお静かにお願いします」
小さいけど、きっぱりとした声が響き、二人共ぎくっと体を強張らせた。
どうやら図書当番の生徒らしい。
本を何冊か小脇に抱え、しっかりと二人の方を睨んでいる。
跡部とリョーマが同時に軽く頭を下げると、女子生徒はまた別の棚へと移動していった。

「ほら見ろ。怒られただろ」
「それ、俺のせい!?」

声を潜め、リョーマは抗議する。

これ以上茶化すと、本気で怒ってくるだろう。
絶対引かないリョーマを知っているから、跡部はわざと真面目な声を出した。

「寝るのは自由だけど、冷えて風邪でも引いたらどうするつもりだ」
室内とはいえ、体調を崩す可能性は十分ある。
しかしまさか跡部がそんなお節介なことを口にするとは思わなかったのだろう。
きょとんとした表情を浮かべた後、リョーマは顔を伏せた。
「ああ・・・うん。これからは気を付ける」
「そうか」
素直な言葉に、跡部も少しばかり照れてしまう。
生意気で可愛げの無い態度をとるかと思えば、これだ。

「この俺が、振り回されている」
「え?何?」
「なんでもねぇよ」
小さな声だったので、リョーマには聞こえなかったようだ。
話を逸らすようにくしゃっと髪を撫でてやり、寝癖を直す。

「その本、借りるのか?」
「うん」

お互い立ち上がって、カウンターまでの距離を歩く。
図書室の位置は大分覚えたと得意そうな顔をするリョーマに、
「そうか」とだけ呟く。

何か障害物が無いか気を配りながら、リョーマはゆっくりと歩いている。
ここまで歩けるようになるまで、どれ位掛かったのだろう。

榊と歩行練習していたことを思い出し、ぎゅっと資料を握り締める。

すごいな、とか頑張っているんだなとか、そんな陳腐な言葉じゃなく。
もっと、リョーマに掛けてやりたい言葉があるけど見付からない。

黙って後ろを歩くことしか出来ない自分に、苛立ち似たものを感じる。

(なんでお前ばっかり、俺に知らない感情を教えるんだ)

「ほら、もうカウンターでしょ」
得意そうに振り返るリョーマに、「・・・ああ」と跡部は声を抑えて返事をした。






「一週間になります」

目の見えないリョーマがどうやって図書カードを書くかと思っていたら、
どうやら委員が書くのが決まりになっているらしい。
多分、それも榊の指示だろう。
さっき二人を注意した女子生徒は、何事も無かったような顔をしてリョーマへと本を差し出した。

「どうも」
「それ、どういう本だ?」

扉を開けてやりながら、跡部はリョーマが持つ本について聞いてみた。
背表紙も点字で書かれているため、内容がわからない。

「童話みたいな話かな。沢山の短編が収録されてる」
「へぇ」
そういうのも読むのかと、リョーマの横顔を眺める。
「面白いのか?」
「まぁね。読んだこと無い話ばかりだから」
本を小脇に抱えて、リョーマは頷く。
「まだ読むのに少し時間はかかりそう」
「挫折して途中で寝る可能性もあるしな」
「それはもういいから!」
「そうか、悪かった」
「・・・・また馬鹿にしてる」
「していない。気のせいだろ」
「そうとは思えないんだけど」

不満らしく、床に響く杖の音が大きくなる。

悪かったな。お前の反応が面白いから、ついからかってしまうんだ。
そんな事、言えるはずもなく跡部は黙ってリョーマの隣を歩く。
もっと上手く対話するには、時間が掛かりそうだ。

「あの、跡部さん」

昇降口まで来た時、それまで同じように黙っていたリョーマがぴたっと足を止めた。
文句の続きかと思うが、そうではなかった。

「上着、ありがとう」

目を瞬かせ、リョーマの言葉の意味を理解するのに三秒ほど必要とする。

「・・・気付いてたのか」
「うん。起きた時、あれ?って思ったから。ほら、香水の匂いもしたし。すぐわかった」
ありがとうと、もう一度お礼を言うリョーマに、何を言うべきか真っ白になる。
「あー、俺の制服にもちょっと移ってるかも」
袖を鼻まで持って行って、リョーマは「やっぱり」と笑った。

その笑顔に、動けなくなる。
どうしてか、わからないけど。


「跡部さん?聞いてる?」

静かになった跡部を不審に思ったのか、リョーマがこつっと杖で床を突いて音を出す。

「聞いてる」
「なんか妙に大人しいけど。具合でも悪くなった?」
生意気な表情などどこにも見当たらない、心配そうな顔。

本当に、具合が悪いのかと心配してるとわかる。

「どうして、俺の心配なんかするんだ」
「は?何?」
「俺のことなんて嫌いだったはずだ。
偉そうに詮索して、不愉快なことを言われて。怒っていたじゃねえか。
なんでそんな奴の前で笑えるんだ・・・・」

最後の方はもうほとんど声にならなかった。
自分が何を言い出しているのかわからない。

けれど、ずっと普通に会話出来るようになってから気になっていた。

あの時の自分はイヤな態度を取っていた。
そのことが許された訳じゃないんだって。


「あのさ、それはこっちも同じこと返すんだけど・・・」

右手で顔を覆って俯く跡部に、リョーマが手を伸ばす。
空を掴むように頼りない手が、跡部の腕に触れ、確かめて握り締められる。


「俺だって、嫌われてもしょうがないこと言ったよ。
実際、腹が立ってたからもう二度と近付かないような言葉を選んだ。
でも、関わってきたのはそっちからだろ。
俺のことなんて見ないフリして通り過ぎることも出来たのに。
それをしないで、杖まで探してきてくれて・・・・。
その相手にまだ憎まれ口叩かなきゃいけないなんて、俺だけが拘ってるみたいでバカみたいじゃんか」

むーっと、顔を顰めてそっぽ向かれる。

「怒ってないのか?俺のこと・・・」

今の言葉の意味を考えて尋ねると、リョーマはゆるく首を振った。

「そっちこそ。俺のこと、生意気な奴だって思ってたくせに」
「今は、違う」
即座に否定する。
「じゃ、もういい」
「何がだ」
「お互い、嫌な奴だった。けど今は違う。それでいいでしょ」
ね?と相槌を求められ、ようやく跡部の体から力が抜けた。

「あの時は悪かったな」
簡単に出てくる、謝罪の言葉。
過去に誰かに謝った記憶などあっただろうか。
いつでも自分は正しくて、間違いないと思い込んでいた。
謝ることは負けを認めたことだと、頑なに否定していたのに。
今、楽に言えることが嬉しいと思う。

「俺も、悪かった」
気まずそうにリョーマも謝る。

もしかしたら、リョーマも謝ることに慣れていないのかもしれない。
ぎこちない表情に、自然と微笑んでしまう。

「なあ。仲直りの握手をしてもいいか?」
本当にどうかしている。
そんなこと言い出してしまうなんて。
けれど無性にそうしたい気分だったから、素直に言えることが出来た。

「いいよ」
リョーマも素直に右手を出してくる。

跡部も右手を差し出して、小さな手を握った。

暖かな手。
何度か触れたことはあったけれど、
今日初めて本当にリョーマに近づけた気がした。

名残惜しいけど、いつまでもそうしている訳にはいかない。
そっと、手を放す。

「それじゃ、俺帰るから。部活、頑張って」
「おお・・・」
「じゃあね」
「ああ」

リョーマの背中を見送り、校門を出るのを確認してから、
跡部は部室へと走り出した。


気分がとても軽い。

なんだかわからないけど嬉しくて、にやける顔を抑えるのに大層苦心することになる。







その日の部活時。
跡部の機嫌は異様なくらい良くて、周囲が引いてしまっていた。

「なぁ、岳人。跡部の奴、とうとうここに来たんか?」
「俺が知るかよ」

他の部員達も、鼻歌を歌う跡部の様子に首を捻った。


チフネ